745 お兄様
「リーナ」
「お兄様!」
リーナはすぐにソファから立つとパスカルの元に駆け寄った。
「大変です! 私やクオン様の情報が外部に洩れています!」
すでにパスカルには自分がどのような用件でリーナに呼ばれたのかを知っていた。
パスカルは優しく微笑むとリーナを抱きしめる。
「大丈夫だよ。このことは王太子殿下も国王陛下もご存知だし、細かい内容は第二王子殿下が責任を持って監修されている。僕も確認をしているけれど、特に問題はなかった」
リーナはパスカルをじっと見つめた。
「どんな内容なのでしょうか? まさかとは思いますが、クオン様と出会った場所とかも全部公表されているのでしょうか?」
「後宮にある部屋の一つだね。掃除をする際に出会ったはずだよ」
間違いではない。実際はトイレ掃除に行った時だが、クオンに出会ったのはその前に通る控えの間だった。
しかし、それは後宮の情報だ。後宮の情報漏洩は厳しく処罰されるはずだった。
「後宮の情報が外部に知られてしまうのでは?」
「そうなるね。でも、国王陛下の許可があるから平気だよ」
「陛下の許可が……」
「さすがに全てのことを事細かく公開するわけではないかな。でも、出会うまでの経緯については説明されている」
平民の孤児だったリーナが後宮の人員募集に応募し、真面目で勤勉そうなこと、努力するという熱意が評価されて採用された。
召使いとして真面目に勤務し、様々に工夫をして難しい仕事を一人でこなす。そのことが評価されて出世する。
途中、国の孤児院に関する調査で貴族出自だとわかったものの、名前が似ていたことから別人の調査内容と間違われてしまったことが判明。そのため、貴族出自への変更が無効になり、平民出自に戻った。
その際、侍女見習いとして勤務していたため、素性変更の影響で一旦解雇される。
しかし、これまでの勤務態度や能力を考慮し、第四王子付の侍女として臨時雇用される。
真摯に努力する姿が評価され、正式に第四王子付の侍女に昇格。
レーベルオード伯爵家の養女になることが決定し、ミレニアス訪問の際には随行者の一人に選ばれる。
帰国後、レーベルオード伯爵家で催された養女お披露目の舞踏会にて、お忍びで出席していた王太子に見初められる。
レーベルオード伯爵令嬢としての王宮デビューを華々しくするべく、王太子が音楽会を主催し、特別な指輪を贈って愛を告白。
王太子の妻として相応しいかどうかを検討する期間が設けられることになり、側妃候補として入宮する。
デーウェンとの友好を祝う舞踏会では接待役を見事に務め、二国間の友好をより深めることに貢献する。
外交上重要な催しにおける高い評価を受ける。勤勉で誠実、慈愛溢れる女性であることも深く考慮され、王太子の妻に相応しい女性だと判断される。
夏の大夜会で婚約と側妃になることが公表される。
可能な限り早く婚姻したいという王太子の要望で九月末に内々の結婚式を執り行うことになる。
ところが緊張関係が続くミレニアスとの国境地帯で大規模な森林火災が発生したため、結婚式が延期になる。
二カ月の準備期間を設け、十一月、王太子の誕生日に婚姻する。
「こんな感じかな」
大筋としては間違ってはいない。しかし、リーナの本当の出自、ミレニアスに同行した際には非公式の恋人だったことなどは秘匿されたままだった。
「大体このような感じだということだけがわかればいい。国民も納得する」
リーナの不安は大きく、すぐに安堵することはできなかった。
「せっかくレーベルオード伯爵家の養女になったのに、平民の孤児であったことがより多くの者達に広く知られてしまいます。納得するどころか、反対する声が強まるのではないでしょうか?」
「リーナが元平民の孤児だったことはすでに大勢の者達が知っている。夏の大夜会の時のこともあるし」
リーナの出自が王太子の妻として異例のものであるのは事実だ。
あくまでもレーベルオード伯爵令嬢として扱えば、必ず過去のことや平民の孤児という出自を引き出し、リーナの足を引っ張ろうとする者達が後を絶たない。
そこで平民の孤児という出自や過去の経歴等をあえて公表し、その上で王太子の妻として相応しいと認められたことを示し、強調することになった。
「リーナはエルグラードの希望だよ」
リーナは努力をしてきたつもりではいたが、あまりにも過大評価され過ぎているように感じた。
「私がエルグラードの希望なんて……クオン様こそがエルグラードの希望です。お兄様も。まだまだ勉強不足な私は相応しくありません」
「それも一つの考え方だ。でも、王太子殿下や僕は生まれながらにして特別な身分を得ている。平民の孤児にはなれない。だからこそ、リーナが必要だ。平民や孤児という弱い立場だったからこそ知っていることがある。それを王太子殿下や僕に教えて欲しい。そして、エルグラードにいる弱い者達の生活を少しでも改善していけるように力を貸して欲しい」
パスカルは優しくリーナの頭を撫でた。
「リーナが王太子殿下の妻として頑張れば、多くの者達に勇気を与えることができる。平民の孤児でも、努力次第で王太子の妻にもなれる。真面目に勤勉に誠実に、人としての良心を大切にしながら生きることの大切さや尊さを伝えることができると思うよ」
「私は普通のことしかできません。特別凄いことをしてきたとも思っていません。そんな能力はないんです。本当にごく普通の平凡な人間でしかなくて……」
「普通のことであってもずっと続けて行けば、それは普通じゃなくなる。特別なことになるんだよ。リーナは後宮に就職した。それだって十分凄いことだ」
「運が良かったのだと思います」
「かもしれない。でも、それだけじゃない。リーナが懸命に努力したからだ。僕は知っているよ。後宮の面接を受けるために頑張ったことも」
以前、リーナが王太子と共に黄金の塔に行った後、パスカルはクオンに呼び出された。
リーナが職業斡旋所のアートという者にお金を返したがっているという話を聞く。
お金というのは乗合馬車のチケット代だった。
後宮の面接を受けに来る際、乗り合い馬車に乗った。そのチケット代を職業斡旋所のアートという者が負担したという内容だ。
パスカルは妹に関するどんな些細なことであっても知っておきたかった。だからこそ、自らアートに会いに行った。





