737 落ち着いて
「ところで、同じ試験を受ける者としてお伺いしたいのですが、ティファニーさんはなぜ私の名前をお知りになりたいと思ったのでしょうか?」
リーナはティファニーを知らない。貴族とは思うが、どのような者か全くわからない。
自分の素性を明かせないのに、相手の素性を詳しく教えて欲しいとも言いにくい。
そこで、名前を聞いた動機から質問することにした。
そして、リーナ自身がわかっている情報として、同じ試験を受ける者という立場を活用し、あえてティファニーを『さん』付けで呼ぶことにした。
これは同等の立場として対応するつもりだという意思表示であり、ディランやアーヴィンを『様』ではなく『さん』という敬称で呼んだ理由を示す意図も含まれていた。
「貴方、失礼じゃない?」
「そうよ! ティファニー様に気安く話しかけるなんて!」
「しかも、さん付けですって?!」
「ありえないわ!」
「身分をわきまえなさいよ!」
「礼儀知らずだわ!」
ティファニーは黙ったままだが、その周囲にいる少女達が口々に攻撃的な口調で叫んだ。
これだけ沢山の女性達が言うってことは、ティファニーさんはかなり身分の高い女性か、家柄がいいのかも。人望もありそう。ボスみたいな?
リーナは少女達の発言を冷静に受け止めながら、ティファニーに関する情報として捉えた。
「私は王立学校の者ではありませんし、年下の知り合いもかなり少ないです。ティファニーさんはとても身分の高い女性のように思いますが、あっているのかわからなくて」
「信じられない!」
「ありえないわ!」
「やっぱり知らないのね!」
「家名を聞けばすぐにわかるじゃないの!」
「貴方、平民なの?」
「貴族のはずないわ!」
「貴族だったら失格よ!」
「名誉棄損だわ!」
「無礼過ぎるわ!」
かなりの有名人なのかしら? それとも、誰でも知っているような家柄とか。貴族の家名はもっとちゃんと勉強しないと駄目だわ……。
リーナは落ち込んだが、すぐに思いついた。
未成年の者は名前が出にくく、顔も知られにくい。高位の家柄の令嬢でも、未成年というだけで知られていないこともある。
また、当主を知らないのは無礼なこととみなされやすい。しかし、家族や親族を含めると、同じ家名の者達は大勢いる。似たような家名もある。そのせいでわからないこともある。
ラブも名前や爵位がわからない貴族は大勢いるって言っていたわ。確認したい時は遠慮なく聞けばいいって。相手への不作法をしないためだから平気だって……。
リーナは少女達をゆっくり見回した後でもう一度尋ねた。
「未成年の方の名前はなかなか聞きませんし……家名も似たようなものがいくつかあるように思ったので自信がありません。しっかりと教えていただくことは可能でしょうか?」
少女達はリーナを睨みながらすぐに答えた。
「オルゲーリント公爵令嬢よ!」
「オルゲーリント公爵家の方よ!」
「普通、知っているでしょう!」
「序列十八位よ!」
少女達の情報をリーナは頭の中で整理した。
公爵令嬢だから父親は公爵。特別な公爵家が別枠で四つあるから、従来の公爵家の十八位で、公爵位全体から見ると二十二位……。
エルグラードの貴族は多い。そのため、全ての貴族について覚えるのは大変な作業になる。せめて各爵位の序列十位程度までの当主、宰相や大臣などの重職者を優先して覚えるようにとリーナは言われていた。
秋の大夜会でも公爵家は優先して王宮に呼ばれていたし、もっと沢山覚えておけばよかった……。序列は少ないほど古い家柄のはずだから、建国から続くような名門貴族ということなのかも。そうなら余計にわからないというのはおかしいって思われる……。
一生懸命考えていたため、リーナの表情から笑顔が消え無言になった。
少女達はこれでわかっただろう、恐れ入った、無礼を謝罪すると思っていたが、リーナは何も言わない。
すぐにしびれをきらす者があらわれた。
「これだけ言われてもわからないの!」
「公爵家の方よ!」
「無礼でしょう!」
「謝罪しなさいよ!」
リーナはハッとして顔を上げた。
「失礼しました。では、これからはオルゲーリント公爵令嬢とお呼びします」
リーナの言葉はあっさりすぎた。
心から謝罪したようには思えない。失礼しましたという言葉はただの言い回しとして使用しただけのように思えた。
少女達は不十分だと感じ、怒りの感情をより増幅させた。
「ちょっと、それだけ?!」
「全然わかってなさそう!」
「公爵家よ?」
「貴方、公爵家の凄さがわかっていないんじゃない?」
「いいえ。貴族の中では公爵位が一番上なのはわかっています」
わかっているのにこの態度なの?!
少女達は混乱したり憤慨したりした。
「もしかして……貴方も公爵家なの?」
一人が気づいたように尋ねる。
「え、まさか……」
「高位の者が成人してからこの試験を受けるはずは……」
「高位の者だったら、オルゲーリント公爵家のことを知らないはずがないわ!」
「そうよ! すぐにわかるわ!」
「でも、オルゲール伯爵家と間違いやすいかも」
「オルベルト侯爵家もあるわね」
「オーベルジェス伯爵家とか」
「それは間違えないわよ」
「間違える方が悪いわね」
少女達は勝手にあれこれ考え始め、ティファニーも口を開いた。
「……貴方は上級貴族?」
公爵令嬢と聞けば、大抵の者は驚いてすぐに謝罪する。
しかし、リーナは特別驚く様子はなく、ただ知らなかった、これからは公爵令嬢と呼ぶということを伝えた。
ティファニーは強い違和感を覚えた。
私の身分を知ってもひるむ様子や慌てる様子がないのはおかしいわ。まさか、高位の者? それとも公爵家に劣らないような家柄?
一度芽生えた感情はすぐに大きくなる。
部外者が王立学校で受験できることも変だわ。特別な事情があることを学校側もわかっているはず……ああ、もしかするとデーウェンの関係者?
リーナは知らなかったが、別の教室では秋から留学中のデーウェン大公女アリアドネも同じ試験を受けていた。
他国人ではないといっていたけれど、両親のどちらかがエルグラード人なのかも。デーウェン貴族とのハーフで、成人する際にエルグラード国籍を選択したとか。
ティファニーの頭はフル回転していた。
デーウェンでは家庭教師について学んでいた。それだけでは軽視される。エルグラードの学歴が必要。それで試験を受けたのかも……。
頭がいいからこそ、様々な可能性を思いついてしまう。
ティファニーの心の中で動揺と不安が大きくなっていく。
……この場はうまく収めておいた方が利口かもしれない。
だからこそ、リーナの情報をより知りたい。上級貴族かどうかというだけでも目安になるとティファニーは考えたのだった。
「素性については言えないのですが、公爵令嬢とお話しするだけの身分は十分にあります」
リーナは素性を明かせないものの、別の言い回しによって身分が低いわけではないことを伝えようとした。
「えっ!」
「十分?」
「それって……」
周囲にいる少女達はたちまち不安そうな表情になり、弱腰になった。
リーナの堂々とした態度が、より少女達の中にある正当性と自信を失わせていく。
「私も皆様も同じ試験を受ける者です。その立場であれば、同等と考えることもできます。人によって様々な意見があるのは当然ですし、身分に配慮すること、礼儀作法を守ること、皆様の主張されることは理解できます。間違っているとも思いません」
リーナはゆっくりと丁寧な口調で話した。
「ですが、相手のことがよくわからない場合、慎重さが必要ではないでしょうか? 部外者に対して警戒する気持ちはわかります。でも、まずは冷静に落ち着いて相手の様子を伺い、軽率な行動は控えておくのがいいように思います」
少女達は賢いからこそ、リーナの説明する内容が正しいことを理解できた。
「丁度気になることについて考えていたので、皆様とこのようにお話する機会ができて良かったです」
少女達は陰口を叩いたせいことかもしれないと考え、動揺した。
「気になること?」
「何よ!」
「話によっては教師を呼んだ方がいいかも」
「そうね」
「先生を呼びましょうよ」
「賛成!」
少女達は自分達の手に余る可能性を考え、王立学校の教師を呼ぶことを提案した。
「教師を呼ばなくても大丈夫なことだと思います。私の前後に座っていた者達のことなのですが、皆様はご存知でしょうか?」
「えっ!」
「ディラン様とアーヴィン様のこと?」
「そうです。私はあの二人がどのような者達か知りません。ディランさんもアーヴィンさんも素性は聞かない、同じ試験を受ける者同士としてお話すると言われました」
「同じ試験を受ける者同士……」
それは同等の立場ということだ。
「ディラン様が?」
「アーヴィン様も?」
「おかしいわ!」
「そんなはずは……」
「部外者だから?」
少女達は困惑した。
二人は身分や血統を重視する。自分よりも身分の低い者を同等に扱うことはない。
しかし、部外者はよくわからない。成人でもある。慎重さが必要と考え、通常とは異なる対応をするというのもおかしくない。
むしろ、誇り高い身分、選ばれた者として寛大に慈悲深く振る舞ったのではないかと考えた。
「席が側だったせいか、何かとご配慮いただきました。廊下が混雑していて押しつぶされそうになった時も、消しゴムを落とした際も助けてくれました。私よりも年下なのにとてもしっかりしていて……きっと学業だけでなく様々な部分で優れている、高い志を持った貴族なのだろうと思いました」
その通りよ!
ああ、やっぱり。
印象をよくするためかも。
高位の者としての気構えを知らしめるためかも。
寛大さと慈悲深さを示すためだわ。
少女達は心の中で様々に考え、納得した。
「最後にもう一度お礼とご挨拶をしようと思っていたのですが、先に教室から退出されてしまいました。私は部外者ですので、二人にまた会えるかわかりません。二度と会えない可能性もあります。このままでは心残りで……どなたかお礼の伝言を届けてくれないかと」
「私が伝えるわ!」
「私が!」
「私が届けるわ!」
「私も!」
「一緒に行くわ!」
少女達は我先にと申し出た。
それはリーナのためというよりも、ディラン達と話す理由ができると思ったためだった。
リーナは少女達が嫌がるかもしれないと予想していただけに驚いた。
「待って」
断固たる口調でそう言ったのはティファニーだった。
「伝言よりも、直接伝えた方がいいわ」
「それもそうね!」
「さすがティファニー様!
「ちゃんと自分で伝えた方がいいわよ!」
少女達はすぐにティファニーの意見を支持した。
「ですが、お会いできるかどうかわかりません。帰られてしまったかもしれませんし……」
「まだいるわ。生徒会が動いているもの」
「生徒会室にいらっしゃるかも?」
「でも、部外者はいけないわよ?」
「そうよ。試験に関係する場所しか出入りできないわ!」
「伝令を出せば?」
「呼び出し?」
「ディラン様とアーヴィン様を呼び出すなんて、逆に失礼でしょう!」
「そうよね」
「やっぱり伝言がいいかも?」
少女達が困った様子でティファニーを見つめた。
「まずはライクスに居場所を聞けばいいのよ。直接会いに行けそうな場所にいないようであれば、伝言にすればいいわ」
「そうね!」
「そうしましょう!」
「じゃあ、ライクスを呼ばないと!」
少女達はすぐに動いた。
教室のドアまで行くと、勢いよく開けて叫んだ。
「ちょっと! ライクス来て!」
「急用なの!」
「早く!」
「大事なことなのよ!」
すぐにライクス――教室にいる者達に退出の指示を伝えていた少年が来た。
「何かあったのですか?」
「部外者の女性がいるでしょう?」
「ディラン様とアーヴィン様に会いたいって」
「助けてくれたお礼を伝えたいそうよ」
「挨拶してから帰りたいんですって」
ライクスは眉をひそめた後、リーナの元へ来た。
「確認します。ディラン様とアーヴィン様への面会を希望ですか?」
「そうです。できればお会いしたいのですが、無理ということでしたら伝言にしようかと」
ライクスは少女達に視線を移した後、もう一度リーナに戻した。
「彼女達に何か言われたのではありませんか? 例えば、無礼だなどといったことです」
少女達はギクリとした。
「少しお話しただけです」
リーナは詳しく説明するのを避けることにした。
「ディランさんとアーヴィンさんにお礼を伝えたいものの、また会えるかどうかわかりません。困っていると話すと、ライクスさんに聞けばわかるのではないかと教えてくれました。すぐにライクスさんを呼んでくれましたし、会えない場合は伝言もしてくれるそうです。親切にしていただいて助かります」
少女達は気まずくなった。
散々挑発するような強い態度、あるいは意地悪な態度を取った。絶対に親切とは言えない。
だが、リーナは少女達を責めるようなことを一切言わなかった。むしろ、良いと思える部分だけを伝えた。
これは少女達を庇う行為であるのは明白で、自分は悪く思っていない、問題にはしないという意思表示でもあった。
この女性は……大人だわ。それに、優しい感じがする。
誠実そうに見える。話すと印象も変わる。素性を明かせないため、慎重だったのかもしれない。
少女達は様々に考え、自分達の一方的で軽率ともいえる言動を反省した。
「そうですか。ですが、生徒達が失礼な行動を取ったのであれば、遠慮なく教えて下さい。学校は礼儀作法を学ぶ場所ですので」
「大丈夫です。私も礼儀作法については勉強中ですので、周囲から見て気づくことがあれば教えていただきたいと思っています。ところで、ディランさんとアーヴィンさんとは会えそうでしょうか?」
「恐らく生徒会室にいるとは思いますが、関係者以外の立ち入りはできません。どこかで指示を出されているかもしれませんが、随時移動されている可能性もあります。会うのは難しいと思います」
「そうですか……」
リーナはがっかりして肩を落とした。
「伝言ということでしたら僕の方からお伝えしておきます」
「あ、でも、それはこの方達が」
「彼女達は生徒会の者ではありません。僕の方からお伝えします。お礼を伝えるということでよろしいですか?」
「ライクスさんがこのように言われていますが、伝言をライクスさんに頼んでもいいでしょうか?」
リーナは少女達に了解を得てから決めることにした。
「その方が必ず、早く伝わるからいいわ」
答えたのはティファニーだった。
「わかりました。では、ライクスさんに伝言を頼みます」
リーナはライクスの方を向いた。
「様々にご配慮いただき本当にありがとうございました。私の方が年上なのに、しっかりしていなくて申し訳ありませんでした。本当に心から感謝致しますとお伝えしていただけるでしょうか?」
「貴方のお名前は?」
「すみません。事情がありまして、素性は明かせないのです。ですので、ディランさんとアーヴィンさんの間の席だった部外者と言っていただければ、わかるのではないかと思います」
「わかりました。必ずお伝えしておきます」
「よろしくお願い致します」
「では、失礼します」
ライクスは軽く一礼すると教室を出て行った。
「皆様のおかげでライクスさんに伝言を託すことができました。これで二人に心から感謝をしていることが伝わるはずです。皆様の言う通り、礼儀作法や挨拶はとても大事です。私も勉強中なので、ゆっくり少しずつになってしまうかもしれませんが、良くない部分や不足な部分は改善していこうと思います。本当にありがとうございました」
リーナはにっこりと微笑み、少女達にお礼を述べた。
少女達の中にあったリーナへの強い怒りと警戒心はもうない。
不満に思っていたことは伝わり、理解され、改善された。
また、話をしたことで誠実な人柄や優しく穏やかな大人の女性であることがわかった。
良かった……うまく解決して。
少女達は心を落ち着かせ、安堵していた。





