735 試験二日目
試験二日目。
リーナは試験の最中、消しゴムを落としてしまった。
あっ、取らないと。
そう思って椅子を引いた瞬間、
「立つな!」
後ろからアーヴィンの鋭い声が聞こえた。
驚いたリーナが固まっていると、アーヴィンはすぐに手を挙げて叫んだ。
「監督官!」
すぐに監督官の一人、ヴィクトリアがかけつける。
「どうしましたか?」
「前の女性が消しゴムを落としたが、自分で取ろうとしていた。部外者はルールを知らない。その点に関する説明がなかった」
ヴィクトリアはすぐに事態を把握し、リーナの落とした消しゴムを拾って机に置いた。
「説明不足だったようです。試験中は教室を出る時以外は絶対に立たないでください。筆記具を取るためであっても、一度立ってしまうと席に戻れません。教室から退出して貰うことになります」
「えっ?!」
リーナはそのようなルールがあることを知らなかった。
「筆記具を落とした時は監督官を呼んで下さい。かがむだけで取れるような場合であっても、絶対に自分では取らないように。不審な行動をすると試験を受けられなくなる可能性があります。注意して下さい。いいですね?」
「……はい」
リーナはヴィクトリアに注意され、肩を落とした。
「ほとんどが王立学校の生徒で試験を受けることに慣れています。そのせいで説明しなくてもわかると思ってしまい、細かい説明が抜けているかもしれません。何かあればどんなことでも構いませんので、監督官を呼んで確認して下さい」
「監督官の呼び方についても説明がありませんでした」
ディランが試験用紙を見ながらわざとらしく呟いた。
「……監督官を呼ぶ時は手を挙げます。緊急の場合は声を出しても構いません。大きな声で監督官と言って下さい。終了時間が迫っているため、落とした鉛筆を早く取って欲しい。そのような場合でも緊急だと判断して結構です」
「わかりました」
「では、試験を続けて下さい」
リーナは一息ついた後、試験を再開した。
「先ほどはありがとうございました」
休憩時間になると、リーナはすぐに後ろの席にいるアーヴィンにお礼を言った。
「気にしなくていい。説明をしなかった監督官の落ち度だ」
リーナは前に向き直った。
「ディランさんもありがとうございます。ご配慮いただいて恐縮です」
「部外者は何かとわからないことがあるかもしれません。監督官は数人いますが、このような業務に慣れていない者もいます。逆に慣れているせいで気が付いていないこともありえます。試験時間は限られているので、何かあれば遠慮なく監督官を呼んで下さい」
「わかりました」
「残り一科目だ。大丈夫だとは思うが気をつけろ」
「はい。無事試験を終えられるように気をつけたいと思います。お二人の言葉を励みにして頑張ります!」
リーナがにっこり笑うと、ディランとアーヴィンは頷き返した。
最後の科目は論述形式の問題があり、リーナはかなりの時間を取られてしまった。
これで……いいかしら?
おかしなところがないか確認しようとしたが、途中で解答時間が終了になってしまった。
誤字脱字があったらどうしよう……。
不安に駆られつつもリーナは鉛筆を置き、両手を膝の上に揃えた。
「試験用紙と筆記具を集めます」
順番に試験用紙や筆記具が回収される。
これで試験は終了すること、試験結果は後日郵送されることなどが説明された。
「もう一つお知らせがあります。昨日は多くの者達が一斉に出入口に向かったため、廊下や階段が大混雑してしまいました。そこで今日の退出は五回に分けることになりました」
まずは生徒会及びその関係者が退出する。
この者達は受験者達が速やかに怪我無く移動できるよう、廊下や階段、ホール等各所に分かれて保安活動や危険防止活動、誘導にあたる。
次に受験者番号が奇数の男性、偶数の男性、奇数の女性、偶数の女性という順番で退出する。
教室から一気に退出するのではなく、一定の人数ごとに退出して移動することで、昨日のような混雑を緩和し、危険行為を防止することになっていた。
「では、生徒会及び関係者は退出して下さい」
ディランとアーヴィンはすぐに席を立ち、急ぐようにして教室を出て行ってしまった。
最後にもう一度お礼と挨拶をしようと思っていたのに……。
リーナは二人に声をかけそこねた。
五分ほどすると教室のドアが開き、先に退出した男性の一人が戻ってきた。
ディランでもアーヴィンでもないが、二人と一緒にいた少年達の一人だった。
「これより生徒会及びその指揮下にある者達で安全を確保できるように誘導します。僕の方から指示を伝えるので聞いてください。まず、受験者番号の末尾が奇数の男性は教室から退出して下さい。学籍番号ではなく、受験者番号ですので間違えないように」
該当者が席を立ち、廊下の方へ向かった。
「廊下や階段等の混雑が解消するまでは時間がかかると思われます。五分程度の時差を予定していますが、化粧室を利用したい方、急ぐ方はいますか?」
リーナの受験者番号は偶数。退出する順番は最後。
少し待つことになるが、教室にいれば着席したまま待つことができる。
昨日のようにギュウギュウ詰めの廊下を歩くよりも安全で快適だとリーナは思った。
「いないようですね。では、しばらく待つように」
該当する受験者が全員廊下に出ると、ドアが閉められる。
マリウスは大丈夫かしら? 廊下にいるはずだし。
リーナはマリウスのことを心配したが、すぐに時間が経ちそうだと感じ、着席したまま待つことにした。
五分後、受験者番号の末尾が偶数になっている男性達に退出の指示が出た。
「馬車乗り場が混み合っています。次の退出は十五分ほど後になります」
十五分?
待ち時間が延長されているため、リーナは思い切って手を挙げた。
「すみません!」
「何か?」
「廊下にいる付き添いに会うことはできるでしょうか?」
すぐに少年がリーナの元に来た。
「お伝えしていませんでしたが、付き添いの方は全員大ホールに移動しています。廊下にはいないのですが、急用でしょうか?」
「なかなか教室から出てこないと心配するのではないかと思って」
「希望するのであれば、すぐに退出できます。ですが、今は男性ばかりが移動中です。次は女性の番になりますので、それまで待つ方がいいように思います。どうされますか?」
リーナは少し考えてから答えた。
「……付き添いの者をここへ呼んでいただくことは可能でしょうか?」
「それはできません。ご自身で大ホールまで移動していただくことになります」
「大ホールがどこにあるのかもわかりません。私はここの施設について知らなくて……」
「一階にあります。付き添いや迎えと合流する者は全員大ホールを目指します。流れに沿って進めばいいだけです。不安であれば、廊下にいる保安や誘導担当に確認して下さい」
「わかりました。では、次の退出時間まで待ちます」
「ご不便をおかけして申し訳ありませんが、危険防止のためですのでご理解いただきたく思います。では、このままお待ちください」
男性は急ぐようにして教室から退出し、ドアを閉めた。
もう少しだけなら大丈夫だと思うけれど……。
リーナがため息をつくと同時に、一人の少女が立ち上がった。
それに続くように次々と少女達が席を立ち、リーナを取り囲むように移動した。
「私はティファニー=オルゲーリント。貴方の名前は?」
リーナは素性を隠して試験を受けている。
名乗られた場合は名乗り返すのが礼儀ではあるものの、名乗るわけにはいかないため、別の言葉を返した。
「事情がありまして、名乗るわけにはいかないのです」
リーナがそう言うと、ティファニーはあざけるような笑みを浮かべた。
「でしょうね。成人している者がこの試験を受けるなんておかしいもの」
「不合格だったら余計におかしいわね」
「そのことが知れ渡ったら不名誉になるわ」
少女達はリーナを見下すように笑い合った。
「試験に合格したところでどうするつもり?」
どうするというか、勉強した成果が確認できればいいというか……。
リーナが考えているうちに少女達が言葉を発する。
「まさか、この資格があれば役立つとでも思っているの?」
「無駄よ。大人過ぎるもの」
「成人後じゃ意味ないわね」
「高校に通うつもり?」
「今更じゃない?」
「恥ずかしいだけよ」
「全然わかってないわよね」
少女達は遠慮ない言動をたっぷりと示した後、席に戻った。
その後もリーナを見ながら、ひそひそと話し合いつつ笑い合う。普通に考えれば、陰口を言っているようにしか見えない。
急にどうしたのかしら?
リーナはなぜ少女達がこのような態度を取るのかわからず、理由を考えることにした。
やっぱり私の年齢の者がこの試験を受けるのは珍しいから? 成人は試験に合格しても意味がないの?
初日の様子を見ればわかる。中学校卒業程度認定試験を受けるのは圧倒的に十代の前半から半ばと思われる若い者達だ。
リーナのように成人していると思われる受験者は教室にいなかった。成人している者は全て付き添いのように見えた。
この試験に合格すれば、自分なりに勉強をしてきたということが証明できる、努力した成果が出ていることを実感し、自分に自信が持てる。リーナもカミーラ達もそう考えた。
でも、それは気持ちの問題というか、それ以上の意味はないということ? 私は学校に入学するわけでもないし、飛び級を狙っているわけでもない。試験の結果はどうなっても大丈夫だって何度も言われたし……それはつまり、本当は試験を受ける意味はないということなの?
リーナが考えている間も、少女達の声は次第に大きくなっていった。
本日もありがとうございました!
次回更新は六月六日(木)を予定しています。
またよろしくお願い致します!





