730 せっかくの機会
化粧室を利用した後、リーナは同行者の女性達に話しかけた。
「お待たせしてすみません」
「気遣いは無用だから」
ラブがそう言うと、他の女性達も同意した。
「ラブの言う通りです。私達はリーナ様のおかげで特別な化粧室や待合室に入ることができました。とても感謝しております」
カミーラがそう言うと、ベルも頷いた。
「本当に。王族専用というだけあって凄い部屋だわ」
ヴィクトリアも化粧品が驚くような容器ばかりに入れられ、美術品のように美しく並べられていることに感心していた。
「普通のお金持ちの女性は最高級の化粧品を買うことが大事だと思うの。それが贅沢の証だと思うわけね。でも、本当のお金持ちは最高級の化粧品をこのような特別な器に入れ替えるのよ。それこそが真の贅沢だわ」
ヴィクトリアはいくつかの器についてはわかると言って解説し始めた。
「勉強はまた今度にしてよ!」
すぐにラブが不満をあらわした。
「ここはなかなか来れない場所よ。今勉強しないでいつ勉強するというの?」
「リーナ様の同行者になれるように待機しておけばいいのよ。一緒に化粧室に行く機会はそれこそ沢山あるはずだわ!」
「カミーラ達はともかく、私やラブが呼ばれることはあまりないと思うわ」
「呼ばれるようになるのよ! 王太子殿下に売り込めばいいだけじゃない!」
「私やラブは第二王子派の貴族だから、王太子殿下に重用されるのは難しいと思うけれど」
「はあ? 王太子派も第二王子派も関係ないわよ! どっちも王家に忠誠を誓う者達じゃない! 単に管轄や担当が別ってだけでしょ?」
ラブはリーナと親しくなりたい。ヴィクトリアの正しさを認めるのは、それを諦めること、負けることだと感じた。
「お兄様は第二王子担当、私はリーナ様担当になるつもりよ。ヴィクトリアだって、第二王子のことはロジャーに任せてリーナ様の担当になればいいだけでしょ? 王太子殿下が認めてくれれば、同行するのは化粧室だけじゃないわ。特別席だって用意されるようになるわよ。側近になれば、王族席のバルコニーからオペラを観ることだって夢じゃないわ!」
ラブの言葉はヴィクトリアにとって衝撃的だった。
王族席のバルコニーからオペラ?!
ヴィクトリアの目がみるみる輝き出した。
「……エゼルバード様のことはロジャーに任せるわ。私はリーナ様の担当として王太子殿下に認められるようにならないと。ああ、でも側近になると講師を辞めないといけないわね。それはそれで避けたい気もするし……」
ヴィクトリアがやる気を出したのは、どう考えても王族席のバルコニーからオペラを観たいからである。
本当にわかりやすいと全員が思った。
「今夜は特別な秋の大夜会です。皆様は私と違ってすでに沢山の勉強をされているのですし、せっかくの機会ですので、楽しむことも大事にされてください」
リーナの言葉に即座に反応したのはラブだった。
「あっ! リーナ様にお礼を言わなくちゃ! リーナ様のおかげでお兄様とダンスを楽しめたわ! ありがとう!」
リーナは微笑んだものの、首を横に振った。
「それはクオン様のおかげです。私は何もしていないのと同じです」
「絶対に違うわよ! リーナ様が何も思わなければ、私はずっと一人だった。いつもそうだけど退屈だし、ちょっとだけ寂しくなっていたかも」
「対応に動いたのはヘンデル様ですし、ラブと踊ったのはセブン様です。ラブの楽しめるようなことを考え、実行した方々が優秀だっただけです」
「それは否定しないけれど……どうせなら次はヴィルスラウン伯爵よりレーベルオード子爵と踊りたいわ。その方が自慢できるし!」
「お兄様と踊る約束をしたのですか?」
カミーラが確認した。
「約束はしてないけれど、王太子の側にいる役目を交代したら、誘ってくれるかもしれないってお兄様が言っていたわ。ロジャーも飲み物程度なら付き合ってくれるとか。私がつまらなさそうに壁に張り付いているのはよくないってね」
王太子は各会場で一時間ほど過ごす。延長するか王宮の自室に戻るかはわからないが、仕事はしない。リーナと一緒に過ごすことは確定しているため、必ずしもヘンデルが側についている必要はなかった。
そこで、空いている時間にラブを誘い、さりげなくリーナの近くにいる際の注意と配慮を盛り込むつもりなのだろうとカミーラ達は推測した。
「もしかして……ラブはお兄様との交際や婚姻を考えているのでしょうか?」
リーナは気になってしまい、率直に尋ねた。
「悪くはないと思うわよ。結婚できたら、リーナ様の身内になれるじゃない? でも、そのせいで逆に面会は控えろとか禁止とか言われたら嫌なのよね。大体、王族の側近はみんな優秀だし、なんだかんだいってこき使われそう。だったら、田舎貴族でも私の好きなようにさせてくれる相手の方がいいわ。私はウェストランドや婚姻相手のために自分の人生を犠牲にするなんてまっぴらごめんよ!」
「ラブらしいですね」
多くの人々はラブを我儘、自分勝手だと捉えるのかもしれない。だからこそ、ラブの評判が悪くなっている可能性がある。
しかし、リーナは思う。ラブはただ自分の心に正直でありたいだけなのだと。自分らしく強く自由に生きていきたいと願い、もがいている。
これはラブだけが思うことではない。
ただ流されるままではなく、自分で選んだ人生を生きたい。幸せになりたい。
リーナもまた強くそう願わずにはいられない。
「自分の人生を大切にしたいと思うのは当然のことです。なので、私はラブのことを応援しています」
「やっぱりリーナ様は私の味方ね! 普通は我儘だとか自分勝手だとか、ウェストランドの令嬢なら身分や財産がそれなりにある相手でないと不味いとか、体裁もあるとかグチグチ言われるのよね」
「自分の希望が叶うかどうかはわかりませんが、明示する権利は誰にでもあるはずです。それと、身分や財産で相手を決める必要はありません。自分の気持ちを大事にして選んでもいいんです。そうでなければ、私も王太子殿下に選ばれなかったと思います」
「そうよね!」
ラブは何度も力強く頷いた。
「お兄様と踊りたいのであれば、私の方から聞いてみましょうか?」
思わぬリーナの提案に、ラブは目を見張った。
「えっ?! 本当?!」
「聞くだけなので、断られるかもしれません。なので、結果はお約束できないのですが……」
「じゃあ、一応聞いてみてよ。側近は忙しいのが当たり前だし、断られる可能性が高いのはわかっているけど駄目元で」
「わかりました」
リーナは頷いた後、他の者達に視線を向けた。
「もしかして、他にもいらっしゃいますか? 私にできることは少ないですけれど、お兄様と踊れるかどうか聞くぐらいはできると思います」
パスカルと踊るということは、たった一回であっても十分な価値があり、ステータスになる。
パスカルからダンスを申し込まれたことがない女性にとって、リーナの言葉はまさにそれを得る絶好のチャンスだった。
「では、お願い致します」
冷静な口調でありつつも、一番先に答えたのはクローディアだった。
「珍しいわね。クローディアがそんなことを言うなんて」
ヴィクトリアはやや驚いた表情になった。
「もしかして、レーベルオード子爵を狙っているの?」
「情報収集の一環です。リーナ様のお力添えがないと、エゼルバード様にお仕えしている私がレーベルオード子爵と踊る機会は一生ないでしょう。貴重な提案を断るのは愚行です」
誰もがクローディアの答えに納得した。
「じゃあ、私もせっかくだから。駄目だと思うけれど」
ヴィクトリアがそう言うと、カミーラも希望を申し出た。
「私は第三王子殿下と踊りたいのですが、リーナ様の方でお取次ぎをしていただけないでしょうか?」
驚いたのはリーナだけではない。他の者達も同じだった。
「レイフィール様とですか? さすがに王族相手ですので、私が取次ぐのは無理な気がするのですけれど……」
「聞くだけ聞いて欲しいのです。恐らくベルも第三王子殿下と踊りたいと思うので、お願いできないでしょうか?」
ベルの初恋は第三王子という情報を知っているだけに、カミーラの申し出はベルのためのものではないかとリーナは思った。
「ベルもレイフィール様と踊りたいのですか?」
「……このままだと一生踊る機会はなさそうだから、一回だけでも踊って貰えたらという気持ちはあるけど」
「わかりました。聞くだけ聞いてみます。でも、断られてしまったらすみません」
「大丈夫! 全員駄目元だとわかっているから!」
ラブの強く明るい口調がリーナを勇気づけた。
「はい! では、お部屋に戻ったら早速聞いてみます!」
リーナ達は化粧室を出て王族席の間に戻ることにした。





