73 要らない王女
歓迎できない情報が届き、パスカルはため息をついた。
報告書を書くと革のファイルに挟み、提出するために部屋を出る。
向かった先は王太子の執務室。
ドアの前には王太子付き筆頭護衛騎士のクロイゼルが立ち塞がっていた。
取り込み中。重要な用件でなければ王太子に取り次げない。
しかし、取り次ぎをしにくいのは王太子であって、それ以外の者ではないことをパスカルは知っていた。
「ヘンデルは?」
「いる」
「至急報告したいことがあります。ヘンデルに取り次いでください」
「わかった」
クロイゼルが扉をノックして伺いを立てると、すぐに扉が開いた。
「何?」
顔を出したヘンデルが尋ねた。
「パスカルからお前に至急の報告があるらしい」
ヘンデルはパスカルの持つ革のファイルを見た。
「中で聞く。会議は終わり」
ヘンデルはパスカルを執務室に入れた。
「失礼します」
パスカルは王太子に挨拶すると、革のファイルをヘンデルに手渡した。
「へえ!」
報告書を確認したヘンデルは眉をあげた。驚きの内容だ。
「よくこんなことがわかったね?」
パスカルの実家であるレーベルオード伯爵家は国外に多くのコネがある。
隣国ミレニアスの王宮内についての情報提供者もいる。
しかし、一つ間違えればパスカルやレーベルオード伯爵家が他国に通じていると思われてしまうため、どのようにして情報を入手したのかをパスカルが口にすることはなかった。
「クオン、すごい情報をパスカルが手に入れてきたよ」
「何だ?」
クオンは尋ねるだけでサインをする手は止めない。
視線も書類に固定されたままだった。
「キフェラ王女の生母である側妃がしびれをきらして夫に訴えたって。ミレニアス王もエルグラードに圧力をかけることにしたってさ」
王女の年齢が上がっていることを理由に、正式な外交ルートで交渉の席を設ける。そのための根回しをする気でいることも判明した。
「必要のない王女をよこすのが悪い。早く帰国させろ」
「国王が受け入れたわけだし、相応の理由がないと無理じゃない?」
「ただの側妃候補だ。選ばれる可能性は低いのは最初からわかっている。王女としての見聞を広めるための留学としては十分だろう?」
後宮にいる側妃候補は王族妃になりたい女性たちの集まり。
国王が審査をして入宮許可を出しているが、その中からしか王族妃が選ばれないということではない。
唯一である他国人の側妃候補――ミレニアスのキフェラ王女については留学目的を兼ねていた。
「ミレニアスのことだけに第二王子と連携したほうがいいかな? それとも外務省?」
「王女はこの件で動いているのか?」
「いいえ」
あくまでもキフェラ王女の父親であるミレニアス王と生母の側妃がミレニアス内で動くという情報だけで、エルグラードにいる王女との連携については考えていなかった。
「パスカル、王女に帰国にするよう説得できないか?」
「無理です」
パスカルは即答した。
「私はただの伝令としか思われていません。そう言ったお話をしても、王太子殿下を呼んで来るよう言われます」
「行きたくない。二度と会いたくない」
入宮したばかりの頃、クオンは退宮するよう側妃候補を説得しに行っていた。
だが、側妃候補はクオンと会えることを喜ぶだけで、退宮する気にならない。
自分が行くのは無駄だと判断したクオンは側妃候補と会うのをやめた。
「第三国に居場所を作れないか?」
「周辺国にとってエルグラード以上に魅力的な国はありません。居場所を作るのは難しいのではないかと」
「ミレニアスの王太子もエルグラードに入り浸っているぐらいだしねえ」
クオンの側妃候補として入宮しているキフェラ王女はミレニアス王の側妃が産んだ第三王女で、母親違いの姉が二人と弟が一人いる。
王妃が産んだミレニアスの王太子フレデリックはエゼルバードと友人関係で、しょっちゅうエルグラードへ遊びに来るほど親しくしていた。
「ヘンデルはエゼルバードのところへ行け。この情報について話し合う」
「わかった」
「パスカルは後宮だ。キフェラ王女の様子を見てこい」
「はい」
二人は一礼した後、執務室を出た。
「ちょっと聞いておきたい」
ヘンデルはパスカルに声をかけた。
「王女のところにいる侍女で仲良くしている者がいる?」
ヘンデルが言っているのは、ミレニアスの王女の世話役をしている侍女たちの中に情報を流してくれる者がいるかどうかの確認。
護衛騎士たちの視線も向いていることをパスカルは感じとった。
「ここで聞くのですか?」
「ここで別れるし?」
「そちらは?」
「ここで聞くわけ?」
「先に聞いたのはそちらです」
「仲良くしているよ。それなりにね。それで?」
「親しくはしていません」
「一人も?」
「はい」
「これから必要になるかもしれない。一人ぐらいは確保しといたら?」
「それは指示ですか? それとも助言ですか?」
「どっちもかな」
パスカルを外務省から王太子府へ引き抜いたのはヘンデル。
現在は側近同士で直属の上司は王太子だが、元上司。先輩。
序列が高い側近の指示を優先することになっていた。
「検討します」
「じゃあね」
ヘンデルは手をひらひらとすると、控えの間を退出した。
「パスカル」
クロイゼルが声をかけてきた。
「今度、どうやって女性を口説くのか教えてくれ」
「必要ないのでは?」
王太子の筆頭護衛騎士を務めるクロイゼルは第一王子騎士団で最も女性に人気がある。
からかわれているとパスカルは判断した。
「勝手に寄ってくるような相手は楽だが、手強い相手もいるだろう? 参考にしたい」
「お断りします」
「剣で勝負するか? 私が勝ったら教えるという条件だ」
「拒否します」
パスカルはそう言うと騎士の間を出て行った。
「拒否権を発動した。私の勝ちだ」
そう言ったのはクロイゼルの相棒であるアンフェル。
二人はパスカルがどのような反応をするかについて賭けていた。
「普通に断ればいいだけだというのに。次は勝つ」
クロイゼルはポケットから一ギール札を取り出すと、アンフェルに渡した。
「そう言っていつも外す」
「うるさい。側近の拒否権は重要だけに、軽々しくは使わないと思うのが普通だ」
「パスカルは官僚だ。すぐに勝負したがる騎士とは違う」
「剣術は騎士並みだがな」
「双剣なら騎士以上かもしれない」
パスカルは複数の暗殺者に襲撃されたことがあったが、一人だけで返り討ちにした。
この件は内密に処理されたために公になってはいない。
温和な貴公子と呼ばれるパスカルだが、必要であれば自らの双剣を行使する。
敵には容赦しないことを、クロイゼルとアンフェルは知っていた。