722 壁の花
「ところでクオン様」
「なんだ?」
「お父様の姿を見かけたら教えて下さいませんか? あまりにも沢山人がいるので、どこにいるのかわからないのです」
クオンは視線をさまよわせたが、すぐに奥の一点を見つめた。
「……右にいる」
「えっ、 もう見つけたのですか?!」
「中央付近。バルコニーに通じる扉の側にいる一団だ。横を向いている」
リーナは目を凝らした。
確かに中央付近のバルコニーに通じる扉の前に固まっている一団がいる。そのうちの一人がレーベルオード伯爵のように思われた。
「どうしてそんなにクオン様は早く見つけることができたのですか? 右から順番に見たとか?」
もしそうであれば、偶然右奥にいたために早く見つけることができただけということになる。
しかし、そうではなかった。
「今わかった。お前には知識が足りない」
「知識? 眼力ではなくて?」
「それを言うなら視力だろう。だが、そういうことではない。配置の問題だ」
「配置?」
クオンは頷いた。
「内務省の者達はいつもあの付近に溜まっている。それぞれ縄張りがあるのだ」
「縄張りですか?」
「会場を見ろ」
リーナは会場を見た。
「上座は王族席とダンスフロア、下座は中央には楽団がいる。多くの者達は右か左の端によるわけだが、ところどころに集まっている者達がいる。二、三人程度ではなく、五、六人以上だ。多いところは十人以上いる。わかるか?」
「なんとなく……」
会場にはかなりの者達がいる。グループがあるといっても輪になっているわけではない。
少しだけ他の所よりも距離感が固まっているように見えるだけだ。
「大抵は同じ派閥やグループだ。レーベルオード伯爵がいる辺りは内務省のグループだ。右前方が国王府、宰相府、次に内務省、外務省、国土省の順番だ。左の前方は王太子府、王子府、財務省。左の中央付近は人の出入りが激しいことから大きなグループは常駐しない。左奥は軍務省が陣取っている」
「クオン様は何でもご存知なのですね」
「公式行事に何度も出席すればわかる」
「では、私もこれから出席することで学べるわけですね」
「そうだ。しかし、ただじっと見ているだけよりも、人に聞いた方が早くわかる。遠慮せずに、私に聞けばいい」
「そのようなお話をしても大丈夫でしょうか? クオン様にとっては当然すぎるようなことだと思いますし、退屈されてしまうのでは?」
「そんなことはない。お前に教えることができるのはとても嬉しい」
むしろ、大歓迎だ。もっと面白い話をして欲しいと言われる方が困る。
執務ばかりの毎日を過ごしているクオンにとって、リーナのために面白く楽しい社交的な話題を仕入れ、披露することはかなり難しかった。
「他に気になることはないか? 見つけにくい者のことでもいい」
クオンとしてはこのような話題が続いて欲しくもあった。
「カミーラとベルの姿も探しているのです。ダンスを踊った時にはいたのですけれど、その後いつの間にかいなくなっていたといいますか」
「何か用事があるのか?」
「用事はないのですけれどなんとなく。ラブはいるのですが……」
「二人は呼び出さなければ来ない。待機を命じてはいないため、普通に社交をしているのだろう。友人達と共にいるのかもしれない」
「ラブは待機しているのでしょうか?」
「違う。ただ、あの場所にいるだけだ」
「なんだか可哀そうです。壁の花みたいで……」
クオンは眉をひそめた。
ラブは一人で壁際にいる。
王子府の者達がいる付近であるものの、ラブは官僚でもなければ成人でもない。
社交をするでもなくダンスに誘われることもないままの状態は、確かに壁の花と表現するのに相応しい様子だった。
「ラブは未成年です。保護者かエスコート役が必要なのでは?」
その通りだった。
だが、本当に誰もいないわけではない。少し離れた場所に兄のセブンがいる。
ロジャー達第二王子の側近や男性の友人同士で固まっている。ラブはそこから少し離れた場所にいるものの、女性で未成年であることから、その輪に入っていないというだけだ。
しかし、両親や祖父母はいない。
四大公爵家の直系達は他の貴族達と別格扱いの特権がある。出席する場合は無条件で第一の間に整列することになるのだが、今のウェストランドは当主も婿も領地経営に専念している。
大舞踏会の間には国王や王子達の側近や重臣達が集結する。いわゆる王都に常駐するような官僚職につく貴族達で、中央組と呼ばれている。
そのため、領地経営に専念している貴族達=地方組にとって、必ずしも居心地がいい場所とはいえない。
そこで最初だけは整列するものの、きりのいいところで他の場所へ移動する。
ラブは両親や祖父母と共に移動しなかっただけだった。兄であるセブンが近くにいるため、おかしくもなければ不用心でもない。
クオンはそれが常識的な判断であり、リーナが気にする必要はないと感じた。
だが、なぜかすぐに違和感を覚えた。
おかしく……ないのか?
極力保護者が側にいて面倒を見るというのが常識的ではあるが、本人だけでも十分対応できるだけの能力があるとみなし、一人にすることもある。
大人は大人、子供は子供、それぞれに親しい者達などと共に楽しめばいいという考え方をする者は多くいる。
「ラブと親しい女性はいないのでしょうか? 友人とか。せっかく参加しているのに、楽しめていないのでは?」
「……奇抜な衣装の者を探しているのかもしれない」
「そうかもしれませんが、ラブはまだ十六歳です。精神的にはとても大人で私よりもしっかりしてて対応力もあると思いますが、一人にするのはどうかと思います。誰かが側にいて、守ってあげるべきではないでしょうか?」
クオンは反論できなかった。リーナの言う通りだった。
違和感を覚えたのはそのことだと思った。
ウェストランドの令嬢に対して無礼なことをする者はいないだろうと思うものの、未成年の女性を一人にすべきではない。誰かが側にいて守るのが普通だ。それがない。
誰もがウェストランドは特別という見方をしてしまい、何も感じない。見逃しているのだ。
「クオン様、少しだけ席を離れてもいいでしょうか?」
状況から見れば、化粧室に行くためではないのは明らかだ。
「ラブが気になるのか?」
「そうです。私が勝手に不安に思うだけではありますが、一言だけでも声をかけて、大丈夫かどうかを確認したいのです」
「わざわざお前が席を立つ必要はない。侍女にさせればいい」
「駄目です」
リーナははっきりとした口調で言った。
「侍女はラブの友人ではありません。本心を打ち明けるわけがありません。こういうことは、ラブが本当のことを言える相手が確認すべきです。家族とか、友人とか。でも、ラブはあまり家族と仲がいいわけでもなさそうです。だから、私が気を付けてあげたいのです」
リーナはクオンがラブのことをあまりよく思っていないことを知っている。それでも、リーナは伝えたかった。ラブが自分を変えようとしていることを。
「ラブは自分の悪い部分を直そうとしています。装いも上品なものに変えました。見た目だけではありません。とても優しくなりました。私と部屋にいる時は気を抜いていることもありますが、それは私が頼んだからです。貴族の女性が屋敷でどのようにくつろいでいるかを知る勉強として、自室で過ごすようにくつろいで構わないと言いました」
勉強なのか?
常識的に考えると勉強ではない。そもそも勉強するようなことではないとクオンは思ったが、リーナが貴族として自分らしくくつろぐ方法を模索しているのだと考えた。
「部屋の外ではきちんと礼儀作法を守って淑女らしく話しています。それに、私が王宮の生活を楽しめるようにくつろげるように、一生懸命に考えてくれています。ラブは官僚ではありません。私が側妃になるからといってこびへつらうような性格でもありません。純粋な好意からそうしてくれているのです」
リーナはラブを信じていた。友人になりたいと思ってくれている。その気持ちに応えたいと思っていた。
「私はラブに感謝しています。だからこそ、このまま一人にしておきたくはありません。きっと、あの場所にいるのが私だったら、ラブは心配して声をかけにきてくれます。だから、私もラブに大丈夫かどうか、声をかけたいのです」
優しい。
クオンはそう思った。しかし、ラブはリーナの家族ではない。友人だと思っていることが判明したが、友人として好ましい人物とは言えない。評判が悪すぎる人物だ。
今夜は大勢の者達がリーナに注目している。いや、これから一生だ。
軽い気持ちで声をかけたことが何か大きなこと、問題につながるのは困る。
今は婚姻前という特に重要な時期だけに、些細なことにも慎重さが必要だった。
「待て」
クオンはリーナにそう言った後、ヘンデルを呼ぶために視線を変えた。





