720 運命のように
「リーナ」
クオンは呼びかけたが、そのあとの言葉を発することができない。
一カ月ぶりに会う恋人の特別な姿に見惚れていた。
「クオン様」
リーナもまたクオンの姿に見惚れていた。
久しぶりに会う恋人の姿はまさに絶対的な王者。紛れもなくエルグラードという大国を統べている王太子であることを実感させた。
喜びや嬉しさだけでなく、緊張感や威圧感までもがリーナの中で混ぜ合わさっていく。
互いの名前を呼び合い見つめ合う二人はようやく出会うことが叶った恋人たちの姿でもあった。
その影響は周囲にいる人々にも広がっていく。
息をひそめて見守る者、奇跡を目にしたかのような感動を味わっている者、思わず目頭を押さえてしまう者、頭の中で勝手に聖堂の鐘を鳴らしている者などさまざま。
しかし、今の状況は結婚式でも運命の出会いでもない。
これから秋の大夜会に出席するため、クオンがリーナを迎えに来たところだった。
見つめ合う時間がたっぷりと経過したわけではないが、予定されている時刻に遅延するのは得策ではない。
ヘンデルは側近としての役目を果たすことにした。
「王太子殿下、時間が」
丁寧な口調にしたのは、雰囲気に配慮したため。
でなければ、時間だよと言っている。
その言葉を合図に、王太子も周囲の人々も止まった時間を進めなければと感じた。
「あまりの美しさに見惚れてしまった。特別な衣装と宝飾品を用意していただけに、どのような姿になるのか楽しみだった」
まずはほぼ教本通り。とにかく褒める。衣装について話すのも定番。
本来であればもっと気の利いた言葉をかけるべきだが、クオンの恋愛スキルとしてはこれでも上出来な方。
合格!
クオンを知る人々からは高評価だった。
一方、
「クオン様にお会いできるのを楽しみにしていました」
やはり恋愛スキルの低いリーナの返しは非常にシンプルだった。
しかし、心の中で続々と大合格の採点をする者達が続出。
王太子以上に甘い採点だが、余計なことを言って雰囲気を壊すよりいい。
相手に都合よく考えさせることで強力な効果を得る上級手段という解釈もできた。
勿論、リーナがそんなことを意図しているわけではなく、他の言葉が見つからなかっただけだが、結果良ければ全て良し。
クオンはすぐにリーナの元に行くと、多くの人々が見ている前で堂々とリーナを抱きしめた。
「私もだ。会いたかった」
冷めた者から見ればこれは舞台なのか、陳腐な恋人劇かと突っ込みそうだが、そんな者はいなかった。
スケジュールをつぶさに見れば、一昨日の夕食で一緒に過ごしたのが三十分。昨日はお茶の時間に数分だけ顔を出しただけ。
一緒に過ごす時間を確保するのは極めて難しかった。
この日も朝早くからクオンは執務をこなして疲れが溜まっていたが、キルヒウスが持って来た全ての書類にサインをし終えた瞬間、息を吹き返すような表情になった。
その様子を見てまだ数枚いけるというような視線をキルヒウスは投げかけたが、クオンは絶対に視線を合わせようとはせず、すぐに身支度をしなければならないと宣言した。
身支度について相談してもいいのかと尋ねることでキルヒウスを追い払ったのは、クオンなりに向上している証だった。
クオンがリーナを抱きしめること数分。
「王太子殿下、時間がありますので」
またしても嫌な役目だと思いつつ、ヘンデルは声をかけた。
クオンはゆっくりと惜しむようにリーナを離すと、すぐにその手を取った。
エスコートのための手を差し出し、それにリーナが応えるわずかな時間であっても待ちたくない。離れたくないという気持ちからの行動だった。
「今夜はデートだ。前半は椅子に座っているだけでいい。後半は共にくつろごう」
二人の様子は秋の大夜会に出席する参加者全員が注視している。
クオンは見られることに慣れており、近距離で控える側近や騎士を空気のごとく思うことができる。
それよりも遠くにいる人々を気にするわけもなく、リーナとのデートを楽しみ、くつろぐつもりでした。
しかし、リーナは違う。
遊興要素が強いとはいえ、公式行事である。
だらしない姿を披露して、クオンやレーベルオード伯爵家に恥をかかせるわけにはいかない。
座る席があるのはうれしいけれど、ダンスもあるし……。
クオンからの贈り物であるドレスについては重量という点においてかなりの配慮がされていた。
しかし、それは最初にデザインされたドレスに比べればの話。
王家から貸し出された宝飾品の数も重量も多く、踊りやすいとは言えない。
リーナの慎重な足取りにクオンは気づき、立ち止まった。
「重いのか?」
シーアスが女性への贈り物に対する予算のための追加資料を提出したことで、クオンは女性のドレスや宝飾品の重量が見た目以上にあることを知った。
「父上が選んだ宝飾品は豪華だけに重量があると聞いた。動きにくいということであれば、無理に踊る必要はないが?」
「大丈夫だと思います。でも、首をあまり動かさない方がよくて……近くにいるとクオン様を見上げにくいのでお許しください」
クオンは長身。
リーナは特別低い身長というわけではないが、平均以上でもないために小柄に見える。
ヒールがほとんどないせいもあって、二人で並んだ時の身長差があった。
「ティアラのせいか」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない」
そう言いながら、クオンは視線をティアラに向けた。
ティアラはひるむこともおびえることもない。
だが、人間であればそうなりそうなほどの強さだった。
「無理をするな」
「はい。ありがとうございます」
リーナはクオンと共にゆっくりと歩き出した。
その速度は想定以上に遅く、同行する騎士たちは視線をヘンデルに向けた。
「王太子殿下、大変申し訳ございませんが時間があります」
「ティアラのせいだ」
賛美も嫉妬も受け止めてきたハートのティアラは、ヘンデルと護衛騎士からの強い視線も平然と受け止めた。





