718 リーナの身支度(一)
クオンが身支度で揉めている頃、リーナはすでに身支度を終えていた。
落ち着かない……。
秋の大夜会のテーマは愛。出席する者は必ず愛をあらわすようなものを身に着けることになっている。
リーナの衣装も真っ赤なドレスで、金のハートの刺繍が全体に散りばめられて豪華なものだった。
ネックレスやイヤリングもハート型のルビーがいくつも並んでいるデザイン。
ティアラもハートのモチーフ。
中央には本物とは思えない大きさをしたハート型のルビーがあり、その周囲をダイヤモンドが囲んでいるせいで、より存在感も輝きも増している。
これら宝飾品はエルグラード王家が所有している品で、国王の配慮によって特別に貸し出されたものだった。
「本当にこのような装いでいいのでしょうか? なんとなくですが、おめかししすぎているような気がします」
王家が所有する宝飾品を貸し出されたこともあり、リーナは緊張していた。
「公式行事は立派な衣装でなくてはなりません。今夜は仮装舞踏会。仮装の衣装は派手になるのが常識です。何も問題はありません」
きっぱりと言い切る侍女に、リーナは反論できない。
お茶、菓子や軽食が用意された頃、早めに王宮に到着したラブが部屋に来た。
「リーナ様、ごきげんよう! おかしな衣装じゃないかどうかをチェックしに来たわ!」
ラブの衣装はリーナに負けず劣らず豪華で派手だった。
ボリュームのあるプリンセスラインのドレスはリーナと同じ赤。スカート部分には斜めのラインを描くフリルが何列もあしらわれ、共布で作られた赤いバラの花がちりばめられている。
宝飾品はルビーとダイヤでハートのデザイン。
頭上のティアラはハートのデザインになっている台座で、ルビーがびっしりとあしらわれている。
最終的にリーナの視線が向いたのは手に持つ短いステッキ。
黄金の持ち手のトップには赤いハート型の石がついていた。
「ラブ、そのステッキは……なんですか?」
「魔法のステッキよ!」
ラブは目を輝かせてステッキを振った。
「キラキラマジカルプリティーハート! リーナ様、笑顔になーれっ!」
ラブはくるくるとステッキを回した後、上に掲げた。
本当はステッキの先をリーナに向けるのだが、王太子の婚約者にステッキを向けるのは無礼な行為になってしまうために変更した。
リーナはじっとラブを見つめたまま。笑顔でもない。
予想通り過ぎる反応だとラブは思った。
「今のは……有名なセリフなのでしょうか?」
「少女向けの物語に出てくる主人公のセリフよ。愛とバラの魔法使いなの。どんな問題も魔法で解決して、相手を笑顔にするというありがちな設定よ」
「それでドレスにバラの花があしらわれているのですね」
「このドレスは愛とバラの魔法使いの衣装じゃないわよ?」
「何の仮装ですか?」
「愛」
単純明快過ぎる答え。
だが、リーナは首を傾げた。
「わかってなさそう」
「実はそうです」
ラブは解説することにした。
「リーナ様は貴族の令嬢として普通に育って公式行事に出てきたわけじゃないから、貴族が普通に知っていることを知らないでしょ?」
「そうですね」
「レーベルオード伯爵は独身だから、女性関連のことには詳しく説明されてなさそう」
「おお父様は婚約していますが、たぶんそうですね」
「婚約は無効になったわよ?」
「えっ?」
リーナが驚くのを見て、ラブはそのことさえ知らないのかと思った。
「そうしておかないと、リーナ様の結婚式の時に困るじゃない」
婚約した状態の場合、レーベルオード伯爵は婚約者の席次について配慮しなければならない。
婚約はダウンリー男爵家の問題を解決するためであり、現状はその重要性が薄れてしまっている。
そこでレーベルオード伯爵はアマンダとの婚約を解消する手続きを取った。
「レーベルオード伯爵が国王陛下に直接婚約解消の説明をしたら、婚約自体が無効になったって。大儀ある政治的判断に理解を示しつつも、個人の経歴として残さない方がいいということね」
現在のパトリック・レーベルオードは独身。
婚約及び婚姻歴はリリアーナ・ヴァーンズワースとの一回のみ、というのが公的かつ正式になった。
「普通に婚約解消するのではダメなのでしょうか?」
「王家としては外戚になるレーベルオードの関係者を増やしたくないのよ。婚約を白紙にしておけば、問題が起きにくいだろうって判断されたわけ」
「なるほど」
「貴族の婚約や婚姻には政治的判断なものも多いわ。その状況下において必要でも、あとになって無用になることもあるの。だから、国王判断によって無効になることもあるのよね。もちろん、特別な判断じゃないから滅多にないけれど、王家に関わる場合はまあまああるって感じね」
「勉強になります!」
「元の話に戻るけど、公式行事とか夜会とか大きな催しにはドレスコードがあるの。ドレスコードはわかる?」
「わかります。どのような装いで参加するのかを示すルールですよね?」
「その通り! 当たり前だけど、公式行事は正装。他にも細かい指定があって、今回は仮装舞踏会だから仮装をするの。どんな仮装でもいいわけじゃなくて、決められたテーマに合うものにすること。これもいい?」
「はい」
リーナは頷いた。
「リーナ様は公式行事の通知や招待状を見ていないでしょ?」
「見ていません」
「今回は愛がテーマなの。でも、それだけじゃあまりにも漠然としているわ。だから、赤やハートというドレスコードが指定されているのよ。つまり、愛をあらわすために赤い色の衣装やハートのデザインの小物を身につけるってことね」
リーナはレーベルオード伯爵令嬢。本来であればレーベルオード伯爵家に届いた公式行事の通知や招待状を見て衣装を用意する。
しかし、現在は王宮に住んでおり、衣装は王太子が用意することになったため、口頭による簡単な説明しか受けていなかった。
「仮装って言うと、物語に出てくるような人物の装いをすることを思い浮かべるわ。だけど、今回のように愛みたいな言葉が仮装のテーマになることもあるのよね。いつもは古代のお祭りにちなんで、化け物の仮装をするのが恒例だけど」
「化け物……」
「幽霊でもいいのよ。白いドレスとか、骸骨のモチーフとか」
「物語に出てくるような恐ろしい何かということですね?」
「そうそう。でも、今年は王太子が結婚するでしょ? 不吉そうなものを感じさせるテーマや仮装にはできないってことで愛になったみたい。婚約者を溺愛中だから丁度いいでしょ?」
溺愛中……?
リーナは心から愛されているとは思っていたが、クオンが愛に溺れているというイメージはなかった。
「溺愛ではないと思うのですが?」
「ええっ?!」
リーナの発言に驚いたのはラブだけではない。控えている侍女たちも同じだった。
「溺愛というのは愛する女性に溺れてしまうことですよね? でも、クオン様は溺れていません。きちんとお仕事をされていますから!」
仕事をしているかどうかで判断しているわけね……。
ラブはリーナの判断基準を理解した。
しかし、間違いなく王太子はリーナを溺愛している。
そう思える事件があったばかりだった。





