710 臨機応変
「これほど地味な装いをしているというのに正体が判明するとは……」
「すみません。名前を聞かれたので答えてしまいました」
ロジャーの表情が鬼の形相になった。
「なんだと?! 本名を答えたのか?!」
「嘘をつきたくなかったといいますか……」
リーナの真面目さが裏目に出た。
それにしても、リーナの容姿はどこからみても地味だ。名前を言ったからといって、それが真実であると思われるかはわからない。
偽者扱いされ、より大問題になっていた可能性もある。
「……話は後だ。緊急避難する」
問題が起きた際は二階にある王族席の間を緊急避難場所として使用することになっていた。
ロジャーはリーナを連行するようにして王族席の間に移動させ、ラブやシャルゴット姉妹をすぐに呼ぶように指示を出した。
「えっ?! バレたっ?!」
大理石の間から招集されたラブ達は驚愕した。
どこからどうみても平凡な貴族の令嬢だ。王太子の婚約者と思われそうな要素は全くないはずだった。
「名前を聞かれ、答えてしまったのだ」
愚かすぎるという視線で睨まれたリーナは頭を深々と下げた。
「本当にすみません」
「相手は信じたの? この格好でも?」
「土間にいる女性達がリーナの元に殺到した。護衛が状況を収拾するために並べといい、握手会のようになった。名刺も受け取っていた」
リーナはもう一度頭を下げた。
「ごめんなさい……せっかく配慮してくださったのに……」
「配慮? そもそも、なぜ土間の女性達が殺到したのですか? ノースランド子爵と共に土間の様子を見に行っていたのですか?」
怪訝な表情をしたカミーラが質問をするが、それを遮るようにラブが勢いよく発言した。
「と、とにかく、この部屋まで戻れたわけだし、護衛で周囲を固めて馬車まで移動すればいいわ。残念だけど、即売会を楽しむのは中止ね」
「即売会、ですか?」
「大理石の間でフロスト・フラワージェの商品が売っているのです」
「ショッピングよ」
リーナは深いため息をついた。そして、思わず言ってしまった。
「……そうですか。行きたかったですけど、仕方がないですね。自業自得ですので」
その瞬間、ラブはハッとした。
仕方ないなんてことはありません! 人は何度でもやり直せます!
果物狩りの時にリーナに言われた言葉がラブの頭の中に浮かんだ。
どう見ても弱々しくて何もできなさそうなリーナだが、その心、本質がわかる言葉だった。
諦めない。何度でもやり直す。努力する。
ラブは自らの気持ちが一気に強く上向くのを感じた。
こんなことぐらいで諦める必要なんかないわ! 凄く簡単なことじゃない! 頭を使えば乗り切れるわ!
「大丈夫よ! 私がなんとかするわ!」
ラブは力強くそう宣言した後、ロジャーを見つめた。
「ロジャー、悪いけれど利用するから!」
「封鎖は良くない。買い物を楽しむ女性達が不満に思う」
「そうじゃなくて、まあいいわ。フロスト・フラワージェの責任者を呼んで!」
フロスト・フラワージェの発表会責任者は血相を変えて来た。
「申し訳ありません。ただいま一階が大変なことになっておりまして……」
ここにいる全員がなぜそうなったのかを知っていた。
「状況を確認しましたところ、土間の方にいた女性がレーベルオード伯爵令嬢だと名乗ったようです」
リーナは落ち込むように下を向いた。
「お忍びで王太子殿下の婚約者の方が来ているようだということで騒ぎになってしまい、混乱を避けるために一時的に土間を封鎖したのですが、ずっと封鎖しているわけにもいきません。その女性がいなくなったところで封鎖を解除したのですが、おそらくは二階にいるはずだということになり、一階にいる女性の方々が大階段付近に集まってしまいまして……」
発表会の招待者は招待状によって行けるエリアに制限がある。
二階へ行けるのは二階以上のボックス席を割り当てられた招待客だけになっているため、一階の土間にいた女性達は二階に行くことができない。
しかし、王太子の婚約者がお忍びで来ているとわかれば、その姿を見たいと思う者、握手できなかった、名刺を渡し損ねたという者達などが次々と大階段の所に集まり、事実なのかと問い合わせたり、メッセージ入りの名刺をなんとか渡して欲しいと言ったりしている。
警備の者達が必死に説得しているものの、女性達は興奮している。制止を振り切って二階に来てしまうかもしれないということで、急遽一階から上階へ行く階段全てを警備が厳重に封鎖することになり、どのような対応をするか検討しているということだった。
「このままですと二階にいる者達にも伝わってしまうのではないかと……」
「つまり、まだ二階にいる者達には伝わってないわけよね?」
リーナのことがわかってしまったとしても、一階にいる者達だけであり、二階にいる者達は知らない。
それを利用して少しだけ買い物の時間を取ることをラブは提案したが、ロジャーが却下した。
「買い物をしている間に二階にも情報が伝わったらどうする? お前やシャルゴット姉妹と共にいるという理由でわかってしまうかもしれない」
「ヴィクトリアかクローディアに頼めばいいじゃない」
話し合っている間も時間が刻々と過ぎ、状況は変化していた。
ドアが叩かれ、フロスト・フラワージェの者と警備が顔をあらわした。
「二階にも伝わってしまいました。現在、レーベルオード伯爵令嬢がどこにいるかを招待者達が探し回っています」
二階に伝わったということは、二階に降りてきている三階の客にも伝わっている。
四階はフロスト・フラワージェの関係者席になっているが、レーベルオード伯爵令嬢が来ることをフロスト・フラワージェの関係者達も知らされていたわけではない。
知らされていたのは事業主の友人であり、大口の融資をしている投資会社の大物でもあるノースランド子爵が同じく四大公爵家の令嬢であるゼファード令嬢などと共に来るということだけだった。
「……非常に申し上げにくいのですが、レーベルオード伯爵令嬢がお見えになられているというのは事実なのでしょうか?」
フロスト・フラワージェの責任者が恐る恐るといった様子で尋ねた。
「事実だ。このような事態にならないよう内密にしていたのだが、些細なことがきっかけで知られてしまった」
ロジャーの言葉にリーナはうなだれた。
「申し訳ありません」
「王立歌劇場の警備責任者はどこだ? 来ていないが」
「現在対応中と言いますか、王宮に伝令を出すと言っていました」
緊急事態が発生した場合は王宮から警備の援護を呼ぶことになっていた。
王宮歌劇場の警備責任者にはリーナが極秘で来ることを伝えていたため、緊急事態が発生したと判断し、王宮から応援を呼ぶ判断をしたのだろうと思われた。
「応援が来たら、馬車までの通路を確保しろ」
「待って!」
ラブが叫んだ。
「このまま何もしないで帰るのは良くないわ! 絶対に悪く思われるわよ!」
ラブの意見は一理ある。
しかし、リーナに何かあっては困る。リーナの対応が悪ければ、より最悪の事態になりかねない。黙って帰った方がましだとロジャーは思った。
「大丈夫。落ち着いて。リーナ様がちょっと手を振れば終わりよ。下にいる者達はそれで十分だわ」
「二階にいる者達は違うだろう。それなりの身分であれば、声をかけてくる」
「わかっているわよ。だから、大理石の間の左側にロープを張って通路を確保するのよ。その後は少しだけ買い物をし、それから帰ればいいわ」
このような状況で買い物をするという提案をしたラブにロジャー達は呆れかえった。
「馬鹿なことを言うな!」
「女性はそういうものなの!」
ラブは声を張り上げた。
「ちょっと有名人がいたらキャー!ってなるし、手を振ってくれたらそれだけで自分を見てくれた、応えてくれたって喜ぶの! 買い物をしている様子を見せてあげれば、それを社交やお茶会の話題にできるじゃない。邪魔しないわよ。とにかく笑顔で対応! これに勝るものはないわ! リーナ様がどんなに素敵な女性か、みんな知りたがっているわ。ここはもう腹をくくって、いい人オーラを振りまいて宣伝するのよ! ピンチをチャンスに変えるのよ!」
宣伝。
ロジャーとカミーラは鋭い表情になった。
「ノースランド子爵、ラブの見立ては間違ってはいません。リーナ様の印象が良くなるような対応をすべきです。招待客を避けるようにして帰るのはよくありません。拒否感につながります」
「……クローディアを呼べ。側近としての対応は慣れている。うまくやれるだろう。ラブは離れていろ。シャルゴット姉妹は付き添いの侍女役だ。発表会についての案内や助言ができないことから、側にいるだけでいい」
「私が誘ったのに!」
「自らの評判が悪いことを忘れたのか? そのような者と一緒にいるとわかったらどう思われる?」
ラブは沈黙した。ぐうの音も出ない。
「これからの指示を与える。よく聞け」
第二王子の側近であるロジャーは優秀だ。
エゼルバードのお忍び外出に付き合い、素性がわかってしまったこともある。それに比べれば、ずっと対応は簡単だ。なぜなら、リーナはロジャーの指示に従う。気まぐれな第二王子とは全く違う。
王立歌劇場で問題が起きたことがわかれば、王太子も第二王子もロジャーに責任を問うのは目に見えていた。
そうなったのはリーナが自ら名乗ったのだとしても、一緒にいながら何をしていたのかと言われるに決まっている。
だからこそ、この騒ぎを利用する。
ラブの狙いは間違っていない。レーベルオード伯爵令嬢を宣伝するチャンスに変えるのだ。
「警備に通達し、正面玄関付近にロープを張って通路を設けろ。正面出入口までだ。そこに馬車を用意して帰る。その前に大理石の間にて即売会の会場を少しだけ見てから帰る。左端にそってロープで特別な通路を設けろ。レーベルオード伯爵令嬢が内密に来ていたが、大勢に知られてしまったため、安全対策をすることになった。邪魔をしないように、冷静に行動するように呼びかけろ」
ロジャーはラブの案をあえて採用した。
ロープを張って通路を確保すれば、レーベルオード伯爵令嬢がそこを通ることがわかる。大階段周辺で騒いでいた女性達は通路沿いに並び、リーナが通るのを待つに決まっていた。
「王立歌劇場の係員の方が慣れている。準備をさせろ。フロスト・フラワージェの関係者は招待客に対する説明と誘導を手伝え!」
「名刺を渡して欲しいという者達も多くいます。裏にメッセージを書いておりまして……」
「本人に渡しておくと伝え、フロスト・フラワージェの関係者達が回収しろ」
「かしこまりました」
「握手は」
「無理だ」
ロジャーはリーナを見た。
「よく聞け。これから即売会の会場になっている大理石の間を少しだけ見学する。その後、正面出入口まで移動して帰る。ロープを張った通路付近に大勢の女性達がいるだろう。お前に声をかけたり、手を振ったりするかもしれないが、近寄ってはいけない。混乱が起きる。あくまでも中央を通れ。但し、部屋に入る時や出る時などは立ち止まり、軽く手を振って応えろ。試しにやってみろ」
リーナはおずおずと尋ねた。
「手を振るということでしょうか?」
「そうだ」
「軽く振ればいいのよ」
「上品にお願いします」
「力いっぱいじゃ駄目よ」
リーナは少しだけ手を上げると横に振った。
「こんな感じでいいでしょうか?」
「下手だ」
「ブレブレ」
「上品ではありません」
「普通過ぎるわ。カミーラ、お手本を見せてあげて」
ベルがそういうと、カミーラは手を上げて軽く振った。
「手の振り方は完璧だけど、表情が怖いわ! リーナ様は笑顔でするのよ!」
カミーラは無表情だ。笑顔ではなかったことをラブは指摘した。
「確かにちょっと怖かったわ。いきなり笑顔になっても怖いけど」
思わずベルも同意した。
「やってみろ」
リーナはもう一度手を振った。
最初よりはましになったが、王太子の婚約者として完璧な手の振り方ではなかった。
「練習しろ。私は様子を見ながら指示出しをしてくる」
ロジャーが行ってしまうと、部屋にはリーナ、ラブ、カミーラ、ベルになった。
「今気づいたんだけど、手の振り方っていつ練習するの? 婚姻のパレードの時に手を振るわよね?」
「パレードはありません。側妃ですので」
「でも、王聖堂の周辺に人が集まるわよ。あちこちの社交グループが王聖堂前に集まる計画を立てているし。カミーラ達のグループはそういう話はないの?」
「それは本当ですか?」
カミーラは驚いて尋ね返した。
「本当よ。結婚式には招待されなくても、王聖堂の所に行けば花嫁姿を見れるじゃない? まあ、白いドレスだろうけれど」
「私達のグループではそういった話は出ていません。披露宴である王宮の舞踏会については話し合ってはいますが」
「披露宴もヤバいわよ。爵位持ちと関係者だけでいっぱいになりそうだから、庭園も開放しないと駄目って案が出ているらしいわ」
「庭園? 雨の時はどうするのですか?」
「その辺でも揉めているわね。廊下を披露宴会場にするわけにはいかない、会場に入るだけにして欲しいって王宮省が断固拒否しているらしくって」
ラブは事情通だった。
延期になった結婚式と披露宴に関しては第二王子が張り切って口を出しているだけに、第二王子周辺の者達の方が様々なことを知っている状態で、ラブも社交グループの動向を報告する対価として情報を仕入れていた。
「後でその話は聞きます。今はまず、手の振り方の練習です」
「そうね。じゃ、リーナ様、笑顔で手を振って」
「わかりました。笑顔ですね!」
「優しい感じの笑顔ね」
「上品に微笑んで下さい」
「感じよく笑うのよ!」
「笑顔も注意しないとなのですね……」
急遽、王太子の婚約者らしく笑顔で手を振る訓練が始まった。





