71 大事な弟
「あれ? 一人?」
ドアを開けたヘンデルはレイフィールを見て驚いた。
王族と貴族には圧倒的な身分差があるが、ヘンデルはレイフィールに配慮するからこそ、親しみを持って話しかける。
レイフィールにとってヘンデルは兄の友人兼側近であるだけでなく、王立学校時代から何かと頼りになる先輩でもあった。
「今は色々大変な時だし、護衛はつけないと駄目だよ?」
「大丈夫だ。襲われても返り討ちにする」
「その自信から生まれる隙や油断があるかもしれない。聡明な王太子殿下ならそう言うね」
「兄上と会いたい。時間をもらえないだろうか?」
「ちょっと待って。見られると不味い書類がある」
「わかった」
王太子は多種多様な機密書類を扱う。
軍事的なものであれば問題ないが、政治的なことは第三王子であっても管轄外になってしまうため、簡単に部屋に通すことはできない。
「入れ」
王太子の許可に合わせ、ヘンデルがドアを大きく開けた。
レイフィールが中に入ると、敬愛する兄がいた。
「どうした?」
「王族会議の前に相談したいことがあった。ヘンデルを下げるかどうかは、兄上が判断してほしい」
レイフィールは自分が持って来た書類を渡した。
「ヘンデルにも見せる」
クオンは書類に目を通すと、ヘンデルに向けて差し出した。
ヘンデルは受け取ると素早く内容を確認した。
「不味いなあ」
後宮の侍従及び侍従見習いは全員が貴族。
直系でも傍系でも家名が同じだけに、違反による処罰の影響を受けるのは必至だった。
「王族用の部屋だと思わなかった? ふざけんじゃねーよって感じ」
ヘンデルの言葉はクオンとレイフィールの気持ちを代弁していた。
昔、ビリヤード大会が行われ、その時に侍従はビリヤードの腕を磨くよう指示された。
それが伝統として続いているという証言もあれば、昔の側妃がビリヤードの使用許可や喫煙許可を出したという証言もあった。
しかし、それらを客観的に証明する記録がない。
ビリヤード大会があったことは後宮の行事記録でわかっているが、侍従のビリヤードや喫煙に関わる指示書や許可書のようなものは一切なかった。
「昔の側妃が許可を出したって……何言っちゃってるわけ? 側妃にそんな権限ないし」
許可を出したという昔の側妃に聞くことはできない。つまり、証明できない。
昔の側妃の命令を守り続けて来ただけだと侍従たちは説明することで、違反行為を忠義の証に変更しようとしていた。
「侍従の証言が正しいことを証言するものはない。ただ、後宮にいる大勢の侍従が撞球の間と喫煙の間を休憩室と思っていたのも事実だ」
「勝手に休憩室にしていただけだよ。全員で知らなかったと言えば助かるって思っただけだよ」
「私もそう思う。極めて悪質だ。重罪の証拠になると思うのだが、父上は違う判断をしそうだと思って相談に来た」
後宮に問題があれば、最上位である国王威信と名誉が傷つく可能性がある。
父親である国王は後宮内の問題を公にしたがらないだろうとクオンは思った。
「重罪ではなく違反で処理することになりそうだ。解雇に備え、新規の人事に手を回す必要がある」
「後宮人事に口を挟むは難しいよ。良い方法がある?」
ヘンデルが尋ねた。
「この件はレイフィールに任せると国王が言った。再発を防止するためという理由をつければいい」
コネで新しい侍従が採用されないようにする。
侍従の仕事の一部を侍女の仕事にする案をクオンは出した。
「なるほど。それなら侍従による違反の再発を防げそうだ」
「補充採用がなければ、違反で解雇された分の人件費も減るねえ」
「この資料は原本だろう? 写しを二部用意しろ。私とエゼルバードの分だ」
レイフィールは顔をしかめた。
「エゼルバードに話すのか? 医療費の件ではかなりの予算を奪った。益を分け合いたくない」
「心配しなくていい。医療費の件があるからこそ、今回はレイフィールに譲るだろう」
レイフィールは長兄を心から信用している。だが、次兄については別だった。
「狡猾なエゼルバードが無条件で益を放棄するわけがない」
「名前が挙がっている貴族達を見ろ。エゼルバードの方が手を回しやすい者達も多そうだ」
「この件でエゼルバードに弱みを握られ、貴族の多くがエゼルバードにつくのではないか? 兄上にとってよくない気がする」
「全く問題ない」
クオンは言い切った。
「私はエゼルバード一人を抑えるだけで、エゼルバードに従う者を全て抑えることができる。エゼルバードもそれをよくわかっているからこそ、私から距離を置く者を拒もうとしない。別のことを考えろ」
「別のこと?」
「多くの貴族が違反行為で処罰を受けたということになれば、国内外の注目を集めやすい。エルグラードの治安状況に悪影響を与えないよう、軍が注視しなければならない」
「わかっている」
「本当にわかっているのかなあ?」
口をはさんだのは、ヘンデルだった。
「軍の重要性が増しそうじゃん? 予算を増やせるかもよ?」
「そうか!」
治安維持対策を強化する費用がいるという理由をつけ、軍の予算を増額できるかもしれないとレイフィールは思った。
「手柄ついでに軍の予算について聞いてみろ。第三王子の手柄として付け替える分を軍の補正予算に回すのであればいいということで落ち着くだろう」
「兄上に感謝する!」
「後宮内の問題を見つけたのはレイフィールだ。功績に見合う褒賞が与えられるのは当然だろう。よくやった」
レイフィールは満面の笑みを浮かべた。
兄に褒められるのは嬉しい。
そして、違反者を処罰するほど軍の予算も増やせる。
「本当に良かった。予算不足で軍の人員を削減するのは避けたかった」
「まだ油断はできない。予算の件は反対される可能性がある。エゼルバードを味方につけておくことが重要だ。写しを早く作って持ってこい」
「わかった!」
レイフィールはファイルを受け取ると、颯爽と部屋を退出した。
その様子を見送ったヘンデルは苦笑した。
「お兄ちゃんは甘いなあ。ぶっちゃけ、後宮と軍は別だよね?」
「国内の治安維持は重要だ。どこからなら予算を移しやすいか教えたのはお前だろう?」
「弟っていいなあ。可愛いよね」
ヘンデルの下にいる二人は妹だった。
「面倒なだけだと言ってなかったか?」
「面倒な時もあるけど、尻尾を振っている時は可愛い」
「私の弟は人間だ。尻尾はついていない」
「絶対第三王子は犬系だよ。第二王子は鳥というよりも猫かなあ? お兄ちゃんの前ではね?」
「私の大事な弟たちを動物に例えるな」
「第四王子は怪獣かなあ?」
クオンは無言のまま執務を再開した。





