7 下働き見習いの卒業
一年が過ぎた。
リーナは下働き見習いを卒業した。
経験はまだまだ浅いものの、これからは下働きになる。
下働きとしては新人だが、見習いではなくなったために給与が上がった。
下働きの給与の標準額は月給十五万ギニー。
リーナは見習い時の給与が高い方だったため、下働きとしての給与は標準額になった。
リーナは給与明細を見て喜んだ。
指導役のマーサの教えに従い、どんな仕事でも嫌がることなく頑張ったことが認められた。
しかし、封筒の中には一ギニーも入っていない。
相変わらず給与明細だけだった。
給与よりも支払う額の方が多く、マイナス分が増えていく。
生活環境も待遇も悪くないが、書類上はかなりの借金になっていた。
リーナは借金をしたくない。増やしたくもない。
しかし、後宮にいる者のほとんどは気にしていない。
借金の取り立てもなく、生活にも困らないからだ。
出世して借金を全額返済している者がいる一方、返済を諦め、購買部で次々と買い物をして借金を増やす者もいた。
それでも、リーナはできるだけ借金が増えないように倹約していた。
「給与はどうだった?」
隣のベッドに寝ころんでいたカリンが尋ねた。
給与について口にしない方がいいと助言したのはカリンだったが、何かと相談に乗ってくれるカリンにリーナは心を許していた。
「カリンさんが予想した通りの額でした」
「十五万ギニーね」
「はい」
「まあ、普通に真面目に頑張っていればそうなるわね。でも、借金も結構増えたでしょう?」
「そうですね……」
給料も高いが借金も多い。
リーナは着替えや身の回りの物がほとんどないため、全て購買部で買い揃えなくてはならなかった。
後宮の購買部で売っているのは高品質の高額商品のみ。安価な品は一切ない。
最低限の必要品しか買っていなくても、積もり積もればそれなりの出費になってしまっていた。
後宮の住み込み者は、よほどの事情がない限り外に出ることはできない。
もっと安く商品を売っている店に行くことができない。
そもそも、現金がない。
購買部での買い物は給与からの天引きにできるからこそ買える。
通常の店ではそのような買い方ができない。
家族に手紙を書いて必要なものを送って貰うことならできるが、孤児のリーナに家族はいない。
高くても購買部で買うしかなかった。
「カリンさん」
「なに?」
「制服代、しっかり取られていました」
「ああ。そうね」
カリンは苦笑した。
「まあ、それも仕方がないわよ」
「そうですね」
採用されたばかりのリーナには下働きの見習いがつける帽子とエプロンが渡された。
帽子とエプロン代が請求されなかったのは、試用期間のためだった。
試用期間が過ぎると固定給になり、帽子とエプロン代が請求されていた。
これは買い取るということではない。あくまでも借りるための代金だ。
リーナは帽子やエプロン代を借りるのにお金がかかると知らずに驚いたが、後宮ではそうなっていると言われればそうなのかとしか思うしかなかった。
昔は制服一式が全て無料で支給されていたが、そのことを悪用する者がいた。
古い制服を着用したくないため、着用できない理由をこじつける。
わざと穴をあけ、新しい制服が欲しいと申請する。
布が欲しいからと勝手に裁断してしまう。
様々な理由で制服の支給が多くなってしまい、後宮の予算を圧迫した時代があった。
その結果、制服は有料になった。
勝手なことや紛失をしないよう貸出し制にもなった。
それが功を奏し、後宮で働く者は制服を大事にするようになったという。
「下働きの制服は高いのですね」
下働きの制服はシンプルな灰色のワンピース。
半袖と長袖が五着ずつ。合わせて十着だった。
帽子とエプロンは季節を問わないため、各七枚ずつ。
全て有料だ。しっかり請求されている。
制服代はリーナにとって高額だった。
見習いから下働きに昇格したものの、更に借金が増えてしまった。
「後宮の下働き専用の特注服だもの。仕方ないわよ」
リーナは頷いた。
シンプルなワンピースがなぜこれほど高いのか不思議に思うが、この制服を着用することでリーナはより多くの場所に出入りすることができる。
これまではほぼ地下で過ごしていたが、これからは仕事で地上に行くこともできる。
地上階の掃除は召使い、重要な場所は上級の召使いが担当することになっている。
但し、重労働で人気のない場所は下働きの担当なのだ。
リーナは地上に行けるのが嬉しかった。
太陽の光が溢れている。空気も新鮮だ。
素晴らしい世界だとリーナは思った。
「私、そろそろ寝ます」
リーナは給与明細を封筒に入れると木箱にしまった。
「体調不良なら医務室に行ってね。病気をうつされたら困るわ」
「違います。明日はかなり早い時間に起きないといけないのです。新しい仕事をするのでその説明があると聞いています」
「新しい仕事ですって?」
カリンは眉をひそめた。
見習いを卒業しても、一年程度は同じような仕事になるのが普通だ。
リーナはまだ一カ月しか経っていない。
掃除部長直々に指導されているため、普通よりも早く別の仕事場に移動になるのはおかしくないが、出世コースに乗ったのかもしれなかった。
「どんなお仕事になるかはわかりません。でも、変更ではなく追加のようです」
「残業かしら。後でどんなことだったか、教えてね」
「お話できるようなことであれば」
仕事内容に関しては軽々しく口外してはいけないという規則がある。
しかし、リーナにとってカリンはよき相談相手。
掃除部の先輩でもあるため、掃除部が担当することであれば教えても問題にはならない。
「どんな仕事か楽しみだわ」
自分がするわけではないというのに、カリンは楽しそうな表情になった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
リーナはベッドに横たわった。
部屋は明るい。同室者が起きているため、灯りがついている。
リーナは薄い毛布を被り、目を閉じた。