697 ラブのやり方(一)
ラブと面会したリーナは驚いた。
目を見張り、口を開け、まさに誰がどう見ても驚いているのがありありとわかるような状態だった。
「おはようございます。リーナ様。朝早くからご面会をお許しいただけましたこと、心から感謝申し上げます」
ラブは完璧な淑女の仮面を被って挨拶した。
リーナはようやく挨拶の言葉を発した。
「……おはよう。ゼファード侯爵令嬢」
「名前で呼ぶはずですが?」
「あっ、そうでした!」
王太子付きの侍女達がいるため、リーナは礼儀作法を守ろうと注意していた。
そのせいで、うっかりラブのことをゼファード侯爵令嬢と呼んでしまった。
「怒っていませんか?」
「全く。ラブと呼んで下さればいいだけですので。では早速ですが、昨日お約束した本をお持ちしました。一部はレーベルオード子爵の方で検討されてから許可を貰うことになりましたが、リーナ様のお役に立てる本ばかりを揃えたつもりです。本日はその点についても簡単にご説明させていただきたく思いますが、構わないでしょうか?」
「大丈夫です」
「では、ここにある本に関して説明します」
ラブは自分が持って来た本の多くは学校の教科書であることを告げた。
「リーナ様もこのようなものをすでにお持ちかもしれません。ですが、ウェストランド公爵領の教科書は絶対に持っていないと思います」
「王立学校の教科書はあります。でも、色合いが違います」
「私が持って来たのは私立学校の教科書です。王立学校にも通っていましたが、無理だと感じて転校しました」
「無理、だったのですか?」
「気の合う者がいないと思ったので。それに、私の勉強は先行していたため、授業内容が馬鹿馬鹿しくてやっていられません。普通は授業についていけなくて転校するのですが、私は逆でした」
「そうですか……」
中途半端な時期のせいで、すぐに他の学校に転校するのは難しかった。
そこでラブはウェストランドの領地に戻り、領立学校に通うことになった。
「私は王都で生まれ育ちましたので、初めてウェストランドの領地に行くことになったので、どんなところなのか胸が躍りました。高速馬車路を実際に使用したのも、その時が初めてでした。思ったよりも快適な旅でしたわ」
地方に行くと王都とは違うことが多くあることを知って興味が惹かれたものの、すぐに飽きた。
結局、翌年の春からは王都にある私立学校に転校した。
しかし、そこでもラブは友人を作ることができなかった。
そこは裕福な者達が通う学校ではあるものの、貴族だけでなく平民も入学できる学校だった。
平民の態度があまりにも図々しく、ラブは自分という存在をかつてないほど軽視されたように感じ、我慢できなかった。
「平民にとっては四大公爵家も公爵も一緒なのです。むしろ、貴族というひとまとめになってしまいます。しかも、同じ生徒同士ということで馴れ馴れしくしてきます。初対面なのに名前を呼び捨てとか。マナー違反も甚だしいのです!」
散々マナー違反していそうなラブから、マナー違反の指摘が起きたことに、リーナは驚いた。
ラブは金持ちばかりの学校は駄目だと感じ、学期が変わる秋、貴族だけが入れる学力重視の学校に転校した。
「また転校ですか?!」
「初等部は六年あります。春と秋のタイミングをうまく利用すれば、十回以上転校することができます。何度も転校してはいけないという規則はないので、編入できれば問題ありません」
「十回以上……」
「あくまでもしようと思えばです」
学力重視の学校も居心地はいいとはいえなかった。しかし貴族しかいないため、全員が最低限の礼儀作法は身につけた状態で、なおかつ身分の重要性を理解していた。
また、試験の成績が上位であれば他のことは寛大に見られていた。授業中に居眠りしていても菓子を食べていても、恋愛小説を読んでいてもいい。
周囲に迷惑をかけないように静かにしていればいいこともあって、ラブはしぶしぶこの学校に居つくことにした。
「……随分自由そうですね」
「生徒は家で家庭教師をつけ、猛勉強しているのです。ですので、学校で必死に勉強しなくてもいいのです」
「それなら学校に通う必要はないのでは?」
「単純に考えればそうです。でも、学校に行かなければ、学校の卒業資格が得られません。頭のいい者は勉強を教えて貰うためではなく、友人やコネを作り、その学校を卒業したという学歴を得るために学校に行くのです」
「単純に学校は知らないことを勉強する場所というだけではないのですね」
ラブは頷いた。
「そうです。今は学歴が重視されていますが、学校でなければ学力が上がらないというわけではありません。むしろ、学力は学校以外のところで上げられるのです。ですが、学校でしか得られないものもある。だからこそ、学校に行く者達が多くいるのです」
同じ学校で初等部から大学部まであるようなところだと、認定試験を受けて合格すれば飛び級は簡単にできる。卒業資格もすぐに貰え、進学もすぐにできることが多い。
「飛び級していれば、進学試験や官僚試験に失敗しても、普通に進級して試験を受けた者達と同じになるだけ、遅れるわけではないという余裕もできます」
「なるほど……」
「貴族の女性の一般的な学歴は高校程度が標準です。これは成人するまでに一定の淑女教育を受けていることを証明するのに丁度いいと思われ、高校に進学するようになったからです。学歴がなくても家庭教師などを雇い、淑女教育を受けていれば問題はありません。学歴について悪く言うのは、ただの嫉妬です。ですので、中学校卒業程度認定試験に絶対合格しなければならないと思う必要はありません。不合格であっても、王太子殿下の寵愛は揺らぎません。リーナ様の学力がどの程度か確認するために受けるだけです」
リーナは微笑んだ。
「ラブは優しいですね。普通は一生懸命勉強して合格するように励ますのに、不合格でも大丈夫だと言うなんて」
「普通のことはシャルゴット姉妹がしています。私も同じことをしてリーナ様を支えるよりは、別のことでお支えした方がいいと思ったまでです」
「頼もしいです。色々と教えて下さいね」
「勿論です」
ラブはリーナと会う前にヘンデルとパスカル、及び王太子に対して勉強相手になるためのプレゼンをし、一時的な処置ではあるものの、リーナと一緒に勉強する権利と、王宮の一室を与えられたことを伝えた。
「では、これから毎日一緒に勉強できるということでしょうか?」
「いいえ。学校がありますし、屋敷で家庭教師に勉強を見て貰っているので、時々だけ来ます」
「週末ですか?」
「シャルゴット姉妹ともお話をしたいので平日にも足を運びたいのですが、出席日数を稼ぐ必要があります。高認さえ受かってしまえば卒業資格は貰えるので、出席日数は関係なくなります。ただ、その後は大学受験の勉強もありますし、リーナ様も婚姻して新婚生活を満喫しているはず。ですので、お邪魔をしないようにしたいと思っています」
「新婚生活を満喫……」
リーナは急に恥ずかしくなった。そして、気づいた。
まずは無事婚姻しないとということばかりを考えて来た。自分も周囲も。
そして、婚姻した後は側妃になるため、より相応しく行動しなければならないというプレッシャーを感じていた。
クオンとの新婚生活を満喫するという考えは全くなかった。
「私……結婚後は側妃になるのでしっかりしないといけないとばかり思って来ました。生活もより厳しくなると思うので、今のうちに慣れておこうと思っていて」
「それは間違いです!」
ラブは断言した。
「リーナ様は政略結婚ではありません。恋愛結婚です。恋愛結婚したら、新婚生活はラブラブの甘々になるのが普通です。厳しい生活ではありません。夫が忙しくても、そうなるように努力するのが妻の務めです!」
耳をそばだてていた侍女達は同意したい気持ちと注意したい気持ちに揺れた。
新婚生活を満喫しては欲しいが、そのせいでリーナが我儘になり、甘え過ぎて王太子の執務に悪影響が出るのは困ると感じたのだ。
「結婚後のリーナ様は妻として夫を喜ばせることが重要な仕事になります。なぜなら、リーナ様の夫は王太子殿下、そして、王太子殿下あってこそのエルグラードだからです。まずは王太子殿下が新婚生活に満足し、気持ちよく不安なく執務をできるようにしなくてはいけません。違いますか?」
「違いません」
リーナはきっぱりと答えた。
しかし、王太子だけが満足し、リーナが不満足で我慢ばかりでは円満な夫婦関係、幸せな新婚生活とは言えない。
そうなったら問題だと思いつつ、ラブは言葉を続けた。
「リーナ様だけでなく、リーナ様のお世話をする侍女達も同じです。リーナ様のためだと思って厳しいことばかりしていると、リーナ様は何もできていないと感じて不安になり、笑顔が消えます。そんな姿を王太子殿下が見たら悲しみます。リーナ様のことが気になって仕事ができなくなるでしょう。だからこそ、王太子殿下がいない時でもリーナ様が笑顔でいられるように、不安を感じないように、居心地のいい場所を整えるのが侍女の仕事です。それが王太子殿下の安心につながり、エルグラードのためにもなるのです!」
ラブはしっかりと侍女達にも聞こえるように力説した。





