693 ラブの変身
果物狩りの翌日である日曜日。朝六時過ぎ。
通常であれば起床しないどころか就寝するはずの者が起床していた。
ラブである。
王宮へ向かう馬車の中、懸命に作ったリストとメモを睨んでいた。
これからラブは王宮へ行き、リーナに面会を申し込む。
普通に考えれば非常識な時間であるが、勿論これには理由がある。
というのも、ラブの持ち込む荷物が多いからだ。
王宮内に様々な物を持ち込むには許可がいる。基本的には事前に許可を得るだけでなく、王宮敷地内入るための門、道中あるいは建物の出入口、更には王宮内に設けられた検問等様々な場所で持ち込むものを調べられ、安全かどうかなどを確認する。
しかし、それには時間がかかる。どの位かかるのかはわからない。
いつも同じような品を持ち込む者、例えば定期的に王宮に同じ物を納入する商人等であれば、おおまかな確認で問題ない。しかし、一般、事前の許可なしということになれば、かなりの時間がかかる。
ラブは兄が第二王子の側近であるため、そのセブンが許可した物ということであれば、基本的には第二王子の管轄するエリアへの持ち込みが可能だ。
しかし、王太子府の管轄するエリアへの持ち込みはできない。
管轄が切り替わる際、詳細な検閲を受けかねないため、その分を見越して王宮へと早めに行くことにしたのだった。
「レーベルオード伯爵令嬢に面会を申し込みます。昨日の時点で面会する旨は本人に伝え、許可は頂いています。ですが、持ち込み品に関しては本としか説明していません。検分する必要があるということであれば、確認をして下さい」
ラブが王太子付き侍女に面会と取次ぎを頼むと、しばらくして王太子付き侍女長がやって来た。
「おはようございます。ゼファード侯爵令嬢」
「おはようございます」
おはようではなくおはようございますと言ったことに、王太子付き侍女長は眉を上げた。
その後、上から下までラブのことをじっくりと見た。
「本日は随分と早い時間にお越しです。理由をご説明いただきたく思います」
ラブはもう一度説明した。
昨日外出した際、リーナに面会に来ることと本を持って来ることを約束した。勿論、リーナの許可は得ている。
しかし、本の数がかなり多い。検分するのではないかと考え、早めに来たことを告げた。
「では、こちらの箱にあるものは全て本ということでしょうか?」
「そうです。リーナ様に勉強に役立つ本をお持ちすると約束したのでお持ちしました」
ラブはしっかりと礼儀作法を守っていた。衣装も普段とは全く違う。
いつもは黒を中心にやや奇妙あるいは奇抜ともいえるような装いをしている。
一部の者達には非常に愛好されている装いだが、礼儀作法に厳しい者達の間ではまったくもって許されない装いだと酷評されていた。
しかし、今回のラブは完璧に正統派貴族令嬢の装いである。
繊細な小花が散りばめられた薄い水色のドレスには白いレースがふんだんにあしらわれている。いわゆる清楚系ドレスだ。
化粧の仕方も控えめで、本来の若々しさがわかるように薄いピンクの口紅とやわらかなピンク色の頬紅。
黒く美しい髪は一部を三つ編みにしてしてアップにし、豪奢な髪飾りで留めている。
水色には銀色の宝飾品を合わせる者がいるが、季節は秋。あまりにも涼しい雰囲気は寒々しくなるため、あえて金の髪飾りを中心にゴールドのきらめきを全身に散りばめている。
しかし、いずれもボリューム感はなく、それでいて非常に細かいところまで考えられたと言わんばかりの逸品ばかり。
見た目だけは、どこからみても完璧な清楚系淑女で、いつものラブとは別人ではないかと思えるような状態だった。
とはいえ、王太子付き侍女長は見た目に騙されるような者でもない。そもそも、ラブとは面識がある。普段の装いや素行等も知っている。
あまりにも早い時間に来たばかりか、全く別人と思えるようなラブを見て、猜疑心と警戒心を募らせたのは自然だった。
「規則ですので、こちらの箱の中身については検分させていただきます」
「どうぞ遠慮なく」
ふんわりと微笑むラブを見て、思わず侍女長は言葉を口にした。
「いつもとはずいぶん異なる装いに驚きました。何か理由が?」
「昨日リーナ様と共に過ごし、このままではいけないと思ったのです。本心を偽るのも疲れました。ウェストランドという重圧から逃れようと必死に強がっていたのです。ですが、リーナ様のお優しい心を感じ、私の心は救われました。これからはリーナ様と共に真面目に勉強するというお話になりましたので、それにふさわしく装いを改めました。何か問題が?」
問題はない。装いに関しては。
しかし、これまでのラブを知る者であれば、その見た目だけでなく言葉遣い等も含め、あまりにも変わり過ぎてしまったと感じずにはいられない。
怪しい、偽っている、何かある、言葉通りに受け取るわけにはいかないとしか思えなかった。
しかし、心の内はともかくとして、見た目や体裁だけはしっかりと取り繕うというのもまた淑女のたしなみであり、求められる能力だ。
侍女長はラブの完璧な偽装をしようとする技能だけは一定の評価をした。いつまで続くかわからないと心の中で思いながら。
ラブは待たされていたが、さほど時間はかからず、話し相手がやってきた。
「うわおっ! 見違えるなあ!」
驚きながらそう言ったのはヘンデルだった。
「おはようございます。このような朝早くからお時間をいただきましたこと、心よりお礼申し上げます」
ラブは淑女らしい見た目通りの美しい礼をした。
「女性は化けるって実感するなあ。だよね?」
ヘンデルは一人で来たわけではない。パスカルも一緒だった。
「おはようございます。ゼファード侯爵令嬢。本日は妹のためにわざわざ本をご持参いただき、兄として感謝します」
パスカルはしっかりとラブの挨拶に応えた。
さすが! おはようさえ言わないヴィルスラウン伯爵とは全然違うわね!
ラブはふんわりと微笑みながらそう思った。
「感謝だなんて……私の方こそリーナ様に感謝してもしきれません。昨日、リーナ様とお話をすることができて、本当に良かったと思っております。ウェストランドの重圧に苦しむ私の心を救って下さったのです。これからは一緒に真面目に勉強しようとお声をかけてくださいました。その期待に応えたい一心で、このように装いを改めました。心機一転やり直したいと思っております」
「そのこころがけは立派だと思います」
「ヴィルスラウン伯爵とレーベルオード子爵とお話しできるのはとても嬉しいのですが、私の目的はリーナ様と勉強をすることです。その件につきまして、お話をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「勿論です。では、詳しいお話は別室にて伺います。エスコートは必要ですか?」
ラブは驚いた。
「エスコートを……して下さるのですか?」
「私はこれまでのゼファード侯爵令嬢がどのようであったか知っています。自分を変えるのは難しいことですが、努力することで何かが変わるかもしれません。少なくとも、見た目や振る舞いは変わりました。ゼファード侯爵令嬢の気持ちと行動に敬意を表し、今回はエスコートを申し出ました。妹への好意を嬉しく思うからこその個人的な配慮でもあります。どうされますか?」
やっぱり……違う。
パスカルはラブの装いや言葉遣いが変わったことをおかしい、変だ、何かあるという疑いの目で見るのではなく、いいことだと評価した。
そして、リーナの勉強に役立つ本を持って来るという行動もまたいい評価をし、個人的に配慮するという形でエスコートを申し出た。
自分が変われば、相手も変わるかもしれない。優しくしてくれるかもしれない。
ラブは相手に媚を売るようで嫌だと思ってきた。自分を変えたくない。相手もそのままでいい。それでうまくいかなければそういうものなのだと。
しかし、そうではないかもしれないという気持ちが少しずつ強くなった。
媚を売るようだと感じるのは、相手の態度が変わることを目的として、自分を偽るからだ。
しかし、今のラブは相手の機嫌を取るためというよりも、リーナと勉強をするために相応しい装いをするために変えただけだった。
きっと、その姿を見て周囲が驚くに違いないという気持ちもあった。面白い。だが、怪しまれる。警戒される。あるいは笑われる。いつもそうすればいいのになどと嫌味を言われるだろうと予想もしていた。
レーベルオード子爵はリーナ様と一緒だわ。わかってくれる……いいえ、違う! そう思わせるのが上手なんだわ! つまり、女たらしよ!
ラブは自分の心が揺るがないように引き締めた。
もう子供ではない。菓子や土産でホイホイつられる年齢ではない。騙されてはいけないのだと強く自分に言い聞かせた。
「とても嬉しいですわ。ぜひ、お願い致します」
「非公式なので、この件は内密に」
パスカルにエスコートされたがる女性は多くいる。馬車から降りる時に手を貸しただけでも、エスコートされた、好意を見せられたと思われ、それがどんどん大きくなって社交界であれこれ噂される元になる。
しっかりと釘をさしたパスカルを、今度はラブが評価した。
「心得ております。ルネラウラやファンタリーヌには絶対に言いませんわ。後ろから刺されてしまいそうですもの。視線だけならともかく、刃物だったら困ります」
ルネラウラとファンタリーヌはパスカル狙いで有名な令嬢達で、それぞれがパスカルのファンクラブの会長をしている。
パスカルのファンクラブは多くあるが、最大級と言われるのはルネラウラとファンタリーヌのファンクラブで、自分達こそが一番のファンクラブだと言って反目していた。
「はい、減点! ファンクラブのことをわざわざ持ち出す必要はない。それに、淑女はそんな物騒なこと言わないよ?」
ヘンデルちょーうざっ!
ラブは心の中で悪態をついた。





