685 果物狩り
九月末。土曜日。
本来であれば、結婚式だった日。空はどこまでも澄み渡るような水色だった。
結婚できたかもしれない……延期に断固反対すれば良かった……。
クオンは空を見上げながら思った。
天気だけを見れば、絶好の結婚日和である。
しかし、延期はすでに決定し、公表されてしまっている。当日の天気がいいといって、突然結婚するわけにもいかない。延期は延期である。
ユクロウの森林火災は数日間驚くほどの強い勢いを保ってはいたものの、二日間の雨に恵まれて自然鎮火した。
防火帯のおかげでエルグラード側の被害はミレニアスよりもかなり少なかった。元々手つかずの原生林地帯ということもあって、近隣の住民や生活における影響もほとんどない。
現地ではエネルト将軍が留まって具体的な被害の概算や、火災の再発を防ぐべく指揮を執ることになり、長期に渡って王都を不在にしていた第三王子レイフィールも戻って来ていた。
第三王子が王都に戻ることで、非常に危険な状況は脱したことをアピールし、詳しい現地の情報を国王、王太子、重臣達に伝え、王都にいる者達を安心させることで、国民の不安を払拭する狙いもあった。
「兄上、せっかくの休日だ。その表情はない」
笑顔で後ろから話しかけたのはレールスから戻ったばかりのレイフィールだった。
元々かなりの男前であるが、今回の大災害に関する迅速な指揮と結果を評価する声は非常に高く、その人気は高まるばかりだ。
本人はエルグラードを統治する王ではなく、兄と国民を助けるヒーローになりたがっている。
戦争がない時代であっても、レイフィールは確実に国民の望むヒーローのイメージを築き上げ、支持されていた。
「今日はいい天気だ。きっと楽しい一日になる」
「そうだな」
クオンは頷くと、隣に座るリーナを見つめた。
「乗り心地はどうだ?」
「大丈夫です。お尻は痛くないです」
リーナは正直に答えたが、その答えを聞いた途端レイフィールは大笑いした。
「男性の前で言うべきことではない! 乗り心地は悪くないと言えばいいだけだ!」
セイフリードに厳しい口調で注意されたリーナはその通りだと感じて肩を落とした。
「……申し訳ありません」
リーナはクオン、レイフィール、セイフリードと共に馬車で移動中だった。
結婚式に使用する馬車の試乗である。
通常、正妃との結婚式は大聖堂で行われるが、側妃は公式行事としての結婚式を挙げることはできないため、大聖堂での結婚式もできない。
そこで、クオンは最も由緒正しい王聖堂で、小規模の結婚式を行うことにした。
慶事用の黄金の馬車は四頭立てて二人乗り。しかし、あくまでも貴賓席に関しての数であり、後部に侍従用の二席がある。
リーナとクオンは当然のごとく貴賓席で、後部の侍従席にレイフィールとセイフリードが座っていた。
エゼルバードは侍従席に座るという選択は好まず、別の馬車に乗ることを選んだ。
王太子一行は王宮敷地内にある果樹園に向かっていた。
元々は結婚式の日だったため、重要な予定は入れていない。キャンセルになったため、休日になった。
リーナが側妃候補として入宮した際、果樹園に行く許可が欲しいと言ったことから始まり、王子達も同行して誰が一番美味な果物を採ることができるか競うゲームをするという話になっていた。
そこで、この休日を利用して儀礼用馬車の試乗と果物狩りの予定が入れられることになった。
「随分遠いのですね。王宮の敷地がとても広いことがよくわかります」
馬車に乗って数十分経つものの、果樹園らしき風景は全くなかった。
馬車が進んでいるのは王宮敷地内を移動する馬や馬車専用の道で、景色が堪能できるようにはなっていない。
庭園の景色を隠すためにある木々の壁に挟まれているようなものだ。
「ゆっくり移動しているせいもある。馬を飛ばせば早いのだが、今日は馬車の試乗会でもある」
「凄い馬車ですけれど、雨が降ったら大変ですね」
馬車には屋根がなかった。
一応、折り畳み式の屋根がついているが、雨のためというよりは日差し避けになる。座席部分の真上程度までしか屋根がないため、前方からの風雨を防ぐことはできない。
「雨だった場合は、違う馬車になるだろう」
「もしかして、エゼルバード様の馬車ですか?」
エゼルバードの乗った馬車も黄金の馬車で、現在乗っているのとは違う四人乗りの箱馬車だった。
側面には神々からの祝福をあらわす絵画があしらわれ、バラとアイビーの装飾が支柱を始めとした馬車全体に散りばめられており、上部には王冠が載せられている。
前面にはラッパを鳴らす男性像が二つあるが、これは国王の存在を知らしらめることをあらわすためのモチーフだ。
「あれは雨天用ではない。戴冠式用の馬車だ。今回は馬車に問題がないかを調べるため、特別に乗ることができる。帰りに乗っておくといい」
「戴冠式用ということであれば、エルグラードで最も特別な馬車でしょうか?」
「そうかもしれない。私が即位した際に乗ることになるだろうが、先に試乗しておくのも悪くない」
基本的には国王と王妃、王太子の三人だけが馬車に乗る。四人乗りであっても、王太子妃や側妃達、他の王子王女は乗らない。
クオンはそのことを知った上で発言していた。
どんなことがあってもリーナ以外の妻を娶るつもりはなく、生涯唯一の側妃を事実上の王妃として扱うか、王妃にすることを決意しているからこその言葉だった。
勿論、リーナはそんなことを知る由もない。
「凄い馬車に乗ることができるのは嬉しいです」
笑顔で言葉通りに受け取り、クオンは頷いて返した。
王宮敷地内にある果樹園は南側にある。
周囲は木々や動物避けの壁に囲まれているものの、日当たりがすこぶるいい。また、土壌も完璧に整えられており、王都にいながら最高級の果物が育てられていた。
「とはいえ、町中ですからね」
何かとこだわりを見せるエゼルバードは、この果樹園で採れる果物こそが最高の物とは認めていなかった。
「美味なものを作るには、澄んだ空気と水も必要です。王都の空気と水では、本当の意味で美味なるものを作ることはできないでしょう」
自信を持って最高のものを作っていると説明した果樹園の担当者は表情を固めた。
だが、誰もそんなことは気にしていない。
リーナでさえ、果樹園についての堅苦しい挨拶やエゼルバードの言葉よりも、果樹園に行ってもぎたての新鮮な果物を味わうことに興味が向いていた。
勿論、今回はただ果樹園を視察し、採れたばかりの果物を味わうというだけの予定ではない。
ゲームがある。
すでにこのことは果樹園の者達にも伝えられており、王太子の指示を受け、手早く美味なぶどうの見分け方が説明されることになった。
「今回の趣向に添う果物はブドウがよろしいかと存じます。時期的にも丁度良く、一房につき何粒もあるため、味見するのにも向いております」
甘いブドウの見分け方はいくつかがある。
まず、明るく風通しの良い所にあるもの。
ブドウの木はいくつもある。どの木にもよく日が当たり、風通しがよくなるように調整されているものの、全く同じ場所ではない。
その中でもより明るく風通りのよい場所にあるものが甘くなる可能性が高い。
また、実の重みで房が垂れているもの、実の間隔が適度に空いていることも、糖度が高いものを見分けるポイントになる。
次に皮。できるだけ濃い色のものを選ぶ。黒に近いほどいい。マスカット系に関してはできるだけ黄色に近いものがいいとされている。
皮の表面にはブルームという白い粉がついている。これは実から分泌される保護膜で、これが多くついているほど水分が飛ばず、鮮度が保たれた美味しいブドウの証拠になる。
更に軸。房についている軸が枯れて茶色になっているものは鮮度が落ちている証拠になる。茶色よりも緑色のものがいい。
最後に試食。ブドウは上の方が甘い。つまり、下の方を食べて甘ければ、上はもっと甘いということになる。
今回はどのブドウが美味しいかを選ぶ勝負することになるため、試食は一人一房につき一回まで、最も下の部分を食べて味を確認することができる。
また、味見の総数も三回まで。できるだけそれ以外の条件で美味しいかどうかを選び、これだと思うものだけを味見する。
「様々な品種があるのですが、それはお好きなものを選ぶということで……」
すでに説明を聞いている者の数は半分といったところである。
しかし、果物を採りに行く前にすべきことが残っていた。
「んじゃ、抽選会だよ~!」
王子達の果物狩りにちゃっかりとついて来た人物達がいた。
ヘンデルだけではない。パスカル、ロジャー、セブン、ローレン。カミーラ、ベル、ラブも同行していた。
人数が増えてしまったため、ゲームはチーム戦で行うことになった。
但し、ローレンは医者としても同行しているため、ゲームへの参加はしない。急病人あるいは怪我人が出るのに備えて待機する。
「王太子殿下からどうぞ。序列順です」
ヘンデルがうやうやしく差し出した箱から、クオンはクジを引いた。
「何番?」
「一番だ」
「さすが! じゃあ、第一チーム。二番と三番の者と組みます。第二王子殿下、どうぞ」
「面倒ですので、私の後は適当に引きなさい」
自分はしっかりと優先してクジを選んだ後、エゼルバードは眉を上げた。
「七番です」
「第三チームです、八番と九番の者と組んでいただきます」
その後は次々と手が伸び、あっという間にクジは一つだけになった。残った分はヘンデルの分である。
「リーナちゃんは何番?」
全員の視線が集まる中、リーナはクジ番号を告げた。
「四番です」
十二人が三人の四チームに分かれることになるため、リーナは第二チームだ。
リーナと違うチームになったクオンは眉間にしわを寄せた。しかし、公平さを重んじるだけに変更しろとは言わない。
番号を確認したところ、第一チームはクオン、セブン、カミーラ。
第二チームはリーナ、レイフィール、ロジャー。
第三チームはエゼルバード、セイフリード、ベル。
第四チームはヘンデル、パスカル、ラブという結果になった。
見事にバラバラなだけでなく、歓迎できない組み合わせがある。
まさに偶然以外のなにものでもない。
「ブドウよりもチーム編成が気になるなあ」
ヘンデルのつぶやきに同意したい者は多くいたものの、この場で最も上位であるのは王太子だ。
王太子が何も言わなければ、変更するのは難しいとわかっているものの、堂々と不満を口にする者がいた。
「このクジは駄目ですね。組み合わせが悪すぎます」
遠慮なくそう言ったのはエゼルバードだった。
「今日は元々兄上とリーナのための日でした。そのことを考えれば、二人が同じチームになるべきでしょう」
その通りだと多くの者達が思った。だが、エゼルバードの発言には続きがあった。
「ですが、それではゲームとして盛り上がりません。そこで王族チーム、側近チーム、女性チームに分かれるのはどうでしょうか?」
エゼルバードは再度クジをしたところであまりいい組み合わせになる保証がないため、クジではなくそれぞれの立場でチーム分けをすることを提案した。
兄とリーナを同じチームにするのもいいが、ペアによる勝負だと六チームできてしまう。
少し多い。
それ以外だと一チームは三人以上。結局、二人きりになることはない。ブドウを探している間に時間が経ってしまうため、のんびり過ごせない。
そこで今回はゲームを手早く終わらせるためにもチームを少なくし、同じ立場同士の者達で組み分けにするのが最もいいと判断した。
王族の護衛を分散させずに済み、リーナの側は女性達でしっかりと固めることができることも考慮している。
「優勝チームには褒美が出ることにします。側近チームか女性チームが優勝した場合は王族チームが褒美を用意します。王族チームが優勝した場合は、側近チームと女性チームに何かを要求できます。但し、これは遊びです。難しく負担になるような褒賞や要求にはしないこと。いかがですか?」
最初に話していた時には、美味な果物を選んだ者に褒美が出るという話だった。
しかし、エゼルバードはその褒美を王族が用意することを決めると共に、側近達と女性達が優勝できなかった場合は王族の要求に応えるというペナルティが課せられる内容への変更を提案した。
あくまでも遊びのため、褒美や要求内容に関しては問題になりにくいようなものにするという配慮も盛り込まれていた。
クオンは組み合わせを変更することにあまりいいとは思わなかった。
だが、エゼルバードの考えたチームの方が、褒賞を与えたり要求されたりする者達同士で固まることができ、様々なメリットがあった。
リーナの同行者に女性陣を固めて配置できるのもいい。
クオンは自分で決めるのではなく、参加する者達の意志を尊重することにした。
「エゼルバードの決めたチームの方がいいと思う者は手を挙げろ」
賛成する者が過半数を超えたため、クオンは王族チーム、側近チーム、女性チームに分けることにした。
側近チームの護衛はなし、代わりに女性チームの護衛には多くの騎士を同行させる変更もする。
「じゃあ、あんましゲームだけで時間を潰すのもなんだから、四十分以内にぶどうを探して採って来ることにしよっかあ」
「機動力がない女性に不利だわ!」
ラブが早速異議を申し立てた。カミーラとベルも賛同する。
「じゃ、五十分でいい?」
「チーム内での話合いもあるから、一時間にしてよ」
「んじゃ、一時間以内にする。できるだけ早めに戻るってことで」
ゲームのためだけでなく、その後で食べたり持ち帰ったりするためのブドウも採ることが説明され、全員に小さな籠と試食の際に手を拭くためのおしぼりが配られた。
「よーい、スタート!」
ヘンデルの合図と共に、全員が籠を持ってブドウを採りに向かった。





