68 リーナの過去
リーナは森に囲まれた湖のほとりにある屋敷で両親と暮らしていた。
兄弟姉妹はいない。一人っ子だった。
父親は仕事であまりいない。母親は体が弱くベッドで休んでいることが多かった。
リーナの面倒は乳母や召使いが見てくれた。家庭教師もいた。
リーナは散歩に行くのが好きだった。
屋敷の周囲は広大な森がある。奥に行くのは危険なためにできなかったが、屋敷の近くは自由に散歩できる。
湖でボート遊びをすることもあった。ボートを漕ぐ召使いがいた。
幸せな日々を送っていた。
しかし、突然失われた。
リーナは就寝前に飲むことになっているミルクを飲んで眠りについた。
目が覚めると知らない場所にいた。
どこかと尋ねると、孤児院だと言われた。
なぜ、自分が孤児院にいるのかわからなかった。
両親が急死した。誰も引き取り手がいない。孤児になってしまったため、孤児院で暮らすことになったと説明された。
リーナにはわかるようでわからなかった。
リーナは両親以外の身内を知らない。
誰も引き取り手がいないと言われれば、そうなのかと思うしかない。
孤児院の説明によると、未成年者が一人で住むことはできない。後見人がいる。
普通は身内の誰かが後見人になるが、身内が誰もいない場合は孤児院が後見人になる。
だからこそ、孤児院で暮らすことになった。
納得できるかどうかにかかわらず、七歳だったリーナには孤児院で暮らすことを受け入れる選択しかなかった。
リーナの人生は一変した。
何の不自由もない生活から不自由だらけで何もない生活になった。
孤児院の生活はリーナには想像もつかない生活だった。
お茶は飲めない。水を飲むとお腹を壊した。
これまでの食事とは全然違っていた。デザートもお菓子もない。パンが二切れだけ。
だが、両親が死んでしまった。孤児院で暮らすしかない。他に行く場所などない。
繰り返しそう教えられた。
孤児院で暮らす孤児にも励まされた。
ここにいる者は似たり寄ったりの事情を抱えている。一人じゃないと。
生きるには孤児院に従うしかなかった。
孤児院の手伝いをし、自分より小さい子の面倒を見る。
大人が甲斐甲斐しく面倒をみてくれるわけではない。
自分のことは自分でしなければならないというのがルールだった。
年齢が上がると、孤児院の外で仕事を手伝うように言われた。
リーナは売り子になるように言われた。
孤児院の敷地内で花を育てている。それを摘んで売る役目だ。
内職して作った小物を売りに行く役目も段々とするようになった。
リーナが十四歳になると、孤児院がこの先どうなるかについて教えてくれた。
女性は十六歳で結婚できる。
できれば十六歳で結婚し、孤児院を出ていって欲しい。
とはいえ、簡単に相手が見つかるわけがない。孤児と結婚したがる者はいない。
孤児院には一生はいられない。未成年で両親がいない者だけが住む場所だ。
成人である十八歳になると絶対に出て行かなければならない。
十八歳までに運よく就職先がすぐに見つかればいいが、現実は厳しい。
自分で就職先も結婚先も見つけることができなければ花街に行けばいい。職業を選ばなければ生きていくことはできる。
でも、花街には絶対に就職するなって……。
リーナよりも先に孤児院を出た年長者達はこぞってそう言った。
花街へ就職した者でさえも。
そして、十六歳になった。
結婚すれば孤児院を出て行ける年齢だ。
孤児院はできるだけ早く就職先を見つけるようリーナに催促した。
リーナは住み込みで働ける就職先を探した。
求人の張り紙を見つけては、働けないか聞いてみた。
だが、孤児のリーナを雇ってくれる者はいなかった。孤児は門前払いだ。
そんな時、職業斡旋所のことを知った。
そこに行けば様々な職業があることがわかり、求人についてもわかると親切な者が教えてくれた。
リーナは職業斡旋所に行った。
後宮で働く下働きの求人があった。
孤児でも申し込める。リーナは応募することにした。
面接を受けると採用された。
後宮の下働き見習いとして試用期間を過ごし、問題ないと判断されて本採用になった。
下働きになってからは勤勉さが評価され、今後の期待も含めて召使いに昇格した。
「こんな感じです」
ロジャーは驚いていた。
孤児であることは知っていたが、幼少時は裕福だったことを知らなかった。
かなりおかしい……何かありそうだ。
裕福であれば両親の財産が残る。孤児院には入らない。
孤児院の生活も酷かった。
国は孤児院に対し、孤児達が最低限の生活と教育を保障するよう補助金を出している。
リーナの話を聞くと、その恩恵を得ていないと感じた。
「家名について聞きたい。孤児としての国民登録証を取得する際、不明だという理由で新規取得になっている。本当の家名を全く覚えていないのか? 頭文字でもいい」
「知りません」
「だが、両親の名前は知っていたのだな?」
リーナは眉間にしわを寄せた。
「どうした? セオドアが父親、ルイーズが母親の名前なのだろう?」
リーナはうつむいた。
「違うのか?」
「私……両親の名前を知らなかったのです。お父様、お母様と呼んでいました」
「では、セオドアとルイーズという名前はどこから出て来たのだ?」
「寝ている私を孤児院に連れて来た人が、両親の名前はセオドアとルイーズだと言ったようです」
ロジャーは唖然とした。
両親の名前はリーナが知らないものだった。
リーナを孤児院に入れた者がそう言っただけ。
嘘か本当か、リーナにはわからない。
そもそも、リーナが寝ている間に孤児院に入れていること自体が異常だ。
赤子ならともかく七歳の子供だ。
まるでリーナが抵抗するのを防ぐためのように思えた。
あまりにも怪し過ぎるとしか言いようがなかった。
「よく思い出せ。幼い頃、お前は本当に森に住んでいたのか? 庭の木が多くあっただけではないのか?」
「違います。だって、庭に湖はないですよね?」
「本当に湖なのか? 池ではないのか?」
「池ではないです」
「どの程度の大きさだ? 広いのか?」
「森ですか? 湖ですか?」
「どちらもだ」
リーナは思い出してみるが、幼い頃の記憶は段々と薄れてきている。
「子供だったので広く感じたのかもしれませんけど、森も湖も相当広かったと思います。ずっと先まで森や湖でした」
「屋敷の色は何色だ?」
「茶色です。レンガの壁でした。でも、中は違います。白い壁とか木とか壁紙とか」
「何階建てだ?」
「四階? 三階以上は危ないため、行かないように言われました。なので、上の階についてはわかりません」
「大きな屋敷か? それとも小さな屋敷か?」
「大きな屋敷だと思います。一人でうろうろしないように注意されました。迷子になると困るからって召使いに注意されました」
召使いが迷子になることを心配するほど大きな屋敷。四階以上。
かなりの大きさだったはずだとロジャーは思った。
「湖でボートに乗ったことがあるのだろう? 誰かに会わなかったか? 同じようにボートに乗って楽しむ者がいたのではないか?」
裕福な者が集まる保養地のような場所に住んでいたのかもしれないとロジャーは思った。
そういった場所であれば、湖も森もある。大きな屋敷や別荘が湖のほとりにある。
「会いません。湖は私の家のものでした」
「家のものだと?」
ロジャーは驚いた。
湖は国のものだ。個人で所有できるものではない。
所有できるとすれば、貴族の領主だ。自分の領地にある湖は所有していると言える。
だが、どんなに裕福な平民であっても湖は買えない。絶対に。
「それは本当に湖だったのか? 非常に大きな池だったのではないか? 子供のお前にとっては大きく、勝手に湖だと思っていただけではないのか?」
「皆、湖と呼んでいました。両親や召使いも。池なら池と言いますよね?」
その通りだ。
ロジャーはますます怪しいと感じた。
リーナが孤児になったのには、何か理由がある。
だが、調べるのはかなりの手間と時間、費用がかかる。それだけの価値があるかといえば、わからない。
ないと判断するほうが無難ではある。
貴族には跡継ぎや財産を巡る陰謀や争いがある。下手に触れると厄介だった。
調べる価値が確実にあるのは孤児院の方だった。
国の指導に従っていない。違反行為をしている。不正がある。
第二王子は福祉分野にも関わっている。
孤児院への不正な助成金を没収し、第二王子にとって都合の良い助成金へ変更できる。
リーナから聞いた孤児院の話は有益だ。
使えるとロジャーは思った。





