673 盲点
「後宮の医務室は太陽宮にしかないのです」
国王にとって、完全に予想外のことだった。
「以前、私が後宮の医務室における問題に関わったことを覚えていますか?」
国王はなぜエゼルバードが医療施設について指摘できたのかを理解した。
「覚えている。地下の医務室を閉鎖し、地上階や二階にある医務室を後宮の者達が利用できるように改善した件だな?」
「そうです。もうおわかりでしょうが、太陽宮には後宮を維持するのに不可欠な施設が集まっています」
「だが、医務室であれば他の場所に作ればいいのではないか? 新規に作るにしても、さほど大きな予算は必要ない気がする」
「医務室は太陽宮にしかないために最初にあげたまでのこと。実際は他にも様々な重要施設があります。一言にまとめてしまうと、召使の施設です」
「それは他にもあるだろう? 地下が狭いのであれば、地上階の部屋を使わせればいい。どうせ余っている」
「融通が利く部分はあるでしょう。ですが、厨房は無理です」
国王は一瞬驚いたものの、すぐに考え直した。
「確か……四つあるはずだが?」
そう言ってから国王は気が付いた。
「なるほど。無理だな」
「気が付かれましたか?」
「気が付いた」
第二厨房室はリエラ妃が死んだため、月光宮と共に閉鎖された。何十年も前の施設であることもあり、相当古い。
第四厨房室は金星宮。やはり閉鎖中。第二厨房室以上に古い設備だ。
水星宮にある第三厨房室はこれから閉鎖する。これで太陽宮にある第一厨房室まで閉鎖すれば、後宮の厨房が全てなくなってしまう。
「母上達が住む以上、厨房は必要です」
「水星宮の厨房だけを残せばいいのではないか?」
「そうなると、水星宮は閉鎖できません」
国王はため息をついた。
「そもそも、水星宮の厨房は小規模とか。母上達だけの食事に関してはともかく、火星宮、木星宮、土星宮全ての人員のものを用意することはできないでしょう。つまり、太陽宮にある巨大な厨房が不可欠なのです」
国王はがっくりと肩を落とした。
「気づかなかった……」
「他にもあります。洗濯施設です。これも、四カ所。厨房と同じ状況です。後宮は巨大です。部屋は余るほど多くあります。ですが、重要な施設の数が限られています。七つの宮殿にそれぞれ一つあるわけではありません」
後宮は部屋が足りないということから、どんどん増築された。その際、召使の施設も必ず増設されたわけではなかった。
少しずつ増築されていったからこそ、施設不足による影響が生じにくく、場合によっては太陽宮の施設を増設することで賄ってきた。
「召使の施設を考慮すると、太陽宮に全員を集約して詰め込み、他の宮殿を全て閉鎖するのが最も少ない予算になるのではないかと考えられます」
「無理だ……」
側妃達が猛反対することを国王は悟った。老後のために、現状において我慢するということになる。受け入れるわけがない。完全拒否だ。
「兄上も絶対に反対します。第二側妃は猛獣を飼っています。同じ太陽宮に住むことを認めるわけがありません。王宮や後宮内における動物の飼育は原則禁止です」
王宮や後宮は王族が住む場所だ。安全でなければならない。
不衛生状態及び病気の蔓延の原因になるようなものを絶対に許すわけにはいかない。
特に抵抗力の低い赤子には厳重な注意が必要だ。
動物はしつけをしても、完全に制御できる存在ではない。王族の子供を襲うような事故があるかもしれない。そのせいで命を失う、あるいは一生体が不自由になる恐れもある。
動物との直接的な接触がなくても、糞尿等や抜け毛、ダニなどによって不衛生になりやすく、病気の発生確率を高める。
医療の進歩は目覚ましいが、全ての病気やケガから回復することはできない。怪我や病気にならないように予防することが最も重要になる。だからこそ、動物の飼育が一切禁止されている。
但し、毒見用の小動物はいる。だが、あくまでも毒で死ぬという前提であるため、一時的に飼育施設から持ち込んだ扱いになる。常駐するような存在、愛玩動物ではない。
第二側妃が動物を飼っているのは獣医として健康状態を見るためで、木星宮を可能な限り閉ざし、一時的に動物病院のような施設として使用することを許可したためだった。
最初は犬や猫程度だったが、今は他国から友好の証として献上された白虎と黒豹がいる。精神的健全さを守るためといって放し飼いにしているのは歓迎できることではなく、国王も快くは思っていなかった。
「第二側妃だけ木星宮を与えるというわけにはいきません。母上と第三側妃が納得しません」
「……そうだな」
「結局、閉鎖できるのは水星宮だけ。セイフリード一人分ですし、王宮に部屋が移ることから、その予算を王宮の方に割り当てることになります。成人すればこれまで以上に予算が必要になるため、予算が不足することはあっても浮くわけがありません。だというのに、どうして父上、母上達、私の予算を増額できるのですか? 不可能です」
国王は完全に終わったと思った。やる気が凋んでいく。
国王であるがゆえに、召使の施設、厨房や洗濯施設などについて、全く考えつかなかった。医務室についても同じく。
「後宮を閉鎖するには、一気に片づける必要があるのです。母上達を庇っていては無理でしょう。兄上が新王になれば、前王の側妃でしかない母上達に対して厳しい対応をしても普通だと思われます。ですが、父上には難しいでしょう。一応は妻ですし、王子を産んだ功績を取り上げるわけにもいきません。それとも、王宮の部屋にある小さな客室住まいで納得するよう説得してくれますか? 勿論、ペットは禁止です」
「怒って実家に帰ってくれると思うか?」
「帰りません。自分の宮殿に籠るだけでしょう。第二と第三側妃は帰る家などないも同然です」
「そうだろうな……」
「ですが、父上が困っているのはわかります。私も息子ですし、後宮に関する権限を相応に得た以上、何か考えないわけでもありません」
ぴくりと国王は反応した。希望の光が見えたような気もする。
「なんとかしてくれるか?」
「兄上と話してみます。その内容によっては、父上の個人資産の形成や母上達を含めた老後の予算を確保できるかもしれません」
さすがエゼルバードだ! 天使だ! 王家を守る守護鳥だ!
国王は顔を輝かせた。
「そうか! クルヴェリオンと話してくれるか!」
「まずは検討してみないことには何とも言えません。兄上の判断を変更するのは容易なことではありません」
「ぜひ、検討してくれ!」
「リーナとも話をしてみようと思います。自身のことだけでなく、将来生まれてくる子供のことを思って後宮に住みたいと言っているのかもしれません。リーナは我慢できても、子供には我慢させたくない。後宮の方が窮屈な思いをせずに伸び伸びと過ごせると思っている可能性があります」
「なるほど……そうかもしれない」
国王はまたも気づかなかったと反省した。
「どうせすぐに片付く問題ではありません。兄上の婚姻が先です。検討する時間を下さい。その間は兄上に任せておけばいいでしょう。今は国王と王太子の仲をしっかりと縮め、強固な信頼関係を作ることが重要です。今後の交渉に影響しますし、老後に備えることにもなります。おわかりですか?」
「勿論だ! 頼んだぞ!」
エゼルバードは微笑んだ。天使のように。
しかし、それは偽物だ。エゼルバードは天使でもない。悪魔でもない。ただの人だ。
そして、狡猾な凄腕の調整役だった。
仕方がない父親ですね。まあ、これで兄上からの依頼の一部は果たせました。
すでにエゼルバードは王太子と話し合い、国王が後宮の利用継続について面倒なことを言ってきた際は上手く手玉に取り、現状維持か保留案件として調整して欲しいと言われていた。
「では、忙しいのでこれで」
「頼んだぞ!」
エゼルバードは自室に戻り、まずは爪を手入れする予定をいれることにした。
基本的にエゼルバードの担当は閃きである。それ以外の担当は側近達だった。
国王はこれでなんとかなると思った。
しかし、宰相に激怒される運命が待ち受けていた。
「レーベルオード伯爵令嬢を説得できなかっただと?!」
「意外と難しかった。王太子が自分の許可なく何事も頷かないようにと教育しているせいだろう。仕方がない。リーナは従順だからな。そもそも、婚約者だ。決定権はない」
しかし、それだけではなかった。
国王が第二王子にこの件について依頼したことを聞いた宰相は信じられないというような表情になった。
「狡猾な第二王子が絡んでは、益をごっそりと持っていくに決まっているではないか! 私がどれほど苦労して執務をしながら後宮問題の陣頭指揮を執っているのかわかっているのか!」
「エゼルバードは検討するだけだ。無料ではないか。それに、王族会議での最終決定権は私にある」
「王族会議に味方などいない! 王子連合に押し切られるだけだ! 説得するはずが、まんまと説得されて戻って来るとは!」
国王は弱気になった。そうかもしれないという気持ちがよぎる。
「だが、エゼルバードの指摘は正しい。後宮の部屋は閉鎖できても、召使の施設を閉鎖できなければ予算も人員も必要になる。その件をどうにかしなければ、段階的な閉鎖も難しい」
宰相は黙り込んだ。その点は宰相も気づいてなかった。
「お前が召使の施設について気づいていなかったせいで、作戦を変更するしかなかった。エゼルバードは私の考えたことだと思っただろう。だが、段階的な閉鎖はお前の案だ。お前の不手際を私の不手際になるのを黙って受け止めたのだ。感謝してもいいのではないか?」
「後宮は国王のものだ。国王が管理できていないのが悪い。私は臣下だ。本来であれば口を出すべきではない。急きょ担当することになっただけだ。細かい事情まで知るか!」
「昔はそれなりに通っていただろう。それに、お前はリエラの兄だ。外戚なら多少は口を出せる。おかしくない」
「権力の乱用だと言われる」
「もう言われている」
宰相は青筋を立てた。
「国王の命令によって違反者を調査し、処罰するという形でやっているだけだ! 権力の乱用ではない! 私がそのような悪意を持つ者であれば、お前はとっくに傀儡の王に逆戻りだ!」
「私はいい友人を持った。幸運だ。いや、大幸運だ。安心して任せられる」
「誤魔化すな! 反省しろ!」
「わかった。だから、怒るな。プランを練り直す時間が必要だ」
「練り直すのはお前ではない! いつも私ではないか!」
「まずは落ち着いて冷静になろう。そして、共に反省しようではないか。エルグラード歴代最高といわれるほど優秀な宰相でも、召使の施設については盲点だったと」
宰相の怒りは激増した。
「私は貴族だ! 召使のことまで気が回るか!」
「昔は借金まみれだったくせに。召使がいたのか?」
「当たり前だ! そこまで窮乏してはいない!」
「借金して雇っていたのか。後宮の借金まみれの者達を笑えないではないか。お前も一緒だ。私がリエラの宝石を与え、チャンスをやった。宰相にもしてやったというのに」
ぷるぷると宰相は体を震わせた。こぶしも。
「……私の真の恐ろしさを感じたいのか? これまで、私がどれほど多くの敵を容赦なく排除したのか知っているはずだ。その力を国王のためではなく王太子のために使うことにすればどうなる?」
考えたくないと国王は思った。
「ラーグはそのような者ではない。私の大親友だ。心から信頼している。高潔で寛大で意外と慈悲深いところもある。子供達を心から愛していることも知っている。素晴らしい名前だ。七色に輝いている。お前の力強い愛情がストレートに込められていることを感じる。父親として共感できる部分も多くあるということだ」
宰相の機嫌はまったく改善されなかった。
「……自分の個人資産額をよく考えて言葉を発するべきではないか? 退位すれば権力も金もない。友人さえ残らないかもしれない。元国王の末路を決めるのは新王だけではないということを思い知らせてやってもいいが?」
「私を軽んじるな。冗談でもよくない」
「私の秘密を軽んじるな! よくもこのような時にベラベラと……許しがたい!!!」
ま、不味いな……いつも説教ばかりされるため、つい言い過ぎた……。
国王はもう一人の友人である国王首席補佐官のエドマンドに助けを求めることにした。





