663 第六支店
次に向かったのは下級の官僚等が利用する購買部だった。
「王宮購買部第六支店になります」
アリシアが説明した。
リーナは第六支店を大まかに確認した。
「さっきと全然違う感じです。広いですし、商品も多そうです」
「先ほどは文具と本が中心でしたが、こちらでは日用品や食料品なども扱っています」
見学することになっている購買部は要人が見に行くことが事前に通達されているため、午後は視察が終わるまで通常の利用はできなくなっている。
周辺の通路なども同じく予想される時間に合わせて封鎖、臨時検問が設置されていた。
「トランプが売っています」
リーナはトランプが売られているのを発見した。
「五ギール、安いですね。でも、これって遊ぶためのものですよね?」
リーナの認識は間違っていない。トランプは玩具である。
「官僚が買うのですか? ここは職場なのに?」
「侍従や侍女かもしれません。住み込みの者達が自由時間に使用するのでしょう」
「トランプも王宮の備品なのですか?」
優秀な女官であっても、一瞬返答に困った。
「……購買部の品添えは時代や王宮にいる者達のニーズに合わせて変化しています。必ずしも備品ばかりが売られているわけではないと思います。菓子が備品かというと違うように思いますので」
「それもそうですね。でも、トイレットペーパーも売っているのですか? トイレに行けばありますよね? 個人で買ってどうするのでしょうか? 自分専用のトイレットペーパーを持ち込んで使う人がいるのでしょうか?」
アリシアは眉を上げた。
「ティッシュの代わりに使う者がいるのです。鼻をかむのは勿論のこと、ペン先を拭いて綺麗にしたり、インクを補充する際についた汚れなどを拭いたりします。ティッシュよりもトイレットペーパーを使った方が安いので」
そうだったのかとクオンは心の中で思った。
クオンの部屋にはティッシュが常備されている。当たり前のことだが、トイレットペーパーは常備されていない。
「なるほど!」
リーナは顔を輝かせた。
「確かにお得ですね!」
「後宮の購買部では売っていなかったのでしょうか?」
「ティッシュはあります。でも、トイレットペーパーは売っていません。王宮の購買部は安いですね。それに枚数も多いです。さすがです!」
「これでも高い方です。街中に行けば、セット売りで安く手に入ります。ここでは一箱単位で売っているので逆に高いのです」
「セット売りはしないのですか?」
アシリアはカウンターにいる購買部の者を呼んで尋ねた。
「ティッシュやトイレットペーパーのセット売りはしないのですか?」
「恐れながらお答え申し上げます」
購買部の者は緊張した様子で答えた。
「ここは王宮にいる者達が必要なものを購入できる施設ですが、商売をして儲けることが最優先ではございません。必要なものをできるだけ近場で手に入れることにより、勤務中あるいは日常生活における物品購入の手間と時間を省き、仕事をしやすくするのが目的になります」
単純に安い品が欲しければ、休日に王宮外に買い物に行けばいい。購買部はその手間と時間を省ける分多少は高くても仕方がないと納得できる者が利用すればいいだけだ。
そもそも、購買部の商品が安すぎて売れ過ぎるのは困る。商品不足になるからだ。
元々は王宮の備品が基本になっているため、備品不足になるのは困るという考え方だ。
また、商品の売れ行きが多いと、その分頻繁に商品を仕入れなくてはならず、一時的であっても在庫置き場をより多く確保しなければならない。だが、王宮の部屋には限りがあるため、備品や在庫置き場を確保するにも限度がある。
ティッシュやトイレットペーパーなどは価格が安い割に場所を取る商品だ。在庫を多く抱えるほど、一時的な置き場も保管倉庫も広さが必要になって困る。
そういった事情もあって、あまりにも高額な値段にすることはないが、一般的な街中の金額よりはわざと高くなっている。
利益が王宮省の予算に編入されることもあって、一つ当たりの利益を削ってまで安く多く売ろうという商人的な発想はない。
「難しそうなお話です」
「実はとても難しいことでございます。購買部も様々に対応してはおりますが、利用者の方はできるだけ安く様々な商品が手に入るようにして欲しいと思われます。ですが、ここは商人の経営する店ではありません。売れそうなものであれば何でも売るというわけにはまいりません」
「利用者はどのような商品を売って欲しいと思っているのですか?」
購買部の者は即答した。
「衣類です。王宮には泊まり込みで残業する者達もいます。食事やお茶を飲む際にこぼしてしまい、染みができてしまうこともございますので、着替えを売って欲しいと思う者達が大勢います。ですが、衣類は販売しておりません」
「どうしてですか?」
「住み込みの者達は王宮内に部屋がありますので着替えに戻れます。また、多くの者達は制服勤務です。つまり、衣類を欲しがるのは私服勤務の者達だけで、住み込みの者達にとっては単に私服を買いたいだけになってしまいます。私服は王宮内で買う必要はありません。街中で買えばいいものです。購買部では王宮内で緊急に必要になりそうなもの、一部の者達だけでなく、王宮の者達全員が希望するような品であるかどうかも重視して品揃えを検討しています」
「衣類以外にもありますか?」
「靴の希望も多くございます。仕事中にかかとが取れてしまうことがあるからです」
「そう聞くと靴を置いてもよさそうですね。緊急に必要になりそうです」
「ですが、これも私服勤務か指定靴ではない者だけが必要なものになります。靴のサイズは人それぞれ異なりますので、一サイズだけあればいいわけではありません。様々なサイズの靴を置かなければならないため、売り場も在庫置き場も必要になって困る商品なのです」
リーナは頷いた。確かにあればいいと思うのはわかる。しかし、売りたくない、困る、難しいという理由もわかる。
「菓子もそうです。すでにあるのですが、様々な商品を置いて欲しいという希望があります。後宮の購買部に比べると、貧相過ぎると言われます。しかし、食品は賞味期限や消費期限があるので、売れ残って期限切れになると困ります。廃棄分で赤字にならないように考えると、元の値段を高くして売らなくてはなりません。王宮外で買うよりもかなり高くなる恐れがあります。また、清掃部の者達が嫌がります。菓子を食べる者が多いと、あちこちで食べかすや菓子のゴミが出るからです」
リーナは唸った。まさにその通りだというしかない。
自分も掃除をしていただけに、清掃部の者達の気持ちが理解できる。
掃除をするには元ができるだけ汚れていない方がいい。ゴミが落ちていない方がいいのだ。
掃除のスケジュールは時間によって決められている。次々と移動して掃除をしなければならないため、行く先々で汚れがひどいと時間がかかる。掃除しにくい。残業になる。
時間が経つと異臭を放ち、虫などを呼ぶ食べ物は非常に嫌なゴミだ。指定の場所だけで食べて欲しいと思っている。食べ歩きなどもってのほかだとも。
様々な菓子を扱えば、必ずゴミが増える。汚れる場所も多くなる。掃除を担当する者達にとって歓迎できるものではない。嫌がって当然だった。
「ここで売られているお菓子はよく売れますか?」
「売れます」
「美味しいですか?」
購買部の者はすぐに答えなかった。
リーナのことは知っている。レーベルオード伯爵令嬢。養女。元平民。しかし、王太子の婚約者。王族付きの侍女をしていた。味覚や嗜好が平民よりなのか貴族よりなのかさっぱりわからない。
「……個人の嗜好によって異なりますので、お答えするのは非常に難しいと思われます。一応申し上げますと、平民にとっては非常になじみのある一般的かつ平均的な定番商品です。貴族の方のお口には合わないかもしれませんが、平民の者は普通に食べます。ただ、美味しいと思っているのかどうかは別かもしれません」
「何種類ありますか?」
「結構な種類があります。ですが、どれも低価格です」
「買い物用のカゴはありますか? 色々選んで買いたいのですが」
「ございます! すぐにお持ちします!」
リーナは購買部の者が用意したカゴを自ら持つことにした。パスカルが持つといったが、自分で持ちたかった。その方が買い物をした気分になると思ったためである。
「クオン様、気になるものはありますか?」
リーナに話しかけられたクオンはすぐにリーナの元に近寄って菓子のパッケージなどを吟味した。
「美味そうには見えない。もう少し見た目を変えた方が売れるのではないかということの方が気になる」
「クオン様がいつも食べているものよりは絶対に不味いと思います。でも私、このような商品がどんな味なのか確かめてみたいのです。味覚の勉強になります」
リーナは平民だった。だが、貧乏過ぎた。平民の食べる一般的な菓子は知らない。
後宮の購買部で売っている高級な菓子、後宮や王宮、レーベルオード伯爵家が用意するような菓子は知っている。幼少時に食べていたのもいい菓子の部類だ。
一般的に売られている菓子ということになると、ミレニアス訪問の道中で購入し、味見をした程度になる。
「この焼き菓子にします」
「大きさが不揃いだ。不公平ではないか?」
「だったら大きいのを選べばお得です。値段はどれも一緒ですから」
「そうだな」
クオンは別の菓子を見た。
「あのクッキーの袋売りは割れているのが混ざっている。不良品ではないか?」
「そうですね。でも、見た目の問題です。安くなるわけではありません。気になるのであれば、割れていないのを選べばいいと思います。一口で食べなければ結局は割れますので、私は気にしません」
クオンはクッキーの缶を指差した。
「あれにすればいいのではないか? 沢山入っていそうだ。安い」
「振らないで下さいって注意が書いてあります」
「中身が見えないため、どの程度入っているのか確かめるために缶を振るのだろう」
「クッキーが割れてしまいそうです」
「だから注意が書いてあるではないか?」
「チョコレートも買いたいです」
「エゼルバードが食べたら吐き出しそうな品だろうな」
エゼルバードはチョコレートが好物だ。そのため、様々なチョコレートを食べ比べしているのだが、不味いものは容赦なく吐き出す。
「ナッツ入りにすれば多少はましかもしれません。チョコレートの分量が少ないですし」
「エゼルバードの味覚は鋭い。ほんの少しでも駄目だと思えば拒否する」
「でも、差し上げるわけではないので大丈夫です。それとも、差し上げるためにクオン様は購入されるおつもりでしょうか?」
「買わない」
「そうですか。でも、私は買います」
「買うのか?」
「チョコレートは大好きです」
「ナッツ入りか?」
「ミルクが好きですけれど、味見のためにナッツ入りとビターも買います。美味しいかもしれないので二つ買います」
「ミルクは三つ買うのか?」
「好きなものを一番多く買うのは普通では?」
「それもそうだな」
「実は、今日のお茶菓子は購買部で買ったものにしようかと思っていまして」
「今日のお茶は一緒に取るつもりだ。庭園に用意をさせている。他の時に食べればいいのではないか?」
「クオン様は味見しなくてもいいのですか?」
「そう言われると気になる。私の分も一つ増やして欲しい」
「三種類ありますけれど、どうしますか?」
「全部だ」
「焼き菓子は私の分しか入れてないので追加しておきます」
「小さいのでいい」
「えっ! 損ではありませんか?」
「味見だ。正直に言うと、味に期待していない」
「だったら小さいのでいいですね」
「このように考えると、小さいものの需要もあるかもしれない。それで様々な大きさがあるのか?」
「それは考え過ぎです。絶対に同じ大きさに作ろうとして失敗しただけです」
「失敗作を売っているのか。安いはずだ」
「ちゃんとできても同じ金額です」
「不公平ではないか?」
「一ギニーにならないほどの誤差なのだと思います」
「小数点以下は切り捨てされてしまうわけか」
なんだかんだと会話が弾む。
一応は買い物デート。王宮の購買部、平民レベルの菓子売り場でも、二人で過ごせる時間は貴重だ。
同行人達と購買部の者は、王太子とその婚約者の邪魔をしないように注意した。





