660 新人特殊任務
その後、ようやく話は元に戻り、カミーラが後宮の購買部の品を高いと感じたのは、同じような商品がデパートでもっと安く売られていたからだとわかった。
但し、ほんの少しデザインが違っただけで値段が変わってしまうということはよくあることだ。
ベルは偶然似ているデザインなのだろうと言ったが、有名店で売られている菓子も販売されており、購買部での値段の方が高かったとカミーラは主張した。
しかし、それについてはリーナが説明することができた。
「後宮に物品を納める際には納入費というのがかかります。つまり、配送代です。その分が商品の価格に上乗せされているので、外部で売られている同じ物よりも少しだけ高くなることがあるようです」
「だったらそのせいじゃない? 物凄く高かったわけではないわよね?」
「そうですね。正直に言うと、後宮税でもあるのかと思いました。ですが、外から商品を取り寄せて買っていると考えれば、配送料がかかるのは当然かもしれません。むしろ、配送するのに同じ値段であればおかしいか得なのでしょう」
「後宮税……ありそう!」
ベルはそう言って笑ったが、リーナは首を横に振った。
「後宮税というのはないと思います。納入費以外で思い当たるとすれば、個別包装されるせいかもしれません。普通とは違う包装だと、包装代がかかるようなのです」
「ああ、包装代が別にかかる場合はあるわね。サービスで無料の場合もあるけど」
「特別な包装はほとんどの場合有料です。その分が商品の金額に反映されているのかもしれません」
「綺麗な包装は嬉しいですけど、開けたらただのゴミになってしまうかもしれません。それにお金がかかるのもなんだか残念です」
「それはわかるけど、やっぱり贈り物なら特別な包装とか飾り付けがいいわ。見た目が素敵って思えた方が気分もいいし」
「まあ、贈り物ならそうですね」
「後宮に住むとお買い物にすぐ行けるから、侍女達はついお買い物をしてしまうかもね?」
「ある意味独占販売です。ライバルがいません。置いてあるだけで売れそうです」
「それしかないわけだしね」
リーナは頷いた。まさにそうだったと。
基本的には購買部で売っているものしか手に入れることができない。高くても買うしなかった。
「後宮の侍女の給料がいくらなのかは知りませんが、公務員の給料は元々高くはないはずです。実家からの仕送りがない場合は、買い過ぎに注意しないといけないかもしれません。中には高額な商品もあります。食品や小物はデパート並だと思いましたが、それでも毎日のように買っていればかなりの額になってしまいます」
「そうね」
リーナはツケで買えることや借金まみれの者達が大勢いることを話そうかと思ったが、後宮の内部事情を話し過ぎるのは守秘義務違反になりそうな気がした。
「……王宮はもっと普通の品が多いのでしょうか? 王宮には貴族が大勢います。やはり、それなりに高価なものも売っているのでしょうか?」
「基本的には安いわよ。平民の官僚も多くいるし、警備なんかは圧倒的に平民が多いし」
「高級品はむしろありません。中級品でしょう。低級品ではありません」
「普通のよ。それこそ」
「でも、後宮の購買部で売っているものも普通と思われるのですよね? お二人にとってはですけれど」
「まあね。貴族専用のデパート程度かしら?」
「裕福な者が利用する店の普通ですので、平民を含めた普通ではありません。平民を含めた普通ということであれば、王宮の購買部の品のような価格でしょう」
カミーラの説明にベルは頷いた。
「そうね。でも、売っている品数も少ないというか、文房具が多いわよね?」
「本も売っています。仕事で使用しそうなものがほとんどですが、住み込みの者達の部屋の近くに行くと、もう少し品数が増えます」
「でも、衣類とかはないわ。王宮に勤めている者達は休日に外に行けるから、緊急で必要になるようなものじゃなければ外で買うと思うわよ」
「文具はすぐに欲しいということで、購買部で売られているのだと思います」
「食品もちょっとだけあるわよ。でも、美味しくないの」
「だからこそ、上級職の者達は後宮の購買部に行って買い物をするのです」
「あっちの方がいいもの売っているものね」
「但し、誰もが買いに行けるわけではありません。はっきりいうと、相当上の役職の者達だけです」
「そうなのよね。でも、お兄様は官僚になりたての新人の時から買い物に行っていたわ。側近補佐に大抜擢されたのよ。役職的には物凄い上だけど、後宮の購買部への買い出し役だったらしいわ」
「違います。むしろ、後宮の購買部に行かせるために、側近補佐にされたのです。上司や先輩、職場の者達のために大量のお菓子を毎日のように買いに行くのが仕事というわけです。はっきりいえば、後宮の購買部用に特化した雑用係兼伝令でしょう」
「優秀な新人はみんなそうだって。レーベルオード子爵も新人の時はそうだったのかもね?」
リーナはパスカルに初めて会った時のことを思い出した。
確かに購買部によく来ているという話だったような気がした。話しかけられた理由は別にあったが。
「ナンパもしないといけなくて大変だったって言ってたわね」
思わぬ言葉にリーナはびくりと体を震わせた。
「えっ……ナンパ、ですか?」
「女性に声をかけることです。大抵はデートに誘うためでしょう」
リーナは緊張した。なんとなくだが、汗がじわじわと出始めたような気もした。
「王太子殿下も側近達も仕事ばかりで忙しいでしょう? だから、女性と付き合うどころか、声をかける暇もないわけよ。そこで、容姿の整った新人が代わりに女性に声をかけてデートの約束を取り付けるという役目を担っていたらしいわ」
「そういうことになっていますが、新人専用の特殊任務です」
「まあ、新人ならではの特別なお仕事よね」
カミーラとベルは頷き合った。
「どこの省庁でも新人が来ると、何かしら特別な歓迎なり、仕事を与えるようなことがあるそうです。それはわからないでもありませんが、ナンパはよくありません。声をかけられた女性はたまったものではありません。声をかけてきた相手の見目がよくても、実際にデートをするのは不愛想で仕事しか興味のない者達です。デートをしても楽しめないに決まっています」
「でも、凄い相手に見初められるかもしれない可能性もあるじゃない?」
「あったらとっくに王太子殿下もキルヒウス様達もご結婚されています。デートの約束を取り付けてもすっぽかされ、結局埋め合わせで兄自身がデートをしたと言っていたではありませんか」
「そういえばそうだったわね……見つけて来た女性はどうせお前の好みだろうから丁度いいとか言われたのよね?」
「そうです。覚えているではありませんか」
「ノルマあったわよね?」
「一日十人です」
「デートの約束の数じゃないわよね?」
「あくまでも声をかけるだけです。ですが、一日に十人の女性をデートに誘う仕事など、普通ではありえません。勤務中に何をしているのかと言われ、評判が悪くなります」
「やっぱり新人用の特殊任務ね! 決定!」
お兄様に最初に会った時のアルバイトって……きっと……。
リーナは無言のまま下を向き、食事を取ることに集中した。
「ちなみに、宰相府でも同じような仕事があったようです」
「買い出し?」
「ナンパです」
「えっ、どこからそんな情報が?!」
カミーラの暴露話にベルは驚いた。
「ラブです。王太子府に配属されたディヴァレー伯爵がすぐに辞表と転属届を出したのは新人特殊任務のせいだったようです」
「ディヴァレー伯爵にナンパなんて無理じゃない? むしろ、よくそんな命令出せたわね」
「セブン様は王太子府に配属されていたのですか?」
勿論、リーナにとっては初耳の話だった。
「そうです。だというのに、すぐ転属届と辞表を提出したため、王太子殿下は相当激怒されたとか」
「結局宰相府に転属になったのに、また新人特殊任務があったわけね? というか、ナンパ?」
「さすがにまた転属届と辞表を出すのはよくないと思い、宰相と面会して別の仕事にして欲しいと頼んだそうです。その結果、命令を出した上司がクビになったとか。結構上の役職の者だったようです。おかげで宰相府ではディヴァレー伯爵は新人であるにも関わらず、宰相の次に恐れられる存在になってしまい、仕事がしにくくなってしまったとか」
「へえー、クビにするなんて宰相もやるわね! まあ、そもそも上司がナンパをしてくるよう命令するなんて職権乱用だから当然?」
「恐らくは、新人がどんな命令にでも従順かどうか、また、うまく対応できるかどうかを確認する意味もあるのでしょう。ラブの言っていることですのでどこまで本当かはわかりませんが、王太子府からすぐ宰相府に転属になった理由はわかりました」
「知らなかったわ……もしかして、お兄様がディヴァレー伯爵に命令したんじゃないでしょうね?」
「違います」
「キルヒウス様?」
「別の者のようです」
「まあ、結局は翌年になって王子府に異動しちゃったわよね」
セブンは王太子府に着任した早々転属届と辞表を提出した。その理由は明らかにされていないが、結果として宰相府に転属になった。
官僚試験に合格して採用になっても、配属先の希望は一つしか書けない。第一希望が無理だった場合は別のところに配属される。
自分で書いた希望先以外はどこになるかまったくわからない。そのため、決定した配属先に不満を感じ、すぐに辞表届と転属希望を出す者達は必ず出る。つまり、転属を認めないのであれば官僚を辞めるということだ。
セブンは王子府を希望していたものの希望が通らなかったため、重要府や中央官庁が取り合ったのだろうというのがもっぱらの噂だった。
「ああ、ごめんなさい。つまらない話だったわよね?」
ベルはリーナが黙って食事をしていたために謝罪した。
「大丈夫です。お話ばかりして食事が進まなかったので、お腹が空いてしまったというか……すみません、食べてばかりで」
「今は食事中です。食べるのは当然のこと、謝罪される必要はありません」
「お二人も食べて下さい。先ほどから話ばかりで食事が進んでいません。お話なら食後にも時間が取れます。まずはデザートを目指すというのはどうでしょうか?」
「そうね!」
「そうします」
ようやく静かになり、各自の食事が進み出す。
デザートまで辿り着くと、会話が一気に始まった。





