658 勉強ノート
王宮に戻ったリーナは外出着から着替え、その後はノートに今日勉強したことを順番に思い出しながら書き出していた。
まず、社交グループについて。
社交グループは様々なものがある。今回招待を受ける形で参加したのは貴族の女性達が形成する社交グループでも格式が高いと言われている青玉会の昼食会。
場所は最高級の老舗ホテルで身分の高い者達が愛用しているカーリトルンホテル。
近年は王立歌劇場の近くにあるウェストランドのホテルに負けている。サービス、食事は良くない。但し、王宮からとても近い。
青玉会は女性達が本音でくつろぎ、話し合い、楽しむことを大切にしている。自分らしくあるためのもの、女性解放の場でもある。
また、女性が社会的に活躍し、自立することを応援している。
会員(女性)が会費等を支払うために必要な個人資産や独自の収入を得られるように、起業や投資等の勉強会や支援もしている。
現在の正会員は八十三名で、百人が上限。準会員は無制限。
入会するには正会員の紹介で準会員になるための入会審査を受ける。
準会員は入会金が十万ギール(一千万ギニー)、年会費が三万ギール(三百万ギニー)必要になる。
準会員になると、正会員になるための審査を受けることができるが、通常は準会員として何年も所属し、正会員として認められるような活動を行う。
正会員の入会金は百万ギール(一億ギニー)、年会費は十万ギール(一千万ギニー)必要になる。
これらの金額を支払うための財力として、正会員になる本人の個人資産や年収についても条件がある。
一見すると非常に高いように思えるが、長期的に考えると寄付金等の別徴収が発生しないためにお得。
母親から正会員の権利を受け継ぐと、入会金が必要ないという物凄くお得なルールもある。
また、正会員は年六回以上催しに参加する必要がある。
比較として、イレビオール伯爵令嬢(姉)の社交グループは入会金が十万ギール(一千万ギニー)、年会費が二万ギール(二百万ギニー)、年二回以上の参加が必要。青玉会の準会員と同程度。
イレビオール伯爵令嬢(妹)のダンスを愛好する社交グループは入会金が千ギール(十万ギニー)、年会費は五百ギール(五万ギニー)。
会費が安いグループは後から催しごとに対する参加費用が必要、別徴収がある。
青玉会の役員は様々な知識を有しており、各自が持つ能力や財力、コネ等を社交活動、社会貢献、グループの運営に活用している。
次に、王太子の婚約者に対する質問について。
王家の女性は何らかの活動(執務)をするため、多くの者達がどのような活動をするのか注目している。
主なものは慈善活動。貧しい者達や恵まれない境遇の者達の力になれるようなことでもいい。
側妃が王宮と後宮のどちらに住むかも興味を持たれている。それは、後宮の今後を気にするからでもある。
後宮が縮小され、大勢の者達が解雇されてきているのは知られている。
しかし、婚約者が使用する部屋の名称など、内部の事情はほとんど知られていないように思われた。
そして、後宮について。
後宮への関心も非常に高い。
その理由の一つは、後宮が貴族の重要な就職先であるから。
貴族の若い女性にとって、後宮は貴族出自という特権が通用する最後の大砦。
後宮が縮小されて雇用枠が減ると、若い貴族の女性達の就職率は悪化する。結婚相手を職場で探す機会も減り、婚姻も難しくなる。
社交界やグループ活動を通じて縁を広げ、結婚相手を探すこともできるが、若者達は見合いや縁談を好まない。自分で探した相手との恋愛結婚を望むため、より広い範囲での活動が必要になる。そのため、就職することが重要。
後宮という存在は凄いというイメージがある。(ブランド、ステータス)
外部の者達は、後宮に商品を卸しているのはとても凄いことで、側妃の目に留まるかもしれないと思っている。また、後宮の購買部で売っている品は後宮の女性に人気の品だと思っている。(これは間違いだと知らない)
そのため、後宮に商品を卸している商人の品は外部の者達にも高く評価され、よく売れ、人気になる。
しかし、後宮内における考え方とは違う。
後宮内の者達は、(自分達に人気の品ではなく)外部で人気がある品が購買部で売っていると思っている。
また、後宮の購買部は元々側妃や側付き侍女などの高貴な女性が買い物を楽しむ場所であるため、高額な商品が多いが、実際に利用するのはそういった者達ではなく、もっと下位の侍女や召使が多い。(おかげで高価なものを買う選択しかなく、借金につながる)
後宮の購買部自体がとても有名で、王宮からもお菓子などを買いに来る者が多数いる。(後宮に入場できる資格がある者しか利用できない)
結果的に後宮内でも外でも高価な物が人気を博してよく売れているため、商人はかなり儲かっているはず。
後宮が縮小化されると、様々なところで貴族や商人、平民にも大きな影響が出るという懸念をしている。(社交界、貴族)
「……こんな感じかも?」
リーナは書いたことを読み返しながら、間違いがないかどうかを探した。
うまくまとめられている自信はないものの、大体はこんなものだろうと思いながらノートを閉じた。そして、時計を見る。
「夕食をイレビオール伯爵令嬢達と取ることにしたので、対応をお願いします。それから、イレビオール伯爵令嬢達への伝令は必要ありません。用意が整い次第、こちらに顔を見せることになっています。食事の開始時間が遅くなると思いますので、厨房にも伝えて下さい。できるだけ温かい料理をいただきたいので」
リーナの言葉に対し、部屋に待機していた侍女がすぐに答えた。
「リーナ様、気になることがございます。よろしいでしょうか?」
「何でしょうか?」
「リーナ様はイレビオール伯爵令嬢達が来るまで夕食を待たれるおつもりです。ですが、リーナ様のご都合が優先です。食事時間をわざわざ遅らせる必要はないのではないでしょうか? 食事時間までにイレビオール伯爵令嬢達が急いで支度をして来ればいいだけのように思います。そうすれば、厨房にもわざわざ変更を伝える必要がありません」
「それは違います」
リーナははっきりとした口調で答えた。
「私とイレビオール伯爵令嬢達は先ほどまで一緒に外出していました。同じ馬車を使用していたのですが、私の方を先に送り届けました。なので、イレビオール伯爵令嬢達が自室に戻るのは遅くなります。そして、着替えにも時間がかかるでしょう。私のように専用の侍女達が多くいて、準備や着替えを手伝ってくれるわけではないからです」
カミーラ達の部屋はリーナの部屋から近いわけではない。
リーナの部屋に近い場所にある部屋は王太子の部屋にも近いため、すでに王太子の側近達の部屋になってしまっているのだ。
また、王宮の侍女や侍従がいるものの、部屋を与えられた者に対する専用の者達ではない。そういった部屋の担当になっている者達の誰かが担当する。
ある程度は用事を言いつけることができる。着替えの手伝いや部屋の片づけも可能だが、個人的な持ち物をどの程度王宮の者達に扱わせるかは判断の差がある。
手伝ってくれるように頼んだとしても、侍女や侍従達が忙しいことなどを理由に拒否すれば、それまでとなってしまうのもある。
部屋を与えられている者達には、侍女や侍従達への命令権がないのだ。
「食事を取るのは私の部屋です。こちらに来るにも時間がかかるでしょう。つまり、どれほど急いでも、通常の夕食時間には間に合わないと予想できます。だというのに、急いで来させればいいという判断は不適切です。私の方が優先だからこそ、相手の行動や必要な時間等としっかりと考え、適切な指示を出すように努めるべきです。だからこそ、私は夕食の開始時間が遅れることを厨房にも伝えるように言ったのです。おかしいでしょうか?」
侍女は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。余計なことを申し上げてしまいました。リーナ様の判断こそが適切です」
「では、対応をお願いします」
「かしこまりました」
侍女が部屋を出て行く。
リーナは小さな息をついた。
疲れたけれどくつろげない。ソファにごろりと横になることもできない……。
部屋の中にはまだ二人の侍女達がいた。
リーナはカミーラ達が来るまでにすべきことがないかと考え、ふと思いついた。
「明日は特に予定はありませんよね?」
「通常通り、自習でございます」
「では、外出の予定を入れることができるか確認して下さい」
「外出ですか?」
侍女はすぐに怪訝な表情をした。
現在、リーナは安全を確保するため、よほどのことがなければ外出はできないことになっている。
勿論、完全に部屋に監禁されているわけではないが、事前に許可を取らなければ新緑の私室以外の場所には行けない。但し、庭園への散歩はできることになっていた。
また、リーナに窮屈さや制限されている状態であることを感じさせないため、外出は無理だとは言わず、許可が必要になるため伺いを立てるという形にすることになっていた。
「王宮の購買部に行ってみたいのです。場所がどこかわからないので、外出許可になるかもしれません。確認して下さい」
「かしこまりました」
侍女が部屋を出て行った。
あと一人。
リーナは一人だけ残った侍女にも声をかけた。
「あっ、購買部に行く際、何かを買いたくなるかもしれません。お金を用意しておきたいのですが、それについても聞いて貰えますか?」
「現金でしょうか? それとも小切手でしょうか?」
「現金がいいです。個人的な支出なので、自分で負担します」
「その点も確認致します。現金はいかほどご用意致しましょうか?」
「えっ? あ……そうですね。なんとなくですが、十万位あればいい気がします。王宮の購買部は後宮の購買部よりも安そうですし」
「かしこまりました。聞いてまいります」
侍女が部屋を出て行く。ようやくリーナは一人になった。
やったわ! 一人になれた!
リーナは満面の笑みを浮かべ、思いっきり両腕を上に伸ばして背伸びした。
このような仕草でさえ、侍女達がいるとできない。
「なぜ、そのようなことを?」
「マッサージを致しましょうか?」
「どこか体調に問題が?」
などと、侍女によって違うものの様々に声をかけられるためである。
リーナは何度も腕を伸ばしながら大きく回した。血行を良くし、肩回りの筋肉をほぐすためである。
ついでに大きなあくびをしたところでガチャリと突然ドアが開いた。
びくりとしながらドアを見ると、無表情の侍女がいた。
「リーナ様、確認したいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「……はい」
「王宮の購買部は複数ございます。どこの購買部に行かれるおつもりなのか、確認するようにと言われました」
「えっ、王宮の購買部は一つではないのですか?」
「はい。王宮はとても広いので、複数の場所にあります」
リーナは困った。
「では、夕食時にお薦めの場所をイレビオール伯爵令嬢達に聞いてみます。なので、どの購買部にも行けるか確認を取って下さい」
「それは無理かと存じます。購買部の数が多すぎます」
冷静な口調というよりは冷たい口調で侍女が言った。
「特にご指定がないということであれば、最も近い購買部に行かれるということでいいのではないでしょうか?」
「王宮の購買部は場所によって違いがあるのでしょうか?」
「違います」
「どのように違うのでしょうか?」
「その場所で最も売れそうな品が充実している品揃えです」
侍女の答えはまとまっているのかもしれないが、簡潔でもある。
リーナにはよくわからない答えだった。
「……でしたら、やはり何カ所か行ってみたいです。できれば、品揃えが違うことがわかるような購買部がいいです」
「では、こちらでいくつか候補となる購買部を検討するということでいいでしょうか?」
「それでお願いします」
「かしこまりました」
侍女は部屋を出て行った。しかし、それと入れ替わるようにして、また別の侍女が戻って来た。
「侍女長に伝えました。その程度であれば、お手元金から用意するとのことです」
お手元金とは、王太子が婚約者であるリーナに与えたお小遣いのことである。
これはリーナの個人財産でもレーベルオードのお金でもない。あくまでも王太子の予算から出ていることから王太子のお金になるが、リーナの判断で自由に使うことができることになっているお金だった。
「ありがとう」
リーナはまた大人しくソファに座った。勿論、行儀よく。
この時、リーナは用意される現金を十万ギニーだと思っていた。
しかし、手配されているのは十万ギール(一千万ギニー)であることに全く気付いていなかった。





