657 気づかされる(二)
「興味があるからですわ」
カポーレティ侯爵夫人が答えた。しかし、非常に曖昧な答えでもある。
しかし、他の者達の意見も全て同じではなかった。より具体的な者もいた。
「実は、親族の者が勤めておりますの。解雇されないか心配で」
後宮に務める者達の上位はほぼ貴族出自である。青玉会は貴族の女性達による社交グループのため、後宮に親族が勤めているというのはおかしくない。むしろ、ありそうなことだった。
「後宮が何かと理由をつけて縮小化されていることは存じております。社交界でも話題になっておりますのよ。段階的に多くの者達が解雇されていますが、王太子殿下が側妃を迎えることがどのような影響を与えるのか、多くの貴族が興味を持っていますわ。大切な就職先ですもの」
リーナは気づいた。まさに、その通りだと。
貴族は爵位と領地を与えられている。領地と領民を守り、適切に管理し、国に税金を納めるというのが仕事だ。
しかし、全ての貴族が爵位と領地を持っているわけではない。親や親戚が持っているだけで、自分は持っていない、受け継げない者もいる。そういう者の方が圧倒的に多い。
そこで、貴族の多くは別の仕事を探すが、基本的には公職につくことを目指す。
王家に忠誠を誓い、国に尽くしていることが証明できるだけでなく、功績を立てれば爵位や領地を得られる可能性もあるからだ。
しかし、希望者全員が公職に就けるわけではない。旧時代は貴族がほぼ独占していた上級職でさえ、現在では平民でも優秀な者達が活躍、抜擢されるようになってしまった。
貴族は平民と違ってどんな職種にでもつけるわけではない。体裁を気にしなければならないため、不名誉になりそうな職種にはつけないという貴族だからこその制限がある。
だからこそ必死になり、それこそコネでも何でも活用し、王宮や後宮に就職しようとするのだ。
「貴族の女性の就職先はとても制限されています。実家が事業をしていればそのつてで何らかの仕事を任され、収入を得ることも可能でしょう。そうでない場合は、王宮や後宮、四大公爵家のような大貴族のお屋敷などに務めることを目指します」
しかし、やはり時代が変わった。
以前は多くの貴族の女性が行儀見習いとして王家や大貴族の元に奉公し、結婚相手を見つけた。
しかし、今はそういった就職先の雇用者数が伸びていないどころか減少している。
また、平民の女性も同じような条件のいい就職先を目指し、家柄や血筋では敵わないとわかっているからこそ、自らの持つ才能や能力で補おうと懸命に勉強して努力する。
そのせいで余計に貴族の女性の就職競争は激化するばかりか、結婚相手でさえ平民女性と競い合う時代になってしまっている。
「王宮は年々平民達の採用が増えています。後宮は貴族の女性にとって出自という特権が通用する最後の大砦なのです。後宮が縮小されて雇用枠が減ると、若い貴族の女性達の就職率は悪化します。結婚相手を職場で探す機会も減りますので、婚姻も難しくなります」
リーナは頷きながら質問した。
「でも、貴族には社交界があります。こちらのような社交グループもあります。そこで結婚相手を探すこともできるのではありませんか?」
リーナの質問に答えたのはブルーベ公爵夫人だった。
「勿論、社交界やグループ活動を通じて縁を広げ、結婚相手を探すこともできます。ですが、若い者ほど縁談や見合いによる結婚を望みません。自らが探した、あるいは巡り合った相手と恋愛結婚をすることを望むのです。つまり、より広い範囲で活動することが求められるのです。相手のことをよく知るためにも、就職先で見つけるという方法が好まれます」
リーナは頷いた。
確かに、親や親族が持って来た見合いや縁談ではなく、自分が好きになった相手と結婚したいと思うのはわかる。リーナも同じ気持ちだからだ。
しかし、結婚相手を見つけ、相手の情報をよく知るためには、様々な活動をした方がいい。社交界やグループでの活動もその一つだが、就職するというのもまた重要な活動の一つなのだ。
リーナはまた質問した。
「でも、後宮には未婚女性が多いと聞きました。一旦就職すると外出できませんし、男性と知り合う機会も多いとはいえません。それでも後宮に就職したい女性は多いのでしょうか?」
「勿論です」
役員達は頷き合った。
「後宮に就職している間に本人が見つけなくても、実家の方に縁談が来ます。後宮に就職している女性であれば王家に信頼されている、能力があると思われるからです。また、後宮を退職した後も、後宮で働いていたという経歴が再就職先や婚活に対して有利に働きます」
「後宮ブランドですわ」
「後宮ブランド?」
リーナはまたよくわからない言葉が出たと思った。
「後宮というだけで、凄いということになるのです」
「王宮とか王族付きと同じですわ。ただの侍女よりも、王宮の侍女、王族付きの侍女という方が凄いと思われます」
「凄いと思われるような特別な言葉がつくだけで、とても高く評価されるのですわ」
「王家御用達、貴族御用達というのもある意味ブランドですわね。それだけで商人としての格が違う、凄いということになります」
「ステータスと言った方がいいのではなくて?」
「同じような意味にもなりますわね」
「……なるほど」
ブランドというのはとても幅広い意味を持つ。
しかし、その一部についていえば、何らかの特別な意味を持ち、ステータスと同様より上の評価になったり、価値が上昇したりすることがある。
実際はともかく、多くの者達が『良いもの』として捉えるのだ。
「後宮は商人達にも影響を与えますわ」
「その商人の品物を買う貴族達にもです」
「後宮内に購買部があるのをご存知でしょうか?」
勿論、リーナは後宮の購買部を知っている。
今はともかく、以前はかなり利用していた。いや、利用せざるを得なかった。借金まみれになってでも。
「後宮に商品を卸しているのはとても凄いことなのです。もしかすると、側妃の目に留まるかもしれません」
側妃の?
リーナは間違っていると思った。
側妃は後宮の購買部を利用しない。側妃付きの侍女でさえ滅多に利用しない。たぶん。
リーナは第四王子付きだった頃、許可なく第四王子のエリア外に行くことが禁止されていた。そのせいで購買部に行けなかった。同僚も同じだ。
どうしても利用したい、必要なものがある場合はエリア外に出る特別な許可を取るか、後宮の侍女や騎士などの外部の者達に依頼し、代理での購入を頼むしかなかった。
購入する機会が限られるため、購入しにくく、購入量も多くなりにくい。
側妃付きの侍女が購買部で何かを買えば、それを使用している際に側妃の目に留まるという可能性が全くないわけではない。
しかし、側妃付きの侍女が滅多に購買部を利用していないこと、利用していたとしても代理の者達による利用であることを考えると、側妃の目に留まるという考えは相当確率が低いと思われた。
はっきり言えば、後宮の購買部をよく利用しているのは下位の侍女、更に下の階級になる召使達ばかりだ。
……外部の人達は後宮内のことを知らない。購買部のことも。だから、後宮というだけで側妃と結び付けて、とても素晴らしいものだと思っているんだわ。
その後も後宮に品を納める商人達は凄いと思われ、貴族相手の商売が順調であり、特にお菓子や化粧品などが高位の貴族女性に大人気であるということがわかる。
しかし、後宮の購買部の利用者を知っているリーナは困惑するしかない。
後宮の購買部で売られているのは貴族の女性、特に高位の女性に人気の品だということだった。
元々、購買部は側妃やその侍女で身分の高い貴族女性達が買い物を楽しめるようにするためにできた場所だからである。
しかし、実際に利用するのはもっと下位の者達だ。上位の者達が買い物をしやすいようになっていない。だというのに、上位の者達のための高額な品ばかりある。
そして、役員達の話を聞くと、後宮の購買部で売られているのは後宮の女性達に人気のある品になるため、外部の者達、特に貴族の女性や高位の女性達は凄い品なのだろうと思って商人達から購入する。だからこそ、人気がある。裕福な平民も買うということだった。
つまり、後宮内と後宮外では考え方が違う。
後宮内にいる者達は後宮外で人気だと思って購入し、後宮外にいる者達は後宮内で人気だと思って購入しているのだ。
結局、後宮の中でも外でも売られている品は高価で人気があるというのは同じだ。品物を扱う商人達が儲かっていそうだということも。
だが、後宮という存在を通して全く正反対の価値観が両立していることを、リーナは不思議に思うしかなかった。





