651 揺るがない
「恐れ入りました。まさか、レーベルオード伯爵令嬢がこれほど英明なお方だとは思いませんでした。お恥ずかしい限りです」
エメルダは自らの敗北を潔く認めた。
「そして、感銘しました。私は自らの賢さに驕り、王太子殿下と同じように物事を考え、お支えできると思っていました。ですが、私は勉強不足のようです。満足な答えを出すことができませんでした。ですが、レーベルオード伯爵令嬢は王太子殿下が満足される答えを出しました。寵愛による満足さではありません。誰もが認める答えです。そして、国民の中で見落とされてしまいがちな者達のことまで考えられていました。見事としかいいようがありません。レーベルオード伯爵令嬢には末永く王太子殿下をお支えいただきたく思います。王太子殿下のお側にいることがかなわない者達のためにも。つきましては、この場を借りまして心から謝罪申しあげますと共に、ご祝福申し上げます」
クオンは頷いた。謝罪と祝福を受け取ったということだ。
「お前の優秀さは知っている。共に学んだ。今一度、自らの賢さと才能を見つめ直し、適切かつ有意義なことに活かしていけばいいだろう。次に、オルディエラ。お前はどうする? 言いたいことがあるのであれば、言ってみろ」
オルディエラは発言するために前に出た。目的を果たさないわけにはいかなかった。
「恐れながら申し上げます。レーベルオード伯爵令嬢は確かに英明さ、優しさを兼ね揃えた素晴らしい方だと思います。ですが、懸念されることがあります。それは出自です。レーベルオード伯爵令嬢というのは養女になったから。本当の出自は平民の孤児です」
平民。しかも、孤児。
そのことを知る者達は多くいた。平民とは知っていても、孤児だと知らない者もいた。まったく知らない者もいた。
大広間にざわめきが広がったのは、動揺が広がった証でもあった。
「そのような女性をエルグラード王太子殿下の妻にしてもいいのでしょうか? 側妃にしたということは、正妃にはできないということです。より出自のいい方を正妃に迎えられた方がいいと思う者達が大勢いることでしょう。王太子殿下がそのことについてどう思われるのか、ぜひお伺いしたく思います」
その通りだ!
その方がいい!
叫ぶ者達がいた。但し、心の中で。
言葉にするのは愚かなことだった。
なぜなら、本来、この場で王族に対して発言するのは許されない。
最初にエメルダが発言した時も、国王が無礼だといい、護衛騎士がすぐに飛んできたように、何かすれば強制的に連行される。勿論、その後には相応の処罰が待っているのは想像に難くない。
王太子がようやく正式に妻を迎えるという発表をしたばかりだ。つまり、婚約発表の場ということになる。重要な行事だ。
そこで無礼なことをすればどうなるか。国王も認めた王太子の妻に難癖をつければ、ただでは済まない。
それでもエメルダとオルディエラは前に出た。発言したのは、王太子が特別に許したからだ。他の者達については許していない。発言できるわけがなかった。
「それについても深く考慮された。リーナは確かに養女になる前の出自は平民の孤児だった」
何も知らなかった者達が、やはりそうなのかと表情を硬くした。
そのような出自の者がエルグラードの王太子の妻になるというのは一大事、大問題である。
他の国でも平民女性が王族の妻になることはある。だが、孤児だったとは聞いたことがない。
「だが、どちらも本人にはどうしようもないことだ。だというのに、なぜそれでは駄目だというのだ? オルディエラ、答えよ」
当たり前のことだと思いながら、オルディエラは答えた。
「身分が違い過ぎます」
「王族は平民を妻にできる。王子は平民を正妃にもできる。その前例がある。何も問題はないのではないか?」
「クルヴェリオン様は王太子殿下です。王太子殿下として判断されるべきです」
「国王の側妃の中には元平民もいる。王太子の側妃が元平民でも問題ないのではないか?」
「ですが、孤児です! ただの平民ではありません!」
オルディエラは食い下がった。ここまで来たからには、引き下がれないと思った。
孤児。それはまさに最低の出自。そう思うのが常識だ。誰もが同意するに決まっている。
オルディエラはそう思った。
だが、それは正しくなかった。
「そうだ。ただの平民とはいえない。国民の中にいる弱者だ。お前はエルグラード国民であるにもかかわらず、同じくエルグラード国民である者を軽視するのか? 自らの方が強い立場にいることを利用し、弱い立場にいる者を差別し、非難するのか? それが、お前の常識なのか? それは常識ではない! あってはならないことだ!」
クオンは厳しかった。
その口調も、態度も、全てが。
「私はエルグラードという国を想い、国民を想う。だからこそ、自らの力を使い、守るべきだと思っている。弱者を切り捨てても、弱者はいなくならない。強者の中の最も弱い者が、弱者になるだけだ。王太子だからこそ、エルグラードの国民を守り、導くのが務めでもある。ゆえに、私はリーナを妻にする。リーナは元平民の弱者だった。私から最も遠く、わかりにくい者達のことを知っている。リーナは妻として私を支えるだけでなく、自らが知る国民の姿、平民達の生活、弱者達の境遇、その想いを教えてくれるだろう。私はそれを受け止め、新しいエルグラードの未来を作り上げる!」
クオンはオルディエラを見下ろした。
「オルディエラ、お前は身分を重視する考え方をしている。そのことを私は悪く思うことはない。身分は大切だ。しかし、何もかも身分だけで決める必要はない」
クオンは大広間にいる者達を見た。エルグラード中から集まった貴族達を。
「近年は身分よりも能力を重視する風潮が強まって来た。平民の者達が多く活躍している。新しい時代、そう思われている。私はこの新しい時代を歓迎するが、古き時代や身分制度を否定するつもりはない」
貴族の中には身分主義者や血統主義者が多くいる。
自らが受け継いできたものに誇りを感じ、名誉だと思っている。それでいい。なぜなら、そう思えるものを作り、与えたのはエルグラードの国王だ。
つまり、身分主義者や血統主義者がいるのは、エルグラード国王の与えたものの価値を信じ、エルグラード国王に忠誠を誓い、崇めている証であるともいえた。
「そもそも、貴族の身分を得るには理由が必要だ。忠義はその一つだが、それだけを理由にすれば、国民全てを貴族にしなければならない。貴族になるためには、他にも強い理由が必要だ。その一つが能力だ。優秀な能力を活かし、功績をたてた。だからこそ、特別な身分が与えられた。時代によって、判断は様々に異なるだろう。だが、昔は能力主義ではなかったわけではない。むしろ、昔から能力主義なのだ。能力、功績に対する見返りとして、貴族の身分が与えられてきたことを忘れてはならない」
クオンは統治者として相応しい威厳あるオーラを纏い、語り掛けた。
「身分や血筋を誇る者がいる。だが、それだけでは貴族として相応しいとは言えない。特別な身分を得ていることに相応しく、王家や国に忠義を誓い、自らの能力を活かして尽くし、責任ある言動を示さなければならない。いつの時代も功績を上げるのは難しい。だが、お前達は貴族だ。功績を上げるように努力し続けなければならない。努力を継続する見返り、信頼の証として、貴族という身分を受け継いでいる。ここにいる者達は、先祖も子孫も等しく王家に忠義を誓い、その能力を駆使して支えてくれる者達だと信じている。私の期待に応えられないと思うのであれば、貴族の身分を捨て、この部屋を出て行けばいい!」
厳しい。だが、正しい。
エルグラードの貴族であることは、誇り高く。名誉あることだった。
相応しい者でなければならない。貴族であるためには、ただ身分を受け継ぐだけでいいわけではない。血族であること以外にも、資格が必要だ。
それは忠義であり、能力であり、王家と国に尽くすこと。
功績を上げた者は貴族になる。その子孫は自身が功績を上げていなくても、忠義と能力を親から受け継ぎ、親と等しく王家や国に尽くしていくであろうと信頼されているからこそ、貴族という身分を受け継ぐことができる。
その信頼に応えるつもりがない、王家や国のために尽くす努力をしない者には、特別な身分は与えない。貴族という身分に相応しくない。
「オルディエラ、お前は貴族だ。ならばその力を使い、平民や弱者を守るのが務めであろう。だというのに、平民の弱者という過去を持つ一人の女性を蔑視したのだ。恥を知れ!」
クオンは怒りをあらわにした。
だが、それだけでもなかった。
「だが、お前と同じように思う者達もいるかもしれない。臣下の意見を聞くのは重要だ。それもまた王太子の務めだ。ならば、聞こう。ここにいる者達に尋ねる。リーナを私の妻に迎えることを反対する者は手を挙げ、前へ進み出よ!」
ざわつきながら、誰もが様子を伺うように視線や首を周囲に動かす。だが、手を挙げる者はいない。前に進み出る者も。
しかし、声を上げる者はいた。
「王太子殿下、ぜひ、発言する許可を頂きたい!」
一斉に視線が集まる。言葉を発したのは宰相ラグエルド=アンダリア伯爵だった。
「何だ?」
「発言をお許しいただけると解釈しても?」
「許可する」
宰相は発言した。
「エルグラードの誇り高き忠臣たる貴族達よ。聞いて欲しい」
宰相が発言したのは、王太子に進言するためではなかった。この大広間に集まったエルグラードの貴族達への言葉だった。
「リーナ=レーベルオードは王太子殿下の側妃になる。そのことは、さきほど国王陛下が宣言された。このことは宰相である私だけでなく、重臣達も了承している。今ここで手を挙げて前に出れば、国王陛下と王太子殿下の決定に背くことになるのは明白だ。ただ、臣下として自らの信念を伝えるということではない。反逆だ! その意志のある者だけが手を挙げ、前に出よ!」
反逆。
その言葉を聞けば、誰もが手を挙げず、前に出ることはない。
クオンは眉間に深い皺を寄せた。
「余計なことを。そのようなことを言えば、よほどの愚か者しか名乗りでないではないか」
「恐れながら、王太子殿下の婚約が発表されしめでたき夜。心からの祝福を願うからこそ、処刑希望者が名乗り出るのを防ぎたく存じます」
処刑。反逆するのであれば、当然の結果だった。
「では、その者はどうする?」
その者が誰を指すかはわかりきったことだった。オルディエラである。
「この者は貴族に相応しくありません。貴族たる者、王家に忠義を尽くし、その特別なる身分と力を持って、平民や弱者を守らなくてはなりません。それができていないことは、先程の言動を見れば明らか。王家に忠実なる臣下として、この者から貴族の身分をはく奪することを進言致します」
貴族の身分をはく奪する。
貴族にとって、これほど重い罰はない。誇りも名誉も失う。むしろ、誇りと名誉を守って死ぬことこそが、貴族の本望といえる。
とはいえ、理想と現実は違う。命が助かるだけましだと思う者が大勢いるのも確かだ。
「父上はどう思われる?」
クオンは父親に尋ねた。
この場におけるだけでなく、エルグラードにおいて最高位に君臨するのは国王である。王太子が何を言おうが、国王がそれを認めなければ意味がない。
「愚かなことをしたな、あの者は」
勿論、オルディエラのことだ。
「国王と王太子が決定したことだ。すでにこの場で発表することは重臣達も知っている。何も話し合うことなく突然発表するようなことではないというのはわかりきったことだというのに、それに口を挟むというのは、どう考えても愚かというしかない」
国王は大きな息をついた。
「だが、今夜は祝福こそが相応しい。祝福できない者は必要ない。その者はここから連れ出せ。後で検討し、追って知らせる」
国王はオルディエラへの処罰をこの場で明言することは避けた。王太子の婚約発表という慶事に対する配慮であることは言うまでもない。
護衛騎士達がオルディエラを連行し、大広間から退出させた。
国王はもう一度大広間中を見渡すように顔を動かした後、強い口調で言葉を発した。
「エルグラードの王太子はクルヴェリオンだ。その妻として、リーナ=レーベルオードを側妃に迎える。国王である私がそう決めた。これに否という者は許さない。どのような理由があってもだ!」
王太子は国王の長男、第一王子であるクルヴェリオン。どんなことがあってもそれは揺るがない。例え、平民の孤児だった女性を妻に迎えたとしても。
エルグラードの国王がそう宣言した。覆されることはない。
「もう一度、仕切り直しだ! 今夜は王太子の婚約祝いだ! まずは、盛大な拍手で祝福せよ!」
一斉に拍手が起きた。
祝福の。忠義の。中には、それ以外の。
理由は様々だったかもしれない。だが、人々の拍手は大きく強く鳴り響き続けた。





