650 求めるもの
その状況を見て、クオンが前に出た。
「簡単だ。リーナが優しい女性だからだ」
確かに簡単な理由だった。だが、曖昧だった。
そして、王太子の妻になる女性に求められるものとして優しさが重要だというのはわかるが、それだけなのかと思えてしまうことでもあった。
「では、レーベルオード伯爵令嬢は優しいからと?」
「そうだ」
クオンが答えた。
「私や他の側妃候補は優しくないと?」
「そうではない」
「優しさが重要だと思われるのはわかります。では、なぜ、私達がどれほど優しいのかを知ろうとされなかったのですか? 私達は様々な審査を受けました。書類、面接、能力のアピールや小論文提出もありました。それで判断されたのだとわかります。ですが、決め手は優しさだと? では、優しさを調べる審査があったのでしょうか? 私の知る上では、審査はありませんでした。だというのに、なぜ、リーナ=レーベルオード伯爵令嬢の優しさが理由などというのですか? おかしいではありませんか! 優しい女性がいいのであれば、どれほど優しい女性であるかを調べる審査があってもよかったのではありませんか?」
エメルダの主張になるほどと思う者達もいた。
側妃候補は様々な形で審査された。公平に、平等に。それで駄目だと判断されたのであれば仕方がない。審査するというのはそういうことだ。
しかし、優しさを調べる審査はなかった。だというのに、優しいからという理由を述べるのはおかしい。審査対象外ではないのか? 審査対象であれば、優しさを調べる審査をすべきだった。それが公平であり、平等だった。
つまり、審査は公平ではなく、平等でもなかった。不満があるのは当然だという主張だ。
一方でエメルダの主張に呆れる者もいた。
優しさを調べる審査とはどのようなものをいうのかと。優しさは目に見えない。それをはかることは難しい。
そして、人は嘘をつく。
これから優しさを調べる審査をすると言えば、誰もが優しくなるだろう。本当に優しいかどうかはともかく、優しく見えるように、審査に合格するように振る舞う。それでは意味がなかった。
クオンは答えるのではなく、尋ねた。
「エメルダに聞きたいことがある。今年の夏はあまり暑くなかった。そのことをどう思う?」
エメルダはすぐに答えた。
「冷夏というほどのことではないでしょう。ですが、農作物に影響が出るかもしれません。しかし、専門家の見解では大きな影響はないと国王陛下が仰いました。懸念する心配はないと思われます」
さすがは才女と呼ばれるだけあり、しっかりとした答えだと多くの者達は思った。
そして、この賢さこそが王太子の役に立つ。どうしてこのような優秀な女性を妻に選ばないのかと思う者達もいた。
「それだけか?」
なおもクオンは尋ねた。
エメルダは少し考えた後に言葉を発した。
「もしかすると収穫高が減り、低品質の物が増えるかもしれません。高品質のものは値上がりし、低品質の物は安く多く出回るため、手に入りやすくなります。国民にとってはかえっていいのかもしれません」
その通りだと思う者達が大勢いた。
しかし、クオンはその通りだと思わなかった。
「私が採点するのであれば、不合格だ」
エメルダは眉をひそめた。
「気象の影響で農作物の収穫高が減り、低品質のものが増えるかもしれないという考えはおかしくない。だが、高品質のものが値上がりし、低品質のものは安く多く出回るといった。ここに問題がある。低品質の物は確かに高品質の物より安い。だが、収穫高が減っているということであれば、その物自体の量がないということだ。そのような状況であれば、低品質の物であっても需要が高まる。結果、低品質の物も値上がりする。全体的な需要と供給のバランス次第だ。農作物の物価が全体的に上がれば、国民の生活には確実に影響が出る。低品質の物であっても手に入りにくくなるだろう。かえっていいなどと言えるわけがない」
さすが王太子だと誰もが思った。
一見すると、エメルダの説明はしっかりしており、正しいと勘違いしそうになる。
しかし、全体を見ていない。需要と供給のバランスを考えると、低品質の物が大量にあっても、市場全体の量が少なければ、価格は上がる。必ずしも安く出回るわけではないのだ。
農作物全体の値段が上がれば、その物自体が手に入りにくくなる。国民の生活に対する影響はあまりないどころか必至だ。
「他にもあるか?」
クオンは更に尋ねた。
「……農作物に悪影響が出れば、税収が落ち込むでしょう。特に農業に従事する者達に関しては。ですが、専門家の見解で大きな影響はないということですので、税収が大きく落ち込むことはないように思われます」
「不合格だ」
またしても王太子は駄目出しをした。
「農作物に悪影響が出れば、農業従事者の所得が減るというのはわかる。だが、お前は専門家が何の専門家だか知っていて言っているのか? その者達は農作物に関する専門家だ。税収を判断する専門家ではない。農作物に大きな影響が出ないだろうというだけで、税収が大きく落ち込むことはないと判断するのは軽率だ」
クオンの声は冷静でありつつも厳しかった。
「例え、農作物に関する専門家が農作物の収穫高が多く、高品質の物が多いだろうと予想しても、それだけで税収が良くなるわけではない。なぜなら、物は必ず売れるわけではない。場合によっては収穫高が多く、高品質の物が多くても、税収が伸びないこともあるのだ」
クオンはより細かく説明を始めた。
「高品質の物が多く取れると、その物の市場全体の価格が下落しまうことがある。いつもと同じ値段で売りたくても、収穫高が多いのは自分だけではない。多くの者達が同じだ。価格競争が起きる。安い方が売れるため、高品質であっても安くなる。在庫を多く抱える者ほど、より安くしないと売れないと感じ、更に値段を下げる。高品質の価格が下落すれば、低品質のものは格安でなければ売れない」
多くの者達が大量にある物を安くしてでも売りさばこうとした結果、物の単価が大きく下がってしまう。そのせいで、数を売っても儲かりにくい状況が生まれる。
「売れる量には限りがある。市場がより大きな需要を求めなければ、売れ残りが多くなるだけだ。収入は下がり、税収も下がるかもしれない。勿論、他の理由が関連し、税収に大きな影響を与えるかもしれない。夏は暑いのが普通だが、実際は暑くなかった。暑いだろうと予想して準備していたものが売れない。これだけを見て単純に考えれば、税収は落ち込むということになる。このように、税収を総合的に予想するのはとても難しい。だからこそ、専門家の意見を聞く。しかし、勝手に都合よく解釈してはいけない。冷静に考え、正しい判断をしなければならない。国王や王太子が間違った判断をすれば、それこそ多くの国民に影響を与えてしまう」
クオンの答えは完璧だった。
さすが、優秀だ。英明なる王子だということを全員が実感した。
「王族の妻に賢さを求める者もいるだろう。だが、賢さは万能ではない。常に正しい答えを導くわけでもない。ならば、私は賢さよりも欲しいものがある」
クオンはリーナを見つめた。
「リーナ、夏は暑い方がいいか? それとも涼しい方がいいか?」
「暑い方がいいです」
尋ねられたリーナは小さな声で答えた。
「なぜだ? 涼しい方が過ごしやすいのではないか?」
クオンの問いに、リーナは首を横に振った。
「いいえ。暑くないと、農作物がよく育ちません。収穫高や品質に悪い影響が出てしまうかもしれません」
リーナの予想はエメルダと同じだった。これまでの話を聞いていればわかることでもある。
「その通りだ。だが、専門家は大きな影響はないと言っている。大丈夫ではないか?」
「たぶん、そうだとは思います。でも」
リーナは答えた。思うがままに。
「農作物は長い時間をかけて作ります。種を撒いた時や芽が出た時は元気でも、必ず沢山収穫できる、品質が良くなるとは限りません。植物は繊細です。どんなに肥料や水を与えても、途中で枯れてしまうことだってあります。肥料や水のやり過ぎ、日照不足、病気や虫の影響もあります」
リーナは単に農作物が不作になる原因を日照不足だけとは考えなかった。
肥料や水のやり過ぎといった人為的なもの、病気や虫といった自然の影響も考えた。
これはエメルダも王太子も指摘しなかった点だ。
「なので、専門家の予想を元に、様々な点に注意した方がいいと思います。今は大丈夫だと思っても、収穫できるまで時間がかかるのであれば、楽観して何もしないのはよくないと思います。不測の事態が起きたら大変です。大勢の人達が困ります。農作物の価格が上がれば、欲しくても手に入りません。今年が不作だと、農業従事者の収入が下がり、翌年の作付けにも影響が出るかもしれません」
リーナは翌年の影響も口にした。将来的な展望も視野に入れているということになる。
「貧しい者達はただでさえ食べ物を手に入れるのが難しいのに、より難しくなるはずです。飢えてしまう者が出ます。すぐにではなくてもじわじわと影響が深刻になり、冬になる頃に食べ物が手に入りにくければ、余計に大変なことになります。冬は寒いので、食べ物が手に入らない以外の理由でも生きるのが辛いからです。もし、冬の寒さがかなりのものであれば、尚更農作物の価格は上がり、多くの者達が困り、飢える者だけでなく死ぬ者も必ず出ます」
リーナはクオンの期待に応えた。それは、社会的弱者への影響を懸念するということだ。
国民という大きすぎる単位によって、わかりにくくなってしまう者達がいる。
全体的には問題なくても、全ての国民が同じ状況ではない。飢えない者もいるが、飢える者もいる。
飢えない者が多い、というだけでは、飢えない者がいない、ということにはならない。
むしろ、少ないかもしれないが、飢える者がいる。多くの者達が飢えていないことによって、気づきにくくなり、見逃されてしまっている。
後で必ず訪れる未来、冬という季節を絡めて考察していることも非常に良かった。
リーナ自身が貧しく、寒い冬の辛さを経験したからこその言葉だと思われた。
「そういったことを考えると、油断は禁物です。暑いはずの季節が暑くないことを軽視すべきではないと思います。以上です」
リーナの口調はだんだんとはっきり、強いものになっていった。
話すのに慣れたというよりも、真面目に懸命に考えたことを口にしていたからだった。
クオンはゆっくりと頷いた。縦に。
「その通りだ。リーナはよくわかっている。油断は禁物だ。いつもと違うということを、軽視してはいけない。暑いはずの夏が暑くないというのは、異常気象というほどでもないかもしれないがおかしい。何かあるかもしれない。私達には気象を変える力がない。別の対策をするしかないのだ。そして、問題ないとはいっても、国民全てが問題ないと安易に結びつけてはいけない。直接的な打撃を受ける者、貧しい者への被害は大きく、より深刻な状況になる恐れがある。冬のことまで考えるとは思わなかった。私が予想していた以上の答えが出た」
それは本音だった。
クオンの予想では、リーナが貧しい者達の心配をするとは思っていても、それ以外のことについても、エメルダ以上に答えることができるとは思っていなかった。
「リーナの答えは勿論合格だ。さすが、私の妻になるだけある。だが、最も良いと感じた部分は、国民の中でもとりわけ困窮する者、貧しい者、社会的弱者にも言及したことだ。リーナの優しさは自分や周囲の者達だけに留まらない。より多くの者達、国民、その中にいる弱者にも向けられている。弱者を知り、思いやる心を持っているからこそ可能なのだ。私が妻に求める条件を満たしている。私と同じくエルグラード全ての国民を大切にし、優しさで包み込んでくれる者だ」
クオンは視線を移した。
「エメルダ、リーナの答えはどうだ? お前よりも学歴がない。まだまだ勉強不足であることは私もわかっている。だが、学校や教科書では教えないことも知っている。経験から学んだことも多くあるのだ。それはお前がこれまでに学んで来たことに対して劣っていないかもしれない。もし劣っているのであれば、今のような素晴らしい答えは出なかった。それとも、私の判断は間違いか? お前の方がいい答えであり、リーナの答えは良くなかったと思うのか? 賢いお前ならわかるはずだ」
エメルダは賢かった。だからこそ、わかった。
……負けたわ。寵愛以外でも。
エメルダは深々と頭を下げた。





