645 朗報(二)
新年おめでとうございます!
今年の目標もコツコツ書いて完結を目指すことです。
どうぞよろしくお願い致します!
「気に入っただと?」
「バラを見せに離宮へ行っただろう? あの時思った」
国王はハーヴェリオンとして感じたことを話すことにした。
「私は国王だ。だが、常に国王でいたいわけではない。疲れたと思う時もある。昔はそんな私を癒してくれる女性がいたが、死んでしまった。国王として忙しかった。国を変える。自分もまた変えていく必要があった。私はこれでもやる時はやる。あっという間に時間どころか年月が過ぎて行った。息子達が生まれ、大きくなり、今になって気づいた。こうしておけばよかったという後悔もある。だが、今更過去には戻れない。どうしようもないように感じていた」
ハーヴェリオンは深いため息をついた。
「だが、全てが終わったわけではなかった。私はリーナに様々なことを教えて貰った」
「どんなことだ?」
「リーナが読む新聞は三種類だ。知っていたか?」
「知らない」
クオンは正直に答えた。
大した内容ではないと思う一方、自分が知らないリーナのことを父親が知っているのは癪に障った。
「勉強は学校や家庭教師に習うだけではない。別の勉強方法もある。それは新聞を読むことや市場に行くことでもいい」
「市場?」
「リーナが、今年の夏は暑くないため、大丈夫だろうかと呟いた。私は何のことかわからなかった。そればかりか、夏が暑くないのはいいことだ、過ごしやすいと思った。だが、リーナが言うには、夏が暑くないと農作物の収穫量や品質が落ちると言ったのだ。よくよく考えれば当たり前のことなのかもしれない。だが、リーナがそのようなことを言うとは思わなかった。どこで学んだのかと聞けば、市場でそういった話をしている者達が大勢いると答えた」
「なるほど」
「確かに市場に行くことで、人々の会話や様子から学べることもあるのだと思った。エゼルバードやレイフィールがお忍びで外出するのもそのせいだろうと」
クオンは黙っていた。
弟達が外出するのは自由な空気を感じるためや遊ぶためだとは言わなかった。
「食べ物が値上がりすると、貧しい者は困る。明日食べるものにも困るかもしれない。だからこそ、夏は暑い方がいいとリーナは言った。私は夏の暑さが国民にもたらす影響を全く考えていなかった」
涼しい方がいい。過ごしやすい。自分のことだけを考えている言葉だった。国王だというのに。
「リーナは……正直に言えば学もなく、身分もなく、取り立てて何もできないような女性に見える。だというのに貧しい者や農業に従事する者、つまりは国民のことを心配していた。心が優しい思いやりのある女性だからだ」
リーナの優しさは自分や周囲の者達だけに留まらない。もっと多くの者達にも向けられていた。
賢い女性であれば同じ言葉が出たのかといえば、そうとも言えない。
賢い者ほど、別のことを思うかもしれない。
夏の暑さによって農作物の収穫等に悪い影響が出るかもしれないと聞けば、ハーヴェリオンは真っ先に税収が下がることを思い浮かべる。税収が少なければ国を運営する資金が減る。つまり、金の心配だ。
経済的な打撃も考える。国民の生活への影響を考えるとしても、真っ先ではない。しかも、全体的なことだ。貧しい者や農業従事者という言葉は思い浮かばない。
大国を統べる国王だからこその考えかもしれない。
しかし、リーナは国王ではない。
リーナは金ではなく、人の心配をする。
息子はいずれ国王になる。自分と同じ考えをするかもしれない。その時、賢く同じように『金』、税収や経済への打撃を心配する女性が妻として側にいるべきか。それとも賢くはないものの『人』、国民やその中に埋もれてしまう弱者の心配をする女性が妻として側にいるべきか。
ハーヴェリオンは迷わない。断然、後者だ。自分が見過ごしている大事なことを気づかせてくれる女性がいい。
「農作物が良く育ち、大量に高品質のものが取れ、国民に食べ物がゆきわたり、貧しい者が飢えないのであれば、夏は暑い方がいい。その言葉から優しさと気高さが溢れるのを感じた。そして、リーナはお前に寵愛されているという理由を除いても王太子の妻にふさわしい女性、その資質があるように感じた」
ハーヴェリオンは饒舌だった。次々と言葉が溢れ出した。
あまりにも立派に育ってしまったがゆえに、小言ばかりをいわれているようで話しにくい気がしてしまう息子相手であることを忘れたかのように。
「セイフリードのことも聞いた。取り寄せている新聞は五十二種類らしい。知っていたか?」
「……知らない」
また新聞かと思いつつ、やはり自分が後見人をしているセイフリードについて、これまでろくに面倒も見てこなかった父親の方が知っている部分があることに、またしても不快感が込み上げた。
「リーナはセイフリードの侍女をしていた。そこで私はセイフリードに仕えるのは大変だったろうと言った。毎日暴言を受け止めていたのだと思ったのだ。ところが、一切暴言はなかったと言うのだ。おかしい。セイフリードは暴君と呼ばれている。暴言だらけだったと思うのが普通ではないか」
確かに暴君と呼ばれていた。だが、それは一方的な見方、決めつけでしか過ぎない。
クオンが弟を擁護するよりも早く、父親が言葉を発した。
「私はその理由をお前のせいだと思った。リーナの庇護者がお前であることを考慮したため、口をつぐんだのだと。だが、リーナは教えてくれた。セイフリードが厳しい言葉を発するのには理由がある。自分を守るためか、相手のためだと。どんな理由かわからなくても、必要だからこその言葉だろうと。セイフリードは頭がいい。何も考えずに言葉を発するほど、子供ではないというのだ」
ハーヴェリオンは深いため息をついた。
「私は反論できなかった。それは、セイフリードが子供ではないということや、頭がいいからという理由に納得したからではない。大人でも頭がよくても暴言を吐く者達は大勢いる。だが、リーナはセイフリードを信じている。それがわかった。その信頼を否定したくなかった。そして、父親である私よりもずっとリーナの方がセイフリードを信じている気がした。私は……私なりに悪くないようにとは思っていたのだ。むしろ、王妃がしゃしゃりでて英才教育を施し、優秀ではあるものの窮屈で縛られるような毎日を過ごすのはかわいそうだと……第四王子だ。普通に育てばいい。我儘なのは自由で本人が好きにしている証拠だと思った」
「それは違う。セイフリードは助けを求めていた。このような状況にいたくないと」
「その通りだ。だが、私は気づかなかった。勝手な思い込みをしてしまった。好きにさせたせいでとんでもなく我儘な子に育ってしまったと……父親失格だ。お前に後見人を任せたのも、私ではもう無理だ、面倒を見切れないと感じたのもあった。だが、せめて……成人する時だけは、セイフリードの喜ぶように祝ってやりたいと思っていた。だからこそ、リーナに聞いた。リーナなら教えてくれるような気がした」
「教えてくれたのか?」
ハーヴェリオンは頷いた。
「教えてくれた。自分にはわからないと」
そうだろうとクオンは思った。
リーナはセイフリードに仕えていた。その優しさや思いやりは、閉ざされたセイフリードの心に寄り添い、慰めたかもしれない。
だが、セイフリードの全てを理解するほど親しいわけでもなかった。
リーナがどれほどセイフリードに近づこうとしても、セイフリードはリーナに対して必ず距離を取っている。
兄のものであるという距離を。
それがなければ、違ったかもしれない。だが、それは考えるだけ無駄だった。
セイフリードは賢い。無駄なことを考えるような者でもない。
兄と女性を奪い合うことも考えない。一瞬だけ考えたとしても、自ら退く。誰にも気取られないように。
クオンはセイフリードに申し訳ないと思う気持ちがある。
セイフリードを変えるかもしれない女性を自分のものとして離さない。
リーナをどうしようもなく欲しているのはクオンだった。
「リーナの助言はそれだけでもなかった。セイフリードに聞けばいいと言ったのだ。本人がこうしたいと言うようにすれば、喜ぶのではないかと。当たり前のことだ。だが、私はその当たり前のことをする前に、リーナに聞いてしまった。私は当たり前のことができていないと思った。私は息子に尋ねていない。距離があった。勝手に尋ねにくいと思い、自ら尋ねることを放棄していたのだ。それだけではない。尋ねたとしても、その考えに添うことはできないと判断してきた。これではいつまで経っても距離は縮まらない。ますます遠くなるばかりだ。余計に尋ねにくくなる。考えに添えない。悪い連鎖が続いていた。私はそれを断ち切らなければならない」
ハーヴェリオンは見た。息子を。
クルヴェリオンがどうしたいのかは知っていた。だが、それを許さなかった。それが当然だと思っていた。国王として。
しかし、それは間違いだった。
間違いは正す必要がある。
ハーヴェリオンは息子の喜ぶことをしたいと思った。だが、しようとしたのは真逆だった。
息子を犠牲にして何を得るのか。それほどに大きなものなのか。ミレニアスとのつながりが。否。必要はない。
ミレニアスは滅んでもいい。ならば、息子を犠牲にする必要など全くない。密約を国ごと消し去ってしまえばいい。それだけの力がある。エルグラードの国王だからこそ。
だというのに、自分は何を考えていたのかと思うしかない。
国のために息子を犠牲にする王が英明だというのか。
それは自らが犠牲になることなく益だけを得る者達の勝手な意見だ。
犠牲を求められたハーヴェリオンは、クルヴェリオンは自らの望みを奪われても当然だと? 国王とは、王太子とは、そういう存在なのか?
違う。そうではない。勝手な決めつけだ。
ハーヴェリオンもクルヴェリオンも国王や王太子である前に一人の人間だ。
愛する女性と結婚したい。幸せになりたい。望みを叶えたい。その権利を奪われたくないとあらがって何が悪い? 悪くなどない!
人はあらがう権利を持っている。運命に。それこそが真の平等だ。神の与えし力だ。
それは努力と言ってもいい。リーナが小論文に書いたように、全ての者に神が与えた特別な力だと。
エルグラードの国王でも王太子でも手に入らないものはあるだろう。だからといって、何も考えずに全てを受け入れる必要はない。
考えることは決して無駄ではない。そして、努力すればいい。
国王として、王太子として、一人の人間として。
そうすれば、変わるかもしれない。運命が。手に入るかもしれない。望むものが。
それはただ一人の女性についていえることではない。多くの者達の命運。国。その未来についても同じだ。
「クルヴェリオン、喜んでくれたか? 私はお前のためにミレニアスの王女を排斥したのだ。国王として判断したというのは建前でしかない。私的な権力の悪用だと思うかもしれないが、私は父親として息子を喜ばせたかったのだ。幸せになって欲しい。それでは駄目か?」
「駄目ではない」
クオンは父親を真っすぐに見つめた。
「嬉しかった。そして、これは国王の私的な権力の悪用ではない。建前だといったが、丁度いい状況だった。ミレニアスへの厳正なる対応だ。無益な戦いを防ぐためにも、ミレニアス王家に直接抗議をするというのは、国王の判断に相応しい。父親としても、国王としても適切だ」
「そうか……そうだな。やはり、話してよかった。父親と国王を天秤にかける必要はない。父親としても国王としても適切なことをすればいいだけだ」
ハーヴェリオンは笑顔になった。
「これからはもっとお前とも話したい。父親と息子としてもだが、国王と次期国王である王太子としても多くのことを話せるはずだ。有意義になるに違いない」
そうかもしれないと思ったが、クオンは安易に頷かなかった。
なぜなら、多忙だからだ。
父親と有意義な話ができるのはいい。だが、父親と過ごす時間が増えるせいで、執務の時間やリーナとの時間が減るのは歓迎できなかった。
引退間近の国王と、新国王になる王太子とでは、忙しさが違い過ぎる。
そこで、クオンは弟の力を借りることにした。
「セイフリードとは話したのか? どのような成人式にするのか聞いたのであれば、教えて欲しい」
瞬時に父親の笑顔が消えた。
あまりにもわかりやすい反応である。
「まだだ。時間があるからな……準備は必要だが、その前に、お前の方が先だ。私も忙しいからな……」
結局、前と一緒だとクオンは思ったが、その判断は早急だった。
「ああ、そうだ! リーナがいるではないか!」
ハーヴェリオンは顔を輝かせた。
「私一人だけでは、セイフリードが会ってくれない。国王命令で呼びつけても、すぐに理由をつけて退出しようとする。だが、リーナと一緒であれば違う。私とリーナを二人きりにするのは良くないと思うはずだ。なにせ、王太子の恋人だ。おかしなことを吹き込まれては困ると思うに違いない。兄想いの弟であるからこそ、留まることを選択する。リーナであれば、きっと私が話しやすいような状況を作ってくれるだろう。そこで、私がセイフリードに尋ねるというわけだ。どうだ? これなら話してくれるのではないか?」
クオンは不機嫌そうな表情になった。
「駄目か?」
「駄目だ。リーナを利用するな。直接セイフリードを呼んで聞けばいいだけではないか!」
更に追加する。
「父親と息子だけだからこそ、話せることもある。女性がいると、言いにくいこともあるかもしれない。リーナは私の恋人だ。まだ王家の一員ではない。セイフリードもそのことを気にするかもしれない」
「なるほど。ならば、側妃にした後に聞けばいいということだな?」
そういうことではない!
そう言いたいのをクオンは我慢した。
「そう思うのであれば、リーナを早く側妃にする必要がある。セイフリードの成人の祝いは国家的な行事だ。準備不足で貧相なものにするわけにはいかない。本人の意向通りにしたいというのであれば、尚更準備期間が必要だろう」
リーナを早く側妃にすべきだという方向へ誘導する言葉に、父親は何も疑うことなくすぐに頷いた。
「その通りだ。さっさと側妃にしよう。お前の誕生日に合わせるか、その前だ。十月にある秋の大夜会を潰すか?」
妥当な提案だったが、クオンは提案で返した。
「九月の終わりがいい。それか、十月の前半だ」
「早く側妃にしたいのはわかるが、準備不足になるのではないか?」
「問題ない。元々私の方で多少の準備はしていた。密約のことを考え、それまでに側妃にするつもりだった。それこそ、聖堂に駆け込んででも婚姻するつもりだった」
「王太子がそのような婚姻をするのはよくない。それに、もうそんなことをする必要もないだろう」
「わかっている。とにかく、早めであってもいいと言いたかった。リーナはすでに入宮している。しかも、側妃だ。国家行事としての結婚式をするわけではない。身内だけのささやかな式で構わない。その分、披露の舞踏会を豪華にするとしても、時期が遅いと領地に帰る貴族が増える。招集するにも大変だ。しかも、秋の大夜会はその趣向を楽しみにしている者達も多い。潰すのは不満が出る。冬になるほど物価が上がる。バラの花も咲いていない。総合的に判断すると、九月終わりから十月初めがいいだろう。一カ月ある。国王と王太子が総力を上げて準備しろと命令すれば、できないことはない」
「全く持ってその通りだ! 私とお前が力を合わせれば、できないことなどない!」
父親はノリノリだった。
「よし! それで行こう! 情報漏洩などと言っている場合ではない! すぐに通達だ!」
「それはよくない、情報漏洩すれば、邪魔をしようと思う者達が騒ぎ、動き出す。また、手順も必要だ。まずは王族会議を開き、正式に決議する。それを受けて重臣会議の場で通達、指示を出すというのが順当だ。急がば回れという言葉もある。王家や国家に関わる重要なことだからこそ、着実に進めていくべきだろう」
さすが優秀な王太子だとハーヴェリオンは思った。
息子が誇らしくて仕方がない。
「結婚式を身内でするということになると、披露の舞踏会への招待客に対する重要性が高まる。上限があるため、選考もしなければならない。ミレニアスをどうするかも、この状況だからこそ慎重に考慮する必要がある。うまく活用できるかもしれない。少なくとも、エルグラードは戦争よりも王太子の婚姻に目が向いていることを示すことができるだろう」
「そうだな。活用できるというか活用する。ラーグ達とその件も相談しよう」
「こちらでも検討してみる」
「非常に有意義だった!」
「そう思う」
国王であり父親でもあるハーヴェリオンと、王太子であり息子でもあるクオンの話合いはうまくまとまった。
リーナのおかげかもしれないと二人が思ったのも、間違いではなかった。





