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後宮は有料です! 【書籍化】  作者: 美雪
第六章 候補編

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643 無言馬車

 国王である父親は離宮に留まりたいと抵抗したが、王太子である息子は許さなかった。


「国王たる者、宰相と首席補佐官ごときを恐れて退却すべきではない!」

「キルヒウスとヘンデル相手にでもそう言えるのか?」


 ハーヴェリオンは抵抗を試みた。しかし、


「私があの者達を恐れるなどありえない! この離宮に来る時も反対しなかった! むしろ、すぐに用件を終えることができるように、同行する護衛騎士の数を増やすよう進言した!」


 護衛騎士が多かったのは、息子ではなく息子の側近の手配によるものだった。


 勿論、その効果は抜群である。


 国王にも護衛騎士がついているが、数が違い過ぎる。


 ここは穏便に済ませて欲しいという雰囲気が漂い、状況的な意味合いでの勝負はすでについていた。


「ついては来なかったのか」


 側近でついてきたのはパスカルのみだった。


「不在時の対応を任せた。護衛力の高い側近が一人いればいい」


 パスカルになったのは、武術面で最も秀でているからだった。護衛騎士の足手纏いにならないことを考慮した結果である。


 ハーヴェリオンは息子の護衛騎士達の装備が王宮内における装備と違うことにようやく気付いた。


 重装備というほどのものではない。だが、盾装備がいる。これは盾を使う状況、戦闘や警護の防備、包囲網などを想定している装備だ。


 時間的に考えれば、王太子も執務時間。午前中は重要な会議や書類を扱うのが基本になる。


 離宮に来るというのは、それらを放棄するということだ。


 国王が同じことをすれば、間違いなく宰相と首席補佐官がうるさい。止めようとする。だからこそ、国王は何も言わずに朝の散歩の延長で後宮まで来た。


 だが、王太子の場合は首席補佐官も裏の首席補佐官も止めない。その意向に従う。


 王太子と同じく、緊急案件であることを認め、支持したということだ。


 ハーヴェリオンは父親として息子を頼もしく思う一方、独裁者になるのではないかという懸念が生じた。


「……大丈夫か? お前を止める者がいないのは心配だ」

「問題ない。私に何かあれば、忠臣たちが諫める。その言葉に耳を貸さないほど狭量ではない。リーナもいる」


 冷静に答える息子に、父親は目を見張った。


「女性は政治に口出しさせるべきではない」

「口出しはしない。そのような性格でもない。だが、リーナがいれば、私の周囲を余計な女性がうろついて邪魔をすることはない。側近の負担も減る。私は執務により集中できるようになるだろう。政治では解決できない問題もある。その時、リーナは私の良心になるだろう」


 国王は最高位の者である。その命令は絶対だ。逆らえる者はいない。


 だが、もしも逆らうことができるとすれば、それは国王が心から愛する者と信頼する者だ。


 側近達は信頼する者だ。いざという時は命をかけて忠言する。


 だが、愛する者にできることがある。


 リーナの持つ優しさ、誠実さ、愛情がクオンの心を支え、鎮め、戒める。


 それだけではない。リーナは優秀な女性ではない。クオンと同じ速度で歩けない。愛していない者であれば、クオンは立ち止まることなく進む。ついてこれない者は置いて行くだけだ。


 しかし、リーナのことは愛している。だからこそ、置いて行かない。必ず連れて行く。あるいは先に行っても待っている。必要であれば自ら迎えに行く。


 今まさに、離宮に迎えに来たように。


 そうやってリーナを通し、自分以外の他者への心遣い、思いやりを忘れない。つまり、良心だ。


 突然、ハーヴェリオンは息子が国王になったエルグラードを見たくなった。


 そのためには、死ぬ前に王位を譲る必要がある。譲る前に、片づけておきたいこともある。


 やる気が出た。面倒ではあるが、自分がするしかない。今の内に。いや、今まさに。


「わかった。王宮に戻る」

「わかっているとは思うが、後宮の件で宰相達から話がある。内偵から調査に入った」

「後宮を綺麗にしなければならぬ。リーナのためにも」


 リーナは怪訝な顔をした。


「後宮は綺麗だと思うのですが、お掃除が不十分なところがあったのでしょうか? それとも、老朽化の問題でしょうか?」


 国王は苦笑し、王太子は表情を崩さないように努めた。


「……どちらもだ。知らないうちに汚れていた部分や古過ぎてどうしようもないところを掃除しなければならぬ。埃も沢山たまっていることだろう。カビも生えていそうだ」


 比喩だった。


 後宮の内部にある不正や因習などの問題を片づけ、一掃するということだ。


 勿論、リーナには比喩も裏の意味もわからない。言葉通りに捉えた。


「私はお掃除の仕事をしていましたので、役立てるのであればお手伝いしたいと思います。自分の部屋の掃除もできますので、侍女達が掃除に行ってしまっても平気です」

「王太子の恋人が自ら掃除をする必要はない。掃除係に任せておけばいい」


 クオンはなんとか堪えながら至極真面目に言葉を返した。


「わかりました。では、大人しく勉強しています」

「それがいい。馬車で早速勉強して欲しいことを教える。父上は自分の馬車で戻れ」


 同乗する気はないと宣言し、クオンはリーナと共に自分の馬車に乗り込んだ。




 馬車に乗ったリーナはもう一度謝罪すべきか、クオンのいう勉強が何かを聞くか迷ったが、その時間はなかった。


 馬車の扉が閉まるとクオンは内鍵をかけた。


 これで、勝手にドアを開けられることはない。


 側近も護衛騎士達も全て騎乗して同行しているため、馬車に乗っているのはクオンとリーナの二人だけだった。


 クオンはリーナを座らせるとすぐに抱きしめ、口づけた。


 これではしゃべれない。質問することはできないに決まっていた。


 何度も唇を貪るような荒々しい口づけに、リーナは驚く以上に恥ずかしくてたまらなくなったものの、抵抗するという選択肢はなかった。


 もしかして……色々な口づけの仕方を教える、とか?


 そんな思いが頭によぎりもした。


「……駄目だ」


 クオンは低く唸るような声で呟いた。


 後少し……数カ月、いや、一カ月かもしれない。とにかく、もうすぐだ。


 心の中でクオンは何度も自分に言い聞かせた。


 リーナは自分がクオンの外出許可を取らなかったことを、怒られているのだと思った。


「ごめんなさい。次はちゃんと許可を貰います」

「……勝手に出かけるな。心配する。おかげで会議は中断になった。女性は政治に関われない。だが、その行動によっては政治に関わる男性から仕事を奪い兼ねない」


 これは女性が男性の仕事を奪って代わりにするということではない。


 女性のせいで、男性が仕事をできなくなるということだ。


「はい。本当にごめんなさい。反省しています」

「父上が悪い。だが、お前も注意する必要がある。何も疑わずについていくな。おかしなことを吹き込まれては困る。国王命令でも従うな。お前にとっての最上位は国王ではない。私だ。わかったな?」

「はい」


 リーナが大人しく返事をしたのが功を奏し、クオンの気持ちは徐々に静まった。


 しかし、冷静になるほど頭も冴える。


 今は馬車の中、二人きりだ。


 誰も邪魔する者はいない。内鍵もかけた。王宮に戻ればすぐに会議を再開することになる。


 リーナと一緒に過ごせる時間は決して多くはない。


 それは今日に限ったことではない。一生を通じてその可能性が高い。


 執務が減って楽になる見通しは一切ない。


 デーウェンに関係した経済関係の執務が日に日に増えている。キフェラ王女が帰国したせいで、外務省とミレニアスの話し合いも活発になった。


 講師の通常呼称をきっかけに、後宮の内偵が終わって調査が開始された。


 偽名で公職につくのは違反になる。通常呼称だけでも違反だ。本名か、本名を併記する形にしなければならない。


 給与口座も偽名や通常呼称のみであれば、不正に金銭を取得していたことになる。余計に罪が重くなる。


 王宮の方でも調査し、すでに一部の省庁で通常呼称のみの登録や給与口座の者が発覚している。


 公にして徹底的に処罰するか、内密に全て済ませるかはまだ決まっていない。だが、後宮を閉鎖したい王太子側としては、できるだけ多くの問題点を指摘しておきたい。


 致命的な問題にはできなくても、処罰対象になるようなことであれば、積もり積もって活用できる可能性がある。


 しかも、今回は宰相がやる気を見せている。


 これまでは後宮に対する不満がないわけではないものの、国王の肩を持つことが多かった。しかし、宰相は王家予算の使い方に怒りを感じており、王太子に取引を持ち掛けた。それほどに怒り心頭だ。


 そういった状況を考えると、後宮を叩き、予算を奪えるだけ奪う好機だと捉えているのは間違いない。


 クオンとしても、宰相との共闘は大歓迎だった。奪った予算が王家予算ではなく統治予算に振り替えになってもいい。後宮よりも国政に関する金回りが良くなった方がはるかにいいと思っていた。


 むしろ、王宮側でも問題が起きているのであれば、人事に関する一大粛清を行い、正常化することもできる。


 そればかりか、統治予算を逆に奪う口実にもなりえる。勿論、反対されるために調整することになるが、交渉次第では相殺、あるいはクオンの推し進める政策に関わるものへの予算につけかえることができるかもしれない。


 クオンの思考は執務に向いた。


 貴重な時間をリーナと過ごすことについての思考が止まってしまったが、あまりにも強い怒りと嫉妬と不安が入り混じったどうしようもない状態は脱した。


 リーナは大人しく黙ってクオンの腕の中にいたが、クオンが何を考えているのかを察することはできなかった。


 そして、この二人きりの状況に甘えようとすることはなかった。


 クオン様に怒られないようにしっかりしないと!


 恋人達を乗せた馬車は、甘い雰囲気に浸ることなく、着々と王宮に近づいていた。



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