641 国王の庭(二)
「今年の夏はあまり暑くありません。大丈夫だといいのですが」
万人に通じる話題のはずが、急にわからなくなった。
ハーヴェリオンは質問した。
「夏は暑いものかもしれない。だが、涼しいなら過ごしやすい。いいことだと思うが、気になることでもあるのか?」
リーナは答えた。
「過ごしやすさを考えれば、そうかもしれません。でも、農作物は違います。夏らしい夏がこないと、うまく育ちません。農家の人は不作や低品質に、普通の人は値上がりに困ると思います。貧しい人はとても困るでしょう。食べ物が値上がりすると、明日食べるものがなくなるかもしれません。だから、夏は暑い方がいいのです」
ハーヴェリオンは驚きのあまり、目を見開いた。
リーナの経歴は知っている。本当の出自も。
七歳までは教育を受けたが、読み書きが中心だった。母親はミレニアス語をほとんど話せない。国際的に通用するのはミレニアス語ではなくエルグラード語でもあるため、エルグラード語を主言語とした日常会話をしていたこともわかっている。
孤児院でも義務教育課程に相当することを教えることになっているが、元々読み書きのできるリーナは孤児院の収益を増やすための内職や手伝い等に従事していた。
そういったことを考えれば、読み書き以外の教育はまともに受けていない。
そのような女性が言う言葉とは到底思えないとハーヴェリオンは思った。
「……どうしてそのようなことを知っている? 誰かに教えて貰ったのか?」
「教えて貰ったというか、市場に行けばわかります。みんな、そういった話をしています。どうしてこの値段なのか、豊作か不作か、高品質か低品質か。今は外出できないので、新聞を読んでいます。新聞にも色々なことが載っています」
リーナは素直に思いついたことを尋ねた。
「陛下はどの新聞を読まれているのでしょうか? 王族の方々が必ず読む新聞などはあるのでしょうか?」
ハーヴェリオンは黙り込んだ。
自分は新聞を読んでいない。本と同じく、読むかどうかは自由だ。強制ではない。
そのことを言いにくかった。まるで、勉強していない、国のことを考えていないと思われそうで。
勿論、そうではない。国王として様々な報告を聞き、対策を考え、指示をしている。新聞によって惑わされ、決断を鈍らせるようなことがあってはならないという意見もある。
そこで、ハーヴェリオンは質問した。
「リーナはどのような新聞を読んでいるのだ?」
リーナは王都で読まれているメジャーな三種類の新聞名を答えた。
「多いな。勉強になるのか?」
「なります。でも、多くはないと思います。セイフリード王子殿下が取り寄せる新聞は五十二種類です」
「セイフリードはそんなに新聞を読んでいるのか?!」
ハーヴェリオンは驚いた。
「そんなにあっては、新聞を読むだけで一日が終わってしまうのではないか?」
「全ての新聞が毎日届くわけではありません。発行される間隔も違います。外国で発行されたのはなかなか届きません。セイフリード王子殿下はその中から選んで読む感じです。新聞ごとに特徴があるので、分析しているようです」
「どのような特徴があるのだ?」
「新聞に載っている記事が違います。同じことに対しても違う見解が載っていることもあります。あとは貴族向けとか大衆向けとか。嘘が多く、意見が偏っている新聞は信用できないのですが、一応は取り寄せています。どのような嘘や偏見かを知るためのようです。頭がいいからかもしれませんが、ざっと目を通して気になる記事を選んで読んでいるような感じです。じっくりとは読んでいません」
「ふむ」
ハーヴェリオンはリーナがセイフリード付きの侍女だったことを思い出した。
「セイフリードは気難しい性格をしている。仕えていた頃は大変だったのではないか? 暴言を毎日受け止めていたのだろう?」
「暴言は一切ありませんでした」
「一切?」
「はい」
恐らく、王太子が絶対にリーナに対して暴言を吐かないように言ったのだろうとハーヴェリオンは思った。
「セイフリード王子殿下が厳しい言葉を発するのは理由があります。自分を守るためか、相手のため。私が思いつかない理由もあると思います。でも、きっとそれは必要だと判断されたからです。でなければ、言葉にするわけがありません。セイフリード王子殿下はとても頭がいい方です。何も考えずに言葉を発するほど、子供でもありませんから」
リーナの口調は落ち着きがあり、それでいて穏やかなものだった。
ハーヴェリオンはリーナの優しさを感じた。それだけではない。
リーナはセイフリードを暴君として畏怖しているのではなく、英明な王子として信頼している。それがわかる口調だった。
多くの者達はセイフリードに関心を持たなかった。王女が欲しいという期待に背いて生まれて来た王子だったがゆえに。
大人しくしているどころか、次々と問題を起こす王子を邪魔に思っていた。
毒殺未遂事件まで起きるほど、セイフリードを必要のない存在だと思っている者がいた。
自身の存在否定。
セイフリードは悩み、考えた。そして、答えを出した。
どんな答えだったのか、父親であるハーヴェリオンにはわからない。
だが、セイフリードが必要だと判断した答えだったに違いない。
「私は……自分のことや政務のことで頭がいっぱいだった。息子達に構うほどの余裕がなかったのだ。仕方がないと思っている。国王として、しなければならないことを優先したのは決して間違いでもないと。だが、後悔があるのも事実だ。せめて、成人する時には盛大に祝ってやりたいと思ってきた」
ハーヴェリオンはリーナを真っすぐに見つめた。
「来年、セイフリードは成人する。リーナはどのように祝えば、セイフリードが喜んでくれると思うか?」
リーナは一瞬きょとんとした後、答えた。
「それはセイフリード王子殿下に聞くしかありません。私はセイフリード王子殿下ではないので、どんな風にすればいいのかわかりません。本人がこうしたいというようにすれば、喜ぶのではないでしょうか?」
当たり前のことだった。
セイフリード付きの侍女だったリーナに聞くよりも、セイフリード自身にどうしたいのかを聞けばいい。その方が、本人の気持ちに添うことができる。喜んで貰える。
いつの間にか、当たり前のことがわからなくなっていた。いや、できなくなっていた。なぜなら、距離があった。息子達と。
ハーヴェリオンは心から悔やんだ。
息子達が成人する際は盛大になるように考えた。妻達の意見も取り入れた。しかし、息子達とじっくり話をして希望を聞くことはなかった。
聞けば……良かった。大失態としかいいようがない。
しかし、ハーヴェリオンには最後のチャンスが残されていた。
後一人だけ、成人していない息子がいる。
「……そうだな。セイフリードに聞くことにしよう」
「ぜひ、そうして下さいませ。きっと頭がいいので、素晴らしい案が出ると思います」
ハーヴェリオンはリーナと話すことができて良かったと心から感じた。
「ところで陛下」
「ん?」
「その……バラは……」
「ああ!」
ハーヴェリオンは思い出した。リーナをここへ連れて来たのは、リーナに与えたバラを見せるためだった。
しかし、そのバラはソファの位置からは見えにくい。しかも、今の季節は咲いていない。余計にわかりにくかった。
「すっかり忘れていた。まあ、歳だからな」
ハーヴェリオンは苦笑しながら立ち上がる。
リーナもそれに合わせて立ったため、手を掴んだ。
「向こうにある。今の季節は葉しかないが、秋にはまた咲くだろう。リエラの庭から移し替えたバラでな……とても美しいバラだ。さて、問題だ。何色だと思う?」
「教えて貰えないのでしょうか?」
「教えるが、その前に予想させる」
リーナは少し考えた後に答えた。
「赤です」
「なぜ、赤にした?」
「陛下の色です。エルグラードや王家の色でもあり、愛の色でもあります」
「確かに私の色は赤だ。だが、リエラの好きな花は黄色だった。幸せの色は黄色だと言っていた」
「では、黄色のバラなのでしょうか?」
ハーヴェリオンは笑みを浮かべた。
「まずはどのバラかは教える。但し、色についてはまだ秘密だ。秋になったら確かめに来るといい。ここへ来る理由ができるだろう? 私と共に過ごす理由もできる。息子の嫁とは仲良くしておかないといけないからな」
リーナは嬉しそうに微笑んだ。
「とても嬉しいです」
「国王と共に過ごすことができるのは、特別なことだ。お前はそれを許される立場にある。これこそがまさに最大の栄誉であり、特権になるだろう」
リーナが喜んだのは国王と一緒に過ごせることではない。息子の嫁という言葉だった。国王が認めてくれるのであれば、クオンの側にいることができると思ったからに他ならない。
余計なことは言わない。それが大事。そう教わったから。
リーナは国王と共にバラの木を見に行った。





