640 国王の庭(一)
国王の庭と呼ばれる場所は歴史上いくつもあった。
しかし、時代ごとに庭園も改造され、元々の国王の庭が移動したり、国王が気に入った庭が国王の庭となったりしたため、移り変わって来た。
現在、国王の庭がどこにあるのかといえば、後宮の敷地内にある小庭園あるいは王宮のすぐ側にある庭園のことを指すと思う者達に分かれる。
前者はハーヴェリオンがリエラ妃と二人だけで過ごした場所であり、後者は友人や臣下達と過ごす場所である。
しかし、ハーヴェリオンがリーナを連れて行った庭は、そのどちらでもなかった。
馬車に乗って移動すること数十分。
リーナが連れていかれたのは、国王が建設中の離宮、通称リエラ宮だった。
だが、リーナは何も知らない。
ただ、国王にエスコートされるがまま、国王の庭だという場所に連れていかれた。
「ここが新しい国王の庭だ」
ハーヴェリオンは笑顔を浮かべて説明した。
「歳を取ると散歩も辛くなる。そこで、広くもなく狭くもない庭を作ることにした。まずはガゼボに移動する」
庭園の中央には白い円柱のガゼボがあった。
中にはくつろげるようにいくつものソファやテーブルといった家具が置かれている。
ここで庭園の景色をゆっくりと堪能したり、お茶を飲んだりしつつ、休憩できるようになっていた。
ハーヴェリオンはリーナをソファに座らせると、その隣に座った。
「今は夏だ。ゆえに、ソファは夏の草花が最も美しく見える方を向いている。秋になると、ソファの位置が変わり、別の方角に向く」
ハーヴェリオンの説明にリーナは小刻みに頷いた。
「常に同じ場所を向いているわけではないのですね」
「そうだ。同じ方向ばかりを見ていると、そこだけを整えればいいと思ってしまうかもしれない。見ていない場所に何かあっても気づかなくなる。私はこの庭園を一年中常に美しく保ちたいと思うが、季節が変わる度、その時期のものに植え替えたくない。私と共にできるだけ多くの季節や年月を重ねて欲しいのだ」
リーナは国王の言葉をわかるような気がしたものの、わからないとも思った。
困ったような表情になったため、ハーヴェリオンはリーナに質問した。
「わからないのか? 正直に話せ。遠慮はしなくていい」
リーナは正直に話した。
「陛下は一年中庭園を美しく保ちたいと思われています。でも、季節ごとに植え替えたくないようです」
「そうだ」
「植え替えないというのはわかるのですが、すぐに枯れないものばかりを植えるにしても、随分花が沢山あります。きっと季節が終われば枯れてしまいますし、植え替えは必要だと思うのですが……」
ハーヴェリオンはより詳しく説明する必要があると思った。
よくよく考えれば、リーナは平民、しかも孤児だ。
国王の庭について知るわけがないと思った。
「……うまく説明できないかもしれないが、善処しよう。私は国王だ。国王の庭はエルグラードで最も美しい庭でなくてはならない。あるいは、国王が満足する庭でなくてはならない。それはわかるか?」
「わかります」
「恐らく、多くの庭は木や芝生があり、その一部に季節の草花を植えて楽しむ。だが、国王の庭は違う。必要と思われるもの全てを変える。木も芝生も必要であれば変えるということだ。そして、季節ごとにその季節らしさを凝縮させる。わかるか?」
「……難しいです」
「春といえば何の花を思い出す?」
「チューリップです」
リーナの答えにハーヴェリオンは頷いた。
「では、国王の庭を春らしくチューリップだけで彩ることに決める。すると、庭をチューリップで埋め尽くす。邪魔なものは全て取り去るわけだ。他の木も芝生も草花も。このようなガゼボでさえもなくなる」
「ガゼボも?!」
そこでようやくリーナは国王の庭の特別さを感じた。
「そうだ。では、次に初夏。バラの季節だ。となれば、チューリップは駄目だ。花がない。全て植え替えられる。バラの木に。新しいベンチや彫像も設置されるだろう」
リーナは目を見開いた。だんだんわかってきた気がした。
「夏、バラの季節は終わっている。すると今度はバラを全て取り去り、夏の草花に植え替える。暑さを感じにくくするため、噴水が設置される。直射日光を防ぐガゼボでもいい。秋になれば、またバラが咲く。バラの木をまた埋め戻す。木は紅葉が美しいもの、銀杏の木やモミジなどに変える。どんぐりを拾いたいという趣向であれば、どんくりの木が植えられる。冬、枯れてしまう木は見た目がよくないため、全て常緑樹に入れ替えられる。花も少なくなるため、彫像などが置かれ、寂しくならないようにする。噴水は取り外されるか、一時的に花壇として使用される。そのようにして何もかもが変えられてしまうのだ」
リーナは理解した。
国王の庭は普通の庭とは全く違った。
季節ごとに、まさに変わる。
その季節らしい庭にするために、季節ではないものや合わないものは全てなくなり、季節らしいものに細かい部分でさえも取り換えられてしまうのだ。
一年中そのままであっても構わないような木や芝生、ガゼボ、噴水でさえもなくなる。
だからこそ、季節ごとに全く違う景色になる。庭の一部に季節らしさを感じるわけではない。常に、庭全体でその季節を感じるようにしている。
贅沢過ぎる庭だった。
そして、リーナは国王の気持ちを理解できると思った。
国王が望むのは、毎回全く違う景色を見せる庭ではない。
自分が行くと常に同じ、あるいはどこか見覚えがある景色の庭。心が落ち着くような庭なのだと。
「私が若い頃、愛する女性がいた。リエラという。花が好きだったため、私は庭を贈った。どのような庭にするのかはリエラが決めた。だが、リエラが死んだ後、どのような庭にするのかを決める者がいない。少しずつ花は枯れた。何年も残るような木、芝生、ベンチなどはそのままだったが、管理する際はリエラの許可が必要だ。リエラがいなければ許可が出ない。管理できず、荒れ果ててしまった。だが、私は代わりに手入れをするように言えなかった。私の心が荒れ果てていた。庭がまさにそれをあらわしている気がしたのだ。それに、リエラに与えた庭を勝手にしたくなかった。リエラに……変えて欲しかった」
ハーヴェリオンは深い息をついた。
「そこで、新しい庭を作ることにした。私とリエラの庭だ。正直に言うと、庭には全く興味がなかったのだが、リエラのおかげで専門的な知識も多少は増えた。国王の庭が特殊であることも実感した。季節ごとに全てが変更されることを、国王の庭であれば当然であり普通だと思っていたが、常識的ではないことだと知ったのだ。これまで、そんなことを教えてくれる者がいなかった」
思い返せば、記憶が蘇る。全てではない。鮮明でもない。
だが、懐かしい。美しい輝きと愛情が溢れていた頃のものだった。
「一年草と多年草の違いもわかるようになった。一年草の場合は一度だけ咲いて枯れてしまう。放っておけばまた咲くわけではない。同じ花が咲くとすれば、それは別のもの、種から芽吹き育った新しい花だ。そんな単純なこともわからず、毎年同じ植物が季節になると花を咲かせるのだと思っていた」
ハーヴェリオンは饒舌だった。次々と言葉が発せられる。それはリーナに話すためでもあるが、自分の心の中に留まり続けてきた何かを出すためでもあった。
「雑草を知っているか?」
「はい」
リーナは頷いた。そして、奇妙な質問だと感じた。知っているに決まっていると。
「私は長い間、雑草というものを知らなかった。私が行く場所には基本的に雑草がない。それに、あれは何だと庭師などに聞くと、名称を教えてくれる。難しい学名もある。そういう草花だと認識したため、雑草だと思わなかった」
リーナは黙り込むしかない。
国王が訪れる場所に雑草が生えていたら大変だ。それこそ、庭に生えている全ての雑草を庭師達が抜いて綺麗にする。それが仕事だ。
万が一、雑草が生えている場所に国王が行って目に留まってしまった場合、雑草だとは教えない。植物名や学名などを告げるに違いなかった。
「リエラは大笑いしていた。国王が雑草を知らないことに。そこで、雑草の庭というものを作ってみたこともあった。庭師達は渋い顔をしていた。雑草は一つ残すと勝手に仲間を増やすため、管理が大変になるらしい。知っているか?」
「はい」
「リーナは植物を育てたことがあるか?」
「あります」
「どのような植物だ?」
少し間を置いた後、リーナは答えた。
「雑草です。雑草は道端に生えていますし、ただで手に入ります。それを育てていました」
ハーヴェリオンは眉をひそめた。
「雑草を育ててどうする?」
「売ります」
ますますハーヴェリオンは眉をひそめた。
「雑草は必要ないものだろう。売れるのか?」
「雑草でも綺麗な花を咲かせるものがあります。それは売れます」
「そうなのか」
「花は多くの人々に愛されます。でも、お金がないと手に入れることが難しいです。美しい花や高級なお花は特に。切り花などは特に早く枯れてしまうので贅沢品です。なので、平民は安いお花を買います。雑草であっても、見た目が綺麗であれば、それで十分だと思う人もいます。とても安く花を買えるので、お得だと思っている人もいます」
「私はまた一つ知ることができた。雑草とは必要のない植物のことを指すのだと思っていたが、欲しいと思う者、金を出す者までいるのだな」
「全ての雑草ではありませんが」
「美しい雑草だけか」
国王は苦笑した。
「王族や貴族の者の中には、平民を雑草だという者もいる。より高度な教育を受けているのは王族や貴族だというのに、あまり教育を受けていない平民であっても同じくらい、あるいはそれ以上に優秀な場合もある。雑草だからといって、馬鹿にはできないということだ。非常に役立つ、美しいものもある。お前は……どうだろうな?」
リーナは迷うことなく答えた。
「わかりません」
リーナは自分を優秀だと思っていない。美しいとも思ってない。だからこそ、優秀だから、美しいからだと答えることができない。
「息子はなぜ、お前を選んだのだと思う?」
リーナはまたしてもすぐに答えた。
「それはクオン様に聞いて欲しいです。クオン様はあまりにも凄い方ですので、私が全然思いつかないようなことを考えていらっしゃいます」
「まあ、そうだな」
ハーヴェリオンはそう言った後、口を閉じた。
リーナも黙っている。国王に自由に話しかけるわけにはいかない。
静かな時間が流れた。
ハーヴェリオンは気まずさを感じ、何か気の利いた話題をあげたいと思ったが、若い女性の好みそうな話題、しかも、平民で元孤児の女性であることを考えると、どのようなことを話していいのか決めかねた。
普通の貴族の令嬢とは違うだろうという先入観があるだけに、たわいもない話のつもりでも、リーナには通じないかもしれないという懸念があった。
やがて、ようやくハーヴェリオンは口にする言葉を見つけた。
「……何を見ている?」
リーナは庭を見つめていた。気になるもの、好きな花があるのかもしれないとハーヴェリオンは予想した。
しかし、リーナの答えは違った。
「空を。今日はとてもよく晴れています。雲がありません。綺麗な水色です」
気の利いた話題ではない。だが、若いかどうか、女性かどうか、身分も出自も関係ない。
エルグラード国王であっても、それどころか大陸の果て、海の上にいる者であっても通じる話題だった。





