629 勝手な想像
昼食を取ることなく、エゼルバードは一人で着替えの間にいた。
大きな鏡をじっと見つめている。
これは衣裳を着た姿がどう見えるかを確認するための鏡だったが、今は表情を確認するために使用されていた。
「私は……どう見えるのでしょうね?」
部屋には誰もいない。話しかけた相手は、鏡に映る自分だ。
「甘すぎる、でしょうか?」
エゼルバードは微笑んだ。
普通に見える。エルグラードの王子として相応しい笑顔だ。
作り笑いだが、これでほとんどの者達は満足する。つまり、王子らしい笑顔のテストがあるのであれば、満点だと言われるような笑顔だ。いや、それ以上かもしれない。
しかし、本物の笑顔ではないことをエゼルバードは知っている。
本物の、心からの笑顔を浮かべることはできるのは、敬愛する兄や信頼できる友人達の前などだけに限られている。
エゼルバードはため息をついた後、寝室に移動した。
豪奢な寝台の上に寝転ぶ。このまま少し休憩しようと思ったものの、頭に思い浮かんだのはリーナのことだった。
今頃兄上はアイギス大公子と昼食。リーナは一人で昼食のはず……誘えばよかったのかもしれません。そうすれば、食欲が出たかもしれませんね。
しかし、誘えない。エルグラードの第二王子であっても、できないことがある。
クルヴェリオンの弟だからこそ、できないことも。
兄の恋人と、毎日一緒に食事を取りたいとは言えない。
妹なら家族、おかしくないと主張することもできない。しかし、王家は普通の家族ではない。家族揃って食事を取るのは一般的にごく普通のことかもしれないが、王家にとっては違った。
基本的に王族は一人で食事を取る。生母でさえも同席しない。子供の世話係が面倒をみるべきことであるため、生母が子供に合わせて食事をすることなどない。使用人である世話役が同じ食卓につくこともない。控えているだけだ。
そのため、王族が揃って食事をするのは特別なことになる。儀式に等しいものを含めても、その機会は決して多くはない。
成人すれば話し合いを兼ねるという形で食事を一緒にするが、それは純粋な家族としての食事の時間というよりは会議、打ち合わせになる。
リーナがただの貴族であれば……本当の妹ならば……。
しかし、それで解決できることでもない。
前者であれば、多くの者達に嫉妬される。嫌がらせ、悪評、醜い争いに巻き込まれる。命を狙われる可能性も一気に上がる。
後者であっても、似たり寄ったりだ。今の容姿を考えると、兄とは大違いなどという者達もいるに違いない。それはそれで腹立たしい。美しさは目に見えるものばかりでもない。
ため息が出る。寝返りを打った後にもう一度。
しばらくすると、またため息が出た。きりがない。
どうしようもないこの気分をどう表現すればいいのか、どうやって解消すればいいのかもわからない。
エゼルバードにできるのはため息をつくことと、寝転がることだけだ。眠気もない。眠れない。
まるで……病人です。一生このままということであれば、不治の病ですね……。
エゼルバードは唐突に思い出した。
ロジャーやセブンと話した時のことを。
何事も一日だけで全てがよくなるわけではない。
病気になった際、薬を飲めば瞬間に治るわけはない。特効薬がない病気もある。一日寝ていれば立ちどころに回復するともいえない。時間が必要なことがほとんどだ。
ロジャーはいかにも正論のように説明した。実際、正しいことばかりでもある。
セブンはほとんど話さなかったが、ロジャーに完全に同意していた。
また、その瞳には感情が宿っていた。
セブンは冷静沈着。無表情。悲しんだり苦しんだりするようなことはない。感情を見せる機会はごくわずか。人を殺す時でさえ冷静そのものだ。
しかし、エゼルバードは知っている。セブンが瞳に感情を宿して見つめていた相手を。
リーナだ。
以前、セブンはリーナ、当時の名称で言えば、リリーナ=エーメルを欲しいと言った。
エゼルバードやロジャーは本心かどうかを疑った。
結局、王太子のものだと決まったため、諦めるという約束を守っている。必要に応じての行動はしているが、それは許容範囲でむしろ有益だ。
だが、今のエゼルバードには理解できた。
セブンは本当に欲しかったのだと。
そもそも、セブンがそのようなことを言うこと自体がおかしい。バラの花を贈るというのも同じく。ウェストランドの者達に顔合わせもしていた。
あのセブンが欲しがった。
惹かれたのだ。リーナの優しさ、温かさ。純粋さを感じる魂に。
もしセブンがリーナを手に入れたらどうするか。
恐らくは、白を基調とした美しい部屋に住まわせる。イメージは静かな神殿あるいは聖域。
居心地は最高に良くなるように整えられ、召使はリーナを女神であるかのように接する。
なぜそうなるかといえば、セブンが妻にしたいのは、自らの穢れを祓ってくれるような女性だからだ。
誰にも奪われないように、傷つけられないように、ウェストランドの総力を挙げて大切にする。
むしろ、あまりにも大切にし過ぎてしまい、自分が触れてしまうと穢れてしまう、あるいは壊れてしまうと考え、あえて必要以上に近寄らないかもしれない。
大切にするほどかえって距離ができ、互いの心を通わすのが難しくなるパターンだ。
セブンが困ったような表情でリーナを見つめ、愛情を伝えるどころか、触れたくても触れられないような場面を勝手に思い浮かべ、エゼルバードは笑った。
それはそれで面白そうですね。からかえます。暇つぶしにもなるでしょう。
エゼルバードは別の想像をすることにした。
ロジャーがリーナを妻として手に入れたら、という設定だ。
まずは……屋敷に帰るでしょうか?
難しそうではある。しかし、律儀な面がある。一カ月に数回は戻るかもしれない。
今がその程度のため、夫婦で出席することの指示出しをするために、もう少しは増えるかもしれない。そう、あくまでも指示出しだ。夫婦の愛を育むためではない。
夫としての愛情を示すようにという要求があれば、贈り物とカードで済ます。自筆のサインをする程度の配慮はあるだろう。
ロジャーは基本的に真面目だ。仕事優先。様々に王太子と共通する部分がある。
妻になった女性のことを妻として尊重するものの、所詮妻だと感じる。少なくとも、妻は自分の次に優先されるべき存在ではない、とも。
貴重な自由な時間はいまだに勉強するかのように、様々な本や文献などを読み漁ることに熱中する。それを邪魔しようものなら、不機嫌という言葉ではいいあらわせないほどの恐ろしい視線で睨みつけられる。
但し、ロジャーが好むのは読書だけではない。意外とその趣味の幅は広い。書物だけで得られる知識だけで満足しないせいでもある。
芸術の知識と感性を融合させた理解を得るための芸術鑑賞もあれば、乗馬、狩猟、剣術といった体を動かすようなこと、駆け引き、ゲームも好きだ。いずれにおいても優秀な能力を発揮する。
しかし、どれも一人、あるいは男性同士で楽しむことを選択し、リーナあるいは女性と楽しむという選択にはならないような気がした。
それなりに女性との付き合いはしているが、面倒なのもあって、祖父母と両親が選んだ四人の婚約者を活用しつつ、未だに独身。
エゼルバードとは違う理由で、間違いなく問題のある独身男性の一人だ。
例えば……ロジャーの執務中にお茶を出すなどで、親睦を深めるのも有効でしょうね。
エゼルバードはリーナによるロジャーの攻略法を考えた。
リーナは王族付きの侍女をしていた。できるだけ邪魔をしないように静かに控え、お茶などの必要なものを用意するという仕事は経験済みだ。
しかも、セイフリードに本や資料の整理などを言いつけられ、何かとこき使われていたという話も聞いている。簡単な仕分け作業等は説明すればできるであろうことから、ロジャーにも同じく能力の限界までこき使われるかもしれない。
リーナは優しい。思いやりがある。ロジャーに怒ることはない。厳しい態度、仕事上のしごきにも耐える。自分が少しでも役立つのであればと考え、努力し、些細な褒め言葉にも喜ぶだろう。
王族付きは何も言われなくても相手の望む通りに動くことが求められるが、本人ではない以上、何もかも先回りすることなどできない。
そうなると、許可をしっかりと求めるようになる。あるいは指示や意向をはっきりと理解した上で動くようになる。
王族付き侍女の経験は必ず活かせる。リーナはロジャーの信頼を得られるはずだ。
ロジャーの指示通りに働くリーナの姿が想像できますね。ロジャー以外のノースランドにもいいように使われそうです。
お洒落の好きなノースランド伯爵夫人はリーナを着せ替え人形にする。
平凡な容姿、地味さを補うため、ロジャーの妻として相応の女性に見えるような装いが必要だと主張したとしても、自分が楽しむために過ぎないのは明らかだ。
ヴィクトリアもオペラに関しては容赦ない。使える者は使う。義理の妹であれば、それこそ遠慮するわけがない。
ノースランドではなくレーベルオードのボックス席。満面の笑みのヴィクトリアと一緒に並ぶリーナの姿。オペラ鑑賞は勉強になるという魔法の言葉で、二人はうまくやっていけそうでもある。
想像するのは簡単だった。自由でもある。よく知る人物のことであれば余計に。
エゼルバードはなかなかいい暇つぶしのように感じた。





