627 日曜日の面会
イーストランドの件について対処するため、日曜に予定されていた側妃候補の小論文面接の予定は先延ばしになった。
リーナは平日と同じように起床していた。
小論文は金曜日の朝礼時に提出したため、残っている課題はない。
そこで、昨日鑑賞したバレエのパンフレットを見て過ごすことにした。
劇場で購入できるパンフレットには様々な情報が載っている。それは芸術の授業で習っていた。
確かにパンフレットにはあらすじ、登場人物、配役などの基本的な情報から、出演者のインタビューやコラム、衣裳の解説などもある。
事前に確認しておけば鑑賞しやすいだけでなく、社交をする際の話題や会話に活用できそうだとリーナは思った。
しばらくすると、アイギスから面会の申し出があることが伝えられた。
アイギスは月曜日の早朝に出立するため、日曜日は王都で時間が取れる最終日になる。
昨夜、王立歌劇場でアリアドネが勝手なことをしてリーナに迷惑をかけてしまったことを直接謝罪したいというものだった。
面会に関するクオンの許可は出ている。そもそも、クオンとアイギスは昼食を一緒に取る予定のため、その前にリーナとの面会を済ませるということだった。
「大丈夫なのに……」
リーナは気にし過ぎだと思ったが、会わないわけにはいかない。
「リーナ様、普段着で面会するわけにはいきません。相手はデーウェンの大公子です。着替えが必要です」
面会場所は後宮ではなく、王宮にある部屋で行われるということだった。移動時間も必要になるため、身支度はできるだけ早く終えなければならない。
「そうですね」
「早く致しましょう。お待たせするのはいけません」
リーナは急いで支度をした後、王宮に向かった。
リーナが王宮で使用するのは新緑の私室になる。
しかし、この部屋は元王太子妃の部屋があった場所になるため、王族の居住区エリアだ。簡単に誰もが出入りできる場所ではない。
この部屋がリーナに与えられたのは、リーナが王太子と会うためであり、他の者と会うためでもない。
リーナは王宮にある別の応接間でアイギスと会うことになった。
「リーナ!」
部屋にリーナが入ると、ソファに座っていたアイギスがすぐに立ち上がった。
「お待たせして申し訳ございません」
リーナは懸命に息を整えながら挨拶をした。
アイギスと会う予定である応接間に行くまでは距離がある。そのため、緊急という名目によって廊下を小走りして移動した。
「会えて嬉しい。昨日はアリアドネが迷惑をかけてしまい、本当にすまなかった。私は明日の早朝に王都を出立する。その前にもう一度会って直接話したかった」
「寛大なるご配慮に感謝申し上げます。ですが、あまりお気になさらないで下さい」
「私は大公子だ。簡単には謝罪しない。だが、美しい女性が相手では別だ。デーウェンの男性は女性を大切にする」
アイギスは側近を見た。そして、側近の持っていた小さなバラのブーケを受け取ると、リーナに差し出した。
「謝罪の証だ。リーナのイメージであればピンクだろう。温かい心という花言葉がある。数は八本にした。思いやりと励ましに感謝するという意味だ。受け取って欲しい」
リーナは勝手に贈り物を受け取ることはできない。
しかし、この面会に関してはクオンの許可が出ている。謝罪の証でもあるため、拒否しにくい。大丈夫だろうとリーナは判断した。
「ありがとうございます。可愛らしい花束をいただけて、とても嬉しいです」
「花束はクオンから貰い慣れているのではないか?」
リーナは考えた。
「……お花はいただいていますが、貰いなれているというほどでも……」
「クオンの用意した花束が大きすぎて、自分では持てないこともあるからではないか? あるいは花籠だろう」
「そうですね」
入宮祝いの花籠はまさにそうだったとリーナは思った。
「クオンらしい」
アイギスは笑った。
「確かに大きなものほどいい。だが、こうして直接手渡す方が、相手に気持ちが伝わることもある」
「直接頂いたこともあります」
「一輪のバラか?」
「そうです。アイギス様は凄いですね。何でもわかってしまわれます」
「私以外の者でもわかるさ」
アイギスはそう言うと、花束の中から一つだけ摘み取るように取り出し、リーナの髪に差し込んでつけた。
その仕草はとても自然だったが、リーナは驚いた。
「髪飾りなのですか?」
アイギスがリーナの髪にバラの花をつける時、リーナは金具がついていることを感触から悟った。
「エルグラードの警備は甘い。花束に武器を隠して持ち込めるな」
アイギスはやや物騒な冗談を言いつつ、リーナの質問に応えた。
「そのまま花だけをつけると簡単に落ちてしまうかもしれない。それでは不吉でかっこ悪いからな。一つだけピンを仕込んでおいた。おかげでしっかりと留めることができる。このようにネタばらしをするのはスマートではないが、勉強になっただろう。見ず知らずの者が花束を持って来た時は気を付けるように。ピンではなく針だと危険だ」
リーナは驚いた。
「気をつけます! 教えて下さってありがとうございます!」
「よりによってクオンに見初められるとは……大幸運なのかもしれないが、同時に大不運も掴んでしまったかもしれないな」
「大不運ですか?」
「エルグラードで一番勉強しなくてはならないだろう? それこそ一生勉強しなければならないかもしれない。勉強が嫌な者にとっては大不運だ」
王太子の妻になる女性は、その立場にふさわしくあるために勉強しなければならない。他の者達よりもはるかに大変なことになるということだ。
「大丈夫です。勉強できることは幸運です。不運ではありません」
「リーナは真面目だな」
「普通です。世の中には勉強したくても勉強できない人が沢山います。だから、勉強できる私は恵まれています。しかも、とても凄い所で沢山のことを学べます。話を聞くだけで、勉強できるといいますか、世界には私の知らないことが数えきれないほど存在するとわかり、興味が出ました。やっぱり幸運じゃありません。大幸運です。アイギス様のおかげで、デーウェンや海、旅の魅力を知ることができたのも大幸運です。沢山のことを教えていただき、本当にありがとうございました」
リーナの言葉に、アイギスは目を細めた。
その表情はとても優しく温かく――甘い。
「リーナに会えた私は大幸運だが、大不運でもある。なぜなら、帰国しなくてはならない。もっと多くのことを話したかった。とても残念だ。胸がはちきれそうなほどに別れが惜しい」
アイギスはリーナの手を取ると、その指先に口づけた。
「リーナ=レーベルオード。またいつか会おう。元気でいるように。愛も大切だが、健康も大切だ。クオンにもよくわからせてやってくれ」
「ありがとうございます。アイギス様もどうかお元気で」
アイギスとの面会はそれで終わりだった。
時間がないというよりは、リーナと長く部屋にいるということができないためである。おかしな噂をたてられては困るという配慮だ。
後宮に戻るため、リーナは同行する侍女と護衛を連れ、先に部屋を退出した。
「アイギス様、いいのですか?」
「何のことだ?」
「絶対に気付かれていないと思われますが」
側近の言葉に、アイギスは首を傾げた。
「何のことだかわからないな」
嘘だ。
側近は心の中で呟いた。
バラの数は八本。アイギスが決めた。
最初は恒久という意味をあらわす五十本だったが、あまりにも大きな花束だと遠慮してしまうだろうと考え、本数を少なくして小さなブーケに仕立てることにした。
そして、一本は髪につけることができるように途中でカットされ、ピンを仕込むよう指示された。
こうすることで花束から抜き出した花を髪に飾るというキザな行動もお手のものになる。
しかし、それでは最終的に花束としてまとめられている花数が減ってしまうため、意味も変わってしまうことになる。
密かな愛。
それが七本のバラの意味になる。バラの花数に自らの気持ちを込めた密やかな愛の告白だ。
しかし、リーナはまったく気づいていない様子だった。
意味に気付くものの、受け取るしかないということでもなく、元々は八本だからいいということでもない。単純に何もわかっていないという態度だった。
勉強中の身であることは誰もが知っている。花数に秘められたメッセージを理解しなくても当然だった。
だからこそアイギスは八本から一つだけ抜き取り、髪に飾ることにしたのだろう思われた。
「勝手に深読みするな。まあ、クオンが寵愛する女性が何の魅力もないはずがない。周囲が何かと勘繰るのは仕方がないか」
「申し訳ありません」
側近はそう答えた。
だが、デーウェンにおいて、謙虚さは美徳とは言えない。
いつものアイギスであれば、八本のバラを用意するようには言わない。百本のバラであっても堂々と贈る。そして、勘違いされたくない相手に対しては、しっかりと減らした本数についても考慮する。
花束に武器を仕込むなどという冗談や勉強になるという説明もおかしかった。女性に好まれそうな話ではない。
最初に話しかける時から違った。いつもであれば、デーウェン流のお世辞、賞賛の言葉が山ほど積み上げられる。だというのに、会いたかったということだけで、すぐに謝罪に移った。惹かれてしまう自分を誤魔化そうとしたのかもしれない。
どのような理由であっても、手は出せない。相手があまりにも悪い。
エルグラードの王太子が寵愛する女性だ。一つ間違えれば、自身だけでなく国も滅ぶ。
「だが、何もわからない女性も悪くない。人に知られたくないような重責を抱える者は、その方が安心できるだろう。教える喜びも味わえる。何もかも察して一人でしてしまうような女性は、クオンとはうまくいかない。恋人だろうが妻だろうが、放置されるだけだ。自分が関わる必要があると強く思わなければ、時間を空けないだろう」
アイギスはリーナの姿を思い浮かべた。
アイギスを長く待たせないようにと急いできたのか、やや息を切らしていた。そんな姿が微笑ましかった。恋人であれば、迷わず抱きしめるところだ。
「リーナのような女性であれば、小動物のように愛でるのも悪くない。私のつまらない話にも真摯に耳を傾け、優しく穏やかな気持ちを運んでくれるだろう。クッキーをあげれば喜ぶだろうか? それともチョコレートか? 手ずから、いや、口移しで与えるべきだろうな。それこそデーウェン流だ」
リーナの話をするアイギスは楽しそうだった。話が止まらない。しかも、態度も雰囲気も甘い。
いつものアイギスを知る側近であれば、その違いがわかる。何を想像しているのかが駄々洩れだ。
会ったばかり。本気の本気ではない。他人のものはよく見えるだけだ。執務を目いっぱい入れて、余計なことを考えないようにさせるしかない。
側近はアイギスが帰国した後にどうするかを決めた。
「クオンだけでなく、ヘンデルもああいうタイプが合いそうに思うが……あいつは世話好きだからな。クオンはある意味犠牲者だ。ヘンデルが懸命に世話をするせいで、居心地のいい執務室に籠りきりだ。私がボート遊びに連れ出してやった頃が懐かしい」
側近が何を考えているのかに気付くことなく、アイギスは話し続けた。
このままアイギスのほぼ独り言で時間を潰すのは惜しいため、側近は第二王子に面会することを提案した。





