624 次の幕間
眠り姫、第二幕。
成人を祝う舞踏会で、王女は眠りに落ちてしまう。
勝ち誇る黒い魔女。
そして、隣国の王子が白い魔女と共に王女の元に向かう。邪魔をする黒い魔女。
王子と魔女の戦いは二人による技巧的な踊りだけではない。剣をあらわす男性達と呪いをあらわす女性の踊り手達の踊りも加わり、戦いの激しさを感じさせるような演出になっている。
王子側と黒い魔女側の踊りが競い合うかのように交代で披露された後、白い魔女とその魔法をあらわす踊り手達が登場する。
これによって王子側が勢いづき、勝利を手にする。
通常、眠り姫という題名からいってもヒロインは王女だ。
しかし、王女の出番は決して一番多いとは言えない。眠ってしまうため、最初と最後が見せ場になる。
王子は全幕に渡って登場し、存在感を示す技巧的な踊りや見せ場がある。
また、黒い魔女も開始早々強烈な印象を残し、第二幕でも激しい戦いの踊りを披露する。
そういったことから、眠り姫で最も注目すべきは王女と王子ではなく、王子と黒い魔女だと思っている者達も多い。
王子が口づけをして王女が目覚めたところで、第二幕は終了した。
「素晴らしい踊りでしたわね!」
アリアドネが興奮を抑えられないといったような表情で感想を述べた。
「昨日とは違う場所から見ると、やはり印象などが随分変わりますわ!」
アリアドネはゼロ番から鑑賞していた。
最も舞台の近くで見ることができるが、横から鑑賞することになる。
剣、呪い、白い魔女の魔法の力を示す者達による踊りは中央付近、全体的な視点で見る方が適していることをアリアドネは改めて実感した。
「リーナさんはどう思いましたの?」
「迫力のある攻防をあらわす踊りに圧倒されました!」
リーナも興奮気味だった。
「そうね! 確かに圧倒的だったわ! さすがエルグラードの王立歌劇場ね! デーウェンで見た時よりもはるかに感動したわ!」
「はるかに?」
リーナは不思議に思った。
アリアドネは大公女だ。デーウェンでバレエを観るとしても、最高の踊りを堪能できる立場にある。はるかという表現はデーウェン流の誇大表現なのだろうかと悩んだ。
「もしかして知らないの?」
アリアドネはそう言いつつも、説明をすることにした。
「デーウェンではバレエの人気が高くないの。海の男は勇猛果敢、常に男性らしくあれという風潮があるからよ。タイツ姿で踊る男性は軟弱に見えると思う者が結構いるの」
アリアドネはそう言いつつ兄と大叔父をちらりと見た。
「女性以上におしゃべりが止まらない男性もどうかと思うけど」
アイギスとラダマンティス公爵は苦笑した。
「デーウェンではオペラの人気が高い。民謡曲も非常に好まれる。海の男は船を操り、海を渡りながら故郷や愛する者への歌を口ずさみ、楽器を弾いて懐かしむ」
「愛をテーマにした歌や曲が一番人気だ」
アイギスに続き、ラダマンティス公爵が発言した。
「愛は国境を越え、海を渡る」
「デーウェンの男達を乗せた船と共に」
アイギスとラダマンティス公爵はデーウェンのアピールに関しても、素晴らしい連携を見せた。
「素敵です。愛も、海も、デーウェンも」
リーナの率直な感想は、アイギスとラダマンティス公爵の心をぐっと掴んだ。
デーウェンの男性達が尊ぶ全てを褒め称える言葉だ。つまり、デーウェンの男性全てが喜ぶ言葉と言っていい。
誰もが同じことを言いそうに思えるが、三つを全て挙げる女性は意外と少ない。
愛は一番に挙げる。お世辞のためにデーウェンも挙げる。だが、海が抜ける。
デーウェンの者達は海を愛してやまないからこそ、海があるとないとでは受ける印象が圧倒的に違う。
勿論、この言葉はデーウェンの女性であるアリアドネの心にも響いた。
さすがクルヴェリオン様が選んだ女性だわ。いかにも自然にさらりと全てを挙げるなんて。あまり利口そうには見えないけれど、油断は禁物ね!
「おお、リーナ! 私の心はもうリーナのものかもしれない! 後妻になってくれるなら、全財産を残す!」
ラダマンティス公爵は独身だ。結婚はしたが、妻はすでに亡くなっていた。
「さすがにそれは無理だ。息子達が大反対する」
アイギスが呆れた口調で真っ当に返した。
クオンとレーベルオード親子も間違いなく反対するが、そこはあえて触れたくない。
「大丈夫だ。自由にできる個人財産にする。それだけでもかなりあるぞ?」
「冗談はほどほどにして欲しい」
「はっはっはっ! 確かに私では年齢的に難しいだろう。だが、アイギスも独身だ。私よりも財産だけでなく身分もある。リーナの第二候補あたりにいれてくれないか? クルヴェリオン王太子には到底かなわないが、一生贅沢な生活をすることができるのは確かだ」
「勝手に売り込まれるのは困る。クオンに知られたら国外追放を言い渡されそうだ」
「愛の逃避行というのもロマンがある。アイギスや私は素晴らしい船を持っているからな! 新婚旅行は船で海を旅するのが慣例だ。東の海から昇る朝日、西の海に沈む夕日。一生の思い出になるぞ!」
「確かに一生の思い出になるだろうが、普通の旅行でも朝日や夕日は見ることができる。リーナ、本気にしないでくれ。デーウェンの者は何かと誤解を招きやすい言動をするのが常だ。できるだけ大きく様々に表現をするというデーウェン流の礼儀作法が起因している。ラダマンティス公爵は酒を飲んでいるため、余計に興奮してしまっているのだろう」
「はい。大丈夫です」
リーナは心の中で呟いた。
お世辞なのはわかっています!
心の中だけに、訂正する声は挙がらなかった。
「リーナさん、男性達がうるさいので化粧室に避難しましょう。一緒に行って下さるわよね?」
「はい」
アリアドネは十三歳。一人にするわけにはいかない。成人の付き添いが必要だ。
女性用の化粧室に男性陣がついて行くことはできないため、リーナが同行するのは当然のなりゆきだった。
「途中までご案内します」
パスカルが案内役として、化粧室の前まで同行することを申し出る。
残った男性陣はバーへ移動することになった。
王立歌劇場の各階には化粧室が複数ある。
特別な化粧室は王族席の者や国賓、特別な招待者だけが使用できる。
今回はあくまでも通常客としての利用方法をデーウェンの者達に紹介することになっているため、パスカルが案内したのは上級の化粧室だった。
「こちらです。リーナ、ここは上級だ。わかるね?」
「はい」
直前ではあるものの、王立歌劇場の利用説明をリーナは受けていた。
かなり前の話ではあるが、リーナは王立歌劇場を利用し、様々に案内を受けてもいる。
今回は女性がアリアドネとリーナということもあり、化粧室の利用を想定した説明もあった。
上級の化粧室は通常の化粧室と違う部分がいくつかある。
まず、入ってすぐの待合室には多数の化粧品や道具等の備品がある。
これらは販売している商人達が宣伝用に納品している試供品になるため、化粧室を利用する者達は自由に使用することができる。
但し、持ち帰るようなことはできない。万が一持ち帰ってしまうと、王立歌劇場の備品を盗んだことになってしまう。
また、友人に薦めるために一時的に化粧室から持ち出すのも禁止。
個室利用のルールも違う。
通常の化粧室は身分による優先はなく、並んだ順番通りに空いた個室を使用するという方式になるが、上級の場合は身分が優先される。
個室を使用するために並ぶ場所は三列になっている。
右は王族あるいは公爵家の者、中央は侯爵家の者、左は伯爵家以下となっており、自分の右側の列と前に並ぶ者がいなければ利用できるというルールだ。
そのため、アリアドネは一番右の列に並ぶ。大公女であっても、先に公爵令嬢や公爵の孫などが並んでいれば、その者達の後になる。
リーナは一番左の列になるため、右と中央の列と前の者が全ていなくなる状態まで待つことになる。
次がリーナの番になったとしても、後から右や中央に誰かが並べば、その者達の方が優先される。
簡単に説明した後、二人はそれぞれの列に並んだ。
アリアドネはほとんど並ぶことなく使用できたが、リーナは時間がかかってしまい、アリアドネを待たせることになってしまった。
「申し訳ありません」
リーナは待合室で化粧品を吟味しながら待っていたアリアドネに声をかけた。
アリアドネを待たせてしまうことは想定していたため、その場合はできるだけ混みやすい出入口の側でない場所で、化粧品などを吟味にして待つのがいいということは伝えていた。
「左の列は大変ね。というか、リーナであれば右で良かったのではなくて?」
リーナは首を横に振った。
「駄目です。あくまでも身分に基づくルールですので、私は左の列になります」
「そうなのね」
「特別化粧室を使えばいいのに」
そう言ったのは、アリアドネの側で化粧直しをしていたエメルダだった。その隣にはオルディエラとシュザンヌがいる。
「こんばんは。アンファレアス公爵令嬢。マーセット公爵令嬢、ピーニエ侯爵令嬢も」
リーナは声をかけてきたエメルダ、その隣にいるオルディエラとシュザンヌに挨拶をした。





