623 眠り姫
眠り姫。
とある国の美しい王女は幼少時、黒い魔女に呪いをかけられてしまう。
それは成人すると、永遠に目覚めない眠りについてしまうという呪いだ。
白い魔女は、王女を心から愛する者が口づけをすれば目覚めるという魔法をかけて対抗した。
王女の成人を祝う舞踏会が始まると、黒い魔女があらわれる。たちまち呪いが発動し、王女は眠ってしまった。
白い魔女はすぐに隣国の王子の元へ向かった。
隣国の王子は幼い頃に出会った王女に一目惚れしており、王女が呪いで眠ってしまった時は、必ず助けに行くことを誓っていた。
王子は王女を助けに行こうとするが、黒い魔女が妨害する。しかし、王子は王女への愛と魔法の剣、白い魔女の手助けによって黒い魔女を倒す。
王子が王女に口づけすると、呪いが解けて王女は目覚めた。
二人は互いに愛し合っていることを伝え、結婚式を挙げた。
第一幕終了後の幕間。
「何のひねりもない。単純すぎる」
王族席の間に移ったセイフリードはつまらなそうに答えた。
一緒にバレエを鑑賞しているエゼルバードが、第一幕の感想を求めたためである。
第一幕は幼少時代、黒い魔女が呪いをかけるシーンと、王女が王子と出会うシーンだ。
幕が開いた瞬間、緊迫した音楽が流れ、ヒロインが悪役に呪いをかけられるという危機的場面から始まる。
黒い魔女の荒々しい踊りの後、少女の王女と王子が出会い、互いに惹かれ合う様子をデュエットであらわし、妖精達が祝福する踊りを披露する。
「わかりやすいではありませんか。バレエは踊りや音楽を堪能するもの。ストーリーだけで判断するわけではありません」
「ストーリーは駄目だということだな?」
「そうではありません。セイフリードの意見はわからなくもありませんが、多くの者達が好みそうなものです」
「確かに三大バレエの一つではある。大衆ウケするのだろうが、僕の好みじゃない」
「では、どのようなものが好みなのですか?」
「このようなものではないものだ」
「随分と曖昧ですね」
エゼルバードは微笑みを崩すことなく、優雅な仕草でお茶を飲んだ。
夜の公演における飲み物は酒になるのが普通だが、今夜は未成年のセイフリードと一緒に鑑賞していることもあり、酒ではなくお茶にしていた。
「対称的要素に着目しては? 奥深さを感じるかもしれません」
「愛か?」
「その対称は何です?」
「憎しみだ」
眠り姫の話は美しい王女に黒い魔女が呪いをかけたことが発端だ。
多くの者達から愛される美しい王女に対し、黒い魔女は憎しみを覚える。
「美しさ」
王女の容姿だけではない。心の美しさでもある。
「醜さ」
黒い魔女の容姿。心。嫉妬。
「善」
白い魔女の行為。誰かを助けること。
「悪」
黒い魔女の行為。誰かを陥れること。
「白」
白い魔女、正しきもの。
「黒」
黒い魔女。悪しきもの。
「剣」
王子の武器。攻撃手段。
「呪い」
黒い魔女の武器ともいえる攻撃手段。
「魔法ではないのをわかっていますね」
「当然だ。王子の武器は正確に言うと魔法の剣だ。呪いを魔法だと考えることもできる。対称的どころか同じだ」
エゼルバードは満足そうに頷いた。
「セイフリードは芸術に関心がないと聞きましたが、こうして話してみると問題なく会話が成立します。勿論、私が答えやすいようなものを話題にしているせいではありますが、ひっかけにもしっかり対処していますし、頭の回転が速いこともわかります。もっと社交をして、自らの支持者を増やしてはどうですか?」
「余計なお世話だ。お前こそ幕間は社交に行け。うるさい」
「つれないですね」
「僕と親しくしたいのか?」
「いいえ」
「なぜ、今夜来た? 僕が先に予定を入れていたのを知らなかったのか?」
「昨日聞きました。まさにこの部屋で」
「昨日と同じ演目を同じ席で見て楽しいのか?」
「昨日はアイギス大公子と話していたので、バレエをじっくり見ることができませんでした。ですので、今夜は初見のようなものです」
「リーナを見に来たな?」
「セイフリードはどうしてここに? バレエが好きなわけでもありません。眠り姫の話も好みではないと言いました。おかしいですね?」
「監視だ」
「リーナのですか? それともデーウェンの者達ですか?」
「どちらもだが、まだいる。側妃候補達が来ている」
エゼルバードは驚いた。
確かに側妃候補達が社交目的で顔を出している。
キフェラ王女以外は全員だ。
側妃候補は許可がないと外出できないが、王宮敷地内においては許可が出やすい。
王宮や王立歌劇場の催しへの参加は外出できる貴重な機会になるため、顔を出すようにしている者達が多かった。
「それで来たのですか? 問題が起きないように牽制するつもりだと?」
「だとしたら?」
「兄上に頼まれたのですか?」
「違う」
「パスカルに何か言われたのですか?」
「自分が構えない時に問題を起こされては困ると言われた」
率直すぎる答えにエゼルバードは口角を上げるしかない。
「それはそうでしょう。デーウェン大公族をもてなさなければならないというのに、セイフリードが起こした問題に対応したくなどありません」
「暇つぶしも兼ねているが、少しずつ社交の場に顔を出し、来年には成人することをアピールしなければならない」
「宣伝ですか」
「僕が望んでしていることではない」
「それでも来たのですね。パスカルの対応がいいのか、それとも……リーナのおかげでしょうか?」
意味深な言葉を発したエゼルバードをセイフリードは強く睨んだ。
「お前……」
セイフリードは間をおいてから、続く言葉を発した。
「リーナのいるボックスばかり見ていたぞ?」
「気になるのです。デーウェンの者達と一緒なので」
「リーナが口説かれるのが心配か?」
「話術に魅了され、親デーウェン派になるかもしれませんね」
「兄上は元々親デーウェン派だ」
「リーナが加われば、デーウェンは安泰です」
「ミレニアスとは大違いだ」
エゼルバードは多くの他国人と親しくしている。どこか一つの他国だけを優遇しているつもりはない。
しかし、留学した先がミレニアスということで、ミレニアス贔屓だと思われているのも事実だ。
「そういえば、キフェラ王女が戻ってきました」
「馬鹿な女だ。どうせ死ぬなら故国で死ねばいいものを」
「まだ死んでは困ります。それが引き金で戦争になって欲しくはありません」
「くだらない理由による戦争ほど愚かしいものはない」
「人の命は尊いといいつつ、実際はどの程度の価値があるのかを決めつけます。これこそまさに愚かしいことなのかもしれません」
「いわゆる現実だ」
「成人すれば、現実に対処することになります。いつまでも兄上の守りを期待してはいけません」
「お前こそ、いつまでたっても兄上に守られていて恥ずかしくないのか?」
エゼルバードはセイフリードを真っすぐに見つめた。
「セイフリード、私は正式に外務を担当しようと思っています。勿論、他の分野にも手を出していますが、何か一つということであれば外務を選びます。エルグラードは大国だけに、外務の負担は大きい。兄上の負担を最も軽くする選択肢の一つです。軍務の負担も大きいでしょうが、それはレイフィールが担当しています。セイフリードはそれ以外の中から選びなさい」
「芸術でもいいのか?」
「構いません。セイフリードが担当になったからといって、私が芸術から離れることはないでしょう。仕事ではなく、趣味に専念するだけの話です。むしろ、そうなったら嬉しいですね。芸術に興味のないセイフリードが芸術のために動いてくれますし、話し相手としてより成長してくれそうです」
「芸術は担当しない」
「残念ですね」
「嬉しいくせに」
「嬉しくも残念です。これは本音です。兄上やレイフィールは芸術に構っている暇がないのでね。話し相手が欲しいのです」
「ロジャーやセブンと話せばいい」
「二人共に芸術の知識を持ち、相応の価値は認めているものの、芸術を心から愛しているわけではありません」
「他にも友人がいるだろう?」
「可愛い妹と話すのもいいかもしれません。可愛げのない弟ではなく」
わざとらしいとセイフリードは思った。
「僕も優しい姉と話す方がいいと思う時がないわけでもない。適度に兄面するだけのような偽善者ではなく」
会話が途切れる。
しかし、またもエゼルバードがセイフリードに話しかけた。
「セイフリード、兄上の邪魔をしてはいけません。リーナは兄上のものです」
エゼルバードがそう言ったのは、人を寄せ付けようとしないセイフリードがリーナを特別視していることを知っているからだ。
兄の寵愛する女性というだけではないかもしれないという疑念が拭えない。
リーナの優しさは誰もが認めている。魅力だと感じることは、エゼルバードも認識していた。
セイフリードはすぐに顔をしかめた。
「わかっている。無用の心配だ。むしろ、今の言葉はお前に返す」
「私は問題ありません。だからこそ、セイフリードに注意したのです」
セイフリードは強い視線でエゼルバードを見つめた。
「鏡を見た方がいい。お前の言葉がいかに嘘臭いかわかる」
「顔にあらわれていると?」
「兄上の恋人を守ろうとしているのはわかる。デーウェンの者達が気になるのもわかる。僕も同じだからだ。だが、僕とお前では表情が全く違う。僕は監視と牽制のため、睨みつけるように見ている。だが、お前は呆けるように見ている。なぜここまで違うのか、邪推する者達が出てくることがわからないのか?」
セイフリードは自分の視線がどのように見えるのかを意識していた。
意図的なものであることをエゼルバードは理解した。
「呆けている? 私が?」
「自覚なしか。始末が悪い」
エゼルバードは黙り込んだ。
自覚はあった。今日ではなかったが。
何をしても退屈に感じてしまうため、リーナのことを考えて気分を上げようとしていただけだとも。
「セイフリードが私のためを思って言ってくれたのですから、無下にはできませんね」
「お前のためじゃない。兄上とリーナのためだ」
「兄上だけのためではないのですね」
「すぐに揚げ足をとろうとする。嫌味なやつだ」
「ただでさえ不快そうにしているというのに、そうやってすぐに割り増しするのはどうかと思いますが」
「気に入らないなら一緒にいなければいい」
「ここは私の領域です。出て行くとすれば、セイフリードの方でしょう。ですが、社交に行きたくはないのでしょう? 我慢しなさい」
「お前が社交に行けばいい」
「そのような態度をすれば、私はますますここにいるでしょうね」
「嫌なやつだ」
「本当につれない弟です。妹であってもそりがあわなさそうですね」
「妹であれば、このような性格にはならなかったかもしれない」
「自覚があるのですね」
「頭は悪くないからな。知りたくもないことも、わかってしまうだけだ」
「では、結末はどうなると思いますか?」
「何の結末だ?」
「眠り姫の」
セイフリードは眉をひそめた。
「特別な演出があるのか?」
眠り姫の結末はハッピーエンドだ。王女と王子は愛し合い、結婚式を挙げて終わる。
「そうではありません。眠り姫という物語は、愛し合う二人が結婚して終わります。ですが、二人の人生はその後も続くはずです。一生愛し合い、添い遂げるのでしょうか? 逆に不和が生じ、別れてしまうのでしょうか? セイフリードはどう思いますか?」
セイフリードは面倒そうな表情になった。
「妄想話か」
「自由に考えることができます。どう思いますか?」
「知るか」
「知りたくもないことまでわかってしまうほど賢いのでしょう? ならば、この物語の真の結末を教えて下さい」
「無理だ」
「なぜ?」
「僕は作者ではない。作者が考えた結末こそ、真の結末だ。どうしてもというのであれば、物語として描かれた結末の余韻通りに考えればいい。つまり、最後の最後までハッピーエンドだ。エゼルバードの例えになぞらえるのであれば、一生添い遂げ、多くの子供が生まれ、幸せな人生を送る。お前の満足しそうな答えではないか?」
エゼルバードは微笑んだ。
「とても安心しました。セイフリードならバッドエンドだと言いそうだと思いましたが、ハッピーエンドを支持してくれました。しかも、結末の余韻通りと言いました。雰囲気とも言えますが、感性による判断です。それが芸術には必要なのです。セイフリードはきっと、良き芸術の理解者になれるでしょう」
「芸術ほど自分勝手なものはないと思うが」
「そうやってまた私を楽しませてくれるのは嬉しいですね。芸術に関する話はいくら話しても尽きることがありません」
もう終わりにしたい。芸術の話も、エゼルバードの相手も。
セイフリードは時計を見て、幕間の残り時間を確認した。





