62 守らせて欲しい
しばらくすると、パスカルが戻ってきた。
「部屋にいないから焦ったよ。まだこっちにいたのか」
待つ場所は青の控えの間のことだったのだとリーナは気づいた。
「掃除をしていたのかな?」
「はい。お菓子のクズがこぼれていないかと思って。ここは私の担当ですし、先に掃除しておけば勤務も楽になります」
「そうだね。良い判断だ」
パスカルはポケットから小さな箱を取り出した。
「これをあげる」
購買部で売っている菓子だった。
「これなら持っていてもおかしくない。さっきのお菓子の代わりだよ」
「……もしかして、わざわざ買って来たのですか?」
「ポケットに隠せる程度のものになってしまったけどね」
リーナはパスカルを見つめた。
「さっきのお菓子は捨てるべきものでした。私のことを考えて、問題にならないようにしてくださったのです。なのに、他のお菓子をいただくなんてできません」
「リーナは頑張っているし良いことをしている。お菓子を貰えたのはその証拠だ。でも、特別なお菓子だった。そうだね?」
「そうです」
リーナは頷いた。
「今日のことは全て秘密だ。おかげでリーナが良いことをした証拠まで秘密になってしまった。だから、これを買って来た」
パスカルは優しく微笑んだ。
「僕はちゃんとわかっている。リーナが頑張っていることを。これはその証拠だ。受け取っても大丈夫だよ」
パスカルはリーナの手を優しく取り、そっとお菓子の箱を持たせた。
「一所懸命頑張っているリーナが問題に巻き込まれたら大変だ。だから、僕に相談してくれないか?」
今日会った軍人や、一緒にいたローレンやアレクという者に何かを命じられたら、取りあえずは従う。
逆らったらどうなるかわからないからだ。
その後、何があったかを伝えるようパスカルは言った。
「何も知らないとリーナを助けることができない。だから、ちゃんと教えて欲しい。僕は王太子の側近だ。リーナを守れる」
「……守ってくれるのですか?」
パスカルは頷いた。
「僕は時々後宮に来る。相談したいことがあれば、隣にある掃除道具入れの戸棚に手紙を入れて置いて欲しい。担当している掃除の場所と時間を書いておいてくれれば、それに合わせて会いにいくよ。後宮に来た時は手紙があるかどうかを確認していくことにするから」
但し、絶対にリーナやパスカルの名前を書いてはいけない。
誰かに見られても誤魔化せるよう差出人や受取人がわからないようにする。
特別なこともないのに会うのは良くない。どうしてもという時だけ手紙を置くよう注意された。
「ただの相談なのに、情報漏洩だと思われては困るからね。わかったね?」
リーナは気づいた。
すでにクオンや第二王子に言われ、手紙のやり取りをしたことがある。
それはつまり、情報漏洩になるかもしれない行為だ。
そして、パスカルの指定した場所はクオンの指定した場所と同じだった。
クオンからの手紙をパスカルが発見してしまうかもしれない。
給与明細もどうなったのかわからない。ある日突然返されていたら困る。
……言えない。クオン様のことは。
「リーナ?」
「無理です。ご迷惑をおかけしたら大変です」
断ることにした。
そうすれば関係ない。パスカルにわかってしまうことも問題にもならないと思った。
「迷惑じゃない。僕がそうしたい。リーナのことが心配だから」
リーナはパスカルの優しさが嬉しかった。
だが、問題が起きては困る。
クオン様に迷惑がかかったら……。
クオンも優しい。
リーナが一人で仕事をしていることや他の男性に襲われないか心配してくれた。
会った際は一緒についてきて、リーナが仕事をするのを見ていた。
監視されていると思ったが、リーナが一人で仕事をするのは危険かもしれないと思い、ついてきたのかもしれない。
控えの間でお菓子を食べた時も、違反行為だというのに反省すればいいと言ってくれた。
そればかりか、お菓子も沢山くれた。おかげで空腹を紛らわせることができた。何度も助かった。
恩人であり、寛大で慈悲深い貴重な助言者だった。
迷惑をかけるわけにはいかない。
だからこそ、パスカルには話せない。話したくないとリーナは思った。
「……だったら、別の場所にしていただけないでしょうか?」
リーナは恐る恐る尋ねた。
「ここじゃダメってこと?」
「ここを掃除する時間は状況によって変わることもあります。パスカル様が帰ってしまった後に置いたらなかなか読んで貰えませんよね?」
「最初に掃除するのはどこかな?」
最初に掃除する部屋にするのも困る。白の間は第二王子の指定場所だ。
「リーナが何かを隠そうとしていることは、表情や態度を見れば明らかだよ。僕のことを信じてくれないのかな?」
リーナは顔を下に向けた。
「秘密があると苦しい時もある。僕に話してくれるなら、一緒に苦しみを分かち合える。助けることだってできる。僕を信じてくれるなら、話して欲しい」
パスカルの言葉はリーナの心を揺さぶった。
リーナは話すことにした。クオンではなく第二王子のことを。
「最初に掃除をするのは白の間です。でも、掃除道具入れには第二王子の手紙があるかもしれなくて……」
「第二王子の手紙?」
パスカルは驚愕した。
「第三王子殿下ではなく?」
「違います。第二王子です」
「リーナは第二王子殿下を知っているということかな?」
「はい。実は」
リーナは掃除中に過労で倒れた際に第二王子に発見されたこと、様々に質問され、休養室について教えるように言われたことを説明した。
その際、手紙の受け取りや返信には白の控えの間のトイレにある掃除道具入れを利用することも話した。
リーナは王族の命令に従っただけだ。
特別なことはしていない。質問票の内容に答えて返信しただけ。
それが役に立ったらしく、第二王子に褒められた。
その後は特に何もない。
だが、二度と手紙はない。白の控えの間のトイレを確認しなくてもいいとも言われていない。
今後はどうなのかと確認できるような相手でもない。不敬になったら困る。
「仕方がないので、今も確認しています。掃除する時は道具入れを開けるわけですし……なので、パスカル様の手紙は別の場所の方がいいと思いました」
パスカルは黙り込んだ。
話を聞いた限り、リーナに自覚はない。
だが、情報のやり取りをする手段を教えられているということは、第二王子側にとっては情報提供者か調査員の扱いだ。
非常に厄介な者に目をつけられ、利用されていた。
しかし、パスカルにとっては好機だった。
第二王子や第三王子に流れる情報をリーナから直接教えて貰うことができる。
第二王子や第三王子の動きについて情報を得られる可能性もある。
王太子の側近として取るべき行動は一つだとパスカルは判断した。
「よく話してくれたね。王族の命令に従うのは大事だ。命令に従わなければ捕縛される。リーナは自分の身を守るためにも、そうするしかなかった」
リーナは何度も頷いた。パスカルはわかってくれると思いながら。
「もしかすると、忘れた頃にまた何かあるかもしれない。その時は王族に従えばいい。ただ、第二王子殿下は気まぐれで有名だ。恐ろしいほど冷たい時もある。召使いのリーナを守ってはくれないかもしれない」
そうかもしれないとリーナは思った。
第二王子はなんとなく怖い気がした。
王族にとって平民の孤児で召使いでしかないリーナはちっぽけな存在だ。
守ってくれるわけがないと感じた。
「でも、僕は違う。王族の側近だ。なんとかできるかもしれない。第二王子殿下や第三王子の部下から命令されたり手紙を貰ったりしたら僕に教えること。いいね?」
「……はい」
「じゃあ、どこがいいかな? リーナの仕事に合わせて考えて見て欲しい」
リーナは考えた。
「朝食後、最初に掃除するのは緑の控えの間です。いつも七時から八時の間に掃除します。八時以降であれば、手紙が置いてあるかどうかが確定します」
緑の控えの間は王太子殿下が突然使うことがある。
緑の応接間にいると王太子だとわかりやすくなるため、あえて控えの間を利用するのだ。
「緑の控えの間は僕以外の者も使う。使用中だと中には入れない。あまり使われない場所がいいかもしれない」
「黒の控えの間や緑の応接間とか」
「じゃあ、緑の応接間にしよう」
緑の応接間は王太子が来た時に使用される。他の者は使用しない。
使用状況は側近であるパスカルにもわかる。
「緑の応接間は何時頃に掃除をするのかな? 大体でいいけど」
「十三時から十四時の間に掃除します。いつも綺麗なので、十五分程度で終わります」
「時間がわかりやすいし、都合がいいね。会いたい時もそこで会える。じゃあ、緑の応接間の掃除道具入れに何かあれば手紙を入れておいて欲しい」
「はい」
「大丈夫。僕はリーナの味方だ。リーナが困るようなことにならないようにする。守ってあげるからね」
「でも、私はただの召使いです。どうして守ってくれるのですか?」
「リーナのことが好きだからだよ」
パスカルはリーナを優しく見つめた。
「真面目で誠実なリーナが幸せになれるよう力になりたい。守ってあげたい。僕にリーナを守らせて欲しい」
パスカルはせつなげな表情を浮かべ、リーナを抱きしめた。
「僕の言葉を忘れないで。必ず知らせて欲しい。なんとかする。信じて欲しい」
パスカルは自分の魅力を知っている。
優しさだ。
人は優しさに弱い。
優しくされると心を許し、信用してしまう。
心地良さを感じていたい。失いたくない。だからこそ、疑いたくもない。
愛もまた同じく。
「あまり長くはいられない。僕は先に部屋を出る。少し時間を置いてから出るように。名残惜しいけれど、またね」
パスカルは優しく微笑むとドアを開けて出て行った。
リーナは固まったままだった。
胸がドキドキして止まらない。体も足もしびれたように動かない。
で、でもここにいたら駄目……休みだし。
リーナは自分にそう言い聞かせると、急いで自室に戻った。
そして、昼寝をすることにした。
寝てしまえば何も感じない。
そう思った。





