613 緊急の打ち合わせ(三)
「失礼します」
「サードネームわかった?」
「全名が判明しました。ララーザ=マリア=フェデリカ=クリスティーナ=デ=イーストランド=ストラーバスでした」
エルグラードが併合した東の国では両親の家名が表記される方式だった。
貴族の場合は『デ』という冠詞の後に父親の家名、その後に母親の家名が来る。
しかし、エルグラードにおける国民登録は名前が二つ、家名が一つまでになるため、ララーザの国民登録名はララーザ=マリア=イーストランドになっていた。
貴族年鑑などにはその名称が本名として掲載されている。
「それって何でわかったの? 領民登録の名称?」
「そうです。領民登録に際しては古来の慣習や記述形式をそのまま継続できます」
エルグラードが他国を併合する際、元他国人全てに対してエルグラードの国民登録をするのはかなりの時間と手間がかかるため、臨時処置として旧国形式のまま領民登録に差し替え、順次エルグラードの国民登録をしていくことになった。
そのため、領民登録に関しては国民登録と完全に一致しない形式であっても、その地方独特の慣習や形式に添うもの、間違いなく本人であることがわかれば問題ないということになっていた。
「さすが内務省! いや、レーベルオード伯爵を褒めるべき?」
「父の方かと。特別に調べることなく、すぐに教えてくれました。洗礼名はクリスティーナです。東地域では最後の名前を洗礼名と同じにする風習があることから、通常はセカンドネーム、イーストランド公爵家であればフォースネームになるそうです。常識だと言われてしまいました」
「エリートは違うなあ!」
ヘンデルもエリートと呼ばれる部類だ。しかし、上には上がいる。
王太子の首席補佐官になれたのは能力だけの問題ではなく、友人としての立場があればこそだとヘンデルは認識している。
単純に能力的なものということであれば、キルヒウスやレーベルオード伯爵など、自分より上を行くエリートの中のエリート達が大勢いると思っていた。
「内務大臣が居合わせたので筆談にしたのですが、イーストランド公爵家の話をしていたため、少しだけ留まって会話に参加してきました」
「えっ、なんかあったの?」
「王都の花街が広がっている話です。イーストランド公爵家がイースの事業者に出資し、それが王都進出及び事業拡大の資金になっているのですが、夜間営業をするような店、風俗産業への投資が多いようです」
イースは元王都という歴史的かつ東地域で最も大きな都市になる。その中にはエルグラード最大級を誇る夜街と花街があることで有名だ。
王都よりも圧倒的に規制が緩いため、驚くほど数多くの酒場と娼館が軒を連ねている。
「地方から王都に進出して事業拡大をすること自体は問題ありません。ですが、夜街、花街が急激に広がるのは風紀と治安の乱れる元になりかねません。条例で規制している区域にも飲食業などを隠れみのにして進出しているため、対策をして欲しいという声が内務省にまで届いているとのことでした。この件に対する王太子府の担当者は誰だと聞かれたのですが、私ではないと答えておきました。また退出する際、イーストランドを叩く時はぜひ声をかけてくれと言われました」
「ひぃっ、内務大臣ぶっちゃけすぎ!」
「ですが、手を貸すとは言っていません。内務大臣らしいですが」
「まあ、全名わかったのはいいかなあ。とにかく、カルメンはない。偽名かペンネーム。本名でも洗礼名でもない」
クオンは決断した。
「この件に関しては早急な対策を施す必要がある。情報漏洩は絶対に阻止しろ。証拠が消去されてしまう可能性がある。夕食は父上と取ることにする。伝令を出せ」
「パスカルが行って」
「はい。失礼します」
パスカルが退出すると、キルヒウスが鋭い口調で言った。
「司法捜査を支持するかどうかだけは確認したい」
王家にとって、多くの特権を持つ四大公爵家は味方とはいえない。
これまでもことあるごとに特権をはく奪し、弱体化を図って来た。
今回はイーストランド公爵家を弱体化する機会になりえる。
国王がどう判断するかはともかく、王太子がどう思っているのかは、側近として確認しておくべきことだった。
「より詳しい調査が必要になる。正確な判断をしたい。現時点においては、イーストランド公爵家の特権はく奪よりも後宮の解体に活用したい。但し、同じようなことが王宮でも行われていれば、違反として厳重な処置を取りにくい。王宮側の現状を調べなくてはならないだろう。手始めに王太子府の雇用者に関し、国民登録の氏名で採用され、給与口座名が本名と一致しているかどうかを確認しろ」
「お金に絡むことはシーアス担当だよね」
「早速指示を出しますので、これで失礼します」
シーアスが退出する。
残るは二人。
クオンは質問した。
「キルヒウス、通常呼称のみで身分証や給与口座を作ることは違反だな?」
「違反だ。公職につく者は全て本名、国民登録と同じでなければならない。通常呼称はあくまでも同姓同名を区別するための二次的なものでしかない。本名ではないものを、本名として扱うことはない。給与口座も同様だ」
「だが、偽名で国民登録することはできる。リーナはそうだった。孤児のせいかもしれないが、それ以外にも抜け道があるのではないか?」
「可能性は否定できない。しかし、偽名で国民登録をするのは違反だ。はっきりいえば、リーナ=セオドアルイーズも違反をした」
キルヒウスは冷静な口調で容赦なく言い放った。
「しかし、本人はリリーナだと主張したにもかかわらず、孤児院にリーナという名称及び勝手に創作した家名を登録され、強要された。孤児で未成年であったことを考えれば、孤児院の決定に抗うことはできない。どう考えても違反責任は孤児院になる。裁判になっても、リーナ=セオドアルイーズは無罪になるだろう。だが、偽名の国民登録を残しておくのはよくない。素性調査により、本来の氏名に戻すのが正当な手続きになる」
キルヒウスは更に話を続けた。
「以前から言おうと思っていたが、リーナ=レーベルオードの養女になったものの、状況的に過去のことが注目される。ミレニアス王家が認めないことはわかっているが、リリアーナ=ヴァーンズワースの娘として届け出ればいいのではないか? その方が、なぜレーベルオードが引き取ったのかも説明がつきやすい」
クオンは驚きの表情になった。
「国家機密を暴露するというのか?」
「父親名は空欄にすればいい。リリアーナ=ヴァーンズワースがレーベルオード伯爵と離婚してからインヴァネス大公と婚姻するまでの期間に産んだ娘であれば、父親が誰かは、リリアーナ=ヴァーンズワースのみ知るということになる。公爵家の養女になるまで、リリアーナの国籍はエルグラードだ。その前に生まれた娘であれば、エルグラードに出生届を出すことができる」
キルヒウスはリューイック公爵家の養女になるまで、リリアーナが何年にも渡ってエルグラード国籍を保持していたことに着目した。
その間に産んだ子供は、両親が国籍を持つ国において出生届を出すことができる。両親が別々の国籍である場合は、二重国籍にすることが可能だ。
但し、いずれは一つの国籍だけにするため、選択しなければならない。
二重国籍は両国における手続きをしなければならなくなるため、通常は最終的に選択されると思われる国に対してのみ出生届を提出し、二重国籍になるのを防ぐ。
しかし、リーナの場合は逆にそれを利用する提案だった。
父親の国籍であるミレニアスでの出自及び生存を否定されたため、母親の国であるエルグラードに出生届を出し、国籍を得るというものだった。
「リーナ=セオドアルイーズはリリーナ=ヴァーンズワースとしての国民登録に切り替える。その後、リーナ=レーベルオード、必要であればリリーナ=レーベルオードになったことにすればいい」
「でもそれ、リリアーナ=ヴァーンズワースが届け出を出す必要があるよね?」
「そうなる」
「今更可能なの? 二十年も経っているよ?」
「エルグラードの法律において、出生届は生後可能な限り早く届け出なければならない。しかし、海外に居住しているなどの特別な事由があれば、後から届け出ることも可能だ」
当然のごとく、キルヒウスはこの件に関し、様々に調べていた。
その中には、出生届を出し忘れ、成人した際に発覚して届出をして認められたという事例もあった。
その場合は十八年分の遅延に相当する罰金が化せられたものの、多額ではなかった。
「リリアーナ=ヴァーンズワースがミレニアスにいたのは、レーベルオード伯爵家との離婚によって自身やヴァーンズワース伯爵家が非難されないようにするための予防策だった。留学費用をレーベルオード伯爵家が捻出していることからも、両者が合意した上での対応だったことが証明できる。しかし、そのような状況で娘を産んだことが判明すれば、余計に問題視され、誹謗中傷されるかもしれない。そのような事由により、出生届を出せなかった。しかも娘が誘拐されてしまったため、本当に娘を産んだかどうかを確認できない状態になってしまった。ようやく生き別れになった娘が発見されたため、手続きをしたということにすればいいのではないか?」
クオンとヘンデルは目を見張った。
「それだ!」
ヘンデルは目を輝かせた。
「リーナちゃんのセオドアルイーズの方の素性調査は継続中になっているはず。だから、リリアーナ=ヴァーンズワースが母親だと名乗り出て、手続きすれば解決だよ! 婚外子だけど、貴族の子だ!」
「父親はわからないため、身分が平民になる可能性がある」
「貴族の女性が産んだのに? 親権は貴族の母親だよね? 貴族の戸籍に入るよ?」
「両親が共に貴族だと判明していない場合、貴族身分を認められない可能性がある。爵位の継承権が絡むと余計に厳しい判断になる。だが、平民としては確実に認められる。血族であり、養子に出せば貴族の身分を得られるため、嫡子に近くなる。また、出生届には出生証明書という部分がある。生まれた日や時間、場所、体重や身長、第三者の証明が必要だ。子供を取り上げた医師、助産婦等が証明するが、その他というのもあり、領主などが署名することもできる。ここにレーベルオード伯爵あるいはインヴァネス大公の名前を書けばいい。出生地の領主はインヴァネス大公だ。また、リリアーナは離婚した後もレーベルオード伯爵領の領民だった。自らが所属する領主の証明を受けたことにすればいい。レーベルオード伯爵領の領民として届け出れば、不受理になることはない。領主が元夫で養子先であれば確実だ」
「すぐにミレニアスに使者を送ろう!」
「待て。時期が悪い」
クオンは険しい表情で言った。
「レイフィールの報告がない」
「あ、そっか……」
レイフィールは現在、夜間演習の後、そのままレールス方面の視察に赴いている。
表面的にはミレニアスの協力が得られないことから、より厳しい国境警備体制を整えるため、更にミレニアスにおける視察の際に発覚した自然災害への対策等が進んでいるかの確認もある。
だが、裏では現地情報を確認し、極秘作戦を決行する時期を打ち合わせることになっていた。
ユクロウの森のミレニアス側にある違法薬草園を焼き払う作戦である。
このことにミレニアスが反応し、国境付近の状況が一気に悪化、戦争に突入する恐れもある。
あくまでもエルグラードは自然災害であること、ミレニアスが国境を越えてきた場合の自国防衛に専念することになってはいるものの、どうなるかはわからない。
非常に危険な状況にもなりえることが予想されることから、ミレニアスにいる者とやり取りするのに適した時期ではないことは明白だった。
少なくとも、レイフィールからの報告を受けてから、決める方がいい。
「夕食後にパスカルとレーベルオード伯爵を呼べ。父上と共にその件を話す」
「わかった。夕食ではなくて、夕食の後ね」
「後だ。夕食は父上と二人で話し合う」
自らの判断ではあるものの、リーナとの夕食予定もその後の時間も消えた。
クオンはため息ともいえる深呼吸で気持ちを切り替えた。





