612 緊急の打ち合わせ(二)
「ララーザ=イーストランドだと?」
さすがにその名前であればクオンも知っていた。
イーストランド公爵令嬢だ。
「ヴィクトリアは芸術関係者に知り合いが多いから、カルメン=ニースがララーザ=イーストランドのペンネームらしいという噂を聞いていた。そして、本人に会って確信したそうだ」
「ヴィクトリアはララーザと面識があったのか?」
「かなり昔のことみたいだけどね。しかも、ララーザは本人だとバレないように変装していたらしいけど見破ったらしい。舞台用の化粧をしていたのが理由だとか。凄い眼力だねえ」
女性の化粧の力はあなどれない。特に、男性には化粧のことがわかりにくい。
ヴィクトリアが女性であり、舞台化粧などの専門的な知識を持っていたからこそ、ララーザの変装を見破ることができたのだとクオンは思った。
ヘンデルが聞いた話によれば、ヴィクトリアはララーザとしてカルメンに話しかけ、自分の本当の家名はノースランドであること、講師の際は問題を防ぐためにノースと名乗っていることを話した。
すると、カルメンも無用なトラブルを防ぐためにカルメン=ニースという呼称を使用し、ララーザ=イーストランドであることは秘密になっていると打ち明けた。
ララーザの話では、貴族として活動する際は本名、芸術等の活動は偽名にするという形で分けているという話だった。
「トラブルを回避するため、カルメン=ニースという通常呼称を使っているということか?」
「たぶんそうかなあ。でも、ララーザ=イーストランドとカルメン=ニースじゃ全然違うよね? 通常呼称は基本的に本名から類推可能なものというのが条件だ」
通常呼称を使用する際には細かいルールがある。その一つとして、通常呼称名は本名に近いものにすることになっている。
ニースという家名はイーストランドのイースの部分に近い。しかし、イーストランドをイースと短縮し、さらにニースと変換すれば、かなりの違いがでる。類推しにくい。通常であればイース、イーストなどといったわかりやすい短縮形にする。
他にも両親どちらかの実家名を使用する、結婚前の旧姓のままにするなどいくつかのパターンがある。だが、ララーザ=イーストランドは未婚であり、母親の旧姓もニースではない。
ファーストネームに関しても、ララーザとカルメンでは全く違う。ララ、ラーザなどであれば問題ではなかったが、そうではない。通常呼称の範囲とはいえない。
そういったことから、単純にカルメン=ニースという名称から考察すると、ララーザ=イーストランドは偽名で公職ともいえる後宮の常任講師として採用されている状態のように思えた。
勿論、これは違反である。
しかも、王宮敷地内における違反等はより罪が重くなるという慣例があるため、かなりの罪に問われることになる。詐欺罪、文書偽造罪などに該当する。
また、ララーザが意図的にそうしただけとは言い切れない。雇用の際には国民登録証などを確認し、本人に間違いがないことを確認することになっている。
後宮を含めた組織的な偽造だと発覚すれば、より重罪になる。
「ララーザのセカンドネームは?」
ララーザという名前ではあまりにも誰なのかがわかりやすいため、セカンドネームを通称名に採用した可能性がある。
「マリア。貴族年鑑を久しぶりに手に取ったよ」
「サードネームは?」
基本的にエルグラードの国民の多くはセカンドネームまでになる。国民登録の際に記入する名前欄が二つしかないため、それ以上の名前があっても書くことができない。
但し、王族は四つの名前を持つ。
四大公爵家は元王家の子孫であるため、名前を二つ以上持っているはずだった。
「貴族年鑑には載ってなかった。調査中」
「誰に指示を出した?」
「俺に話す前にパスカルがキルヒウスと話して、サードネーム以降を確認することになったらしい。サードネーム以降でカルメンというのがあれば、それを採用したということになる。家名は微妙なところだけどね。んで、丁度シーアスとアンディもキルヒウスの部屋にいたから、手分けしてあちこちに確認することになったらしい」
「時間がかかりそうではある。夕食後でもいいのではないか?」
「キルヒウスが十分後にここに来るって。そろそろかも?」
ヘンデルの言う通り、ドアがノックされてすぐに開き、キルヒウスが姿をあらわした。
「ヘンデル、伝えたか?」
「今、伝えた」
「宰相は知らなかったらしい。司法捜査をするかどうかは国王と相談するらしい。イーストランド公爵家が関わるため、判断はかなり慎重になるだろうという回答だった」
司法捜査。それは正規の犯罪として捜査をするということになる。
後宮、そしてイーストランド公爵家が関わることだけに、あまりにも大きな問題であることは間違いがない。
内密に処理する可能性が非常に高かった。
「随分早いね」
「お前に伝えられたのは最後だ。私達は今日の昼には話を聞いていた」
「えっ、昼に?!」
ヘンデルは驚き、自分だけがのけ者扱いされたように感じた。
「お前は体調を崩すほど忙しく、回復した後も休みなしの状態だ。少しでも負担を減らすため、私達の方で調べることにした。本名に類する通常名称であれば、何の問題もない」
すぐに知らせなかったのはヘンデルの体調や多忙さを考慮してのことだった。
しかし、ヘンデルにも首席補佐官としての意地とプライドがある。素直に喜べなかった。
「……でも、国民登録はセカンドネームまでだよね? サードネームがあったとしても、どうやって証明するわけ?」
「領民名あるいは洗礼名に関する書類等になる。何かしら公的と思われる書類がなければ、本人や家族が主張しても認められない」
「調べるのが大変そう」
「そうでもない。領民名であれば内務省でわかるため、パスカルが行った。父親に話して内密に調べて貰うよう指示した」
「使える父親はいいなあ。でも、内規に触れない?」
「側近命令で対処できる。パスカルは父親だからといって遠慮するような者ではない」
パスカルを側近にしておいたのは正解だったとクオンとヘンデルは思った。ただの補佐官ではこのような命令は出せない。
「失礼します」
シーアスも姿をあらわした。大量の書類を持っている。
「カルメン=ニースの給与は同名義の給与専用口座に振り込まれています。ララーザ=イーストランドではありません。本名の同時記載もありません」
公職につく者の給与は全て王立ヴェリオール銀行の給与専用口座に振り込まれることになっている。
基本的には各所属機関からの振り込みになるが、公務員の給与口座への不正入金や改ざん等を財務省が監視しているため、担当部署に行けば公務員の給与口座への入金額のみ調べることができる。
「じゃあ、偽名口座発覚だね」
公職につく際は本名でなければならないため、給与を受け取る銀行口座名も当然のごとく本名になる。偽名や他人名義の口座に振り込むことはできない。
通称名だけで口座を作ることもできない。それを可能にすると、本名と通称名と二つの口座を作れることになってしまうからだ。給与口座は一人一つである。
ララーザ=イーストランドがカルメン=ニースの口座を通して給与を受け取っている時点で、違反になる。
「講師にしては多額であることも判明しました」
「いくら?」
「約百万ギール。授業一回につき二万の報酬のようです」
つまり、年収は一億ギニー。四十五分で二百万ギニーを稼ぐということになる。
「後宮の常任講師ってそんなに貰えるの? 授業は週一で残業なしだよね? うわー、いいなあ!」
「それが常任講師の相場なのか? 私が聞いた話では、ヴィクトリアの報酬は一回千ギールだったはずだ」
後宮の講師になるのは一流の経歴を持つことが認められた証だ。
名誉を得ることが代償ともいえるため、必ずしも給料が高いわけではない。むしろ高名な者にしてはかなり安い、交通費と昼食代にしかならないという説明をクオンは聞いた気がした。
「他の講師の給与も調べました。かなりバラつきがあります。恐らくは、勤続年数や能力等後宮による査定などがあるのではないかと。全員本名といいたいところですが、通称名と偽名らしい口座が多数見つかりました。また、振込回数や振込日が統一されていません」
「えっ、どういうこと?」
「基本的には年一回か月一回、指定日に給与が支払われます。ですが、それ以外の入金があります。なぜ、振り込まれているのかは後宮に問い合わせるしかありません。財務省の方で調べることができるのは入金履歴のみです。入金理由や出金履歴はわかりません」
「経費の精算とか臨時ボーナスとかかな? でも、統一されていないのは怪しい」
丁度その時、パスカルがやって来た。





