611 緊急の打ち合わせ(一)
木曜日の夕方、クオンは非常に機嫌が良かった。その理由は執務の区切りがつきそうだったため、リーナと夕食が取れると考えていたからである。
そこへ書類を持って一時退出したヘンデルが急ぐようにして戻って来た。
ヘンデルの表情を見たクオンの気分は一気に急降下した。悪い予感しかしない。
「緊急の打ち合わせを入れていい?」
「どのようなことだ?」
やはり何か早急に対処すべきことが起きたのか。
クオンは心の中でため息をついた。
「後宮とリーナちゃんに関わること」
重要な用件だとクオンは判断した。
「それだけではわからない」
「今、あちこちに確認中。正確な情報はもうちょっと後になる」
緊急とはいっても今すぐではなく、確認作業が終わってから打ち合わせに入るということだった。
いつものクオンであれば、別になんとも思わない。
だが、今は違った。
緊急の打ち合わせを入れるということは、リーナとの夕食は絶望的だ。
懸命に作った空き時間が一瞬で消えたことを喜べるはずがなかった。
「夕食時間後では駄目なのか?」
「できるだけ早い方がいいと思える感じ」
「どのようなことだ? 不確定でもいい。話せ」
「えーっと、最初はヴィクトリアがアリシアに話して、アリシアがクローディアと相談して、月明会の内輪話で終えない方がいいといってノアに話して、ノアがパスカルに確認して、パスカルが俺のところに来た。だから俺もちゃんとは把握していない」
「ヴィクトリアとパスカルを呼べ」
何人も間に入れば、その間に内容が異なってしまう可能性がある。
そこで、最初に言い出したヴィクトリア、ノアがすぐに答えることができないと感じて確認を取ったパスカルを呼んで話をすれば早いとクオンは感じた。
「ヴィクトリアを王太子の命令で呼び出すのはあんまりよくないかも……ノースランドは第二王子派だし、ヴィクトリアが特別講師をしているのは表沙汰にしないことになっているし、時間的にもよくない。男性じゃないからね」
クオンはリーナを守る女性ということで何人かを後宮に入れることにした。
しかし、クオンがラブを選んだわけではない。
リーナの入宮に関してはエゼルバードも考えており、侯爵家のカミーラ達では、それ以上の身分を持つ公爵令嬢の側妃候補達への対応が難しい状況もあるかもしれないと懸念した。
そこで、四大公爵家の令嬢であるヴィクトリアかラブを入宮させることを提案した。
四大公爵家の令嬢であれば、エルグラード貴族においては身分や序列で最も上になる。その場にいる最上位の者の発言が最も優先されるという常識を使ってリーナを守れることが増えるという考えだ。
しかし、ヴィクトリアは複数の学校で非常勤講師をしている。入宮するにはそれらの職を辞めなくてはいけない。そこで夏休み期間を利用する形で、ラブを入宮させることにした。
但し、ラブにも問題があった。
学校の出席日数が不足しているため、夏休み中に補習を受けなくてはならない。
ラブは学校の成績自体はいいものの、欠席や遅刻早退が多かった。何もしなければ出席日数不足で留年、あるいは名誉を守るために自主退学しなければならない。
セブンが手を回したことにより、ラブの補習担当がヴィクトリアになっている。そこで後宮の授業を全て補習に扱いするようヴィクトリアに認めさせる形で問題を解決することになった。
その際、芸術の特別講師の新規募集の話があることがわかり、国王の許可を取ってヴィクトリアを採用することにした。
特別講師になれば後宮に通うための許可を得られる。ラブのためだけに特別許可を出す必要もなく、自然に後宮に出入することができるだろうということになった。
「ヴィクトリアを特別講師にする時、四大公爵家の者を講師として雇うのはあんましよくないみたいな話が出たよね?」
特別講師という名称ではあるものの、その実態は短期間だけ採用する雇用者になり、常任講師や後宮の教育管理部の立場の方が上だ。
貴族として最上位の身分を持つ者が、はるかに身分の低い貴族達が上司である職場にわざわざ就職するのはどうなのか。ことによっては不名誉な事態になりかねない。
そういったことを考慮し、採用しない方がいいのではないかという答えが国王及び国王府からクオンの元に届いた。
結局、特別講師として後宮に採用されるのはそれだけ能力を高く評価されているということになり、教育者のキャリアとして活かせる。
また、ヴィクトリアはすでに自分よりも身分の低い者達がいる複数の学校で講師をしている。常勤よりも非常勤の方が予定を調整しやすく、いざという時には辞めやすい。
ノースランド公爵家も納得の上で働いているなど、問題はないことをエゼルバードの方から各所に上手く説明し、了承を得ていた。
「やはり駄目だと言い出したのか?」
ヴィクトリアが授業をしに来るのは水曜日である。現在は木曜日。すでに丸一日がかかっている。
重要な問題であれば、報告が遅すぎるとクオンは感じた。
だが、ヘンデルは最初に何人もの人間が介在していることや、リーナのための組織、月明会の内輪話だったようなこともすでに話している。
最初はちょっとした世間話のようなものだったものの、重要度が高いことが後になって判明したのかもしれなかった。
「昨日ヴィクトリアが後宮に行って授業をする前に、常任講師との顔合わせと打ち合わせがあったらしい。ヴィクトリアは講師の際、身分による問題が起きないように通常呼称を使っているじゃん? 偽名で公職につくと罪に問われるから、書類上はノースランドにするものの、通常呼称としてノースにするってなったよね?」
後宮には何千人もの雇用者がいるため、同名、同姓だけでなく同姓同名の者もいる。
名称のせいで問題が起きる可能性があることから、その場合は区別するための通常呼称を使用することになっている。
リーナが侍女見習いした時、リリーナという名前の者がすでにいたため、リーナという呼称で呼ばれることになったのも、そのルールに基づいている。
但し、これは偽名でもいいということではない。
書類上などは全て本名になる。但し、その後に通常呼称を記載することによって他人との混同を区別する。また、職場における呼称も本名ではなく通常呼称になるということだ。
リーナの例でいえば、書類上はリリーナ=エーメル(リーナ)またはリリーナ=エーメル(リーナ=エーメル)という表示になり、仕事上はリーナまたはリーナ=エーメルと呼ばれることになる。
「そのように聞いた覚えがある」
貴族は両親や先祖などの名前を受け継ぐため、同姓同名になりやすい。後宮だけでなく王宮は多くの貴族出自がいることもあって、同姓同名になる可能性が高い。
家名ではなく名前を呼称にする職種も多く、余計に混同しやすい。そこで本名だけでなく第二の氏名としての通常呼称を使用することで、問題を起こしにくくしていた。
「芸術の常任講師の名称はカルメン=ニース。誰だかわかる?」
「わからない」
即答するクオンにヘンデルは苦笑した。
「イースを拠点に活動している有名人。芸術関係の著作活動をしている」
「評論家か?」
「コラムとかも書いているね。まあ、普通に有名人だし、発言内容に対する影響力もその筋の関係者には結構ある。ヴィクトリアは常任講師がカルメン=ニースだと知って驚いた。まさか後宮で働いているなんて思っていなかったからね」
「極秘に採用されていた有名人に会って驚いたという話ではないだろうな?」
「実はそう」
「おい!」
「但し、続きがある。カルメン=ニースはララーザ=イーストランドだった」
クオンは眉をひそめた。





