606 セレスティアとユーフェミニア
しかし、ここで反論が出た。
「あら、でもこれは貴族新聞ですわ。この新聞を読むのは貴族です。国民が安心したという感想よりも、貴族達が安心したと言った方がいいのではなくて?」
「私もそう思いました。多くの貴族達が安心したという方が適切のように思えますわ」
セレスティアの意見にユーフェミニアも同調した。
カミーラがすかさず反論する。
「この新聞は確かに貴族御用達の新聞ですが、貴族しか読まないわけではありません。本当に貴族専用の新聞であれば、いかにエルグラードの貴族が多いといっても、発行部数はもっと少なくなるでしょう。貴族新聞ではありつつも、貴族の動向を気にする者達なども新聞を購入し、読んでいるわけです。そして、その者達の多くは平民でしょう。商人は特に貴族の動向に敏感です。そういったことから、読者や影響を与える相手を貴族に限定する必要はありません。平民達も含めた多くの者達、国民という表現をする方が適切でしょう」
カミーラの説明はリーナの肩を持つために都合よく解釈したものではなく、冷静かつ公正な主張のように思われた。
「確かに、読者の中には貴族以外の者達もいると思いますわ。ですが、これは貴族新聞です。発行者は貴族の者達が購入して読むことを前提に記事を書いているはず。ですので、記事を伝えたい相手、貴族がどう思ったのかという点を考察して感想とするのも良かったのではないかと指摘しただけのことですわ」
セレスティアの意見にまたしてもユーフェミニアが意見を加える。
「国民がどう思ったのか、そこに着目したのはとても素晴らしいと思いますわ。ただ、私達は貴族。貴族がどう思ったのかを気にするのは当然のこと。リーナ様はご出身のこともあって、平民達のことを日頃から気にかけているのだと感じましたわ」
ユーフェミニアの言葉は一見するとリーナを褒めているように思える。
しかし、リーナが国民のことを気にかけているとはいわず、平民達という表現を使った。また、出自のこともわざわざ添えるような言い方をした。
これはリーナが元平民であるということを指摘し、自分達のような本当の意味での貴族とは違うという意味を含ませるためだ。
勿論、そのことにカミーラが何も言わないわけがない。
「リーナ様は日頃から多くの者達のことを気にかけています。人としての優しさと思いやりはとても大切なこと。身分に関わらず多くの者達に与えることの意義は大きく、寛大さと深い慈愛のなせるわざですわ。そのことを理解できずにつまらないことをいう者がいるとすれば、その程度の器であるということ。評価を下げる原因にもなりかねません。非常に残念ですわ」
カミーラは微笑んでいる。それだけを見ればいかにも上品な笑みを讃えた淑女だ。
しかし、その言葉には目に見えない棘、するどさがあった。
どう見ても反撃である。
「カミーラ様の反応が早いので驚きですわ。妹君の時でさえ、簡単には反論なさらないのに。それだけリーナ様を庇われたいのでしょうね。ええ、わかっていますわ。大切な方ですもの。私も同じ気持ちですわ」
ユーフェミニアはにこにこしながら笑顔を振りまいた。
「ご存知の通り、私はエゼルバード様の側妃候補。王太子殿下の側妃候補ではありませんわ。ですので、リーナ様が王太子殿下のご寵愛を受けられることを悪く思うどころか、むしろとても喜ばしいことであり、親しくさせていただきたいと思っています。ただ」
ユーフェミニアはセレスティアの方を軽く見た。
「貴族の中には色々な方がいます。例えば、身分主義者や血統主義者。そうでなくても、出自のことを何かと考慮する方はいるはず。社交の場にでれば、何か言われる可能性が高いと思いますわ」
ユーフェミニアがセレスティアを見たのは、セレスティアが身分主義者だからだった。
「ですので、私はこの授業時間を通して、リーナ様に精神的な耐性をつけていただき、冷静に対処できるように勉強されてはどうかと思っています。カミーラ様は絶対にリーナ様を擁護する役を務めます。となれば、別の者が他の役を務めるしかありません。私はリーナ様のためを思うからこそ、あえて損をしかねない役回りを務めただけのこと。悪意があっての言葉ではないことは、慈悲深いリーナ様であればおわかりになられていると思いますわ」
ユーフェミニアは自分が意地の悪いことをいったのは、あくまでもリーナの勉強のためだと説明した。
むしろ、自分はリーナと親しくしたいと思っている。また、リーナのためになるよう行動することも考えているのだとアピールし、対立者ではないことを示した。
しかし、口だけなら何とでも言える。
本心か、うわべだけかはわからない。
何かあってもリーナのためにあえてしたのだと言い訳し、保身を計ることはわかった。
それにすぐさま反応したのはセレスティアだった。
「私も同じようなものですわ。王太子殿下の寵愛を受けるリーナ様は何かと苦労されることもあるはず。私達全員がリーナ様を褒め称えているばかりでは、実際の社交の際に異なる態度を示されると対応に困ってしまうかもしれません。リーナ様の役に立つよう、あえて身分主義者の役を積極的に務めさせていただこうかと思っておりますのよ」
身分主義者が身分主義者の役を務める。
カミーラとユーフェミニアはセレスティアの返答に笑みを浮かべながらそれぞれ心の中で思った。
呆れるわ。
笑えるとしか言いようがないわね。
セレスティアは身分主義者だが、それだけではリーナに必ずしも敵対するとは限らない。
身分主義者だからこそ、至高の存在である王族の意向を十分に考慮し、王太子に寵愛されている女性に配慮すべきだと思う者達もいる。
しかし、身分主義に傾倒した言動は本人の意思に関係なく、リーナひいては王太子を批判していると思われてしまう可能性がある。
そこで前もってリーナのためにあえて身分主義者の役をこなしているということにすれば、いかにも身分主義者らしい発言をしてもおかしくない。
セレスティアは自分が身分主義者の役回りを務めることがリーナの役に立つのだと主張することで、自身を偽る言動をすることなく、継続的に保身をはかることにした。
「セレスティア様であれば適任かもしれません」
「私よりも上手にこなせるわね」
褒め言葉ではない。嫌味である。
「まあ、ユーフェミニア様。貴方もなかなかのものだと思うけれど?」
「そんなことはありません。私の実家は確かに身分を重視します。ですが、私はエゼルバード様の側妃候補です。身分にこだわるなら最上位の独身男性である王太子殿下の側妃候補に推すはず。つまり、臨機応変だということですわ」
「ユーフェミニア様がエゼルバード様の妻になりたいと言ってきかないだけであるのはわかっていてよ?」
セレスティアとユーフェミニアは幼少時代からエゼルバードの妻の座を巡って争ってきたライバル同士だ。
祖父母や両親が王太子の妻を目指せと言っても頑として聞き入れなかったのは、多くの者達が知っていることだった。
「セレスティア様に言われたくありませんわ。同じようなものですものね?」
「私の兄はエゼルバード様の友人兼側近ですもの。エゼルバード様の妻を目指すのは当然のなりゆきですわ」
「ならば、私も同じようなものです。子供の頃からエゼルバード様のお側にいましたから。惹かれるのは当然ですわ」
「ユーフェミニア様は相手にされなかったわね。全く」
「貴方もね、セレスティア様」
「今は違いますわ。側妃候補として残っておりましてよ?」
「私も同じですわ」
「奇遇ですわね」
「本当に」
火花が散った――ように見えるような状況だ。
しかし、セレスティアもユーフェミニアの表情だけを見れば、にこやかな笑みを浮かべた淑女にしか見えない。
これが貴族の女性らしい……喧嘩の仕方?
リーナは興味深げに二人を見つめていた。
「社交デビューの際、エスコートしていただいたわ。それを考えれば相手にされていないとはいえない気もするけれど」
「それは一時だけでしょう? 王宮の部屋から舞踏会の会場まで一緒に歩いただけなのはわかっているのよ、セレスティア様?」
「エゼルバード様が特別に会場までエスコートしてくれると言って下さいましたの」
「兄君がエスコートの権利をかけた賭けに大負けしたので、憐れんで下さったのよね」
「貴方の兄君も負けたのよ」
「でも、特別な贈り物の権利を得ましたわ。おかげでずっと思い出に残る品をいただけました」
「イヤリングですわよね。試作品の」
「世界でたった一つしかありませんのよ? いつも肌身離さず身に着けていますの」
ユーフェミニアはイヤリングをわざとらしく触った。
「同じようなものがゴロゴロ売っているとも言えますわね」
「同じようなものであって、同じではありませんわ。カードも添えてありましたし」
「エゼルバード様の手書きではないカードがね。ロジャー様が書いたのよ」
「お兄様でなくてよかったですわ」
「もしそうだったら、いい笑い者になってしまうわね」
「セレスティア様のエスコート役は兄君でしたわね」
「貴方もね」
「私、お兄様にとても可愛がられていますの。兄妹仲がとてもいいことを示すには丁度いいと思いましたわ」
「あら、奇遇ね。私と兄もそうでしてよ?」
二人の会話がとめどなく続き、リーナとカミーラは黙ってそれを鑑賞しているだけで授業が終わりになった。
「今日はここまで。皆様、ごきげんよう」
火曜の授業はこれで終わりだが、夕礼がある。
リーナ達は第一学習室に移動するために席を立った。
「もう時間だなんて残念ですわ。もっとリーナ様とお話したかったのに」
「セレスティア様とはいつもお話しているので、リーナ様とお話したいと思っていましたのに」
「あら、私も同じですわ。ユーフェミニアとは話し過ぎてしまうから」
「そうですわね」
カミーラがわざとらしくため息をつくと、リーナが発言した。
「お二人共が次々と言葉を繰り出し、流暢に会話をされていたのに驚きました。私は積極的に話さないので、あのように素早く応えることはできません。とても勉強になったと思います。ありがとうございました」
リーナの言葉は本心からのものであり、嫌味ではない。
セレスティアとユーフェミニアはにっこりと微笑んだ。
「それは良かったですわ。私の考える務めが果たせたわけですもの」
「お役に立ててなによりですわ」
社交の授業はこの二人の関係を利用すれば良さそうね。こちらが何もしなくても、勝手に二人で足の引っ張り合いをしてくれそうだけれど。
カミーラは金曜日の授業における対応について策を練ることにした。





