600 寝ているはずが
「……何をしている?」
リーナは突然寝室のドアがノックされることもなく開いたため、驚きのあまり目を見開いた状態で立ちすくんでいた。
詳細に言えば、まるでバランスを取るかのように軽く手を横に広げて片足を上げていたものの、慌ててそれを戻したともいう。
「クオン様……」
「何? どうしたの?」
ヘンデルが何事かと尋ねつつ様子を見ようとするが、すぐにクオンは寝室に入ってドアを閉めた。
そして、余計な邪魔が入らないように内鍵も閉める。
なるほど。王族というか、男性用だ。
内鍵は通常ドアノブの近くについている。しかし、寝室のドアの内鍵は高い位置についていた。
平均的な身長の男性が手を伸ばして届く位置になるため、長身のクオンは全く問題ないが、小柄な女性では台に乗らないと内鍵をしめることができない。
恐らくは女性にとって使い辛い位置にすることで、鍵をかけるなという暗黙のルールになっているのだと思われた。
「起きていたのか。だが、ベッドにいるのではなく、そこに立っているのはなぜだ?」
リーナは寝間着だけの状態だが、ベッドから離れた場所に立っていた。
「えっと……その……」
リーナは非常に気まずいといった表情をしながらも、小さな声で白状した。
「練習していました……」
「練習? 何のだ?」
「カドリーユです。六パートの」
すでに舞踏会は終わった。外務省が勝手に六パートの列形式のカドリーユにしたものの、側妃候補達が抗議し、五パートの四角形配置になったことは知っている。
その件をエゼルバードが解決したことも、その場に居合わせた王妃の意向という形で変更したことも報告されていた。
「いざという時のために、練習しておこうと思ったのか?」
クオンはリーナに近寄りながら尋ねた。
「ダンスの授業で六パートのカドリーユを習ったのです」
「まずはそこへ座れ」
リーナとクオンは並んでベッドに腰掛け、話をすることになった。
月曜日の五時限目は選択科目のダンスだった。
ダンスの講師はメヌエットを新たに習得しようと提案したものの、アルディーシアが反対した。
メヌエットには多くの振り付の型があるため、全てを覚えるとなるとかなりの時間がかかる。しかも、メヌエットがよく踊られるようなものかといえば、そうでもない。
最もよく踊られるのはワルツ。次にカドリーユ。それ以外のダンスは特別な趣向に添うような時が多い。必ずしも習得が必要なわけではないようなものになる。
リーナは土曜日の舞踏会で踊ったものの、決してワルツやカドリーユを得意にしているわけでも、常にうまく踊れるわけでもない。
いつ踊るかわからないダンスを習うよりは、最もよく踊るダンスの技術向上に努めた方がいいとアルディーシアは主張した。
しかし、ダンスの講師によると、ダンスの授業は様々なダンスを覚えるための時間であり、ダンスの技術を向上する時間ではないことが判明した。
ダンスの技術を向上するのは別の時間、体育の時間などになると説明される。
選択科目の時間は様々なダンスを最低限踊れるようになるまで覚える。上手く踊れなくても一通り踊ることができれば習得と見なされ、次は別のダンスの習得を目指す。
これではダンスの技術を向上させにくい。下手なダンスの種類を増やすだけで無駄な授業だとアルディーシアが抗議し、ベルも同じ意見で加勢したことから、二人と講師による言い争いになってしまった。
激論の結果、リーナがカドリーユの六パートを知らないことから、今回は新しいダンスとしてそれを習っておき、教育係に技術向上も選択科目の授業時間に盛り込むことを相談し、可能であれば変更させるということで話が落ち着いた。
「問題が起きていたのか」
クオンはそのことについて報告を受けていなかった。
「授業中に教育係が呼ばれました。また、王宮の担当者や教育管理部の者達も来て話し合われていました」
リーナは六パートのカドリーユを教わって練習していたものの、アルディーシアとベル、教育係、王宮担当者、教育管理部の者達の話し合いが気になって仕方がなかった。
基本的に後宮側は講師が説明した通り、多くのダンスの種類を覚えるための授業であり、技術向上の時間は別、それをしてしまうと体育の時間の意味がなくなるなどと主張した。
それに対してダンスの名手であるアルディーシアとベル、王宮の担当者は無駄な授業にしないためにも一定の技術向上は盛り込むべきだと主張し、真っ向から対立してしまった。
結局、このことは他の関係者にも知らせて意見を交わすことになり、後宮側は後宮長、王宮の担当者は王太子付きの後宮担当側近及び国王府の担当者に話を通し、どのような意見か、全員で話し合うことが可能かどうかなどの調整をすることになった。
後宮の問題は国王が判断すれば早い。王太子の意向も重要だ。報告して意見を聞く必要性がある。だが、全ての問題に対して国王の判断や王太子の意向を伺うわけにはいかない。両者が多忙なのは誰もが知っている。
そこで他の者達で話し合い、決着がつけばそれにこしたことはない。そのレベルの問題だということになった。だからこそ、クオンに報告されなかったのだ。
「しばらくの間は六パートのカドリーユ、列形式など、新しいカドリーユでありつつも、すでに覚えているカドリーユの技術向上にもつながる授業をすることになりました。あまり練習できなかったので、少しだけ復習しようと思って……」
リーナは寝ようと思ったものの、ダンスのことが気になって眠れなかった。
そこで、少し練習をしておけば頭を悩ますこともなく、体も疲れて眠くなるだろうと考え、こっそり一人で六パートのカドリーユを思い出しながら練習をしていた。
先週も表向きは午前と午後に休憩を取りながら練習していたが、実際は就寝時間になって一旦はベッドに入るものの、侍女達が下がった後で起き、一人で練習をしていた。
そのせいで、寝る前に少し運動をする習慣がついていたというのもある。
そこに、突然ドアが開いてクオンが姿をあらわした。
クオンは舞踏会のためのカドリーユを練習する際、リーナが練習し過ぎないように命令まで出していた。
だというのに、こっそりと練習していたことを知られてしまったため、怒られるのではないかとリーナは動揺してしまった。
そして、現在に至る。
「……驚かせて悪かった。だが、寝ていると思っていため、起こさないように配慮したつもりだった」
「すみません。寝ていなくて……」
「いや、気持ちはわかる。なかなか寝付けないために、少しだけ何かをしようと考えるのは普通だ。私もよくある」
ダンスの練習ではなく執務だが。
クオンは心の中で呟いた。
「お前はとても努力家だ。誰も見ていないところでも努力を怠ることがないとわかって嬉しい。だが、無理はしないようにと言ったはずだ。睡眠時間を削るのは良くないのではないか?」
「それは大丈夫です」
リーナはきっぱりと言った。
「通常のスケジュール通りの時間に眠くなることはあまりありません。でも、スケジュールに合わせて寝る準備をするため、いつも眠くなるまでは寝室で一人何かをしています」
クオンは眉をひそめた。
「眠くないのであれば、就寝時間を延ばせばいいのではないか?」
「それだと、私付きの侍女達の仕事が終わりません。私よりも侍女達の方がよっぽど疲れています。ですので、特に何もなければスケジュール通りの就寝時間に寝た方がいいのです。侍女達は安心して仕事を終えたり交代したりできますし、私は一人で自由に過ごせる時間を持てて丁度いいのです」
クオンは驚いた。
リーナがスケジュール通りに就寝時間に眠る、いや、眠る準備をして寝室に行くのは自分付きの侍女達の疲労を考え、負担を軽くするためだった。
勿論、クオンはそんな風に思ったことはない。自分の寝たい時間に寝る。
そのせいで側近、護衛騎士や侍従達を残業させてしまうことはあるかもしれない。だが、常に強制しているわけではない。
その者達は自らの体調や予定、時間等に合わせて自己判断し、休養や退出がしたい場合は許可を取る。
基本的に王太子の世話や護衛は二十四時間体制のため、時間になれば交代になる。何もなければ延長することはなく、その際に交代すればいいだけだ。同じ者が常に二十四時間起きて待機し続ける必要はない。それが当たり前だ。
そして、もう一つ。一人で自由に過ごすためという理由もある。
これはおかしい。リーナはいつでも一人で自由に過ごせる時間があるはずだった。
基本的な生活に関するスケジュールは組まれている。起床から就寝、食事や入浴、着替え、側妃候補としての勉強時間もある。しかし、無理をさせないように時間には十分に幅を設け、休憩時間を挟みつつ、自由に過ごせる時間を確保しているはずだった。
だが、クオンはすぐに気づいた。
休憩や自由時間はあるかもしれないが、一人だけではない。
リーナの側には常に侍女や護衛などが控えている。
自分自身と向き合うためや何かを深く考えるために、あえて一人になりたい時もある。
誰かが常に控えていることが当たり前であるクオンでさえもそう感じる時があった。
リーナも同じだ。だからこそ、就寝準備をして寝室に行き、侍女達が全員下がった後の時間を自分一人だけの時間として過ごしていた。
周囲は寝ていると思っているため、無駄に残業する意味はない。互いがしたいことをするための方法として、リーナはむしろ規則的な就寝時間を守っていたのだった。
「お前は一人で過ごすのが好きなのか?」
「そうではないです。むしろ、誰かがいてくれた方が安心できると思います。でも、気を遣ってしまうこともありますし、自由にできないこともあります」
「いつでも自由にしていい。お前の好きに過ごせるように取り計らうように言ってある。一人になりたければ侍女や護衛達を下がらせ、必要になったらまた呼べばいいだけだ」
リーナは首を横に振った。
「それでは駄目です。どうして一人になりたいのかと思われます。私は侍女として働いていたので、侍女の気持ちがわかります。控えているのが当たり前なのに、いきなり何の理由もなく下がるようにいわれると不安になります。でも、寝る時なら大丈夫です。部屋を出て行くのが当たり前だからです。私も侍女も余計な気を遣う必要がありません。侍女を心配させるのをわかっていて、一人で過ごす方が気を遣います」
リーナは自分がどうしたいかだけでなく、自分の行動によって相手がどう思うかを考えていた。
それは普通のことかもしれない。だが、リーナの身分や立場であれば、考える必要はないことだった。
それでも考えているのは、リーナが優しいからだ。
自身の侍女としての経験等も踏まえ、身分や立場に関わらず相手の立場になって考える。できることなら心配や迷惑をかけたくない。そうしなくて済むいい方法がないだろうかと思った。
だからこそ、相手のことなど気にしない、そういう身分や立場だという考えで終わらなかった。互いに気を遣わずに済む良い方法を見つけ、密かに実行していた。
リーナは常に優しさと思いやりに溢れている。それがリーナの考えや行動の基点になっている。誰も知らなくても、感謝されなくても、リーナにとってはそうすることが当たり前なのだ。
クオンはリーナの中に優しさや思いやりがあるというよりは、リーナという存在全てが優しさと思いやりでできているように感じた。





