60 見つかる
後宮の廊下は走ってはいけないことになっている。
だが、緊急事態であれば仕方がない。今のリーナは緊急事態だった。
そんな時に限って知り合いに見つかった。
「リーナ、走ってはいけないよ」
名前を呼ばれたリーナはピタリと立ち止まり、声がした方向を見た。
パスカルがいた。
「……申し訳ありません。少し急いでいました」
「わかっているけど、かなり急いでいたかな。緊急事態なのかな?」
リーナは緊急事態と言えなかった。私的なことだけに。
「申し訳ありません」
「誰かに見つかってしまうと注意される。上司に報告されてしまうかもしれない。僕は注意しても、上司には報告しないからね」
「パスカル様のご配慮に感謝致します」
リーナは深々と頭を下げた。
「急いでいるので、これで」
リーナはすぐにその場を去ろうとした。
だが、
「待って」
呼び止められた。
リーナが振り替えると、パスカルの表情が変化していた。
微笑んでいない。
「何が入っているのかな?」
リーナはビクリと体を震わせた。
「何が、ですか?」
「ポケットの中身」
リーナはエプロンのポケットからお菓子が見えてこぼれないよう、上の部分を押さえていた。
礼をした時も、中が見えないように抑えたままだった。
パスカルはリーナがきちんと礼をするよりも、ポケットを手で押さえることを優先したことに違和感を覚えた。
「手をどけて」
リーナは言われた通りにした。パスカルなら見逃してくれると期待しながら。
エプロンのポケットの中を見たパスカルは眉をひそめた。
ポケットの中にあるのはむき出しの菓子。
しかも、見覚えがあった。外部の者に出されるクッキーだ。
「これはどうしたのかな? 誰かに貰ったのかな?」
リーナは黙ったままうつむいた。
「事情があるようだね。ついて来て」
「……はい」
パスカルが向かった先は、青の控えの間だった。
「ここに入って」
「……はい」
リーナはパスカルに言われた通り、青の控えの間に入った。
「座るように」
パスカルは隣の扉のドアを開けた。無人であることを確認して戻って来る。
パスカルはリーナの隣に座った。
「ここには僕とリーナだけだ」
リーナは嫌な予感がした。そして、その予感は当たった。
「何があったのか隠さずに話して欲しい。でなければ、君を違反者として警備に引き渡さなければならない」
「警備に?」
リーナは体を震わせた。
「外部の者に用意された菓子を持っている。おかしい」
その通りだとリーナは思った。
だからこそ、誰にも会わないように自室へ急いでいた。
「本来であれば、すぐに警備の所へ連れていくべきだ。でも、そうしたくない。事情があるなら、僕にだけその事情を話して欲しい」
リーナは黙っていた。
話せない。悪いことはしていない。ただ、第三王子のために働いただけだと思った。
「何も言ってくれないと見逃せない。下手をすると僕まで違反になってしまう」
リーナの胸がズキリと痛んだ。
パスカルに迷惑をかけたくないと思った。
「……私、悪いことはしていません」
リーナは言葉を絞り出した。
「事情があります。でも、誰にも話さないように言われましたし、約束しました。だから、パスカル様にも言えません」
「何も言わないままだと、警備から厳しい取り調べを受けることになる。拷問されてしまうかもしれない。それでも黙っていられる?」
リーナは顔を歪めた。
「リーナが良くないことに巻き込まれていないか心配だ」
パスカルはリーナを真っすぐに見つめた。
「外部の者に出される特別な菓子をリーナが持っていた。気になるのは当然だろう? 一つ間違えば、投獄されてしまうかもしれない」
「投獄……」
「じゃあ、こうしよう。約束を破らないために何も言わない。その代わり、僕の質問に合わせて頷いたり、首を横に振ったりすればいい。これなら約束を破ったことにはならない」
なるほどとリーナは思った。
「このお菓子は誰かに貰ったものだね?」
リーナは頷いた。
「これが特別なお菓子だと知っていて、貰ったのかな?」
リーナはまた頷いた。
「これを持っているのを誰かに見られたくなかった。だから手でポケットの上を抑え、急いでいた。そうだね?」
リーナは頷く。まさにその通りだった。
「それをどうするつもりだったのかな? 食べるつもりだった?」
パスカルは気づいた。
「もしかして、捨てて来るように言われたのかな?」
菓子に問題があった。
偶然通りがかったリーナに、このことが露見しないよう菓子を捨てて来るよう命令した。
それであれば、リーナが外部の者に出される菓子を持っていてもおかしくない。
リーナが急いでいたのもわかる。
「後宮の安全性に関わる問題だよ。変な味の菓子だとか、毒入りだと言われなかった?」
「毒入りではないと思います」
リーナは小さな声で答えた。
「これはご厚意で頂いたのです。普通のお菓子ではないので、誰にも言うなと口止めされました。これ以上は言えません」
「ただ、貰っただけ? 食べていいよって?」
「はい」
パスカルは拍子抜けした。
リーナが嘘を言うとは思えなかった。
但し、問題はなくならない。
「リーナは外部の者に知り合いがいるの?」
「偶然お会いした方にいただきました。今日、初めてお会いした方です」
「初めて会った者に? 怪しいと思わなかった? どうしてくれたのかって」
「パスカル様も初めてお会いした際、ご親切にして下さいました」
パスカルは困った。
あれは仕事で情報収集のための手引き役をしていた時だった。
後宮の者を外に連れ出して情報収集の得意な者に引き渡し、また後宮へ戻す。
だが、リーナにとっては怪しい誘いでしかなかった。
うまく誤魔化したくて、親切にし過ぎたかもしれないというのはあった。
「……どんな者に貰ったのかな? 外部の者だよね? それとも、内部の者?」
「パスカル様」
リーナはまっすぐにパスカルを見つめた。
「後宮で働くのは王家のために働くことだと教えられました。だからこそ、言えません。王家のためです。悪いことはしていません」
パスカルは理解した。
リーナは王家のためだと言われ、外部の者に協力するよう言われた。
命令されたのかもしれない。
そして、その見返り及び口止め料として菓子を与えられた。
「じゃあ、僕も伝えないといけないかな」
パスカルは決めた。
名乗ることを。
「王太子の側近パスカル・レーベルオードとして命令する。何があったのか、正直に話すように。この命令に従わなければ、王家への反逆の可能性があることを考慮し、警備に引き渡す」
「王家への反逆?」
リーナは驚いた。
パスカルが王太子の側近であることもだが、何も言わなければ王家への反逆になるというのだ。
王家のために働いたはずというのに、逆に疑われてしまった。
「国王や王太子であれば僕の命令を取り消すことが出来る。でも、リーナには無理だ。王族の側近である僕の命令に従うしかない。わかるね?」