6 初めての給料日
リーナは初めての給料日を迎えた。
ようやくいくら貰えるのかわかる……!
リーナは緊張しながら給与封筒を受け取った。
「いくらだった?」
部屋に戻ると同僚のカリンに尋ねられ、リーナはため息をついた。
「……借金でした」
封筒に入っていたのは給与明細だけ。
給与はリーナの予想よりもずっと多かったが、生活費や購買部での買い物代も多かった。
その結果はマイナス。
予想はしていたが、リーナは落ち込まずにはいられなかった。
「試用期間だから、一日いくらってなってない?」
「日給で三千ギニーです。先月は十日分だったので、三万ギニーでした」
「良かったわね。良い評価よ」
カリンはにっこりとほほ笑んだ。
「最初は何も知らないから教えられてばっかりでしょう? 相場は一日につき二千から三千程度ね。何も知らない未経験者で三千というのはよく頑張ったってことよ」
「思っていたよりも給与の金額が高くて驚きました。でも、生活費も結構かかるのですね」
リーナは購買部で着替えや日常的に必要になるものを購入した。
だが、何も購入していなかったとしても、生活費のせいで給与はマイナスになってしまう。
「試用期間だもの。しょうがないわ」
「新人は全員借金になりそうです」
「リーナみたいにお金を持っていない人はそうでしょうね」
「カリンさんはいくらなのですか?」
「給与がいくらかというのはとても大事な情報なの。簡単には教えないわ」
簡単に教えてしまったリーナは黙り込んだ。
「リーナは採用されたばかりの新人だし、少ないに決まっているでしょう? 私に話しても平気よ。ただ、同じような時期に採用になった者には言わない方がいいわ。リーナの方が多いと嫉妬されるわよ」
「そうですか」
「今はともかく、もっと給与が上がったらより差が大きくなるはずよ。聞かれても言わないのが利口ね。あくまでも個人的な意見だけど」
「注意します」
「長く勤めていても給与が低い者もいるし、短い期間しか務めていなくても給与が高い者もいるわ。結局、いくらもらえるかで自分に対する評価がわかるし、この先出世しそうかどうかもなんとなくわかるのよ」
だからこそ、誰がいくら貰っているかを知りたがる。
自分の給与が上なら、その者よりも評価されているということになる。
早く出世できそうだと思える。
逆に下であれば、負けている。評価が悪い。出世しにくいとわかる。
「単に金額の差があるというだけではないのですね」
「そういうこと」
カリンは頷いた。
「中には意地悪な者もいるわ。自分より給与が高くて評価されているとわかると、冷たくなったり悪い噂を流したりするのよ」
そういった噂はすぐに広まる。
「問題を起こしたくなければ、大人しくしていなさい。素直にペラペラと話すのは利口じゃないわ。口が軽くて信用ならないって思われるわよ。困るでしょう?」
「困ります」
「採用されたばかりだと、日給で計算されるの。その後は月給になるわ」
月給は固定給になるため、昇給や減給がない限りずっと同じ金額が貰える。
「日給の三十日分が目安だから、このままの評価が続けば九万ギニーね」
「九万ギニーも!」
リーナの感覚ではかなりの高額。
「喜ぶのは早いわよ。そこから生活費が引かれるわ。生活費も三十日分だから増えるの。借金だって返さないとでしょう?」
「そうでした」
リーナは肩を落とした。
「まあ、一年間はひたすら我慢するしかないわね。試用期間が終わってもマイナスになるのが普通よ。何かと購買部で買わないといけないから」
孤児院に比べると生活環境は非常に良い。
そのせいで生活費がかかるのは仕方がないとリーナは思った。
だが、よくわからない部分もある。
「カリンさん、聞きたいことがあるのですがいいでしょうか?」
「何かしら?」
「よくわからないものがあるのです。共益費というのは何ですか?」
「ああ、それね。気にしなくていいわよ。それは絶対に引かれるから。全員ね」
「そうなのですか」
「皆で使う所があるでしょう? 食堂とか浴場とかトイレとか。だから、共益費として全員から集めるの」
「施設費というのは何ですか?」
「それもまあ、共用施設を使うためのものね」
「共益費とは違うのですか?」
なぜ同じようなことに別の費用が必要なのか、リーナにはわからなかった。
「違うわよ。共益費は共用の場所を維持する費用」
共用の場所を整備したり、備品が不足しないように補充したりするための費用として徴収される。
「トイレットペーパーとか石鹸とかの費用だと思えばわかりやすいかしら? 施設費は利用する人が払う費用よ」
後宮では浴室の蛇口をひねるだけでお湯が出る。トイレも水洗式。
そういった立派な施設を利用できるかわりに利用料がかかる。
「お風呂屋さんに行くとお金を払うでしょう? それと一緒よ」
「それならわかります!」
「部屋代はこの部屋のこと。他の部分を使う利用料が施設費って感じね」
「よくわかりました。それなら確かに全員が引かれますね」
リーナは納得した。
「ここは四人部屋だから部屋代は高い方かもね。でも、空いている部屋にしか入れないし、どの部屋になるかは上の者が決めるからどうしようもないわ」
「そうですか」
「一番部屋代が安いのは十二人で使う大部屋ね。大人気だけどうるさいわ」
「新人が一番安い部屋ではないのですね」
「昔はそうだったけど、新人だらけの部屋は問題を起こしやすいからダメになったのよ」
後宮の規則や仕事についてよく知らない者ばかりになると、勝手に都合よく解釈したり騒いだりする。
そこで新人は必ず勤続年数が数年以上の者と同室になった。
「同室者が新人の面倒を見れば早くここの生活に慣れるし、規則を守りやすくなるわ」
「そうですね」
「部屋代が高いと新人にはきついわよね。でも、どの部屋に空きが出るかは運なの。仕方がないわ」
リーナはため息をついた。
運次第ではどうしようもない。
「昔は新人が一度に沢山入ってきて、凄く大変だったらしいわ。でも、今はあまり補充されないの」
全体でみればそれなりの人数が補充される時もある。
だが、わざと勤務開始日をずらしたり、配属先や部屋を分けたりしている。
新人だらけで仕事が進まないことや問題が起きることを予防し、指導役や同室者が面倒を見る負担を軽減させていた。
「私はマーサ様から指導を受けていますが、一緒に指導を受ける人がいません。おかげで細かいところまでしっかり教わることができていると思います」
「リーナは運が良かったのよ。マーサ様は上の方だからほとんど指導役をなさらないの」
「役職付きということでしょうか?」
「掃除部長よ」
「掃除部長というのは偉いのですか?」
「掃除部で一番偉いわ」
「えっ!」
マーサを見た者は礼儀正しく挨拶をする。
リーナはなんとなく上位の者なのだろうと思ってはいたが、まさか自分の所属する掃除部で一番偉い役職者だとは思ってもみなかった。
「最近辞めた人の中に、マーサ様の補佐役がいたのよね。そのせいかもしれないわ」
新しい補佐をつけるのであれば、若い者を鍛えたいとマーサは言っていた。
そこで若くて真面目そうなリーナに目をつけたのではないかとカリンは推測した。
「リーナがマーサ様に認められるようになれば、掃除部長の補佐役に任命されるかもしれないわね。そうなったら大出世よ?」
「私に務まるのでしょうか?」
「わからないけど、給与を見る限りまあまあじゃない? どちらにせよ、いきなり抜擢されることはないわ。厳しい指導を受けて何年も経験を積んでからでしょうね」
「頑張ります!」
リーナは給与明細書を封筒にしまった。
借金がある不安よりも、未来への希望を強く感じていた。





