595 笑顔のカドリーユ(一)
リーナはようやくラダマンティス公爵から解放された。
接待役の務めが終わったわけでも、舞踏会が閉会したわけでもない。
出し物に備えて一時的に会場を退出しなくてはならないせいだった。
両国の男女からなる友好の証のカドリーユは、エルグラードがデーウェンを歓迎する友好のカドリーユに変更された。
但し、衣裳については当初の予定通りになっている。
側妃候補は与えられた控室で赤いドレスに着替え、胸につけていたリボンブローチを腰の部分に付け替えた。
その後はカドリーユを踊る者達のための控室に移動する。
最後に控室に来たのはエゼルバードやセブンを始めとする男性陣達で、全員がデーウェンをあらわす緑と青のサッシュを肩から斜めにかけていた。
「皆、とても美しい姿です」
エゼルバードはカドリーユを踊るメンバーの代表者として言葉を発した。
「私達はこれからデーウェンの国賓を歓迎し、両国の友好を願うカドリーユを披露します。十分な練習時間は取れませんでしたが、心配はいりません。重要なのは美しく完璧に踊ることではないからです」
エゼルバードは全員を見るように視線を動かした。
「では、何が重要なのか。それは、私達が力を合わせて踊ることです。ミスをしても構いません。その代わり、笑顔を絶やすことなく最後まで踊り続けるのです。私達が伝えたいのは両国の友好。笑顔なくして、それを伝えることなどできません」
エゼルバードの言葉は心からの賞賛を受け、全員のやる気を鼓舞した。
「では、行きましょう」
エゼルバードはリーナに手を出した。
リーナはエゼルバードの手に自分の手を乗せると緊張した表情で言った。
「頑張ります!」
エゼルバードは柔らかく微笑んだ。
「リーナがいかに努力したのかは聞いています。必ず報われることでしょう。ですから、今は笑顔を見せて下さい。私はリーナが頑張る姿も好きですが、笑顔も大好きなのです。こうして手を取り合えるだけで、とても嬉しくなってしまうのですよ」
「はい! 私もエゼルバード様と踊れることができて嬉しいです!」
「楽しく踊りましょう。カドリーユは楽しい踊りですからね」
「はい! 笑顔を届ける踊りですね! 私、エゼルバード様にも他の方々にも沢山の笑顔を届けながら踊ります。今夜集まった全ての人々が喜びで溢れた笑顔になれるように!」
エゼルバードの笑みが深くなった。
カドリーユは難しい踊り、男女の出会いの踊り、挨拶の踊りなどと言われる。
だが、リーナは新しい解釈をつけ加えた。
笑顔を届ける踊り。
それは笑顔で踊る、友好をあらわすということだけではない。楽しい気持ち、嬉しい気持ち、喜びを相手に伝えるように踊るということだ。
共に踊る者達だけでなく、見ている者達にも笑顔を届け、全員で喜びを分かち合う。
それがリーナの目指すカドリーユなのだとエゼルバードは感じた。
「そうですね。カドリーユは笑顔を届ける踊りです。私もリーナと共に笑顔を届けます。一人でも多くの者達が笑顔になれるように」
エゼルバードはリーナの手を優しくもしっかりと握りしめて歩き出した。
「いよいよカドリーユか」
アイギスはかなりの上機嫌だった。ワインがかなり進んでいたのもある。だが、それ以上に今回のエルグラードとの交渉ではデーウェンにとってかなりの成果を残せたことが起因しているのは間違いなかった。
特に輸入規制が緩和されたことが大きい。これまでは絶対に認められなかった品目に関しても、期限付きや条件付きでの輸入を認める方向で調整に入ることに合意した。
現在のエルグラードはミレニアスとの戦争懸念から、食料品を始めとした一部の物資が値上がりを始めている。輸入規制を緩和することによって国外品を流通させ、国内品の値段を抑制したいという思惑が、デーウェンにとっては都合のいい結果をもたらした。
「私も踊りたかった」
アイギスは社交スキルが高い。話術は勿論のことだが、ダンスも自信があった。
「飲み過ぎている。余計に酔いが回り、転んで大笑いされるだけだ」
「そういうクオンもかなり飲んでいる。このような場では珍しいな」
「今夜は友人と楽しむ趣向だ。政治的な駆け引きは必要ない」
「確かに大枠は決まったが、細かい部分を煮詰めていない」
「それは部下達の担当だ」
「隠そうとしてもわかる。リーナのことが心配だからだろう?」
アイギスはクオンがいつもよりも多くワインを飲んでいる理由を言い当てた。
「もう一杯飲むか。リーナのカドリーユが上手くいくように乾杯しよう」
「上手くいくに決まっている」
クオンは断固たる口調でそう言った。
「では、多くの男性がリーナの踊りに魅了されるのを黙って見守らなければならないクオンの忍耐力にも乾杯する」
「なんだそれは」
理由はともかくとして、クオンはワインを追加で注文した。
リーナがついにカドリーユを踊ると思うと、胸がドキドキして止まらない。期待と不安が入り混じり、緊張感が高まっていく。
酒の力を借りずにいられないというのが本音だった。
「では、クオンが恋人の登場に胸を高鳴らせていることに乾杯!」
アイギスは勝手に乾杯の内容を変更した。
クオンがそれに付き合う必要はない。乾杯をしないまま口をつけると、アイギスが笑いながら飲み終わってもいないうちから次のワインを追加注文した。
「二杯?」
「一杯じゃ足りない。私もだが、クオンもだろう?」
クオンは反論することなく、残りのワインを一気に飲み干した。
大きな拍手と共に、第二王子エゼルバード以下、カドリーユの踊り手が登場した。
男性はデーウェンをあらわす緑と青のサッシュを身に着け、女性はエルグラードをあらわす赤いドレスに身を包んでいる。
二国の友好のための出し物が披露されることは事前にわかっていたが、カドリーユであることが公表されたのは直前だった。
しかも、第二王子とその側近達を始めとした者達がレーベルオード伯爵令嬢を含む側妃候補達と踊るという内容だ。注目が集まらないわけがない。
第二王子のメインパートナーを誰が務めるのかも興味深い。通常は身分や爵位の序列等が反映されるが、王太子の恋人であるレーベルオード伯爵令嬢が含まれているだけに、様々な推測がされた。
しかし、結局は大概の者達が予想した通りの結果になった。
第二王子がレーベルオード伯爵令嬢と手をつないで入場すると、やはりと思う者達がほとんどだった。
そして、カドリーユが始まる。
当然のことだが、第二王子がいるグループに視線が集まった。
最も上座に近いため、列席中の王族や国賓からもよく見える。
まずは音楽に合わせ、最初の二組が踊り出す。
第二王子のグループにおける最初の二組はカミーラとベルのシャルゴット姉妹、相手を務めるのは第二王子の側近で後宮担当でもあるジェイルとミレニアスに同行したシャペル。
二人が選ばれたのは身分でも地位でも序列でもない。純粋にダンスの技能が優れているからだった。王族からよく見える場所で踊るには、相応しいダンスを披露できなければならない。
カミーラとベルは姉妹だけに、女性同士で合わせる部分はまさに完璧な動きを披露していた。手を挙げる位置、踊る幅、一つ一つの動作全てにぴったりと息を合わせている。
姉妹なら当然と思う者がいる一方、揃えて踊ることの難しさを高く評価する者達が続出した。勿論、男性陣も全く引けを取らない。しっかりと女性達をリードしていた。
最初の組の踊りは大変素晴らしいという評価に間違いなかった。となれば、次の組はどうなのかと思われ、比較されるに決まっている。第二王子とレーベルオード伯爵令嬢が踊るのであれば尚更だった。





