591 困惑する者達
側妃候補十名のカドリーユ辞退を受け、担当者はすぐさまそのことを上司に報告した。
上司は報告を聞いて驚くしかない。まさか、側妃候補達の中に六パート列形式のカドリーユを踊れない者がいるとは思わなかった。
しかし、エルグラードのカドリーユといえば五パート。六パートではない。踊れなくてもおかしくはなかった。
当然、なぜ練習させておかなかったのかという質問になるが、元々は五パートの予定だったことを言われて思い出した。
デーウェンとの間で何回かやり取りするうちに、ミスをしにくく、しても目立ちにくい列形式がいいとなり、出し物ということで六パートにすると後から決まった。
しかし、そのことが側妃候補達に伝わっていなかった。伝えずとも十分対応できるだろうと勝手に判断してしまった。
伝わっていたとしても、十分な練習をするための時間がない。知らない者が一から覚えるのは難しいとしか言いようがなかった。
「だったら、五パートの列形式にすればいいだろう。補充を探す必要はない」
担当者は五パートの列形式なら問題がないのかどうかを確認することを忘れたことに気付いた。
「それが……列形式では技能をアピールできないという意見もありまして……デーウェンに急きょ変更を伝えるのもどうかと」
「それもそうだな……」
デーウェン側にはすでに六パートのカドリーユを踊ることになると伝えていた。
選ばれた者達が五パートは踊れることができるとは限らない。むしろ、五パートの四角形配置を断って来ただけに、踊れない可能性は十分ある。
ならば、エルグラード側で調整した方が簡単だ。
「上司に報告する。判断を待て」
「はい」
上司は更に上司、上司は更にまたその上司へ報告した。
そして、外務省から国王府の担当者を通じて側妃候補達を説得する一方、どうしても無理だという者達に関しては交代にし、六パート列形式のカドリーユを踊れる者達を何人確保できるのか急いで調べることになった。
国王府の担当者は王妃に報告した。
「側妃候補がダンスを踊りたくないですって?」
「カドリーユだけのようです。ワルツに関しては聞いていません」
「エルグラードとデーウェンの友好を示すためだというのに……側妃候補達は何を考えているの!」
怒りの表情をにじませながら、王妃はすぐさま側妃候補達がいるという舞踏会の会場へと向かった。
舞踏会会場では音楽に関する予行練習が続いていた。
側妃候補達はワルツの練習を終えてしまったため、他にすることはない。しかし、カドリーユの件が不明のため、担当者が戻るまでその場で待機することになった。
あまりにもなかなか戻らないことから、舞踏会の支度をしていた侍従が気を利かせて椅子を用意してくれた。
側妃候補達は椅子に座りながら、外務省の不手際に花を咲かせていたが、そこへ突然王妃が来たことにより、空気が一瞬で変わった。
「今夜の舞踏会はエルグラードとデーウェンの友好を深める重要な舞踏会です。カドリーユはそれを象徴するような特別な踊り。だというのに、なぜ拒否するのですか? 貴方達はそれでも側妃候補ですか? 恥を知りなさい!」
「お言葉ですが王妃様、私は参加致します。他の方々が辞退されました」
「私も踊ります。拒否していません」
オルディエラとシュザンヌは自分が対象外であることを申し出た。
「他の者達は? エメルダはどうなの?」
「辞退しました」
エメルダは毅然とした態度で応えた。
「なぜです? 相応の理由があるのでしょうね?」
「私が六パートのカドリーユを習ったのは中等部の時です。エルグラードは五パートですので、それ以来六パートを踊ったことがありません。だというのに、突然踊れと言われたのです」
王妃は驚愕した。
「六パート?!」
「外務省の方の説明では六パートの列形式だそうです。ですが、私達は五パートの四角形配置を練習してきました。内容の変更が事前に伝えられなかったのです。外務省の不手際だと思われます。しかも、教えられたのはつい先ほど。これでは練習する時間もありません。ミスをして両国の友好に水を差すようなことはできません。丁重に辞退申し上げました」
エメルダは冷静な口調で事情を述べた。
王妃は同行した国王府の担当者に尋ねた。
「列形式はともかく、どうして六パートなのですか? エルグラードは五パートではありませんか!」
「私も今この時点で初めて六パートの列方式だということを知りました」
それはつまり、国王府にもダンスの変更についての報告がなく、外務省が勝手に決めたということだった。
「ありえないわ!」
「私もなぜ六パートなのかと疑問に思いました。しかし、今の時点でそういった話になっているのであれば、デーウェン側にはすでに六パートの列方式だと通達しているはずです。こちらの都合だけで勝手にまた五パートにするわけにはいきません。踊り手は両国から出すことになっているはずです」
催し物が単にエルグラードの者達によるものであれば、カドリーユのパート数を変更するのは問題ない。
しかし、カドリーユを踊る男性はデーウェンの外交官になっている。デーウェンに内容を通達し、それでいいという返事が来なければ変更できない。
急きょ問い合わせたところで、無理だと言われればそれまでだ。
「……正直に答えなさい。六パートのカドリーユを全く踊れない者は?」
四名が手を挙げた。
リーナ、チュエリー、エメルダ、メレディーナだった。
「メレディーナ、さっきは手を挙げなかったわよね?」
「エメルダ様の話を聞いたので。私も中等部で習ってからずっと踊っていません。だというのに、踊れるというのはおこがましいと思いましたの」
「私も中等部で習いましたが、それ以降一度として踊る機会がありません。なのに、踊れると申し上げるべきではないと思いましたの。全体練習をするにしてもせいぜい数回。その間に思い出し、十分踊れるようになるかどうかわかりません」
チュエリーも習ったことはあるものの、長年踊っていないために無理だと感じ、踊れないという判断をしたことを説明した。
「カミーラは手を挙げていたくせに、今は手をあげないのね?」
「全く踊れない者というお話でしたので。多少は踊れるとは思いますが、完璧に踊るのは無理だと思います。練習が不足です。ですが、どうしてもというのであれば踊らなくもありません。時間ギリギリまで妹に教えて貰います」
カミーラの妹であるベルはダンス好きとして知られている。様々なダンスを踊れることを自負しているだけに、六パートの列形式のカドリーユを教えるのは訳もない。姉妹だけに、練習に付き合うだろうと思われた。
「では、一応は踊れるものの、しっかりと踊れる自信がない者は手を上げなさい」
王妃の質問に、次々と手が挙がる。その数は六人。計十人。
結局、オルディエラとシュザンヌ以外は辞退したいと言い出したことがわかる結果になった。
「では、全く踊れない者は交代しなさい。それから、踊る自信がない者に関してはこれから練習を。四人であれば交代できる者が見つかるでしょう」
「では、外務省にもそのように話しておきます」
「すぐにダンスの講師を呼びなさい。それまではアルディーシアが代役です。踊れますね?」
「はい。ですが、教えるのは得意ではありません」
「それでも教えなさい。踊って見せるだけでも十分です。ここにいる者達は優秀です。一度見ればなんとなく思い出すことでしょう」
王妃は側妃候補達の能力を高く評価していた。
誰もが身分の高い出自であり、幼い頃からしっかりとした教育を受けて来たはずでもある。
六パートの列形式カドリーユも、多少練習すれば問題なく踊れるだろうと思ったからこその発言だった。
しかし、その言葉に不満を感じる者達は多かった。
エルグラードの踊りではない他国の方式を一度踊って見せるだけで覚えろ、思い出せというのは横暴過ぎると。
確かに側妃候補は優秀かもしれないが、ダンスの技能に対して全員が特出しているわけではない。
カミーラが撒いた王妃への不信感という種は着実に芽吹き、育っていた。
「王妃様、やっぱり私も無理です」
突然発言したのはラブだった。
「私は踊りが得意ではありません。授業で習いましたが、よく覚えていません。正直に言うと、エルグラードでは五パートしか踊らないため、六パートは覚えても無駄だと思ったのです。軽い練習では思い出せそうにないので、先程も辞退しました。なので、全く踊れないわけではないものの、ミスをしてウェストランドの名を辱めるわけにもきません。辞退します」
収まったと思えた場が、また不穏なものに変わった。
「……王妃様、私もラブ様と同じ理由で辞退申し上げます。全く踊れないとはいいません。ですが、ここで少しだけ練習しただけで本番に挑むのはどうかと思います。一度見ただけで思い出すほど、簡単なことではありません。中途半端な踊りを披露すべきではないように思います」
そう言ったのはユーフェミアだった。するとさらに声が上がる。
「王妃様、私も同じです。軽い練習だけでは到底踊れません。エルグラードの踊り手として美しく踊るのは無理ですので、辞退させて下さいませ」
セレスティアだった。
「二人共、何を言っているの? 貴方達ほどの者であれば、少し練習をすれば十分完璧に踊れます!」
王妃の言葉に反論したのはアルディーシアだった。
「恐れながら王妃様、六パートのカドリーユはそれほど簡単ではございません。パートが多いだけでなく、細かい部分もフィナーレも違います。美しく完璧に踊るには、全員がしっかりと練習し、揃えるようにして踊る必要があります。ですが、デーウェンの方々との練習はできません。たった一度だけの本番で完璧に踊るなど、最初から無理な話ですわ。せいぜい無難に踊るだけのこと。それを前提にお考えいただかなくては困りますわ」
「その通りです。カドリーユは元々難しい踊りだと言われています。列形式は踊る者達全体が合わそうとしなければ、必ずずれが生じてしまいます。全員で踊るということを重要視すればずれても気にすることはないかもしれません。ですが、出し物であれば、しっかりと練習して揃えるべきです。勿論、今の状況では無理です。完璧にはほど遠い出来栄えになることは明らかです。せめて、女性だけでもミスなく踊ることを目標にする位しかできません」
ベルもアルディーシアの肩を持った。自分が踊りに詳しく、自信があるからこその意見でもある。
誰もが簡単に少しだけ練習すれば踊れるようなものではないことはよくわかっていた。
「ミスをしたくない、恥をかきたくないというのはわかります。ですが、これはエルグラードにとって重要な催しなのです。大役に選ばれたのであれば、それに応えるべく最善の努力をすべきではありませんか!」
「その通りですわ」
王妃の肩を持ったのはカミーラだ。
「ですが、練習して駄目であれば、私も辞退させていただくしかありません。エルグラードにとって重要な催しであるからこそ、大役にふさわしい踊りを期待されます。応える力量がなければ、辞退するのが当然のこと。無理をして、エルグラードの威信を傷つけるようなことがあってはなりません。それを理解しているからこその辞退です」
但し、一瞬だけだった。
結局、内容としては上手くできない場合は辞退するというものだ。
王妃は思わず最初の言葉をまた叫んだ。
「それでも側妃候補なの?!」
側妃候補であれば、その立場に相応しくあるように最大限に努力し、自らの能力全てを使って応えるべきではないのか。
王妃はそう思った。
しかし、それは外務省の者と同じで、それぞれの能力を適切に把握しているわけでもなく、側妃候補というだけで、過度の期待と高過ぎる目標を押し付けているだけの話だった。
「側妃候補は貴族の女性です。特別な身分ではありません」
カミーラは言った。
「勿論、特別な立場ではあります。ですが、守るべきものの重要性を理解しているからこそ、危険は冒せないのですわ。私達はエルグラードだけでなく、自分自身、家の名誉と誇りも守らなくてはなりません。高位の身分の者ほど、失うものが大きすぎます。だからこそ、失わずに済む方法を選びます」
カミーラの意見は正しかった。
高位の身分の者ほど、必ずしもエルグラードのために全てを捧げてまでも尽くすとは言えない。
むしろ高位の身分であるからこそ、保身に走ることが多々ある。
「王妃様のお気持ちはわかりますが、私達も苦しい立場であることをご理解いただけないでしょうか? こうなったのはしっかりと内容を伝え、練習時間を確保しなかった外務省のせいですわ。私達は突然、無理難題を押し付けられた被害者なのです」
王妃は愕然とした。そして、言い返そうとしたが、できなかった。
自分もまた王妃だからこそ、その立場を守るためにできないことがあった。
側妃候補達も同じだ。失敗できない。失敗してはならない。側妃候補だからこそ。高位の貴族の令嬢達ばかりだからこそ。
それがわかるだけに、側妃候補が辞退しても仕方がないこと、むしろ当然のことかもしれないという気持ちが湧き上がる。しかし、それを認めてしまうわけにもいかないという気持ちもある。
そもそも、このような状況になったのは外務省のせいだった。
外務省が前もってしっかりと内容を伝え、練習しておくための時間を確保させておけばいいだけだというのに、それをしなかった。事が判明したのが遅すぎた。
でも、このままでは……。
王妃がそう思った時だった。
急に会場が騒がしくなる。
その原因は、多くの取り巻き達と外務省の担当者を伴った第二王子エゼルバードが会場にあらわれたからだった。





