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後宮は有料です! 【書籍化】  作者: 美雪
第六章 候補編

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585 一時中断

「頭が痛い」


 クオンがそう言った瞬間、側近全員が胸元からピルケースを取り出して差し出した。勿論、頭痛薬入りだ。


 しかし、クオンはそれらを無視し、自らのピルケースを取り出すこともなく、机の端に置かれたキャンディポットに手を伸ばした。


 飴を一つ取り出すと口にし、遠慮なくガリガリとかみ砕いた。


 この食べ方こそがストレス解消の一つ、冷静になろうとしている準備であることを、側近達は熟知していた。


「いやあ、でも、事実が判明したのは大きいよ。確実に王太子側の勢力が伸びている証拠だって」


 飴を食べている間はクオンが発言しないことを見計らい、ヘンデルはなんとか気分を変えさせようとした。


「昔だったら、国王府や外務省の内情を調べるのはそれこそ時間がかかったし、わからないことの方が多かった。でも、今は違う。すぐではないけれど、わかるようになった。これは、凄いことだよ。キルヒウスのおかげだよ」


 ヘンデルはキルヒウスを持ち上げることで、同調を促した。


「確かにキルヒウスが筆頭の座をわざと退き、情報担当官になった成果が出ている。重要機関の情報がより豊富に入手できるようになった。しかも、普通であれば絶対に隠されてしまうような細かい内部事情まで把握できるようになった。さすがキルヒウスだ」


 ヘンデルに援軍が加わった。アンディだ。


「宰相の協力もあったと思います。国王府の内部情報を最も知っているのは宰相ですからね」


 シーアスも発言する。


 キルヒウス、アンディ、シーアスはクオンが成人した際に王太子付き補佐官に就任した者達だ。最古参の御三家である。


「だな。だが、外務省の足元を崩すのは重要だ。あれほど多くの身分主義者達に公的な力を持たせるのは得策ではない」

「内務省も外務省の弱体化に積極的だ。レーベルオードが外務大臣だった頃、両者の関係は非常に良かった。トップが変わった途端、対立に逆戻りだ」


 キルヒウスの発言に、内務省ルートでも協力があったのかもしれないと全員が思った。


 内務省は国内政策、外務省は対外政策とそれぞれ管轄が違う。それを考えれば、両者の管轄が被ることはないため、対立しないかのように思える。


 しかし、実際は大きく関わっている。


 諸外国との関係はエルグラードの国内の経済等に大きな影響を与える。内務省としては、国内の利益や自国人の権利を当然のごとく最優先する。


 外務省もそれをわかっているが、他国との関係性を維持するには、一方的な自国優先主義を主張するだけでは限度がある。どこかに相互関係を継続するための妥協点を見出さなくてはならない。


 前レーベルオード伯爵は内務省と結託し、自国の利益を考慮し、国内産業を圧迫する取引に対しては国益に反する、不正や横領、反逆者支援等の犯罪行為に関わっていたなどと様々な理由をつけ、徹底的に凍結、無効にした。


 その一方、自ら諸外国へ赴き、外交官時代のコネを活かして国外の協力者を募り、グランディール国際銀行という民間の企業を通して諸外国の利益も拡大させた。


 エルグラードも諸外国も自国の莫大な益を手にできるからこそ、前レーベルオード伯爵のやり方を受け入れ、支持した。


 ところが、ファーレージ公爵が外務大臣になると、グランディール国際銀行は内務省、財務省との関係を強化した。後ろ盾を外務省ではなく内務省や財務省に変えたのだ。


 グランディール国際銀行とつながっていたのは前レーベルオード伯爵であって、外務省がつながっていたわけではないという事実が判明したともいえる。


 外務省は大きな切り札を失った。しかし、新外務大臣のファーレージ公爵は諸外国に対し、より強硬な姿勢を取った。


 最初は大人しかった諸外国も、偏重的な自国主義者が台頭し始めたと考え、外交政策の裏で約束された民間レベルの利益供与が対価に上がらないこともあって、不満が溜まってきている。


 その影響で、前レーベルオード伯爵が外務大臣だった頃に結んだ協定の見直し、再交渉を求める国が増えていた。


 しかし、外務省は何も変える気がない。エルグラードは経済力だけでなく、軍事力もある。わざわざ自分よりも弱い相手に対し、すり寄る必要などないと思っている。


 内務省は外務省が対外的に強気であることを悪いとは思っていない。だが、将来の展望を考えていないこと、そのしわ寄せが国内に影響することを危惧している。


 結局、宰相府が仲介役をこなしているものの、内務省と外務省は誰もが認める犬猿の仲だった。


「後宮もだけど、外務省も潰さないとだねえ」


 ヘンデルがやれやれといった口調でそう言った。


 勿論、王太子の側近がこのような発言をしたとわかれば大問題になる。


 この場にいる全員を信頼しているからこその言葉だった。


「……リーナの準備はどうだ? カドリーユを踊れるのか?」


 現在は金曜日。


 デーウェンとの交渉に関わる確認や書類等が増え、王太子府は多忙を極めていた。


 そのため、王妃のことがわかったのも金曜日の早朝になってしまったのだが、調べるように指示がでたのは火曜日の夜。十分に早い方だった。


「いやあ、それがさあ」


 ヘンデルがもったいぶるように間をおいたため、すかさずクオンが言葉を続けた。


「無理なら交代させる」


 カドリーユを苦手にする者は多くいる。ワルツしか踊れないようなダンス初心者であれば尚更だ。


 リーナが習得できないかもしれないことを考慮し、すでにクオンは交代要員を手配していた。


 選ばれたのはノースランド伯爵令嬢ヴィクトリア。


 側妃候補ではないものの、四大公爵家の令嬢である。さすがにリーナ以上の圧倒的な身分と出自を誇るヴィクトリアに駄目出しするのは王妃も外務省も難しい。


 但し、交代するにはカドリーユを踊ることができない理由が必要だ。


 前日から体調不良などといって舞踏会を欠席するか、ファーストダンスの後で足を痛めたなどとそれらしい理由をつけなければならない。


 リーナは嘘が下手だけに、欠席させるのが最も安全かもしれない。


 しかし、王太子の寵愛する女性が出席することに多くの期待が膨らんでいる。欠席がわかれば、相応に大きな不満の声が上がることも覚悟しなければならなかった。


「いやいや。ちゃんと踊れるようになった。しかも、結構うまい。だよね?」

「妹のことだけに申し上げにくくはあるのですが、驚くほど上達しました。問題なく踊れそうに思えます。一応、夕方に全体練習を行う予定です」

「これからか?」

「はい。当日ペアを組む相手はデーウェンの男性ですが、女性に関してはゼファード侯爵令嬢、イレビオール伯爵令嬢の方々になります。女性達だけでもメンバーを揃えて最後の全体練習をすることになりました。私はそれを見学するつもりなのですが……」


 パスカルは時計を見た。


 会議が長引くと後宮に行けない。全体練習の時間に間に合わないかもしれない。


「何時からだ?」

「五時限目のため、十五時四十五分から十六時半までです」


 クオンも時計を確認した。


「私も見に行く。それを見て交代すべきかどうか、最終判断をする」


 クオンがそう言うであろうことを、側近達はすでに予想していた。


「会議は一時中断だ」

「じゃ、クロイゼルに馬車の用意をさせるね」


 ヘンデルはそう言ったものの、すぐに追加で尋ねた。


「王太子殿下に同行する人は挙手で」


 パスカルはすぐに手を挙げた。


 だが、それ以外の手も三つ挙がる。


「全員ね」


 ヘンデルは笑いながら臨時の王太子外出に関する準備及び警備の手配をクロイゼルに伝えに行った。


 クオンは思わず目を疑った。


「お前達も行くのか?」

「冷静な判断かどうかを確認する」


 そう答えたのはキルヒウスだ。


 クオン、ヘンデル、パスカルの判断では、個人的感情や甘い判断になる可能性があるため、冷静に客観的に判断できる自分がしっかりと確認するという理由だった。


「王太子の側近として、この機会にしっかりと挨拶しておこうかと思って。この先、関わることも増えるだろうし?」


 いかにも正当かつ必要だという口調で答えたのはアンディだ。


 リーナに初めて会ったのは王立歌劇場の五番ボックス席。


 当時のリーナはノースランド公爵家の行儀見習いリリーナ=エーメルと称していた。


 あれから幾度となく見かけることはあったものの、正式に互いを紹介するような機会はなかった。


「私達の方が側近としてはヘンデル達よりも先輩です。顔と名前位は憶えていただかなくては困ります。でなければ、ケチをつけやすくなるかもしれませんね。女性に関わる無駄遣いには目を光らせないと」


 王太子付き財務官であるシーアスは、さりげなくリーナに関わる予算や出費等に影響することをほのめかした。


 職権乱用とはいえない。クオンが王太子の立場を乱用して恋人に貢ぎ過ぎないようにすることも、財務官の立派な役目だ。


 シーアスがリーナに対する予算や使い道にケチをつけると、クオンであっても困る。それ以上に、予算に言及してまでリーナに会う気満々なのが不気味だった。


 しかし、クオンは側近達が同行することに異を唱える気はなかった。


 それよりもリーナに会えること、リーナが踊るカドリーユを見ることができる嬉しさが溢れ出すのを抑えきれない。


 恋人のために会議を中断する王太子になってしまったことを自覚しつつ、それを悪いことだとは思えない自分の甘さを、クオンはあえて許すことにした。


 側近達も反対しなかった。全員が同行すると言ったのは、賛成するということだ。側近を紹介するのも重要だ。このメンバーなら何が起きても守秘義務は万全だ。


 クオンは頭の中で様々に言い訳をした。



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