583 新しい練習方法
水曜の朝。学習室にいる側妃候補達はリーナが来るのを待っていた。
それは今日の朝礼で提出する選択科目の希望をどうしたのか尋ねるためだ。
手元にある希望書への記入は済んでいる。しかし、提出する際に変更を伝えれば、ギリギリ変更できるはずだ。
カミーラ達はカドリーユの練習に付き合う際に尋ねたが、まだ決めていないという返事だった。そのため、リーナが選択しそうなものを三人で手分けして選択しておき、朝礼前に確認することにした。
しかし、リーナは来ない。
リーナが授業をサボるわけがない。ギリギリに来るのかもしれないと誰もが思っていたが、九時の鐘が鳴り出してもリーナは姿を見せなかった。
鐘が鳴っている間にドアが開いた。
全員はようやくリーナが来たと思いながら注目したが、学習室に入って来たのは担任のペネロペだった。
「皆様、おはようございます」
ペネロペは部屋を見回し、出席者と欠席者を確認した。
「本日は一時限目から順番に作法、歴史、社会、保健、選択科目になっています。ですが、保健体育と選択科目は自習に変更します。木曜日と金曜日の午後も全て自習になります。午後は各自、舞踏会への準備に充てて下さい」
明日以降の変更も同時に伝えられた。
「では、本日提出することになっていた選択科目の希望書を提出して下さい」
リーナがどの選択科目を取るかわからないまま、側妃候補達は選択科目の希望書を提出した。
「朝礼は以上です」
希望書を集め終わったペネロペが退出しようとするが、アルディーシアが声をかけた。
「待って。リーナ様は欠席、それとも遅刻?」
何も言わずに欠席や遅刻をするわけがない。それはリーナの意志に関わらず、後宮の侍女達が報告することでもある。
ペネロペはすぐにアルディーシアの質問に答えた。
「リーナ様は昨日体調不良になられたため、朝にもう一度医師の診断を受け、様子を見て出席するということです」
「何時限目から来るの?」
「わかりません」
わからないのであれば、それ以上聞くこともできない。
「リーナ様の選択科目は何だったの?」
侍女が報告に行く際、選択科目の希望書を提出しているだろうとアルディーシアは思った。
ペネロペはまたもすぐに答えた。
「まだ見ていません。これから確認します。希望とはいえ個人的な嗜好等が反映されている情報になりますので、私から事前に教えるわけにはいきません」
ペネロペは次の質問を受ける前に退出し、交代するように作法の講師が入って来た。
講師は部屋の中央、一番前の席が空いているのを見て落胆した。最も顔合わせをしたかった人物がいないためである。
「皆様、おはようございます。では、早速授業を始めます」
「ちょっと、初対面のくせに挨拶もしないわけ?」
ラブが不機嫌そうに指摘する。
その瞬間、作法の講師は思い出した。新しい生徒は王太子の寵愛を受けるレーベルオード伯爵令嬢だけではないことを。
「……よく気づかれましたね。これは挨拶が重要であることを理解しているかどうかを試すテストでした。きちんと指摘する者がいてほっとしています」
絶対嘘だとラブを始めとする側妃候補達は思った。
その後、講師は自己紹介をした。
「作法の講師が挨拶を忘れるなんて笑えるわ!」
「違います。テストです」
講師はあくまでもテストだと主張し、授業が始まった。
授業の内容はやはり土曜日の舞踏会に関連し、失言した際の対応術についてだった。
一方、リーナは専用の音楽室にいた。
椅子に座っているものの、何もしていないわけではない。
ピアノの演奏に合わせ、カドリーユを踊る四組のペアを見て勉強していた。
こうなったのは、王太子が新しい練習方法に関する命令を出したからだった。
クオンはリーナの見舞いの後、すぐにリーナをカドリーユのメンバーからはずすか、カドリーユ自体を取りやめにすることを考えた。
外務省に問い合わせると、カドリーユを踊ることをデーウェンに伝えてしまったため、ダンスの種類を変更することは難しいとわかった。
また、別の者と交代して土曜の舞踏会は回避したとしても、いずれはカドリーユを踊る機会があるかもしれない。毎回理由をつけて避けるよりも、今のうちにカドリーユを習得しておいた方が良かった。
そこで、午前中と午後に練習時間をわけ、休憩時間をしっかり取ることになった。
また、カドリーユの練習には相手役を務める男性が必要になることから、護衛騎士を追加で四人派遣することになった。
そういった経緯で、音楽室では護衛騎士と侍女の各四人がペアを組み、リーナにカドリーユの手本を見せつつ、どの程度の技量かを確認しているところだった。
「下手くそだな。特に男性側が酷い」
踊り終えた者達に容赦ない一言を発したのはヘンデルだった。
「どの程度得意としているのかを判別した上で選考しなかったのでは?」
そう言ったのはパスカルである。
二人がここにいるのは王太子が様々に変更と配慮をしたことを伝えることと、新たに追加された護衛騎士達をリーナに紹介するためだった。
本来はパスカルだけで後宮に行くつもりだったものの、自分も後宮担当だからとヘンデルが言い張り、王太子付きの役目をキルヒウスに任せてついて来た。
「クロイゼルに文句を言わないと。リーナちゃんの相手を下手くそが務めるのはよくない。そう思うよね?」
「思います」
「あの程度でしっかりとリードできる?」
「無理でしょう」
「じゃ、リーナちゃんと踊る資格はないよね?」
「私の妹と踊る栄誉に値しない技量であることは間違いありません」
パスカルも容赦なかった。
普段であれば、ヘンデルの言動をさりげなく緩和する役目を務めるが、リーナに関することだけにその選択はなかった。
「一時限目は十時までだっけ?」
「そうですが、長めの休憩時間があります。二時限目は十時半からです」
「三時限目は?」
「十一時十五分から。今週の午後は全て自習です」
「作法はいいとして、歴史と社会だったよねえ。それは受けておくべきかなあ」
今週の授業は土曜日に舞踏会があることから、午前中はデーウェンに関連した授業内容に変更されていた。
側妃候補達にとっては確認のようなものでしかないが、リーナにとっては違う。初めて知ることが多くある内容になるのは間違いなかった。
「一時限目は俺とパスカルで相手をする。二と三時限目は授業に出席。その間、騎士達にはもっとましに踊れるように練習させることにする。第一王子騎士団はスパルタ教育に慣れているから問題ない」
ヘンデルの言葉を肯定したくないと騎士達は思ったものの、事実だけに否定のしようがなかった。
「この程度の出来栄えじゃ、王太子騎士団の者達に笑われるよね」
「そうですね」
護衛騎士を務める者達が所属する第一王子騎士団は何かと王太子騎士団と比べられることが多い。
王太子騎士団の者達に失笑されたくない。俄然、闘志が燃えた。
「俺、午後の練習にも来る。パスカルは?」
「私は第四王子の元に行かなくてはなりません。そこで午後はマリウスを代理に指名したいのですがよろしいでしょうか?」
「わかった」
「では、今しかいない私にリーナのメインパートナーを譲って下さい」
ヘンデルは苦笑したものの、パスカルの申し出を受け入れた。
カドリーユは五つのパートがあり、パートごとに踊りが違う。
一つのパートは短く、半分は同じことを繰り返すように踊る別のペアをほぼ見ているだけになり、細かい動作が少しあるだけというのが基本になる。
だが、五種類のパートを覚えるのは簡単ではない。特にダンスが苦手な者にとっては。
まずはどのような踊りなのかを覚えながらパートごとに実践し、最終的には最初から最後のパートまでを通して練習することになる。
女性の踊りはヘンリエッタが教えることになっていたものの、パスカルやヘンデルがよりわかりやすいように言葉を添えた。
「カドリーユは全部踊ると十分位かかる。一パートは約二分。メインで踊るのは半分だから、一分程度しかない。五回合わせても五分程度ということになる」
ヘンデルはリーナの気持ちを和らげるため、メインのダンスの時間が短いことを説明した。
「舞踏会までに覚えるなら、一日につき一パート。一分の踊りを一日かけて覚えればいいわけだ。それってあんまし難しくないと思わない?」
「待ってください。今日は水曜日です。土曜日までに覚えるとすると、三日しかありません。第一パートを覚えたことにしても、残りは四パート。四日必要です。計算が合いません」
ヘンデルは笑った。
「舞踏会は夜だ。それまでは練習できる。だから、水、木、金、土で四日あるよ?」
リーナは目を見開いた。
「盲点でした! ヘンデル様は凄いです!」
リーナは土曜日までに覚えないといけないと思っていた。そのため、金曜日までに習得する必要があると勝手に思い込んでいた。
しかし、土曜の朝一番に踊るわけではない。夜だ。それまではたっぷり時間があるため、練習することができる。
「俺、これでも王太子の首席補佐官だし。期日までにギリギリ仕上げるのも得意だよ?」
確かにヘンデルの書類提出はいつもギリギリだ。しかも、二十四時までは期日だと言い出す。おかげでパスカルは残業だ。
リーナのための時間を確保するためにも。ヘンデルの改善に努めなければ。
パスカルは密かに決心した。
「人によってはギリギリだと思うかもしれないけれど、ギリギリに練習したことなら忘れにくい。むしろ、最初に練習したところを忘れていないか気をつけないと」
「そうですね……」
「でも、終わりよければすべてよし。大丈夫、俺を信じて。効率的に教えるから、一日中練習する必要はないよ」
「はい!」
ヘンデルはカドリーユのことを多くの男女と知り合い、挨拶をするような踊りだと言った。だからこそ移動した際には挨拶をするような仕草が必要になる。
「知り合ったら挨拶するのが当たり前。リーナちゃんも目の前に誰かいたら、挨拶するよね? 頭をちょこっと傾けて微笑むとか。カドリーユも同じだよ。何かにつけてよろしくって挨拶する。わかった?」
「はい!」
次々と移動することや相手を交換することに気を取られていたリーナは、細かい動作について忘れやすかった。
しかし、細かい動作を挨拶だと認識することで、移動した際に忘れず、しっかりとできるようになった。
ヘンデルの教えは確実に効いていた。
パスカルも負けてはいない。
「リーナ、あまり動き過ぎないで。ドレスの裾は上げないように」
「えっ?」
カドリーユは明るい曲調で、拍子も早い。踊りは優雅で社交的な要素を踏まえつつも、跳ねるようなステップを取り入れ、軽快さを演出している。
技巧的なステップをアピールするには、スカートの裾を上げなくてはいけない。でなければ足元が見えず、ステップも見えない。
とはいえ、高位の女性がドレスの裾を持ち上げ、軽快に跳ねるような踊りをするのは、本来歓迎できるものではない。
ドレスの裾を上げるのは踊るためだといいつつも、実際は細い足や特別な靴などをアピールするため、しっかりと裾を上げる女性もいないわけではない。
レーベルオード伯爵家は古風な家柄だ。そのため、裾はできるだけ上げない。ステップが見えなくても関係ない。むしろ、上げない方が間違えても誤魔化しやすい。
初心者はステップを間違えないようにすることよりも、まずは曲に合わせて普通に歩いてでも移動し、その先々で挨拶をする動作に重点を置けばいいと助言された。
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、あっちこっちに行ったり来たりして首を傾けるなどの細かい動作をするのは大変だと思っていたリーナにとって、ステップは無視していい、移動と挨拶をしっかりするという助言は効果てきめんだった。
リーナとしてはこのまま全ての練習をパスカルとヘンデルに付き添って欲しい位だったが、そうはいかないこともまた理解していた。
「マリウス、僕の代わりにしっかりと指示を出して欲しい。レッスン中はダンス講師を務めること。全員、講師であるマリウスの指示を尊重するように」
「これ、王太子付き側近としての命令ね」
ヘンデルは強制力と拘束力のある命令という形にした。その方がスムーズに指示を受け入れるだろうと思ったためだった。
「リーナちゃんがダンスを覚えるのはとても大事なことだからね。全員、この機会にカドリーユをしっかり踊れるようにしておこうか。技能として役立つからさ」
「かしこまりました」
「わかりました!」
「鋭意、努力致します」
「よろしくお願い致します!」
リーナだけでなく、護衛も侍女も、全員が努力した。
特に下手くそ呼ばわりされ、何度も注意された騎士達の向上心と礼儀正しさが目覚ましかった。
カドリーユをうまく踊れるように声をかけあい、謝罪し合い、失敗しても大丈夫だ、お互い様だと励まし合った。
そのおかげで、リーナや侍女達も自分だけが失敗をするわけではないと安堵した。
その雰囲気は、昨日の練習中に漂っていたものとは違った。
リーナだけができない、早く覚えなくてはいけない、という焦りや不安ではない。
全員ができていない。美しい踊りでもない。それでも少しずつでも努力し、目標に向かって頑張るというものだった。
そのせいかもしれない。
リーナは昨日の練習では味わえなかった、色々な者達と交代しながら一緒に踊る楽しさ、少しずつ踊れるようになることへの達成感と更なる向上意欲を感じることができた。
リーナが楽しそうに練習する様子を見たマリウスは、護衛騎士達が上手く踊れなかったことが、かえって役立ったようだと感じた。





