58 黒の応接間
軍人がリーナを連れて来たのは黒の応接間だった。
部屋の中には冷たい容貌の男性がいた。非常に豪華な装飾の服を着ている。
非常に近寄りがたい雰囲気だ。
「連れて来た」
軍人はそう言うと、ソファの上に勢いよく座った。
「名前と所属を言いなさい」
冷たい容貌の男性に厳しい口調でそう言われ、リーナは体を震わせた。
「掃除部のリーナです」
もしかすると第三王子ではないかと感じ、リーナは素直に答えた。
軍人は第三王子の護衛。そう考えれば、後宮にいてもおかしくない。
「どこを掃除しているのですか?」
「二階のトイレです」
男性は厳しい視線を軍人に向けた。
「地下に詳しい者を連れてくるはずでは?」
「召使いの部屋は地下だ。知っているに決まっている。二階についても知っているなら好都合だ」
「……それもそうですね。では、ここに二階の見取り図があります。貴方が掃除している場所を教えなさい」
しぶしぶと言った感じで男性は机の上に広がる見取り図を指さした。
「お側に寄ってもいいということでしょうか?」
「構いません。早く教えなさい」
「はい」
リーナは見取り図を覗き込んだ。
「ここと」
「そこにある青いペンで書き込みなさい。掃除をどこからするか、順番に数字を書き、丸で囲みなさい」
リーナは言われた通り、テーブルの上にある青いペンを使って書き込んだ。
「トイレばかりですね」
「すみません。でも、担当場所を決めたのは上司なので……」
リーナは担当になった場所を掃除するだけ。どうしようもない。
「地下のことはわかっていますね?」
「はい」
「では、地下の見取り図を見せます。自分の部屋がどこかを書きなさい。青い丸だけで構いません。また、施設名が書き込まれています。間違いがないか確認しなさい。違う場所があれば言いなさい」
「はい」
リーナは自分の部屋に丸をつけ、地下の設備名や部屋名を確認した。
大体はあっている。但し、違う場所もある。
「違うところがあります」
「どこですか?」
「医務室と休養室は閉鎖されました」
「それは知っていますが、単に閉鎖されただけでは?」
「え?」
リーナは意味がわからなかった。
「閉鎖されたので医務室ではないと思うのですが……違うということですか?」
「別の部屋になりましたか? 倉庫などです。その場合は倉庫と書きます」
リーナは理解した。
医務室は閉鎖されたが、医務室でなくなったわけではない。
単に使えなくなっただけ。
そのため、部屋の名称は医務室のままでいいのだ。
「申し訳ございません。勘違いしていました。ここは閉鎖中の医務室ということで、医務室のままで大丈夫です」
「他にはありますか?」
「小食堂が違います。今は会議室です」
「では、青いペンで会議室を書きなさい」
「わかりました」
リーナは違う名称になっているところに自分の知っている名称を書き込んだ。
「これでたぶん……終わりだと思います」
「次は一階です」
リーナは一階の見取り図を確認した。
これまではなんとなく広いと感じていただけだが、見取り図にすると本当に広いことがわかりやすい。
部屋数も相当だった。
そして、マーサの指示であちこち派遣されていたからか、自分が思っている以上に知っていると感じた。
「一階も終わりました」
「では、二階です」
リーナは二階の見取り図を見た。
すでに自分が担当している場所については書き込みをしている。
自分の知らない情報の方が圧倒的に多い。
ずっと掃除していた控えの間や応接間の周辺について、逆に知ることができた。
「わからないようならそう言いなさい」
「自分が担当している場所から確認していたので……正直、驚いています。こんなに多くの部屋あるなんて思っていませんでした」
「それは不味いですね」
男性は鋭い視線でリーナを睨んだ。
「こちらは情報を得たいのであり、余計な情報を与えたいわけではありません。必要な情報を手に入れた後は用済みです。口封じをしないといけませんね」
リーナは表情を変えた。
「それは……もしかして……」
リーナは恐怖に震えた。
「ですが、貴方は選ばれた者です。ここで見聞きしたことを誰にも話さないと誓うのであれば、特別に見逃します。誓いますか?」
「誓います!」
リーナは速攻で答えた。それ以外の選択肢はない。
「命拾いしましたね」
リーナは少しだけほっとしたが、本当に大丈夫なのか不安だった。
落ち着かない。怖い。
「リーナが怯えている」
ソファでくつろいでいた軍人が言った。
「可哀想だ。少しは手加減してやれ」
「それは命令ですか?」
「違う」
「では、関係ありません」
軍人はため息をついた。
「リーナは多額の借金を背負っている。全額払ってやってもいいと言ったのに、拒否した。金では動かない。王家の尽くすと答えた。なかなかいいやつだ」
「そんなことは当たり前です」
男性はぴしゃりとそう言った。
「国民であれば王家に忠誠を誓うのは当然です。後宮で働くのであれば、金銭や物に釣られてはいけません。当たり前のことだというのに、特別な配慮など必要ありません」
男性の主張は正論だとリーナは思った。
「その通りだ。しかし、その当たり前ができない者がいるのも事実だ。リーナはできる。国民としても召使いとしても真面目で誠実だ。協力しているのに脅すのは良くない。褒めるべきではないか?」
「私が褒めるとでも?」
「わかった。私が褒める」
軍人はリーナの方に顔を向けた。
「リーナのおかげで見取り図の情報を新しく更新することができた。間違いを正すことができた。よくやった」
だが、それだけで不安が消えるわけがない。
「金はいらないと言ったが、やはり別のものをやろう。働いた分の成果があるのは当然だ。何がいい?」
「いりません」
リーナは答えた。
「いらないのか?」
「いりません。ですが、確認したいことがあります」
「何だ?」
「先ほど、第三王子のためだと言いました。これは本当に第三王子のためにしていることなのでしょうか?」
「そうだ」
軍人は頷いた。
「それならよかったです。第三王子のためなら、違反はしてないということですよね?」
「そうだ」
軍人は答えた。
後宮の規則を詳しく知っているわけではないが、王族の命令に逆らうような違反はしてない。
秘密にしておけば何も問題ない。
「ありがとうございます。私が確認したかったのはそれだけです。安心しました。これで終わりであれば、失礼してもいいでしょうか?」
「何かあるか?」
軍人は男性に視線を移した。
「この見取り図を見て、何か思いついたことはありませんか? 不審なことや怪しいこと、違和感を覚えたことなどです」
リーナは困った。
後宮は自分が思っている以上に広い。沢山の部屋があるとは思った。
だが、そういったことを聞いているわけではないのもわかっていた。
「無駄なことでも構いません」
「無駄ですか?」
「そうです。無駄です」
後宮の医療費に無駄があると指摘され、改善された。おかげで階級に関係なく充実した医務室を利用できるようになった。
このように無駄をなくすことで後宮の者は恩恵を得ることができると男性は説明した。
「他にも無駄があるはずです。何か知っているのであれば言いなさい。改善されるかもしれません」
リーナは推測した。
恐らくはこの男性は第三王子で、第二王子を見習おうとしている。
後宮の無駄をなくし、より良くしようとしているのだ。
そこで、古い後宮の見取り図の情報を新しく更新することから始めた。
そして、リーナに何かないかと聞いている。
たぶん?
リーナは第三王子の力になりたいと思った。
非常に冷たい態度ではあるが、やっていることは正しい事だと思った。
医療費のように無駄をなくすことで、大勢が喜ぶようなことができる。
だが、タオルのこともトイレのことも第二王子に伝えてしまった。
「すぐには思いつきませんが、考えてみます」
リーナは一生懸命考えた。
「凄く考えているな」
「そうですね。そこの椅子に座らせたらどうですか?」
「構わない」
「椅子に座りなさい」
リーナは椅子に座った。
男性はワゴンに行くと菓子が乗っている小皿を取り、リーナの所に来た。
「食べなさい。甘いものを食べると脳に栄養が届き、良い考えが浮かぶかもしれません」
リーナは目を見開いた。
意外だった。
椅子のことも、お菓子のことも。
もしかして……優しいの?
「珍しい。お前が自ら菓子を与えるとは。餌付けか?」
「毒見です」
リーナは瞬時にがっかりした。
「早く毒見しなさい」
リーナは強い口調に表情を強張らせた。手が出ない。
「大丈夫だ。さっき食べた。毒は入っていない」
軍人が教えてくれた。だが、
「たまたまハズレを引いただけでしょう。一番美味しそうだと思うのにしなさい。あるいは、怪しいと思うものを毒見するのです」
「本当に性格が悪いな。素直に食べさせてやれ」
「このような性格であることは知っているはず。早く食べなさい」
リーナは恐る恐るクッキーを一枚手に取ると、覚悟を決めて食べた。
第三王子の命令だと思いながら。
クッキーは美味しかった。とても。
「苦しくはありませんか?」
「……はい」
「遅効性の毒かもしれません。一カ月後に症状が出るかもしれませんね」
「一カ月後! そんな毒があるのですか?」
「そうじゃない」
軍人が笑い出した。
ただのブラックユーモアなのだが、リーナにとっては違うこともわかっていた。
「可哀想だ。その辺でやめておけ。リーナ、本当に大丈夫だ。菓子を食べろ。意地悪の罰として茶を用意させるから許してやれ。さっさと持って来い」
「命令ですか?」
「命令にする」
「わかりました」
命令? 第三王子じゃないの?
軍人は足を組んだ状態で、ゆったりとソファに座っていた。
よくよく考えると、第三王子の護衛らしくない。
命令したことを考えると、軍人の方が偉いはずだ。
そうなると、男性は第三王子ではなく軍人の部下かもしれない。
そして、私服から考えると身分が高い。だからこそ、冷たく威張っていると考えれば納得だ。
自分よりも偉い人にお茶を用意させるなんて……。
リーナはためらい、断ることにした。
「……お茶は結構です。お菓子よりもよっぽど毒が入ってそうです」
「鋭い指摘だ。素晴らしい反撃だな!」
リーナの言葉は余計に軍人を笑わせることになった。





