575 エゼルバードの秘密
「女性嫌いになったわけではないので、交友関係を続けること自体は問題ありません。ですが、子供を作るのは無理です。必ず体調が悪くなります。大抵は頭痛と吐き気、めまいですね」
やはり。
クオンとセイフリードが推測した通り、エゼルバードは心的外傷後ストレス障害を発症していた。
エゼルバードは女性という存在そのものに嫌悪感等を抱いているわけではない。日常生活上の交流や接触も可能だ。ほとんど以前と変わらないように見える。
しかし、事件が起きた状況に近いと無意識に反応してしまい、目が覚める、緊張や警戒心が急激に高まる、体調が悪くなるなどの症状が出るようになった。
「そのような状態ですので、学生時代のような生活は改めたのです」
あくまでも女性関係に関しては。夜遊びがなくなったわけではない。
「私自身、事件のことは過ぎ去ったことだと思っていたので、急激に体調が悪くなることに戸惑いました。医者の見立てでは、ゆっくりと時間をかければ自然に治癒すると言われました」
「医者には打ち明けたということだな? 誰だ?」
「侍医ではありません。ウェストランドの抱えている医師です」
「ウェストランドの?」
クオンは眉をひそめた。
「初めて発症したのが、ウェストランドのホテルだったのです。事件が落ち着いた後、友人達と夜遅くまで過ごしていました。そのままホテルに宿泊することになり、私は用意されたスイートルームに案内されたのですが、クローディアが来たのです」
クローディアはエゼルバードを害そうとしたわけでも、性的な行為を求めたわけでもない。調査するように言われたことについて、報告するために来ただけだった。
ところが、クローディアが寝室に足を踏み入れるのを見た途端、エゼルバードは急激な悪寒に見舞われ、吐いてしまった。
クローディアはすぐにセブンのところにかけこみ、セブンはホテルに常駐していた医者を呼んだ。
その時は、単に酒を飲み過ぎただけ、久しぶりに遊びすぎて疲れたのだろうと診断された。
翌日の昼、ロジャーとセブンが訪れ、エゼルバードの体調を尋ねた。
その時は何ともなかったものの、またしてもクローディアが入室した途端体調が悪くなり、激しい頭痛と吐き気に見舞われた。
その様子を見たロジャーとセブンは事件に関連した症状ではないかと疑った。
その場は体調不良が続いているということにしたものの、ウェストランドの抱えている医者に診断させることにした。
ウェストランドの医者は、心的障害であれば別の女性が寝室に来た際も発症するだろうと考え、看護婦か侍女をエゼルバードの寝室に行かせて確かめることを提案した。
その結果、エゼルバードは寝室に女性が入るのを見るだけで必ず体調不良になることがわかった。目覚めた瞬間に女性だけがいる場合も同じだった。
寝室で女性に襲われた体験をしたことによる心的外傷後ストレス障害だと診断された。
「事件後すぐの話か?」
「一カ月ほど経ってからです。事件後は兄上によって厳重な特別警備体制になり、王宮外に行くのは禁止されていました。私の身の回りのことは侍従がしますが、女性に襲われたということもあり、侍女は一切近寄れないことにもなっていました」
クオンは当時のことを思い出した。
「ようやく外に出る許可が出て喜んでいたのですが、思わぬことが発覚してしまった次第です」
ずっとエゼルバードは苦しんでいた。そのことに気づくことも、理解して支えることもできなかった。
クオンは苦しさと情けなさ、様々な感情が胸に込み上げた。
「全く気が付かなかった。お前がどれほど苦しい思いを長年抱えて来たのか……言葉では言い表せないほどだろう。兄として理解し、助け、支えることができなかった。遅すぎるのはわかっているが、心から謝罪したい。悪かった」
クオンは心からの気持ちを込めて頭を下げた。
エゼルバードが何も言わなかったことを責める気持ちは微塵もない。本当に苦しいことや悲しいことをだからこそ、そのことを隠し、平気なふりをする者もいる。
だからこそ、本人が打ち明けるのを待つのではなく、周囲が、家族がそれに気づくよう努めるべきだった。
命を狙われるという恐ろしい体験をしたのは誰もが知っている。そのことがエゼルバードの心に大きな影響を与えること、何らかのトラウマ、心的障害が起きる可能性は十分推測できたはずだ。
大丈夫そうに見える。ならば平気だろうと安易に判断してしまったのは間違いだった。
長期に渡り、女性が近づく際の反応などもしっかりと確認し、注意深く見守るべきだったのだと、クオンは深く後悔した。
「兄上は頭を下げてはいけません。それよりも、抱きしめていただく方が嬉しいですね。前にもそう言ったはずです」
「そうだった」
クオンはエゼルバードの側によると、力強く抱きしめた。
互いに子供ではない。もう立派な大人だ。しかし、兄弟としての絆は一生続く。互いの命が失われても、消えることはないかけがえのないものだった。
エゼルバードはようやく兄に伝えることができたことに安堵し、また、一方で伝えてしまったことを後悔した。
「私の無責任な行動が発端ですので、兄上が謝罪する必要がありません。ですが、兄上が納得できないと困るので、謝罪を受け入れます。そして、今だからこそ、話せることがあります」
エゼルバードは大きく息を吐いた。自らの気持ちを落ちつかせるように。
「当時の私はまだ若く、今よりもずっと気まぐれで、我慢ができませんでした。真実を兄上に話せば、必要以上に過保護になるのではないかと思いました。私はそれが嫌だったのです」
エゼルバードは当時の自分がどう思ったのかを素直に、正直に言葉にした。
「緘口令を発する。外出を許さない。女性を一切近づけない。様々に有効な対応策を講じるほど私は自由を奪われ、窮屈な一生を送ることになるのではないかという不安と拒否感がつのりました。しばらくすれば落ち着く、気づかれる前に治るだろうと思っていました。ですので、兄上に悟られないようにしていたのです」
秘密を知る者は最低限に抑え、側近達が厳重に注意する。このことが発覚しないように全力を尽くすことにした。
側近達は優秀だった。だからこそ、何年もの歳月が過ぎても、エゼルバードの秘密が公になることはなかった。
年々、症状が出ることも少なくなった。
以前は寝室に女性が入るだけでも無理だったが、今は寝室で女性と二人きりになっても大丈夫だ。但し、性的関係を結ぶことはできない。
眠っている時に不意に女性が来る、あるいは目覚めた瞬間に女性だけが目に入ると、軽度の体調不良になることがある。
事前に来ることがわかっており、信頼している女性であれば発症しにくくはあるが、絶対ではない。
つまり、いまだ完治には至っていないのだ。
とはいえ、最初の頃に比べれば格段に発症する状況がより限定的、軽度になっているため、心配し過ぎて症状が悪化しないように、ストレスを溜めないことが重要だと医者は診断している。
だからこそ、エゼルバードはストレスを溜めないようにしているが、いずれは避けて通れない問題、ストレスの原因がある。
それは縁談だ。
年齢的に言っても婚姻すべきだろうという声が強まり、対処しきれなくなるかもしれない。
エゼルバードは機会を見て兄に秘密を打ち明け、婚姻に関する話は気持ちと病状が落ち着くまで、全て断って欲しいと頼むつもりでいた。
「母上にはすでに話しました。事あるごとに縁談を薦めてくるのでね。事情を知った後は自分が気に入らない相手だといって、縁談話を潰すことに積極的に動いてくれています」
国王の第一側妃エンジェリーナは、唯一の息子エゼルバードを溺愛している。
エゼルバードが深い心の傷を負ってしまったことを知って号泣してしまったものの、母親として息子を守らなければならないという使命感はエンジェリーナを強くし、立ち直らせた。
現在、国王の元に来るエゼルバードへの縁談にはエンジェリーナが姑として難癖をつけまくり、全て断らせる方向に誘導している。
「成人することを見越し、セイフリードへの縁談話が多く来ていると思います。付属的に私への話がないとも限りません。うまく断っていただけないでしょうか?」
「わかった。私の方に話が来た場合はうまく断っておく」
「紙に名前を書くだけの婚姻であれば可能ですが、そのような婚姻をする必要はないと思っています」
「その通りだ。無理に婚姻する必要はない」
クオンは断言した。
どれほど有益な政略結婚であっても、エゼルバードの意志を無視した政略結婚を許可するつもりはない。
エゼルバードが公にしたくないのであれば、絶対に秘密を守り通す。婚姻話などいくらでも握り潰すと決心した。
「お前への縁談話が来ても、私から断っておく」
「安心しました。その分、レイフィールやセイフリードに対する負担が増えるかもしれません。ですが、兄上がリーナとの間に多くの子供をもうければいいだけでもあります。王家の血筋が途絶えるのは困りますが、広がり過ぎても困るのでね」
エゼルバードの言う通りではあるが、そう簡単でもないとセイフリードは思った。





