57 黒髪の軍人
後宮の医務室に関する全体通達が行われた。
医務室の階級別利用が撤廃された。
今後は階級に関係なく誰でも一階と二階の医務室を利用できる。
地下の医務室及び休養室は閉鎖。
二階の休養室の一部も閉鎖になるが、その予算で投薬治療が強化される。
早期回復によって休養室の回転率や利用率を減少させていく方針だ。
様々な変更により、設備の古い地下で十分な治療を受けることができなかった下位の者への対応が劇的に改善された。
後宮における医療行為を全ての階級に充実させ、利用者が少なかった二階の医務室をしっかりと活用していくことになった。
全体通達を聞いたリーナは嬉しくなった。
誰にも言えないが、リーナは第二王子の指示に従って行動した。
二階と一階の医務室と休養室を利用し、質問票に回答した。
たったそれだけのことかもしれないが、それでも役立ったのは事実だ。
リーナは褒章として第二王子からペンを与えられた。
第二王子は最高級タオルの無駄についても対策をしてくれた。
リーナにとって王族は雲の上の存在でよくわからない者だったが、階級が低い者のことも考え、問題を解決するために動いていることがわかった。
これからは王家への忠誠心を誓い、懸命に尽くす。
胸を張ってそう答えようとリーナは思った。
第二王子の査察による結果、国王は様々な改善をするよう後宮に命令した。
その中には病人や怪我人が出にくい環境に改善することも含まれていた。
後宮は可能な限りの残業を禁止し、必ず休みを取らせることにした。
労働時間の短縮で改善命令に応えようとしたのだ。
リーナは清掃部長のメリーネに呼び出された。
「早朝勤務を継続する代わり、残業は禁止です。週に一度は休みを取りなさい」
勤務時間が減るため、給与も減る。
「できれば休まずに働きたいです。給与が減るのは困ります」
「後宮長による全体命令です。従わなくてはなりません」
リーナはがっかりした。
そして、休日。
いつも通りの時間に起きたリーナは途方に暮れていた。
することがない。
仕方なく二度寝して時間を調整し、朝食後に中庭へ向かった。
ベンチに腰掛けると、手を広げて外の空気を深く吸い込んだ。
太陽の光が気持ちいい……。
しかし、そこからの気分は上がらない。むしろ、下がった。
一日中ここにいるのもおかしいが、次に何をするかも考えつかない。
しっかり体を休めることが大事なのはわかっているが、暇な時間を持て余すぐらいであれば、働いてお金を稼ぎたかった。
通常の勤務時間帯であるため、時々人が通っていく。
他人は仕事をしているというのに、自分は何もすることがないのもなんだかおかしな気分だった。
リーナは大きなため息をついた。
暇な時間も借金もなくしたいのになくせない。
これこそ無駄かも……。
リーナはぼんやりしていたため、自分に誰かが近づいてくることも気づかなかった。
「お前」
リーナは突然の声にびくりと体を震わせた。
「仕事はどうした?」
リーナが振り向くと、黒髪の軍人がいた。
黒い軍服?
孤児院にいた頃、国軍の中でも怖い人達が着ると聞いたことがある。
しかし、後宮の警備を担当しているのは後宮警備隊。
購買部に出入りしている者の中には王宮警備隊や騎士と呼ばれる上位の警備関係者もいるが、国軍の者は見かけたことがないような気がした。
なぜ、ここに?
リーナは不思議に思った。
「今日はお休みなのです」
「休みであれば私服だろう。制服は着用しないはずだが?」
リーナは首を傾げた。
「私が知る限りでは、休日も制服を着用する人が圧倒的に多いです。その方が緊急の呼び出しの際にもすぐに対処できます」
「そうか。それなら制服でもいい」
リーナの説明は納得がいくものだった。
「それで、お前は何をしている?」
「日向ぼっこ?」
特に何もしてないため、リーナはそう答えた。
「なぜ、疑問形になる?」
「することがなくて暇だと思っていました。普段は仕事ばかりなので、休みに何をしていいのかわかりません」
軍人はまじまじとリーナを見つめた。上から下まで。
「何歳だ?」
「十八歳です」
「成人か。ならば、私にお前の時間を売ればいい」
リーナは軍人の申し出に驚き、目を見開いた。
「時間ですか?」
「借金があるのではないか? 金が欲しいのであれば、十万ギニーで買ってやる」
十万ギニー!
リーナはハッとした。
軍人の申し出は、時間とは言いつつ自分を売ることだと思った。
でなければ金額が多すぎると感じた。
「無理です!」
「十五万ギニー」
値上がりした。
「売りません!」
「百万ギニーでもか?」
大金だ。
しかし、リーナの借金はもっとある。
生活には困っていない。返済期限も長い。
まだ頑張れる。普通に働いて返せばいいだけだ。
焦る必要はないとリーナは自分に言い聞かせた。
「私の借金はもっとあります。百万ギニーは大金ですが、全部返せるわけでもありません。お断り致します」
「借金が返せる金額であればいいということか?」
「……まさかとは思いますけど、全額出す気があるのですか?」
リーナは怪しいと感じるしかない。
「お前次第だ。今後は私に絶対服従するというのであれば考える」
「お断りします。私は奴隷になる気はなりません」
「奴隷ではない。後宮の召使いだ。上司が一人増えるだけではないか。おかげで借金がなくなるというのは悪くない話ではないか?」
「貴方は上司ではありません。その制服は国軍のものだと思います。なぜ後宮にいるのですか? おかしいです! 後宮の警備は後宮警備隊で国軍ではありません! 購買部にだって軍人は来ません!」
全く気にしたことがなかったな……。
軍人は多くいる。軍服の方が目立たないと思っていたが、それは軍人がいる場所での話だ。
ほとんどいない後宮では違うことに気づいた。逆に目立つことも。
「冗談で言っているのかもしれませんが、規則違反になるようなことを言われるのは困ります。後宮は規則が厳しいところです。お金のために自分を売るようなこともしません。絶対にお断りします!」
リーナは毅然とした態度で拒否した。
「威勢がいいな」
軍人はにやりと笑った。
「お前は王家に忠誠を誓うか?」
突然の質問にリーナは驚いたが、答えは決まっている。
「勿論です!」
「よし。では、第三王子のために働け」
「第三王子?」
「知っているか?」
「いいえ。全然」
まあ、召使いだからな。
軍人は心の中で呟いた。
「地下なら知っているな? 自分の部屋が地下にあるはずだ」
「そうですね」
「ついて来い。第三王子のためだ」
軍人はそう言って歩き出す。
第三王子のためなら行くしかないかも。
リーナは軍人についていった。





