544 新緑の私室
夕食会で予定は終了ということになっていたが、実際にはもう一つ予定があった。
それは、クオンがリーナのために整えた新緑の私室を見せることで、時間や状況によっては宿泊も可能、判断は王太子次第となっていた。
夕食会が終わった後、クオンは時計で時刻を確認したものの、どうするか迷っていた。
そこに声をかけたのは、すっかり寛いで上機嫌な父親だった。
「今夜は王宮に泊めるのか?」
誰のことを言っているのか、わざわざ確認するまでもなかった。
「……父上には関係ないことだ」
普段のクオンであれば、時間に関わる決断は早い。だが、リーナのことについては大切に想うからこそ、慎重な性格が裏目に出て決めかねてしまうことがあった。
「新緑の私室を使わせるのだろう? どのような部屋かみたい」
ハーヴェリオンは息子が長年使われていない王太子妃の部屋を改装し、自分の私室にしたことを勿論知っていた。
「見せたくない。リーナの部屋だ」
「王太子の第二私室と聞いたが?」
「正確には第一王子の私室だ」
個人的な私室だと主張する息子に、父親は苦笑するしかない。
「王宮は全て私のものだ。与える前に見せろ」
「もう与えた。鍵はリーナが持っている」
「合鍵があるだろう?」
「父上は私の恋人の部屋を覗きたい、そういうことか?」
わざとらしい言い方に、父親は顔をしかめた。
あまり外聞のいい表現ではないことは確かだ。しかし、息子が部屋を見せたくないためにそう言っているのも明らかすぎた。
「この機会を逃すと、一生どのような部屋か確認する機会を失う気がする。お前の恋人に使わせる部屋としてふさわしいかどうかを確認する。どのような部屋であっても、王妃には黙っておいてやろう」
あまりいい取引条件ではないものの、クオンはしぶしぶ了承することにした。
新緑の私室は新緑の間を中心とした一帯の部屋のことを指す。正確に言うのであれば、新緑の間を使用する者の私的な部屋の集まり、ということになる。
新緑の間はクオンの色である緑を基調にした部屋で、応接間として使用することになる。それ以外にも寝室や居間、浴室、化粧室、食堂、書斎、図書室、音楽室、遊戯室などがある。
リーナは簡単な説明を受けながら、後宮に与えられた真珠の間とその周辺の部屋について思い出した。
後宮に与えられた部屋だけでもかなりあるというのに、王宮にも多くの部屋を与えられた。
「午睡の間もある」
「え?」
リーナは午睡の意味がわからなかった。
「昼寝をする部屋だ」
そんな部屋まであるのかとリーナは思うしかない。
リーナの感覚では、これほど多くの部屋がなくても構わない。わざわざ専用の部屋がなくてもいいように感じる。
しかし、このように多くの部屋を与えられるのには理由がある。
王宮もまた後宮と同じく、特殊な場所だ。与えられた部屋以外を利用することはできない。原則立入禁止になり、覗くことさえできない。
王宮に入れるからといって王宮の全ての場所に行くことができるわけではないのと同じように、王宮に住むといっても生活範囲は非常に狭くなってしまう。
仕事をしていれば出入可能な範囲が広くなるものの、女性の場合は男性に比べるとそういったことがないため、与えられた部屋の中で過ごすのが基本になる。
部屋が一つしか与えられないということは、広大な王宮の建物の一室に閉じ込められているような気分になりかねない。だからこそ、できるだけ多くの部屋を利用できる方がいいという考え方だった。
「新緑の私室はお前に与えるとはいったが、表向きは第一王子の私室になっている。部屋付は王太子付になるため、お前の世話も王太子付きの者達がする」
「それで王太子付き侍女長が責任者なのですね」
「元の部屋が王太子妃のものだけに、部屋付きが侍女達になっている。第一王子の部屋とするのであれば、侍女から侍従の担当に変更すべきになるが、お前が使用するのであれば侍女のままの方がいい。丁度良くもある」
クオンはリーナを真っすぐに見つめた。
「部屋の鍵はお前自身で管理しろ。常に持ち歩き、ポケットなどに入れておけ。但し、女性の場合はそれが難しい衣装の時もある。寝る時も無理だろう。その際は自分の金庫に入れる。合鍵などを作られると困るため、他の者に鍵を触れさせてはいけない。自ら金庫にしまう。わかったな?」
「わかりました」
「誰かに見せて欲しいと言われても見せてはいけない。よく似た偽物にすり替えられると困るからだ。この鍵を守るのがお前の役目だと思え。いいな?」
「はい」
リーナは素直に頷いた。
部屋を与えられるだけでなく、その部屋の鍵を守るという役目も加わった。リーナは単純にそう考えただけだったが、それは王太子妃の部屋が位置する場所を守ることであり、別の誰かが王太子の正妃になるのを阻止することにつながるということまでは理解してはいなかった。
結局、リーナは後宮に戻ることになった。
時間的にはこのまま王宮に宿泊させてもおかしくなかったが、国王とレーベルオード伯爵が残っている。リーナはまだ側妃候補、恋人だ。妻でも公式な婚約者でもない女性を、父親達の目の前で堂々と宿泊させると決断するのは常識的かつ良心的ではないとクオンは判断した。
「やせ我慢か? それとも、本心は別か?」
父親に質問されたクオンは顔をしかめながら答えた。
「やせ我慢だ」
「そうか。まあ、入宮したばかりで疲れているだろう。お前の判断は正しい。だが、入宮した女性に手をつけるのは構わない。そのために後宮があるわけだからな」
後宮は王族の側妃が住む場所であるが、王族男性の性的な相手を務める女性が住む場所でもある。
王家の血筋が絶えることがないように子供をつくるための特別な場所ともいえるが、悪く言えば王族専用の娼館のような場所という解釈もできた。
歴代の王族達がどのような意思や目的を持って後宮を利用してきたのかはそれぞれ違うのかもしれないが、クオンは後宮というものに対して便利で有意義な場所とは全く思っていなかった。
愛する女性も子供も自分のすぐ側、王宮に住まわせたい。リーナを後宮に住まわせるのはやむを得ないものの、一時的な処置のつもりだった。
「私はできるだけ早くリーナを王宮に呼び寄せたい。だからこそ、後宮ではなく王宮のやり方を尊重する。後宮のやり方は時代遅れだ」
「有用な部分もないわけではないのだが」
父親の言葉を息子は即座に否定した。
「有用な部分などない」
「正妃にはできない女性を側妃として住まわせることができるではないか」
「側妃も王宮に住めばいい。正妃がいなければ、正妃と側妃の争いは起きない」
「正妃を立てようとする争いが起きると思うが?」
「妻は一人でいい。少なくとも私の妻は」
長身の息子は自分よりも背の低い父親を見下ろした。
「弟達も婚姻については慎重に考えている。将来的に、エルグラードは王族も含め、一夫一妻制に統一されるかもしれない」
国王は王太子以外の息子達の存在を思い出した。
年齢的に見れば、次男以下も結婚適齢期である。しかし、長男同様、正式な相手がいない。学生の頃は派手に遊んでいたが、近年は特定の相手、恋人がいるという話も聞かなくなった。
次男エゼルバードは気まぐれな性格なため、何においても飽きやすい。女性がのぼせ上がるのと対照的に興味を無くしてしまい、短期間で破局。それを繰り返すだけならまだしも、あまりにも女性側が思い詰めてしまい、常軌を逸した行動をとる様な事件も起きてしまった。
そう考えると無理に女性を薦めようとは思わないものの、いずれは妻を娶って欲しいという思いが父親としてないわけではない。
三男レイフィールは熱い性格だ。決めたら一直線なところもある。妻にしたいと思う女性を見つければ、あっという間に婚約か婚姻しそうではある。だが、婚姻に結びつくような話はない。
そうなると、自分の気に入る相手が見つかるまでひたすら待ち、他は一切拒否する長男と同じように思える。長男を深く敬愛し見習うとしていることから、一層の不安が募る。父親としては、見習わなくてもいい部分もあると言いたい。
極めつけは四男セイフリード。王族男性が成人する前後には山のような縁談話が届き始める。
エルグラードの王族男性の婚姻は十八歳。成人も十八歳。成人の婚姻については本人の同意が必要になる。
つまり、王族男性の婚姻はいくら未成年の間に縁談を調えても、成人した瞬間、結婚式当日であっても本人が拒否すれば婚姻できない。
四男が大人しく親の用意した縁談を承諾するわけがない。四男が崇拝するのは長男のため、長男が用意した縁談であればわからない。だが、学生の内は婚姻しない可能性が高い。
ハーヴェリオンは子供を四人もうけたが、誰一人婚姻しておらず、孫もいないことを改めて痛感した。
このままでは私の苦労が水の泡ではないか!
直系王子達に子供がいなければ、王位継承権は王弟の傍系に移る。王弟の王位継承権は没収しているものの、王家の近親者で他にいないということであれば、王位継承権が復活する可能性がある。
また、王弟自身は年齢的に無理だとしても、息子がいる。
ハーヴェリオンは甥になるニザレスの王位継承権を没収していない。王弟を支持する貴族達の反発が強くなり、国王の権力を強化する改革を邪魔されないように、あえて黙認したのだ。
その結果、王族の一員という割には影が相当薄いものの、ニザレスは王子の身分と敬称、王位継承権を持っていた。
ニザレスの王位継承権を没収できるような理由を探す必要が出てくるかもしれない。ラーグに相談するか……。
ハーヴェリオンは心の中で密かにつぶやいた。





