538 リーナの担当者達(二)
「同じく筆頭補佐のカタリーナ=ロクトル」
役職が上位の者から順番に紹介が続く。
リーナが側妃候補付きだった際、最も上位になるのは室長ではなく筆頭侍女であり、次位である筆頭補佐は一名だった。
しかし、リーナ付きの筆頭補佐は二名。更にその下には主に行う業務ごとの担当長がいる。
担当長は衣裳長、応接長、書簡長、伝達長、配膳長、灯火長、整頓長、裁縫長の八名。それぞれの副長も八名だ。
結果的にリーナ付きの侍女三十名の内、役職付きが二十一名、役職なしが九名ということになる。
「以上、三十名になります。すぐに顔や名前を覚えるのは難しいかと思いますが、少しずつ覚えていただきたく存じます」
「あ、それは大丈夫です。大体ですが、覚えています」
リーナがすぐにそう言ったため、レイチェルは眉を上げた。
「もう覚えられたのですか?」
さすが王太子殿下の選ばれた女性、優秀なのだとレイチェルは思ったが、そうではなかった。
「ここにいる方々とは、以前お会いしたことがあります。ただ、誰がどの役職なのかがわかりにくいため、紙に書いたものが欲しいのですが」
リーナは側妃候補付きの侍女見習いをしていた際、伝令業務を担当していた。そのせいで自分の担当ではない側妃候補付きの者達とも会う機会があった。
今回紹介された三十名のうち、マリリーを除く二十九名の侍女達は元側妃候補筆頭侍女やその補佐、応接係をしていた上位の侍女ばかりだった。
クオンはリーナの担当になった者の中に顔見知りがいるかもしれないといっていたが、リーナにしてみれば、見覚えのある者達ばかりが揃っていた。
侍女見習いだった頃に会ったことのある人達ばかり……リリーナ=エーメルだったことを秘密にする必要がなくて良かった。絶対に隠し通せない!
心の中でリーナは呟いた。
「わかりました。では、この一覧をお渡ししておきます」
レイチェルはそう言うと、紹介の際に手にしていた書類をリーナに恭しく差し出した。
自分よりも高貴な者に何かを渡す所作であることをわかるだけに、リーナはやや戸惑いつつも書類を受け取った。
「えっ?」
早速書類を見たリーナは思わず声を上げた。
「質問をしたいのですが、侍女については駄目でしたよね?」
「書類に関することであればご質問下さい。むしろ、不備や問題等があるということであれば、速やかに対処しなければなりません」
「二枚ありますが……私の担当の侍女は三十名ですよね?」
リーナの渡された書類は二枚つづりになっており、一枚目には現在部屋にいる三十名が記載されていた。
序列で一になっているのは室長のマリリー、二は室長補佐のヘンリエッタ、三は筆頭侍女のバーバラ。四は筆頭補佐のレーチェ、五は筆頭補佐のカタリーナ。
担当長が続いた後に副長が続き、二十二から三十までは役職がない者達の名前がある。これを見れば、三十人の侍女の役職や担当、序列が一目瞭然でわかりやすい。
但し、二枚目にも三十名分の記載がある。序列、役職名の記載はないが、備考欄に衣装係、配膳係、清掃係などと記入されていた。
「全員、リーナ様のお世話に関わる侍女と思っていただいて結構です」
レイチェルは何でもないとでもいうような口調で答えた。
「リーナ様の担当は真珠の間付き侍女の三十名ということになっておりますが、補助要員が三十名おりますので、総勢六十名です」
六十名!
自分の担当侍女が三十名でも驚いていたリーナにとって、二倍の数字はあまりに多く、理解しにくいものだった。
「三十名はリーナ様のお側近く、真珠の間に入室することが許可されている上位の侍女です。二枚目の三十名は補助業務を行う下位の侍女です。見習いではありませんが、真珠の間に入室することはできません。偶然廊下で見かけるかもしれないという程度ですので、顔や名前を覚える必要はありません」
リーナが侍女見習いの時は担当長ではなく係という名称で、役職付きではなく、担当する専門業務を意味していた。
筆頭侍女と補佐、応接係、衣裳係、配膳係の五名が上位で、側妃候補の居室などにおける世話はその者達がする。それ以外の侍女達は補助業務や雑用、上級召使いへの指示監督を行う。見習いに関しては階級が低いため、側妃候補の居室には入れない。控室や廊下で侍女に業務を引き継ぐ。
過去の経験との違いを次々と知ることになったが、部屋に入れる者と入れない者で区別されているのは同じだった。
「随分多くいるのですね。正直に言うと、十名程度だと思っていました」
「リーナ様がそれだけ特別なお方だということです」
レイチェルはリーナが側妃同様の配慮をされているからとは言わなかった。
正確に言えば、より多くの者達がリーナのために働いている。
レーベルオード伯爵家からの同行者だけでなく、護衛騎士がつくのもその一つだ。側妃候補に護衛はつかない。つけるとしても、警備になる。
リーナの護衛騎士は王太子の護衛騎士から選抜されている。それほどリーナを寵愛している証拠で、何かあれば自分に報告されるというわかりやすい警告だ。
また、真珠の間付近は関係者以外立ち入り禁止の区域に指定されている。許可のある者しか入れないため、特別警備体制になっている。そのための専任の警備を始め、掃除等必要な業務に携わる人員が選出されていた。
より広い範囲を見れば、王宮にもリーナの世話をする王太子付き侍女や女官達がいる。
その者達は王太子付きとはなっているものの、将来的に迎える王太子妃のための人員であることは言わずもがな。
王宮に住まわせる愛人のための人員でもあるが、王太子は愛人用の部屋をリーナに与えなかった。王太子妃の部屋を潰して自分の私室にし、その上でリーナに与えた。
リーナの元の出自を考えれば、王太子妃にするのは非常に難しいどころか無理だと考えるのが常識的だ。側妃にできたとしても、飾りの王太子妃を娶るように言われるのも必至になる。
そこで飾りの王太子妃を絶対的に拒否することをあらわすべく、王太子妃の部屋自体を無くしてしまったのだろうと思われた。
「使用可能となる部屋の数が非常に多いことも理由です。少人数では管理しきれません」
確かにリーナのための部屋が多くある。少人数でそれを維持管理するのは大変だということがよくわかるだけに、リーナは納得するしかなかった。
「リーナ様、この者達の励みになりますように、何かお言葉をおかけください」
突然リーナはそう言われ、困惑の表情を浮かべた。
普通に挨拶、でいいのよね?
リーナは恐る恐る言葉を発した。
「……リーナ=レーベルオードです。沢山勉強して、王太子殿下の妻にふさわしい女性になりたいと思っています。よろしくお願い致します」
リーナは普通に挨拶をしたつもりだった。
しかし、部屋に漂う雰囲気が確実に重くなった。
真珠の間付きになっている侍女達は全員貴族出自。現在は離宮に在籍しているものの、その前は後宮で働いていた。だからこそ、生まれながらの出自や身分がいかに重要視されるかを知っている。
リーナは王太子に望まれて後宮に入った。貴族の養女になることで体裁は整えられているが、元平民の出自と過去は消せない。
リーナが側妃候補になったのは、単に愛人として入宮するよりもましだから。側妃候補として様々なことを学べるからであって、本当に側妃になるためではない。
王太子が妻にするような発言をしても、本当にできるかどうかは別問題。そう考えるのが貴族出自の侍女達が知る常識だ。
ところが、リーナの発言は懸命に努力して勉強すれば王太子の妻になれる、ふさわしい女性になれると思っている。それがわかるような素直かつ単純な言葉だった。
王太子の寵愛を得たことで、決して叶わない夢を見ている。
養女になったばかりで、貴族の世界の恐ろしさを知らない。体裁を整えるだけでは、越えられない問題もある。
他の側妃候補を退宮させるために仕立て上げられた人形だとわかっていない。わかっていたとしても、王太子に従わないわけにはいかない。
所詮、元平民。問題が起きても養女を解消すれば、リーナだけを処分して終わらせることができる。王太子もレーベルオード伯爵家も傷つかない。都合のいい存在。
謙虚で誠実、真面目で努力家。しかも、従順。これほど騙しやすい相手はいない。側妃になるために勉強するようにと言われれば、疑わずに信じてしまう。
本当に全然わかっていない。あまりにも無知過ぎる。でも、平民にわかるわけがない。それが狙いで選ばれたとしかいいようがない。
侍女達は様々に推測した。
そして、リーナの性格を知る者ほど、苦難しか訪れない未来を否応なく与えられてしまったことを不憫だと感じ、良心が痛んだ。
生まれながら貴族の世界における低い出自とそれにまつわるしがらみに抑圧された人生を生きて来た後宮の侍女達は、誰一人としてリーナが奇跡のような玉の輿に乗ったとは考えていなかった。
私……変なことを言ってしまった?
リーナは目の前にいる侍女達が堪えるような表情をしたように見えたため、失言してしまったのではないかと不安になった。
その様子を見たレイチェルがすかさず発言する。
「リーナ様は王太子殿下のご寵愛を得たことに慢心せず、より自らを向上させようと考えられています。皆、リーナ様を見習って勉強しなさい。リーナ様のお役に立てないということは、王太子殿下のお役に立てないということ。そのような者はエルグラードに必要ありません。命と人生をかける覚悟でお仕えするように。次の救済はありません」
後宮が責任者として選んだ室長のマリリー以外は、全員が一度解雇され、離宮に再雇用された者達ばかりだ。
後宮を解雇されるというのは非常に不名誉なことになる。貴族出自である者にとって、この経歴はその後の人生を暗転させるものでしかない。
だが、本人に責任があったわけではなく、連帯責任のせいという部分ではましだ。すぐに離宮に再雇用されたのであれば、余計にそのことが強調される。
但し、離宮での再雇用は手放しで喜べるものではなかった。
これまでの経歴を引き継いだ異動ではなく新規に雇用された扱いになるため、全員が新人の見習いだ。衣食住は無料で保証されるが、試用期間の一年はわずかな日給。問題を起こせば即日解雇。
後宮時代における借金は一時的に凍結されているが、解雇になった瞬間に返済義務が発生する。返済の宛がなければ投獄だ。
かろうじて貴族としての名誉を守れたかもしれないが、これからどうなるのを考えれば、大きな不安しかないような状態だった。
そこに、後宮への出向話が持ち上がる。
新しい側妃候補の世話をするという内容に、元側妃候補付きだった者は自身の経験が活かせると感じたのはいうまでもない。
出向中は侍女見習いから侍女、一部は役職付きに格上げされる。給料も上がり、月給になる。雇用条件が向上するのは明らかだった。
当然、募集に殺到する者達が続出した。
――――貴方達は離宮に雇用されることで救済されました。寛大で慈悲深い王太子殿下の指示によるものです。ですが、離宮の人員が不足しているわけではありません。能力とやる気がない者はすぐに解雇します。出向であっても同じです。命と人生をかけ、職務に励みなさい。次の救済はありません。
離宮の侍女長に叱咤激励された者達は、同じ言葉を王太子付き侍女長からも聞くことになった。
部屋の雰囲気は、ますます重苦しいものになった。





