537 リーナの担当者達(一)
挨拶回りが終わると、リーナは真珠の間に戻った。
側妃の人数は三人だけだが、居住する宮殿を回るだけで、かなりの時間を要するほどの距離がある。
夏だからこそまだ陽が高いものの、時刻はすっかり夕方になっていた。
「おかえりなさいませ」
リーナ達を出迎えたのは、一度下がったものの呼び戻された王太子付き侍女長のレイチェルだった。
「問題になった件につきましては王太子殿下のご指示を待つことになりました。後宮長にも事情を説明してあります」
レイチェルはリーナ達がいない間に報告すべき相手に報告し、その後の段取りについて、残っている者達と話し合っていた。
「一時的に補佐の者が室長代理となりますが、この後は王宮の方で夕食会がございます。本日の予定に関しましては、私共王宮の担当者で管轄するということでよろしいでしょうか?」
「リーナをどのように扱うべきか、王太子付きの者達は正しく理解しているのでしょうね?」
エゼルバードの質問に、レイチェルは強い口調ではっきりと答えた。
「勿論でございます。リーナ様に与えられたお部屋を考えれば、王太子殿下のご意向は明確。間違えようもございません」
「王宮には時代遅れも甚だしい頭の固い者がいます。伝統と格式ばかりを重んじ、過去を踏襲することだけを考えているのではないかと懸念せざるを得ません」
「恐れながら殿下、王太子殿下にお仕えするために必要なのは実力です。身分は能力の一つのようなものとして考えられております。王太子付きの者達は今の時代の在り方を肯定しておりますので、心配はご無用かと」
実力。
エゼルバードはリーナを見つめた。
美しく着飾ってはいるものの、リーナは一見すれば誰もが褒め称えるような美貌や非常に賢いと思えるような知的さもない。運動に等しいダンスの技能は最低限。誰もが納得するような能力を披露することも難しい。
リーナの側で仕えるほど、リーナが特別な女性というよりは平凡な女性であるということを実感してしまうかもしれない。
多くの人は特別なものに価値を見出し、褒め称える。しかし、特別ではないものの中に価値を見出し、美しいと感じることがあるのも事実だ。
実力主義を称する王太子付きの者達がリーナを認めるかどうか……まずはその手並みを見せて貰いましょうか。
エゼルバードは心の中で呟きながら、薄い笑みを浮かべた。
時間の関係上、すぐに夜の夕食会のための身支度をすることになった。
エゼルバードとセイフリードは後のことをレイチェルに任せて部屋を退出し、護衛騎士も部屋の外に出てしまったため、部屋は女性ばかりになる。
レイチェルは共にいる王宮側の者、後宮側の者全員を集め、これ以上の問題が起きないよう厳重注意をした後、リーナの身支度に取り掛かるよう命じた。
リーナは自分で何かをする必要はなく、レイチェルの指示通り動く侍女達に任せておけばよく、手際よく身支度が整えられた。
ところが、馬車の用意ができたと伝えられる前に、夕食会の時間が遅れるという伝令が届いた。
王宮へ移動する時間が遅くなったため、レイチェルは急きょできた待機時間をリーナ付きになった侍女達の紹介に充てることにした。
「序列順に改めてご紹介します。現状におきまして後宮側の担当者における責任者は真珠の間室長補佐のヘンリエッタ・モールトンになります」
本来であれば室長のマリリーがすべきことだが、マリリーはいない。臨時の処置としてレイチェルが管轄権を行使することになったため、紹介もレイチェルからすることになった。
「この者を始め、中にはリーナ様がご存知の者もいるかとは思いますが、以前とは立場が違います。王太子殿下のお言葉通り、リーナ様のお世話をする侍女の一人として扱われて下さい。また、よくご存じの者を優遇したいと思われるかもしれませんが、それは公平ではありません。最初は全員を同じく扱い、リーナ様に仕える中でその実力に見合う判断をしていただきたく思います」
レイチェルはすでにリーナと顔見知りであるヘンリエッタや他の者達に関し、リーナが不公平な対応をしないように改めて言葉にした。
「ヘンリエッタ、ご挨拶を」
「はい!」
ヘンリエッタは緊張した面持ちで一歩前に出ると、挨拶の言葉を発した。
「改めてご挨拶させていただきます。真珠の間付き室長補佐ヘンリエッタ・モールトンでございます。私は一度後宮を解雇され、離宮の侍女になりました。現在も離宮に在籍しております。真珠の間付き侍女として真摯にお仕え致しますので、どうぞよろしくお願い致します」
ヘンリエッタは一礼をした。その所作はまさに選ばれた侍女にふさわしく、非の打ち所がないものだった。
ヘンリエッタ様は後宮を解雇されてしまったけれど、離宮の侍女として頑張っている。だから、私もレーベルオード伯爵令嬢や側妃候補として頑張らないと。
リーナは心の中でそう思った。
「本来であれば質問などを受け付けたく思いますが、時間が限られておりますので、侍女に関する質問は別の機会にさせていただきます。但し、王宮や後宮についてご質問がある場合は、その都度ご質問いただきたく思います。リーナ様がどの程度王宮や後宮についてご存知なのか、こちらで把握したいのです。ここまでで何かありますでしょうか?」
レイチェルは質問したものの、あくまでも形式的なもので、特に何も質問はないだろうと考えていた。
その予想をリーナは簡単に覆した。
「侍女以外のことでわからないことがあれば聞いてもいいということでしょうか?」
「はい。これからお住まいになる場所につきましては、不明瞭なことがなるべくないようにしたいと思っております。すぐにはお答えできないこと、守秘義務の関係でお教えできないこともございますが、可能な限りはお答えします」
「離宮というのはどこにあるのでしょうか? 王宮でも後宮でもないわけですよね?」
レイチェルは目を細めた。
離宮は関係ない。これから住む場所、王宮や後宮のことでと言ったはずだという言葉は心の中に留めた。
なぜなら、王宮という言葉を非常に広義に取れば、王宮敷地内という意味にもなる。リーナが説明を求めている離宮は王宮敷地内にあるものだった。
「ヘンリエッタが所属する離宮、ということでよろしいでしょうか?」
「もしかして、他にも離宮があるのでしょうか?」
「ございます」
レイチェルは時間がかからないように、やや早口で説明することにした。
「離宮というのは王宮と後宮以外の宮殿のことですので、エルグラード国内に多数ございます。ですが、今回お尋ねになられました離宮というのは王宮敷地内にあるもので、複数の宮殿の集合体である大宮殿としての王宮と後宮を除いた宮殿という認識でよろしいかと存じます。また、ヘンリエッタが在籍しておりますのは森林宮になります」
「もしかして森の中にあるのでしょうか?」
「はい。狩猟会や乗馬会など、王宮敷地内にある森で何らかの催しが開催される際に使用される宮殿です」
勿論、リーナにとっては初めて聞く内容になる。
後宮に何年も住んでいたにも関わらず、後宮を細かく分けると七つあることや、その宮殿の総称が後宮であるということをリーナは知らなかった。
そしてまた王宮についても同じく。
リーナは王都に七歳の時から住んでいた。無縁の場所と言われればそれまでではあるが、王宮やその敷地内にあるものについても自分は無知なのだと、リーナは強く実感した。
「離宮についての説明はこの程度でよろしいでしょうか?」
「はい」
「時間がありますので、ご興味があることにつきましては、また別の機会にさせていただきます。今は後宮に来たばかりですので、ご存じないことも多くあるかと思われます。ですが、側妃候補としての勉強の中には王宮や後宮に関することもございますので、授業を受けることにより学べることもございます」
「はい」
「では、次の者を紹介致します。筆頭侍女バーバラ・テーゲル」
「ご挨拶申し上げます。バーバラ・テーゲルでございます。私も以前後宮に勤めておりましたが、現在は森林宮に在籍し、後宮に出向しております。真摯にお仕え致しますので、どうか遠慮なく何でもお申し付けくださいませ」
リーナはバーバラのことを知っていた。リーナとは違う側妃候補付きの筆頭侍女を務めていた者だ。
バーバラ様のお仕えしていた候補の方も退宮されたのかもしれない。それで解雇になって、森林宮で雇用されたのかも?
リーナが考えている間に筆頭補佐が紹介された。
「ご挨拶させていただきます。筆頭補佐を務めますレーチェ・アンティーでございます。レーチェとお呼び下さいませ」
リーナはまたしても知る人物が挨拶をしてきたため、表情を曇らせた。
レーチェもまた側妃候補付きの筆頭侍女だった。
挨拶の中でレーチェは離宮付きになったとはいわなかったものの、元々担当になっている側妃候補が後宮に残っているのであれば、その候補付きの侍女として働いているはずだ。
新しくリーナ付きになったのは、以前担当していた側妃候補が審査に落ちて退宮し、その連帯責任で解雇になったからだと推測するのは簡単だった。





