527 入宮式
クオンは眉をひそめた。
その理由はエゼルバードが廊下を走って来たからだった。しかも、自分が寵愛する女性を抱きかかえている。
予定時間を過ぎることは予想済みであり、エゼルバードは遅刻を気にするような性格ではない。
瞬時に悪い予想がクオンの頭をよぎった。
怪我をしたのか? 安全が優先だと言ったではないか!
しかし、すぐに違う理由であることが判明した。
「兄上、リーナの靴に問題が……」
息を整えながらエゼルバードが報告すると、すぐにレーベルオード伯爵がリーナの履いていた靴、厚底ビジューミュールを差し出すようにして見せた。
クオンの眉間に深いしわができる。
「……なぜ、ここにある?」
「リーナが履いていたのです。歩きにくい靴なのではと質問した際、この靴を履いていることが判明しました。今朝、レーベルオード伯爵家に贈り物として届いたそうです」
クオンはパスカルを見た。
「何時頃だ?」
「早朝です。具体的な時間は調べる必要があります」
「私からの贈り物として届いたのか? 着用の指示も伝えられたのか?」
「今日使用するため、必ず時間までに届けることになっていたと聞いております」
確かに今日使用する予定だった。入宮式で。
さすがのクオンもため息をつかざるを得ない。これから贈るはずの品がすでに贈られるばかりか、リーナが着用しているとは思っても見なかった。
「……こちらの靴に問題があるのでしょうか?」
「これは入宮式で贈る予定だった」
パスカルとレーベルオード伯爵は瞬時に理解した。
入宮式では王太子からリーナへ贈り物をすることになっていた。その贈り物が、なぜかレーベルオード伯爵家に届いてしまった。
また、使用するというのは入宮式で贈るという意味で、リーナが着用する意味ではなかった。
「申し訳ございません」
パスカルは謝罪の言葉を発した。だが、入宮式で贈られる物は、レーベルオード伯爵家の者には知らされていない。間違って届いたことをパスカルが知るわけもなかった。
「おかしいと思った」
クオンはデザイン画しか見ていないため、事前に実物を検分するつもりだった。
朝には届くということだったが、知らせが来ない。
手違いで王太子の執務室ではなく後宮に運ばれたのではないかと考え、確認するよう指示を出していた。
「別の靴を用意させています。お待ちください」
クオンは懐中時計を取り出し、時間を確認しながら考えた。
エゼルバードの指示を受けた者が側近に報告する。側近が靴を用意するように指示を出す。リーナの担当者、恐らくはアリシアに連絡が行く。アリシアが自ら、あるいは侍女に指示を出してリーナの靴を用意し、届けに来る。
時間がかかり過ぎるのは明白だけに、クオンの決断は早かった。
「待たない。その靴でいい。他のものを贈る」
「これ以外にも何か用意されているのですか?」
エゼルバードが驚いて尋ねた。
「別の機会に渡すつもりだったものがある。予定を前倒しして贈ることにする」
パスカルは急いで父親から靴を受け取ると、リーナの足に履かせた。
「降ろせ」
エゼルバードはリーナを気遣うようにゆっくりと降ろした。
パスカルが手を差し出し、リーナが立つのを支える。
「後宮側に問題が起きたことを知らせる必要はない。贈り物は私がすでに持っていると伝えておけ」
クオンはリーナの手を掴んだ。
「行くぞ」
王太子の声は、その場にいる全員の気持ちと表情を引き締めた。
入宮式が行われるのは大宴の間。
この部屋は後宮華の会が行われた場所でもある。
控の間にはレイフィールとセイフリードがおり、王太子一行が到着するのを待っていた。
時間が押していることもあり、王族達はすぐに入場することになった。
「王太子殿下、第二王子殿下、第三王子殿下、第四王子殿下のご来場! リーナ=レーベルオード様のご入場!」
侍従の声と共にファンファーレが鳴り、ドアが開く。
リーナはクオンにエスコートされる形で入場した。
入宮式というのは、正式に後宮に入ることになった女性が、王族に挨拶する場だ。すでに後宮に住んでいる側妃などの女性や後宮に勤める者達への顔合わせも兼ねている。
側妃候補は正式に後宮に入るわけではないため、入宮式は行わない。王族へ挨拶するのも、謁見であって入宮式ではない。
リーナの入宮式が行われることになったのは、王太子が寵愛している女性だからこその特別待遇だ。リーナはただの側妃候補ではない。側妃が入宮するようなものなのだということを他の候補達や後宮関係者に知らしめるためでもあった。
王族と共に入場するということもまた特別になる。本来であれば、王族が入場した後にリーナのことが紹介され、別の扉から入場する。
「王太子として命令する。リーナ=レーベルオードは私の隣に着席せよ」
クオンは自らの席まで来ると、リーナに命令した。
王太子の指示に従わないという選択肢はない。リーナはクオンに手を引かれるまま隣に座った。
「これより入宮式を始めます。候補者の入場!」
扉が開く。
入場してきたのは、独特な雰囲気を纏った個性的な女性達だった。
女性達が整列すると、侍従が一人ずつ紹介をした。
「ご紹介させていただきます。ラブ=ウェストランド様、カミーラ=シャルゴット様、ベルーガ=シャルゴット様です」
リーナは自分以外の女性達も入宮することを知らず、驚かずにはいられなかった。
「候補者を代表し、カミーラ=シャルゴット様はご挨拶を」
カミーラは強い意志をあらわす眉に相応しい態度で声を発した。
「リーナ=レーベルオード様がご入宮されますこと、誠に喜ばしく心よりお祝い申し上げます。それに合わせて私共も入宮することになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます」
リーナは隣に座るクオンを見つめた。
「後で説明がある」
後宮では側妃候補として学ぶ。その際には、側妃候補達だけになることもある。リーナを守るための侍女や護衛が多くいたとしても、同席できないような場所や状況もある。
王太子の寵愛する女性に何かをすれば、ただでは済まないことは常識的に見てもわかるはずだが、他の側妃候補達がリーナに何もしないという確証はない。
そこで、リーナを守るために選ばれた女性達が側妃候補という名目で入宮することになった。
「次に、候補者の証であるメダルが与えられます」
メダルは後宮に滞在できる証になる。
入宮許可を与えるのは国王になるが、この場に国王はいない。そのため、国王に代わる者が与えることになる。
後宮総侍従長がメダルの並んだ盆を恭しく差し出すと、クオンはメダルを一つ手に取った。
「リーナ=レーベルオードに入宮を許可する。その証としてメダルを与える」
メダルには細く長いチェーンが取り付けられ、ペンダントのようになっていた。
クオンはそれをリーナに渡すだけでなく、自ら留め金を外して首にかけた。
「他の者達へはセイフリードから与えよ」
王太子の言葉に従い、セイフリードは総侍従長を伴って壇の端まで移動した。
「ラブ=ウェストランド様!」
侍従に名前を呼ばれると、ラブは堂々というよりは図々しさが溢れるような大股歩きで、セイフリードの方へと移動した。
セイフリードは総侍従長の持つ盆からメダルを一つ取ると、ラブを見た。
「絶対に落とすなよ」
次の瞬間、セイフリードはメダルを放り投げた。
ありえない!
大宴の間にいるほとんどの者達は心の中で叫んだ。
メダルは国王が与えた許可証だ。それを放り投げる形で与えるというのは、王子であっても非常識極まりない行為としかいいようがない。
多くの者達が唖然とする中、ラブは放り投げられたメダルを受け取った。
「ちゃんと渡してくれればいいのに!」
ラブはセイフリードを睨みながらそう言った。
四大公爵家の一つであり、王家につながる血筋でもあるウェストランド公爵家の令嬢だとしても、この場にふさわしい発言と態度ではない。
しかも、相手は暴君の異名を持つ第四王子。
どうなってしまうのかと青ざめる者達が見守る中、セイフリードが声を張り上げた。
「さっさと取りに来ないのが悪い!」
ラブが呼ばれたのはメダルを貰うためだ。しかし、メダルを手渡すには遠い位置で止まった。だからこそ、セイフリードはメダルを投げた。
「さっさとどけ、邪魔だ!」
セイフリードはそう言いながら、次にメダルを受け取る予定のカミーラを見た。
まさか、また投げるのか?!
多くの者達が動揺する中、やや震えるような侍従の声が広間に響いた。
「カミーラ=シャルゴット様……」
カミーラは素早くセイフリードの方へ移動した。ラブと同じ立ち位置で一礼したものの、許可を待つことなくセイフリードのすぐ前まで近づき、頭を深々と下げた後で両手を差し出す。
本来であれば、ゆっくりと美しくすべき礼儀作法ではある。だが、王族を待たせるのはよくない。
そもそも、この入宮式はリーナのためにある。カミーラ達に関する部分は重要ではないどころか、王族にとっては面倒なものでしかない。
セイフリードの態度はそれをあらわしているのだとカミーラは考え、できるだけ早く終わらせることこそが最善だと判断した。
セイフリードは不機嫌そうな表情のまま、カミーラの手の上にメダルを乗せた。
「ありがたき幸せ。心より御礼申し上げます」
カミーラは謝礼の言葉を述べると、すぐに下がった。
姉を見習い、妹のベルもすばやく行動し、セイフリードからメダルを受け取った。
「それでは、お使いいただく部屋の発表をさせていただきます」
侍従がラブ、カミーラ、ベルに与えられる部屋の名称を伝えた後、リーナに与えられる部屋を発表した。
「リーナ=レーベルオード様に与えられる部屋は真珠の間になります」
「えっ?」
リーナは思わず声を出した。
側妃候補付きの侍女見習いとして働いていたリーナは、側妃候補達に与えられる部屋がどんな名称で、どこにあるのかも知っていた。
基本的には四階にある部屋で、色と花の名前が組み合わさった名称がついている。
真珠というのは花ではなく宝石の名称だ。リーナの知っている範囲ではあるものの、そのような名称の部屋はない。少なくとも四階には。
「後で説明がある」
クオンがリーナの肩を掴んで引き寄せ、耳元で囁いた。
その瞬間、リーナは驚きと恥ずかしさでいっぱいになり、部屋のことは頭の中から一気に吹き飛んでしまった。
「候補者には入宮祝いが贈られます」
候補者付きの筆頭侍女になる者達が、オレンジのバラのブーケを持って並んだ。
オレンジのバラの花言葉は絆、信頼。
三人の候補者達に期待されるのは、王族の寵を競うことではなく、リーナを守る役目になる。その意向が込められたブーケを、三人の候補者はしっかりと受け取った。
「リーナ=レーベルオード様には特別な贈り物が与えられます」
リーナの元に届けられたのはブーケではなく、巨大な赤いバラの花籠だった。
赤いバラが王太子の寵愛を示すものであることは疑いようもない。
四人の侍女達がワゴンの上に乗せ、支えながら運び込むほどの大きさもまた同じく。
これだけでも十分に他の者達との差を見せつけていたが、予定ではもう一つの品、与えられる部屋の名称にちなんだ特別な靴が贈られるはずだった。
クオンはポケットに手を入れると、取り出したものをリーナに見せた。
「これは王宮にある新緑の私室の鍵だ」
新緑の私室の鍵は黄金色で、宝石がはめ込まれている。見た目からいっても、ただの部屋の鍵ではないことは一目瞭然だった。
「お前にはこの部屋も与える。王宮に滞在する際にはこの部屋を使用するように。王宮における居住及び私物の持ち込みも合わせて許可する」
リーナは王太子の寵愛を受けている女性だ。王宮に自分の部屋を与えられるというのは特別ではあるものの、驚くほどのことでもない。
しかし、新緑の私室が王太子の私室の隣に位置しており、王太子妃の私室と呼ばれる部屋をわざわざ改名して整えたことを知る者であれば、リーナがいかに大きな寵愛を得ているかがわかる。
クオンは時期を見てリーナに王宮の部屋を与えるつもりでいた。そのため、セイフリードの部屋の移動や改装にかこつけ、リーナの部屋を内密に整えていた。
「お前のために整えた部屋だ。万が一気に入らない部分があるのであれば、模様替えをすればいい。但し、大掛かりな改装はできない。なぜかといえば、歴代の王太子妃が私室を構えていた場所だからだ。その名残を残しておかなければならない」
リーナは不安そうな表情になった。
「なんだか歴史のある部屋のようです。私が使用してもいいのでしょうか?」
「構わない。王太子の妻になる者が使用するのは、むしろ当然だ」
クオンはそう答えると、王太子直々の祝福として堂々とリーナに口づけた。





