526 責任はどこに
クオンが緑の会食の間に来たのは、全員が朝食を食べ終わった後だった。
クオンは自らの席に着くと、すぐエゼルバードに話しかけた。
「後宮の責任にする」
後宮に住む側妃達に通達が届かなかったのは問題だった。エゼルバードが生母の機嫌が直るように取りなせば解決するというものではない。
また同じようなことが起き、その責任を誰が取るかという問題が起きるのは困る。リーナの責任や悪印象につながるのはよくない。
今回の通達を発した者の責任ということであれば、王太子や王太子府の責任になる。しかし、王太子や王太子府が国王の側妃に対し、常に直接的な通達をしているわけではない。
基本的には国王や国王府の管轄になるため、国王や国王府を通すのが通常対応になる。また、王子の方から生母へ通達するということもあり、その場合は王子や王子府の責任になる。
更に、宰相府や王宮省を通してすることもある。不手際が起きた際、責任を問われかねない立場にある者達や組織は多かった。
そこで国王と王太子で話し合った結果、側妃達への通達が届かなった責任は後宮にあるという判断になった。
「具体的な対応は父上と国王府に任せることにした」
後宮への対応は国王と国王府がするのが原則だ。国王の側妃に関することであれば、尚更国王府が対応すべきだった。しかし、これまでの対応を考えると、重い処罰はされないであろうことも予測できた。
「厳重注意だけになるのでは?」
「リーナへの風当たりが強くなるのは好ましくない。この程度の問題に構っている時間などない」
クオンはエゼルバードとの会話を終わらせ、用意された食事を取り始めた。
時間がないこともあり、一度に多くの料理が運び込まれ、その中からクオンは卵料理とデザートだけを選んで口に運んだ。
デザートを食べ終わると、クオンはパスカルに視線を向けた。
「側妃達への挨拶回りは聞いたか?」
「午後の予定に組み込まれ、第二王子殿下も同行されると伺いました」
パスカルが答えると、クオンは頷いた。
「他にもある。ヘンデルが不調だ。お前が代われ」
「執務室で補佐をするということでしょうか?」
「他の予定も全てだ。ヘンデルが復帰するまでの間、一時的に首席補佐官代理にする」
パスカルは一日中王太子の側近としてリーナに同行することになっていた。その予定が変更になるということは、王太子がリーナの側にいる間だけしか一緒にいられないということになる。
「では、リーナには別の者をつけるということでしょうか?」
これから後宮に住むことを考えると、初日の対応は非常に重要になる。自分が側にいられないことをパスカルは不安に思うしかない。
「エゼルバードに任せる」
意外な担当者が発表され、パスカルとレーベルオード伯爵は隠すことなく眉をひそめた。
エゼルバードも自分の名前が出たことに驚いたものの、喜びが一気に溢れ出すような表情になった。
「側近の誰かが同行すべきです。今後に関わります」
「入宮式には私も出る。お前もいるということだ。午後は挨拶回りが主要な予定になるため、エゼルバードが適任だ。王太子府の者では側妃達を抑えられない。後宮に対しても強く要望を言えるだろう」
王太子の指摘は正しいと理解しつつも、パスカルは納得できなかった。
「しかし」
「レイフィールとセイフリードもつける」
王太子の言葉に驚いたのはパスカルだけではなかった。
「セイフリードですか?」
エゼルバードの笑みはすっかり消えていた。歓迎できないことがありありとわかる表情に変化している。
「成人に向け、私の執務補佐や代理のようなこともさせると話したはずだ。中央省庁に関する政治判断をする必要がない。丁度いい」
成人した王族男子は未成年の時とは比べ物にならないほどの権限を持つことになる。そのため、未成年である内に様々なことを学び、経験させるのが慣例だ。
クオン、エゼルバード、レイフィールも成人前には国王の執務補佐や代理の経験をした。
セイフリードにも経験させるというのはおかしくないものの、国王ではなく王太子の元でするという対応だ。
「父上ではなく兄上の元で補佐をするのですか?」
「父上はセイフリードが強い決裁権を持つことを不安視している。私の補佐であれば、最終決裁権は私になる。都合がいい」
エゼルバードはセイフリードが大きな権限を持ちそうな予感を危惧したが、実際には兄の厳重な監視の元で執務に関わらせ、重要な決裁権を与えないつもりだということを理解した。
「兄上が深く考慮されているのはわかりますが、セイフリードが同行するのは得策とは言えないように思います。母上達を刺激し、不機嫌さが募れば、リーナの印象が悪くなってしまう恐れもあります」
「取り込もうと考え、長居させられても困る。短時間で切り上げるためにも、セイフリードは必要になる」
反論できないエゼルバードはため息をついて同意した。
クオン、エゼルバード、パスカルの三人で今後に関する話をしていると、侍従のコリンが部屋に来た。
「後宮へ移動するお時間になりました」
クオンが席を立てば、他の全員も席を立つ。
クオンは厳しい表情をしたままリーナの側に行くと、その手を掴み取って歩き出した。
リーナは内心クオンの態度に驚いていたものの、食事もほどほどに重要だと思われるような話をし続けていたことを思い出した。
とても忙しそう……。
身分の低い者から身分の高い者に話しかけるのは無礼になるため、必要不可欠である場合を除いては控えなければならない。
リーナはクオンが自分を見て話しかけるまでは、黙ってついて行くしかないと考えた。だが、クオンの歩幅はリーナよりも大きく、歩くのも早い。
リーナは懸命について行こうとしたものの、長いドレスと新しく歩きにくい靴では難しい。優雅に歩く余裕は一切なく、脱げそうな靴をなんとか堪えて歩いているような状態だった。
パスカルが移動に関する進言しようとした瞬間、別の者が発言した。
「兄上、お待ちください。リーナが転びそうです」
前だけを向いて歩いていたクオンは、すぐに足を止めた。
そして、ゆっくりとリーナの方に顔を向けた。
「……考えなければならないことがある。お前は後から来い。安全が優先だ」
クオンは手を離した。それは、リーナのエスコートをやめるということだった。
「エゼルバードが引き継げ。入口で待っている」
「わかりました」
クオンは前だけを向いて歩き出した。
その後にパスカルも続く。王太子の側近としての同行であり、ヘンデルの代理にも任命された以上、妹よりも王太子の側につくことを優先しなければならない。
クオン達を見送るリーナの表情は不安そうに曇っていたため、エゼルバードはできるだけ優しい口調でリーナに語り掛けた。
「兄上は常に忙しく、移動中も執務について考えるほど、時間が貴重なのです。共に移動できないのは寂しいと思うかもしれませんが、転ばないように移動する方を優先しなければなりません」
リーナは頷いた。
「大丈夫です。でも、せっかくエスコートをして下さったのに合わせることができず、考え事の邪魔をしてしまいました。申し訳ない気持ちでいっぱいです」
エゼルバードは理解した。
リーナの表情が曇ったのは、自分が置いて行かれることに対する不満や寂しさを感じたからではない。兄に合わせて歩くことができず、考えるのを邪魔してしまった自分の不甲斐なさを感じ、謝罪の気持ちが込み上げたせいだったのだと。
エスコートをする以上、男性は女性に気を遣うべきになる。女性がどれほど合わそうとしても、男性に合わす気がなければ難しい。
それが当たり前だというのに、リーナはエスコート役であるクオンのことを責めず、自分の不足さを反省した。
それは、クオンが王太子だからという理由ではない。謙虚な性格であることだけでもない。リーナに自信がないから。自分がなんとかしなければならないと思っているから。正しく知らないから。本当に不足な部分が多くあるからだった。
何でも完璧にこなし、正しく堂々と振る舞える女性。
多くの者達はそのような女性を王太子の妻にすべきだと考える。エゼルバードも兄の妻には世界で一番素晴らしい完璧な女性こそが相応しいと思っていた。
だが、兄が選んだのは完璧な女性ではなかった。あまりにも不足だらけの女性だった。
どうして私はリーナを不快に思わないのでしょうね? それどころか、不足な部分があることが好ましい……。
エゼルバードは心の中で呟いた。
「第二王子殿下、いつまでここに?」
エゼルバードは気が付いたというようにレーベルオード伯爵に視線を向けた。
「リーナは無理をしていたので、少し休みを取ったのです」
エゼルバードは瞬時に思いついた理由を口にしつつ、リーナに微笑みかけた。
「もし靴が合わないのであれば、正直に言いなさい。履き替えなくてはなりません」
リーナは正直に答えた。
「大丈夫です。新しい靴なので、慣れていないだけです」
「歩きにくいのですか?」
「少し。いつもより重いのもあって……」
「重い?」
「宝石が沢山ついているのです」
「レースの花飾りがついた靴では?」
「今朝、王太子殿下から贈られたばかりの靴です」
エゼルバードはすぐにあるものを思い浮かべた。
「……まさかとは思いますが、パールとダイヤモンドがあしらわれた厚底ビジューミュールですか?」
「そうです」
リーナが答えると同時に、エゼルバードの表情はみるみる驚愕のそれになった。
パールとダイヤモンドがあしらわれた厚底ビジューミュールは、入宮祝いとして王太子からリーナに贈られる予定だった。
入宮式で。
王太子の寵愛がいかに深いものであるかを多くの者達に知らしめるため、宝飾品でもある靴を贈ることになったのだ。
ところが、リーナはすでに靴を履いてしまっていた。
贈り物のことを知っているのはごく一部の者だけだった。
パスカルは王太子の側近ではあるものの、身内であることから、入宮式での贈り物がどのようなものであるかは知らされていない。
靴はドレスの下に隠れてしまう。そのせいで、リーナの靴に問題があるとすぐに気付けなかった。
臨機応変さにおいても極めて優秀なヘンデルが不調で同席できないことも、運が悪いとしか言いようがない。
「……不味いですね。すぐ兄上に知らせなければ」
エゼルバードはそう言うと、突然リーナを抱き上げた。
「エゼルバード様!」
「すぐに靴を脱いで落としなさい。レーベルオード伯爵はその靴を守るように」
エゼルバードは真剣な表情でそう言うと走り出した。
「殿下!」
「我々の方でお運びします!」
「どうか、ご命令を!」
すぐにリーナ付きの護衛騎士と第二王子付きの護衛達が申し出た。
エゼルバードは立ち止まると、冷たく鋭い表情で護衛達を叱責した。
「兄上の大切な女性を任されたというのに、他の者に委ねられるわけがありません! それから予定外の問題が起きました。大至急リーナの新しい靴を用意させなさい!」
「直ちに!」
「かしこまりました!」
問題が発生したことを察知した護衛騎士達の表情は別の意味で引き締まり、伝令役が一礼するとすぐに走り出した。
エゼルバードもまた走り出す。
護衛騎士達は周囲を固めるように走りつつも、心の中で思った。
見た目にそぐわず、意外と力持ちでいらっしゃる。
それは衣裳を含めて相応の重量があると思われるリーナを抱き抱えつつも、騎士達に劣らぬ速さで走り続けるエゼルバードへの感想だった。





